2000年

対人恐怖症のオフ会にて

2000年1月18日(火)

アルバイトさぼり二日目です。

朝起きるまでは行く気なんだけど・・・。

ピアノの練習もする気が起きないです。

月謝払って行ってるんだから、弾く気がなければ止めればいいんじゃないだろか。

でもずっと弾きたくないワケじゃないし。

今テクニック的に無謀な曲を発表会に向けて練習してるから、よけい気が重くてピアノの蓋を開ける気にならないのです。

曲をもっと親しみやすいやつに変えてもらおうかな。

自分で難しいの選んで持ってったんだけど。

コレが弾きたいんです、って。

憂鬱。

憂鬱なので、バイト休んでてもネットの落書き掲示板にかかりっきり。

それにしても昨日はバイト先から仕事のことで質問の電話が2回もかかってきたけど、今日は電話鳴りません。

安心するやら寂しいやら。

大学病院で秘書のパートをしながら、

家の近所でピアノレッスンも受けていました。

2000年1月30日

雨ニモマケズ  宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合卜
味噌卜少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ杉ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

2000年2月3日(木)

小学校低学年の時、私を毎日いじめる男子が一人いました。
毎日つきまとわれて、つねったり叩いたりで泣かされて、私はその子が大嫌いでした。
だけど私はいつも先生に味方されていて、いじめられるのもその子からだけで、それほど深刻にならず毎日学校に通ってました。
その子がすごく寂しがりやなんだってことも、なんとなく分かっていました。

中学に上がると、彼は絵に描いたような不良になりました。
先生に反抗したり、弱いものイジメをしたりしてました。
だけど私は、彼がいくら不良ぶってカッコつけてても、女子に人気があって楽しそうに過ごしてても、その姿を見るのが辛かった。
弱くて弱くて壊れそうな細い神経が、いつもピリピリ張り詰めていたから。

優しいところも確かにありました。
幼い頃、何度かそういう一面を垣間見ました。

大人になってからも、何もせずにふらふらして素行も悪いままで、お母さんを心配させているという噂を時々耳にしました。

ある日突然、新聞で彼の死を知りました。
付き合っていた女の子に別れを迫られ、その彼女を刺した後、知人のマンションの屋上から飛び降りたということでした。

もう終わってしまったんだ。
ギリギリ一杯の綱渡りで、真っ赤な顔をしてもがき苦しみ続ける姿が頭から離れませんでした。

2000年2月6日(日)

緊張が薬によるマヒで和らぐのは分かるけれど、

理由のない落ち込みが薬で軽くなるなんて、

やっぱりなんだか信じられません。

2000年2月9日(水)

ネットアイドルのページを見て、女の子の写真をたくさん見るのが好き。
アピールのしかたを見るのが好き。

自分に関係無い男性のルックスには興味がない。 

2000年2月20日(日)

泊りがけの赤坂での学会を終えて、家に帰ってきました。

外人も集団もボス秘書ペアも体がすくむ私は、何度もくじけそうになりましたが、他の秘書さんも優しい先生もいたので、薬を飲みつつなんとか乗り切れました。

ディナーパーティーと仕事の後の飲み会ではワイン、カクテルをガンガン飲んで必死に緊張をごまかしました。
どこからか「○○さん、見かけによらないね~」とつぶやく声が聞こえました・・・

疲れた!

2000年3月4日(土)

少しだけうわべの愛想を覚えてしまえば、あんなに譲れないと思っていた疑問も日常に紛れていつか薄れて、女の子はある程度生きていけてしまうよ。
ずるいやりかたを知ってしまっている自分は、恥ずかしくてあの純粋な女の子の書き込みにレスをつけることは出来ない。

自分というものがはっきりわからない。
心からやりたいことなんてない。
よく見ようとしても集中できない。
足元にも何も無くて、掴むものもない。
どうしてこうなったんだろう?

世間一般でいう「きちんとした子」でいるとなんらかの評価を与えてくれる場所から、物理的に離れてみないと分からないのかもしれないな。
自力で精神的にシャットアウトするにはどうやら力不足のようです。

ごめんなさい、私には今、こうだと保証できるものが何も無いの。

たくさん真剣に考えたいことがあるのに、ベッドで眠りたい。

2000年3月4日(土)

ラスト殺し合いの悪夢から汗をかいて目覚め、おもむろに確定申告に必要(かも)と思われるものを集めてみました!

 去年の会社の源泉徴収票。
 退職金の源泉徴収票。
 アルバイトの源泉徴収票。
 社会保険の領収証。
 銀行の通帳。
 印鑑。

税務署に電話して確認してみます。 

2000年3月6日(月)

電話で持ち物と行き方の確認しました。
今日はこれでおしまい。

今、すごく思い出したい気持ちがあります。
公園や林の中を散歩して、幸せだった時の。
景色のいい場所を見つけて、座ってずっとご機嫌だった時の。

2000年3月6日(月)

いじめに耐えかねて退職したOLを、「いじめの噂を広めて、挨拶もなしに辞めた!」と
実家まで行って呼び出し、車に押し込み、ホテルに監禁・暴行したOL3人組。

こういう人が3人も職場に揃っているとは不幸な偶然だ。
でもなんだか他人事とは思えない事件です。

2000年3月10日(金)

親にバイト辞めたこと話しました。
やっぱりカッコつけても、もたなかったです。

嘘をつくっていうのは頭を使う。
脳細胞の足りない私には向かないです。

嘘をついてるプレッシャーより、ありのままを嘆かれるプレッシャーをとりました。

あまりに執拗な嫌がらせに突然バカバカしくなり、

秘書のパートを辞めました。

2000年3月21日(火)

会社員時代の同僚と、今シーズン最後のスキーの約束を遂行してきました。
いつかのように、部屋に戻れずにトイレに隠れているところを発見されるなどという醜態をさらす事なく、無事に済んで良かった・・・

もうすっかりみんなに体育会系とバレてしまったようです。
(いや別に何も隠してはいないが)
黙ってバリバリ滑るせいかゲレンデでは星飛馬と呼ばれ、もはや男性陣は誰も昔のように「ここ怖くない?」「疲れてない?」などと気遣ってはくれません。

別に平気なんだけど、まったく心配されないっていうのも、それはそれで複雑な心境です。

夜はワイン・カクテル・にごり酒・缶チューハイなどを宴会でガンガン飲みつづけて、女性と二人の相部屋も乗り切りました。

(でもまたちょっと飲みすぎてしまい、明け方こっそりトイレで吐いてきたのですが)

お・・・お金・・・ ちゃんと稼げるようにならなきゃ。
お金がなきゃ一人で生きていけないよ。

2000年3月29日(日)

何もやる気がおきないのです。
風がとても強くて晴れています。
誰か病院に無理やり連れて行ってくれないかなあ。
病院を選ぶ気力も予約する気力も外出する気力もないのです。

2000年4月6日

鬱から少し脱出してきたかな。
まだこの先、どうするか決められないけれど。
決められない、っていうところが甘いのかな。
決められなくっても「エイっ」って行動するもんなのかな。
ジリツした女は。

とかいいつつ毎日「ロングバケーション」の再放送一日2本立てを見ています。
稲森いずみの役、私にはできそうにないな。
ものすごいテンションの高いミーハーモデルの役です。
松たか子はこの頃まだ垢抜けてない感じだな。
デビュー当時のイメージどおり、ピアノを弾くお嬢様の役みたい。
これが初ドラマ出演だったかなあ。
なんか顔色が黒く見えるのはなぜだろう。
眉毛の手入れが不十分だからだろうか・・・。

2000年4月9日(日)

最近、腰は痛いし胃は気持ち悪いし眠れない。
一つずつ片付ければ何か変わるかも、と、ようやく今日腰のけん引(整形外科)に行ってきました。
4日ぶりに外に出て太陽が眩しかったです。

私っていつ気分がよくなるんだろう。
でも普通はこんな気分でも家に篭っていないで、気合で仕事探したりするものかもしれない・・・

やっぱり多少無理は必要?
「好きなことして元気になろう作戦」でいこうとしてたけど、今度ばかりは例外。
本当に何もやりたくないから世捨て人になっちゃう気がします。

2000年4月18日(火)

やりたいことがない私は、当然なにもする気がないわけです。
何もする気がないから、必要に迫られない限り何もしないわけです。
まだ貯金があるから、お金を稼ごうともそれほど思わないわけです。

人間、どうしたらやりたいことが出てくるのでしょうか?

親が爆発するのを案じつつ、ごまかし程度に家事をして、あとはひたすらぼーっとしている毎日。

2000年4月18日(火)

白いチューリップって綺麗なんでしょうね・・・

チューリップといえば。
私はある程度の大きさのある花が開いている様子が怖い。
昔、庭の赤いチューリップが開ききっている昼間は、遠回りして避けて通っていました。

赤と黄色と黒のコントラストのきつさにビクビク!

2000年4月19日(水)

百人一首の小野小町のイラストって後ろ向きですよね。

綺麗な人が好きなわたしは、子供心に「こっち向いてくれないかなあ」ってよく眺めていました。

美人だと言われると、見ずにはいられない!

2000年4月21日(金)

私は子供の頃、あさがおのねじれたつぼみを無理やりほどいて、開こうとしたことがあります。

あ、アリ地獄にアリを落として観察したこともあります。

2000年4月22日(土)

玄関先にチューリップが植えてあるのに、昨日はじめて気付きました。
色は濃いピンクです。

心を入れ替えてよく見たら、えんじ色のパンジーもありました。

2000年4月30日(日)

私はいつも、

自分は偽善者で傲慢でエゴイストだという思いから逃れられなくて、

(逃れてはいけないのだろうけれど忘れたい)

いくら「好きだ」「優しい」って言って貰っても足りない。

他の皆が眩しくて耐えられない。

こうして自分の弱みを暴露することさえ、自己防衛。

昨日、私が掲示板のレスを読んだ時にページャーしていて、ずっと一生懸命励ましてくれた人たち。

あなたたちのお陰で目まいはおさまりました。

どうして私に、そんなに優しくできるんですか?

助けて欲しいって思いながら、みんなの好意をまっすぐに受け取ることすらできない。

人が親切にしてくれたら。お礼を。きちんと。

言葉にしなくちゃ?

「ありがとう」なんていう、ありきたりの言葉しか思いつかない。

いろいろな人に囲まれて生きていて、私はいったい今、なにをしているんだろう。

毎日、毎日

助けてくれたから、私も助けたい?

優しくしてもらったから、私も優しくしなきゃ?

もっともっと人の中に入っていけば、罪悪感にも慣れる?

人を愛せないのに、他人の無償の好意に甘えてはずるい?

答えなんてないことばかり。

私はまだ、こうやって生きていくしかない。

こんなに何でも揃っていて、何が辛いっていうの?

童話をたくさん借りてきて、考え方をシンプルにしようともがいてみる。

なんだかばかみたい。鬱と不安の薬を、半信半疑で飲む。

ページャー:かつてのYahoo!のチャット機能

2000年5月8日(月)

いきなり思い立って、履歴書なるものを作成。
送り先に電話して、なんとか詳しいあて先を訊き、送付終了!

今の時点ではこれができただけでよし。

 2000年5月8日(月)

選ぶことイコール別のものを捨てること。
どれも大事にたくさん両手にかかえたままでは、落とさないようにするだけで精一杯。

わかっちゃいるけど、まだわからない。

2000年5月10日(水)

病院で手の震えやイライラを相談したら、抗鬱剤の副作用だと言われ、震え・筋肉硬直を抑える薬を追加されました。
あと頓服の抗不安薬も追加。
睡眠薬も入れたらこれで5種類になります。

かつて私の人生に、これほど薬を飲んでいる時期があったろうか。

なんて感慨に浸っている間もなく、今日家に帰ったら、もう履歴書が返送されてきてました。

「うちの職種では遠い所から長時間通勤して頂くのは申し訳ないので」と、もっともらしい(?)丁寧な断わりの手紙と、なんと千円札が同封されてました!
写真代、郵送代などのお金だそうです。

こんなの初めてでちょっとびっくり。
こういうところで働いてみたかったなあ。

 2000年5月12日(金)

時給の少し高めな仕事をしてみようと思い、人材派遣会社の面接申し込んでみました。

「エクセル・ワードで登録お願いします」と言ったら、OA事務で登録するには、スキルチェックを受けるらしい。
どんなテストをやらせるのだろう、このおよび腰の私に・・・

 2000年5月17日(水)

派遣会社の面接受けてきました。
説明&テスト&面接で3時間拘束。
疲れすぎ!!

あとは仕事がくるのかどうか・・・

2000年5月23日(火)

昨日、派遣会社から初めて仕事の紹介がありました。
人工衛星やロケットの打ち上げなどに携わる、社員はNASAに出張が多いところらしくて、ドキドキして「明日まで考えさせてください」と答えました。

で、いろいろ悩んで覚悟を決めて今日電話したら、もう人が決まってしまってた・・・

あ~やっぱりぐずぐずしてると他の人にとられちゃうのね~。
すごく面白そうな会社だったのに。

で、今日もまたNECでの仕事の紹介があったけど、残業が多くってバツ。

2000年5月26日(金)

私は高校生の時から遅刻の女王です。
どうしてか辛くなってくると、毎日ギリギリとか5分過ぎとかになるのです・・・

今日はとっても天気がいいけどすごく淋しい。
どうしよう、どうしよう 

2000年6月1日(木)

今日、はじめて契約先の会社に打ち合わせに行ってきます。
どーか無事にコトが運びますように。

つ、つかれた
なんか無事じゃなかったです~

まだ仕事が本当に決まるまでには長引きそうです・・・ 

2000年6月4日(日)

ずっと不思議なことがあります。
わたしは職場で仕事がない時を除いて「暇だ・・・」と思ったことがない。
多くの人は、一人の時によくそう思うらしい。

人生最大の屈辱も悲しみも幸福も、「人生最大」のものは何一つわたしにはまだ訪れていないだろう、と思う。

最近ようやく「寂しい、人恋しい」という気持ちが、身にしみてわかるようになりました。

幸か不幸か。

2000年6月11日(日)

女性でない、人間としての自分に自信が持てない。

女性であることに依存している。

どうしたらこのループから抜け出せるのだろう。

あそこでも、だんだん気まずくて一緒に居られない人たちを増やしていくのかと思うと、寂しくて怖くてベッドにうずくまってしまう。

どうして他の人みたいに、明るく仲間でい続けられないのか、自ら息苦しい関係にしてしまう自分の暗さ、いやらしさににぞっとする。

人生はゼロ。人生はゼロ。

もともと何もなかったことにすればいい。

みんなに好かれるなんてことは、ありえない。

故意に傷つけらることなく普通に親切にされるだけで、じゅうぶん温かいはずなんだ。

純粋で明るい愛情を人に対して持つ心の広さと、そしてそれを依存や期待を介入させずに保つ強さが欲しい。なんとかして。

あそこ:対人恐怖症仲間の集いの場のこと

2000年6月28日

今日は姉に秘密を打ち明けました。

秘密ってなんだったのか、思い出せません、すみません。

2000年6月29日

絶望で吐きそうなくらい悲惨な夢をみて、目が覚めた。
ベッドで丸まってうめいた。

チャイムが鳴ったけど居留守。

当面家でダラダラと過ごす予定の私に、姉が小説をたくさん貸してくれた。
今日、そのうちの一冊にウインナーの汁を飛ばしてしみを作った。

暑いのでリビングの窓を網戸にして、目の前に座り込んで庭を眺めていたら、網戸に雑草がつるを延ばして巻きついているのに気づいた。
無理にほどいてはずしてみた。
しばらくして見たら、また巻きついていた。
またはずしておいた。
自分が野原に立ち尽くし、雑草に巻きつかれるのを想像してみた。

最近は風が強くてシャボン玉が作ったそばから壊れる。

2000年6月30日

早寝するつもりでベッドに入ったのに、気付いたら本を一冊読んでしまっていた。

そして寝たのはやっぱり明け方。目覚めたら昼の一時。

読んでない本や漫画があると最優先してしまい、生活のリズムを正そうとしてたことなど忘れてしまう。

チャイムが鳴った。
素肌にノースリーブのワンピース一枚だった私は慌ててエプロンをし、「はーい。どちら様ですかあ」と、内側から声をかけた。

怪しくなさそう(?)なのでドアを半開きにして話を聞いてみると、家の縁の下の通気口から虫がたくさん入り込んで死に、ダニが大量発生してるから防虫網を取り付けましょう、と言う。
網代だけで、作業代はいらないという。

「虫の死骸の山の上で寝ていると思うと気分悪いでしょう?」
などと言い出す。

おまえがそんなこと言わなきゃ別に気分悪くならない。

まあとにかくタダじゃないことが分かったので「・・・今両親が留守なので決められません」とか言って帰ってもらった。

だいたい家は雑木林に面してるし、一歩外にでればもともと縁の下に限らず虫だらけのはず。
だけど「ムカデ、ゴキブリ、ダニ、卵、死骸」などの単語をたくさん聞いてしまいそれだけで気持悪い。

宅配以外の昼間の客は、ドアを開けるとロクな目にあわない。

2000年7月1日

八月の
山の昼
明るみに
雨注ぎ
遠雷の
音を聞く

雨の音
雷の音
打ち混じり
草は鳴る
八月の
山の昼

おりからに
空青み
日は照りぬ──

静かなる
色を見よ
山の昼

※この詩、たぶん小学校の国語で習ったのかな。

タイトルも忘れたしどっか間違ってると思うけど、すごく好きだった。

2000年7月1日

ハイネ(?)の詩が思い出せない。

電車の広告に載ってて、感動した記憶がある。

山にかけ登って、愛する人を思って歌を歌い涙を流す、みたいなかんじ。
ラストだけ覚えてる。

 私の心は燃え上がり
 夕日のようにあかあかと
 こんなに大きく美しく
 海へ沈んだ 愛の海

2000年7月2日

落石に怯えつつハーケンを打ち
雷鳴におののきながらザイルをたぐり
汗にまみれてよじ登った山

※タイトルはたぶん「虻」(あぶ)でした。これも小学校の国語で習いました。この出だしの部分がハードボイルドタッチでかっこよかったので覚えてます。やっぱり長年の間に記憶が曖昧になってそうではありますが。
終わりのほうの、「虻の心は山よりも大きくなる」というフレーズも思い出しました。

2000年7月4日

わたしの体を気が済むまで愛せばいいと思います。

妊娠・中絶の相手に対しての言葉

2000年7月21日

明日のオフに、でることにしました。
過度に甘えては拒絶されるという恐怖いっぱいの普通のともだち(?)の中に身をおいて、ひさびさに会話の練習をしてきます。
楽しく過ごせますように。

ほんとは甘えすぎて失敗して諭されて、悪いとこも言い合いながら、それでも続く、っていう仲間が欲しい。 

オフ:対人恐怖症の人たちとの会合。オフ会。

2000年7月31日

テレホ時間のネットに依存して寝るのが遅くなり昼間寝てしまう自分が大嫌い!

己を惨めに思うことからなかなか抜け出せずやる気のでない自分が大嫌い!

なんにもやりたいことなくて、なにもしていない自分が大嫌い!

自分を殴ってやりたい。

今日もせめてこれから無心に家の中を片付けて、これ以上自分を嫌いにならないようにあがくのみ・・・ああ不毛。

テレホ:かつて、テレホーダイという23時からの

NTTの定額通信サービスがありました。

2000年7月31日

自分を嫌いって言って、本当の自分を認めていないってことにして正当化を試みてる自分も嫌い。

2000年8月14日

忘れられない苦しいことがあって逃れられない時は、思い出すものを見ないように遊んだり働いたりしたほうがいい?

それとも一度どっぷり向き合ったほうがいい?

辛い思い出があるために避けなくてはならないものを増やすのは

できるだけしたくないと思ってきました。

うそをつかなきゃいけない事柄を抱えることも、頭が悪いのと面倒くさいのとで持ちこたえられないです。

できるだけ、自分の経験や私と関わる人を思う時、おだやかな気分でいられるように整えておきたい。

納得できない過去も、人に隠さなきゃいけないことも、辛くて一緒にいられない人も、いっさい増やしたくない。

自分に起こった現実にはすべて、なんとかして理屈をつけて、温かい目で眺められるようにしてしまいたい。

どんなに受け入れられないことでも、自分におこったことは穏やかに受け入れられるようにならないときついから。

他人を恨むのはとても疲れるから。

妊娠・中絶を経験した直後、

激しい男性恐怖症に陥りました。

その他症状も悪化の一途を辿りました。

2000年9月15日

なんのためにここにいる?

時間をつぶさなければならない。

食べたいものがない。

薬をのむために、少しばかり半ば無理に食べる。

人に会いたくない。

一人でいたい。

何も話し掛けられたくない。

体がとても重い。体重は減ってきているのに。

2000年9月16日

自分の食事を準備する気がおきない。
TVもあまり見る気になれない。
本も途中までで終わっている。

このまま何もやりたくないまま、時間をつぶしていかなければならないのかと思うと怖くてたまらない。
両親が怒らないように最低限の家事だけようやくこなす毎日。

2000年9月17日

明け方5時ごろから1時間半くらいしか眠れず。
テレビドラマを見る気になったのでビデオ録画を見る。
夜から食欲がでてきた。
すこし気分が安定してきた気がする。

2000年9月18日

夜中にレンドルミンを飲んだので、途中目覚めたものの合計5時間くらいは眠れた。

朝9時ごろ起きる。食欲がある。
15時からカウンセリング。
2回目なので緊張は少し軽かった。

カウンセリング時間30分は短いなあと思ったが、金銭的に様子を見る必要があるので仕方がない。
思ったことを自然に話せるようになりたい。
夜、母親に今日のカウンセリングでの内容を話す。涙が流れる。

2000年9月19日

夜中にレンドルミンを飲んで2時半~5時半くらいまで3時間睡眠。
ちゃんと夜中にまとめて長時間眠れるようになりたいので、昼間は寝ないように頑張っていたが、夜5時ごろから我慢できずに3時間くらい眠ってしまった。

2000年9月20日

夜中にレンドルミンを半錠飲んで寝たが、2時間くらいしか眠れず早朝覚醒。
もう少し眠ろうとするが眠れないので起きる。
食欲は普通にあり、朝食を食べる。
昼に眠くなり、1時間半くらい眠る。
相変わらず知り合いと会話をする気力がないので、少しばかりメールの返事を書いたり、ネットでPCの壁紙収集をしたり。
外出する気持ち、依然として湧かない。
夕方からオリンピックサッカーの対ブラジル戦をTV観戦。

2000年9月21日

レンドルミン半錠。
途中で目が覚めたが3時間ほど眠り6時半ごろ起きる。
PCの壁紙をいろいろ替えてみるのが面白く、しばらくいじる。

その後母の作った朝食を普通にとり、洗濯物干し、換気扇の掃除をする。
お昼前から2時間くらい寝てしまう。
食欲が少しあるが料理をする気力がない。
TV番組の録画を観て大声を上げて泣く。

小刻みな睡眠ではすっきりせず日中はいつも徹夜あけのような感じ、頭がボーッとして体はだるい。
横になってうとうとして夕方まで過ごす。
22時を過ぎる頃になると頭が急にすっきりしてくる。

2000年9月22日

レンドルミン1錠にしても途中で目が覚めて合計2時間半睡眠。
6時起床。PCをいじり、朝食、家事のあと、2時間くらい昼寝。
読書を少ししたあと1時間ほど眠り、ふと思いついて、知り合いの女性に「声が聞きたくなって」と電話を掛け、しばし会話する。
恋愛関係にある異性以外に、用事がないのに自ら電話をかけるというのは、生まれて初めてかもしれない。

2000年9月23日

レンドルミン1錠。
1時間、1時間半、1時間半と、合計3時間半睡眠。
7時半起床。前からの約束で3時から知り合いと食事に出かける。
思い切っての外出。久しぶりに慣れない人と長時間過ごして、ほんとうに疲れた!!

帰り道、ものすごく落ち込み、無性に一人でいたくなる。
衝動的に両親のいる家で暮らすのが嫌でたまらなくなる。
貯金でマンスリーマンションを借りるのはどうかとか、知り合いや祖母の家で暮らすのはどうかとか、あれこれ想像しながら歩いた。
家に着き、入浴、体操して体がほぐれると、気持ちは薄れていった。
インターネットをいつもは3時ごろまでやるが、疲れたので早めに就寝。

2000年9月24日

レンドルミン1錠。途中覚醒せずに5時間眠れた。
7時半起床。やっぱり外出して疲れると、長時間眠れるみたいだ。
目覚めの気分はあまりすっきりせず、まだ体の疲れが残っている気がしたが、今日も午後からインターネットの友達の集まりに出掛けた。
昨日より無理せず楽しくすごせて、よかった。
体はとても疲れて全身の筋肉が痛い。
人と会った後の気分の落ち込みは少ないようだ。
よかった。1時過ぎ頃までネット。

2000年9月25日

レンドルミン1錠。3時間半くらい眠って5時半起床。
インターネットを8時まで。朝食後すぐ1時間くらい寝てしまう。
起きて洗濯物をたたみ、家中に掃除機をかける。
あとはマニキュアをゆっくり塗りなおし、音楽を聴きながら何もせず過ごす。

2000年9月26日

レンドルミン1錠。
1時半~7時まで眠ったり目覚めたりの繰り返し。
12時からカウンセリング、診察。
カウンセラーの先生に自分のことを話すのにかなり慣れてきたようだ。
正直な気持ちを聞いてもらって反応してもらえるという、普通のコミュニケーションが嬉しい。
まだカウンセリングは続けていきたいので、経済的なことを相談したら、診察と同程度の料金で受けられるように考慮していただけることになった。
カウンセリング後、偶然病院で会ったネットの知り合いと、3人で喫茶店に行く。
その後、姉と映画の試写会に出掛ける。
一日中動いたので疲れた。

2000年9月27日

昨日新しく処方してもらったロピフノールを飲み始める。
2時間を2回、合計4時間睡眠で6時半起床。
一日中家事と裁縫をして過ごした。

2000年9月28日

続けて4時間ほど眠れた。
7時半起床。家事を片付けたあと、知り合いの男性と喫茶店でおしゃべり。
慣れた相手なので緊張はしないが、まだ疲れやすく早めに帰宅。

2000年9月29日

続けて3時間ほど睡眠。
一日中家事以外の時間はPCに熱中。
食事はあまり興味がないので必要最低限と思うぶんだけ摂取。 

2000年9月30日

続けて3時間半ほど睡眠。
6時半起床。
薬を飲んでから間をおかずに早めにベッドに入ればもっと眠れるのか?
朝からPCに熱中。

2000年10月1日

続けて4時間、プラス1時間睡眠。7時過ぎ起床。
図書館へ出かけてから横浜で少し買い物。
めまい、たちくらみが気になる。
その後知り合いとお茶。

2000年10月2日

続けて4時間睡眠。7時起床。

午前中はめまいが激しい。

今日は母親が休暇で家にいたせいか、イライラ感と呼吸の苦しさがひどかった。

リビングに母がいるのでパソコンで音楽が聴けず、一人でいる時はぜんぜん見ないTVがつけっ放しなのが我慢できない。

でも居候なので、せっかくの休暇を過ごしている母親には文句は言わない。

結局夕方近くになってから横浜までぶらっと出かけて夜10時ごろ帰宅。

外出してくると告げた時

「お母さんのことがそんなに嫌いなのね・・・」と言われ、慌てて取り繕う。

2000年10月3日

続けて4時間睡眠できた。7時起床。
めまいがひどい。
やっぱりベッドに入る時間を少し早めにしたほうがいいな・・・
でもいつもインターネットの誘惑に負けてしまうのである。
食欲はあまりないがさほど問題視するほどではない。
だが立ちくらみはそれからくる栄養不足のせいだろうか? 

2000年10月4日

今日も4時間睡眠。7時過ぎ起床。
毎日、最低限の家事をする以外の時間は「どれが一番じぶんにとって気分がいいか?」といつも考えるように心がけている。

ここ3日ほど、秋冬用の服のリフォームに熱中。
とりつかれたようにミシンがけ。
ワンピースのウエスト位置の修正、すそ直し、ジャケットの袖丈詰め。

2000年10月5日

4時間睡眠。7時半起床。
毎日必ずする家事は洗濯とリビングと台所の片付け。
夕食後の食器洗い。
料理はしたくない。
毎日PCをいじることに熱中している。
テレビはほとんど見ない。
PCで音楽を流しながら家事をしたりぼーっとしたりするのが主な過ごし方。

好きなことをするためにお金に余裕が欲しくなってきた。

すこし働きたくなってきた。

2000年10月6日

3時間半睡眠。7時過ぎ起床。
ベッドに入るのが遅いのを反省。

昨日はインターネットでクラシック曲を収集するのに夢中になってしまい、
途中ですごく目が疲れてきてるのに気付いて止めた。

2000年10月7日

2時に寝て4時過ぎに覚醒。
寝たり起きたりしながら8時までベッドで過ごす。
長く眠れないのはどうして?
外で働いて疲れていないから?

PCをいじって過ごす。
あいかわらずクラシック音楽集めに熱中。
夜、アルバイトの広告を見て何かいいのがないか少し調べる。

2000年10月9日

5時間くらい続けて眠れた。8時起床。 

2000年10月10日

4時間続けて睡眠。6時半に覚醒、二度寝して7時半起床。
少しずつだけど、長く眠れるようになってきたようだ。

2000年10月11日

昨日、ルボックスとアモキサンにかわってトレドミン、
あと寝る前のレンドルミンに代わって、ロヒプノールとレスリンを処方された。

今日は3時間半睡眠、6時起床。
頭が重くて、昼前に1時間くらい眠った。
最低限の家事と食事をする時間以外は、午後も母が帰宅するまでずっと眠ってしまった!
長い時間眠れるのはひさしぶり。

昨日、ちょっと驚いたことがあった。
先生に母に来院してもらえないかと言われたのだ。
母には昨晩のうちに告げてある。 

2000年10月12日

薬を飲んで2時に寝て、3時に覚醒。
だけどいつの間にかまた眠れたようで、7時起床。

PC、朝ご飯、食器の片付け、洗濯のあと、12時までクラシックをかけたままソファで眠ってしまう。
フレンチ・ポップスで好きな曲の和訳をネットで見つけて、読みながら聴いていたら涙が止まらない。
両親が離婚して父親が夜中に家を出て行く、「パパ、行かないで・・・」という少女の心を歌った曲。
午後、ネットの知合いから電話があって長電話。
食欲は昨日の夜くらいから急に普通に戻ったようだ。

2000年10月13日

昨日、寝る前の薬を飲んだ後に、知り合いの女の子から電話がかかってきた。
めずらしいことなので長話してしまった。
眠気のヤマを逃してしまったのか3時ごろに寝て5時に覚醒。
二度寝しようかと思ったが30分ほどでベッドを出てしまう。
でもお昼前にまた2時間ほど睡眠。

親が帰ってくるまで、一日中mp3を鳴らしっぱなしで、明日からの一泊旅行(母同伴)の支度をだらだらとする。
今日は椎名林檎の今までの全曲をエンドレスで。
最近は椎名林檎かクラシックだ。
TVは殆ど見ない。
最近暑いのに鳥肌がたってばかりいる。
「はやく先生に母を会わせる」ことで頭がいっぱい。
それを済ませないと次のことが考えられない。

2000年10月16日

祖母の顔を見に、重い腰をあげて母と二人で一泊旅行してきた。
泊まったのは叔母(母の妹)の家。
水割りを飲みながら、去年から少しずつ人と雑談のできるようになってきた私は、生まれてはじめて叔母(ハッキリした物言い、あけっぴろげ。アパレル関係)を相手に会話がたくさんできた。

自分のこともたくさん話した。

母も、自分の母親に可愛がられなかった戦後の辛い体験を、生まれて初めて泣きながら母の妹に打ち明け(勿論わたしも初耳)、最後は3人で泣いてしまった。

こんなことを話し合うなんてウチの親戚の中ではすごいことだった。
なんだかスッキリした・・・。
叔母の家では5時間眠れた。今日も5時間眠れた。

2000年10月16日

病院に母と二人で行ってきた。
診察室に母と二人で入った。

先生は

「小さい頃からの愛情の強い飢餓感からくる抑鬱神経症です。かなり難しいです。ご家族の理解が必要になってきます」

というようなことを母にとってもソフトに説明してくれた。

すすめられたのは、
「親が経済的に援助してでも一人暮らしをさせる」という案だった。

マンスリーマンションを借りるのは自分も前からなんとなく考えていたが、お金が気にかかるのと意志の弱さから実行には移せずにいた。

先生は
「娘さんが良くても悪くても、まるごと受け入れてあげようという気持ちを持ってください」
とも母親に丁寧に説明して説得してくれていたが、私はハッキリ言ってそっちのほうは無理だと内心思いながら聞いていた。

私だってそういう家庭を無意識にずっと望んできたんだと思うが、娘の目から見て、母には「まるごと受け入れる」っていうことが、どうしたって感覚としてわからないと思う。
理由はわからないが、母には「まるごと受け入れる」は理解できない、そう思う。

マンスリーマンションを借りるならお金は貸してくれる、と言ってくれた。そして

「感じのいい先生よね。お母さんには媚びてないし。はっきりものを言うし。でもお母さんのこと、こりゃあプライドが高くて、言ってもムダだって思われたかもね。私すごい欠陥人間だわ。でもお母さんだって自分の母親に受け入れられたことなんてなかったわ。全部私が悪いみたいよね。でもこの年齢になって子供のことでわずらわされるのはもう嫌!明日だって仕事だし、もう今日だって病院行く前から疲れちゃって・・・。どうしてまるごと受け入れなきゃいけないのがお母さんで、お父さんじゃないの?お父さんだっていいじゃない」

と言った。

私は途中から耳をふさぎ、
「愛情はもういらないからお金貸してください」と言った。

父親は
「マンションなんか借りたって、堕落した生活するだけだ。キリがない。医者の言うことなんてこじつけだ」と言った。

「あたしのことなんて何にも知らないくせに、どうして堕落するって分かるの?!」

「そんなのは、わかるんだよ」

「やってみたことだってないのに!こじつけだろうがなんだろうが、どうでもいい」と言ったら、最後には「あー、じゃあ、やってみればいいよ」と面倒くさそうに言った。

どういう状態でも目をそむけずに受け入れてくれるのは、私を好きになってくれる男の人だった。
そういう安心感を19歳の時覚えた私は、ほとんど間をおかずにいつも誰かと恋愛関係にあった。

だけど今年の夏、男性関係で体にも心にも物凄いダメージを受けた。
今は自分が誰かに恋愛感情を持たれるのすら激しい恐怖を感じる。
SEXの話なんて聞きたくも無い。
でもそういう夢をよく見る。
恐ろしくてもう恋愛ができないのではないかと思う。
それはそれで怖いことだなぁと思う。

「あなた、自分が綺麗だと思って、図に乗ってるんじゃないの?!まわりの男を誤解させるようなことばかり言って、そういう態度が結局ドロドロした関係を作っていっちゃって、それが今のあなたの状態の原因になってるんじゃないの?!」

先生のところから帰ったばかりの母が突如思いついたように怖い顔で言う。

一瞬(どういう理屈?!ひどい!)と愕然としたが、次の瞬間力が抜けた。

「それがー、そうだとしてー、なんだっていうのよ・・・」

もう、話す気力がない。なにがなんだかわからない。

一人でもきちんと暮らせる、せいせいする、と当然のように思っていたのが、ちょっと言われただけで親の言うように「ダラク」するような気がしてきてしまう。
最近は極力自由に過ごすようにして不安な気持ちを忘れていたのが、なんだかまた生きるのが怖くなってきた。
とりあえず、お金はいくらかなら貸してくれるみたいだし、それがわかったことを今日の収穫っていうことにしよう。

今更まるごと受け入れてもらえるなんてとっくに諦めていたはずなのに、母が二階に上がって寝てしまってから我慢できずにしばらく泣いた。

どこかでまだ期待していたんだろう。

拒絶の言葉を久しぶりに聞いて、やっぱり気持ちの歩み寄りを期待することはできない、と再確認した。
私は、お金を借りてでも、どんなことをしてでも親から離れなければならないんだろう。
マンスリーマンションを探さなくちゃならない。
だけどなんだか力が出ない。

2000年10月17日

目が覚めても起き上がる気力なし。
しかも平日なのに父親が家にいる物音がする。

ベッドに寝たままで、泣き続けた。
本格的に鬱になる前に人に喋らなくちゃ、と思った。
何人か相手を思い浮かべたが、せっかく母を呼んで説得までしてくれて申し訳ないけれど、やっぱり事情のわかっている先生に言うことにした。
先生に昨日の日記を見てもらい、

「そうか・・・僕が言っても歯がたたなかったね。あなたが20何年も努力してダメだったんだから、仕方ないか・・・。新しいスタートだと思って頑張りましょう」

と言ってもらった。
涙が溢れ、ウンウンと頷いた。

そのあと家に帰るのが嫌で、駅ビル内のベンチでぼーっとしたり、ペットショップに入り浸ったり。
夜になってラーメン屋で夕食を済ませ、近くのトイレで泣いた。

2000年10月18日

目覚めてしばらく泣いた。

リビングに降りてみると、母は私の夕食を用意したままにしてくれていた。

私が愛情に飢えて育って病気であれなんであれ、母がくれる愛情はこういったものなんだなぁとしみじみ思う。

それは私が一番欲しかったものではなくても、もう仕方のないことだ。

夕方から、横浜で遊んでいるというネットの知り合いの男の子2人と合流。
3人でバーミヤンでおしゃべりしてから公園まで散歩。

親が仕事から帰ってくる前に退散したかったし、半ばやけくそで出かけたのだが、だいぶ気分が軽くなったのには驚いた。
これなら母とも用事の会話くらいは感情を入れずに出来そうだ。
帰って「ただいま」と「サラダだけ食べます」と気負わず言えた。

2000年10月19日

5時間寝て、7時半起床。
目覚めても涙はとりあえず出ない。

ネットで掲示板に書き込みをする。
こんなことしてないで、とりあえずマンスリーマンションを探さなきゃなあ。
でもなぜ探すのかまたよく分からなくなってきた。
何でもすぐ、目的を見失うのだ。
家族と一時的にでも離れてみるためでしょ!と自分に言い聞かせる。
私はこれで良いのだろうか? 誰かにいいと言ってもらいたい。

昨日気分がスッキリしたので、今日は母が帰宅する時間になっても家にいた。

ところが母が帰宅したとたん、しびれと震えが襲ってきて自室に退散。
うずくまって耐えたり、叔母や友達に震えて泣きながら電話したりして時間を過ごす。

夜中12時頃、母が寝室に入る音を確認してからリビングに降りて、食事や入浴をした。

もう一刻も早く本気でマンションを探さなきゃならない。

2000年10月20日

徹夜でマンスリーマンションの情報を集め、開業時間になったらすぐ電話。
午前中のうちに○○町のマンションを確保。
チェックインは月末からだ。
それまでは家にいなければならないが、マンションが決まったことで安心して、少しは母と普通に喋れるようだ。

2000年10月21日

インターネットの顔なじみで集まって新宿でカラオケ&飲み会。

夕方頃からひどい肩こり、筋肉の痛み、疲れなどを感じ始める。
人の話もよく聞けない。
喋るのがとっても大変。
きつくなったので7時半に途中退出。

息も絶え絶えに家にたどり着いてから、昼の抗不安薬を飲み忘れていたことに気付く。
でも薬を一回飲み忘れただけであんなに辛いなんて困る!
最近の疲れのせいもあると思いたい。 

2000年10月23日

朝のおきぬけの頭のフラフラが辛い。
不眠は治ったみたいなので、寝る前の薬を軽くしてもらうよう相談しようと思う。

今日は初めてのACODA。
なかなか面白かったのでまた参加しようと思う。
カウンセラーの先生にも緊張しなくなってきた。

ああ、外はラク。仕事してないからこんなこと言えるのかな。
家に帰りたくなくてぶらついていたが、帰るしかないので帰る。
あと一週間待てば一人暮らしだ。待ち遠しい。

ACODA:アダルトチルドレンの集い、

話し合いの場。

私の通う病院で行われていました。

2000年10月24日

不眠が治ったと思い、昨日レンドルミンだけにしてもらったのだが、やっぱり眠れなかったので、以前と同じロヒプノールとレスリンを処方してもらいに病院へ。

あるきっかけで夏の辛かった事を思い出してしまい、不安定になる。
病院の待合室にいても外を歩いていても恐怖と不安で落ち着かない。
じっと座っていることが辛く、しきりに自分の体をさすってばかりいる。

とても疲れて家に帰ると、両親がテレビを見て大笑いしている。

どうして他の患者さんには背中をさすってくれる母親がついていて、私は一人で必死に恐怖を耐えていなければならないのだろう。
両親のせいじゃないのに、恨みがましいような気持ちになる自分が嫌でたまらない。
だけど悲しくて仕方が無い。

風呂の中で長い間泣く。 

2000年10月25日

薬を戻してもらって、6時間眠れた。
昨日の夜、様子が変な私に気付いた母親が、傍にしゃがんで少し話をきいてくれた。

「じゃあお母さん笑ってもいけないし、病院についていかなきゃならないの?」

と言うので、そうじゃあない、と否定した。
私からのリクエスト通りに応えてもらっても意味がない。
その後、具体的な対象のない恐怖について話すと
「・・・あなた本当に病気だわ」と背中を2、3度さすってくれた。
これだけのことで大分安心する。

目覚めて、ベッドでしばらく泣いてから部屋をでる。
最近私が家事をほとんどしないから洗濯物が溜まっている。
今日は少し片付ける元気があるので思い切って動く。
相変わらずじっと座っているのが辛く、椎名林檎をかけて歌いつづける。

デパスを途中で2錠飲んだ。

2000年10月27日

今日から両親は旅行で留守。

じっとしているのが辛い。
部屋の中を歩き回ったり椎名林檎をかけて歌い続けたり。
デパスを途中で1錠飲む。

2000年10月28日

そわそわしてゆったりしていられない。
朝、ゴミ捨てと朝食の後、トレドミンとソラナックスに加えてまたデパス1錠。
体を揺すったりさすったり。
深呼吸も続けてみるが、静かに深呼吸すること自体が辛い。

マンションの下見に出かけ、手付金を支払う。

その後いきつけのメンタル系サイトのオフ会に参加。
今回は知らない人も半分くらいいて、全部で14人。
みんなといるとわりと落ち着いていられる。

2000年10月29日

そわそわして部屋の中をぐるぐる歩き回る。
今日は両親が帰ってくるので、家の中をちょっとキレイにしておく。

2000年10月30日

少しじっとしていられるようになってきた気がする。
明日はマンションへチェックインの日。

ここからマンスリーマンション

(4畳ワンルーム)での一人暮らしを始め、

すぐ派遣の仕事が決まり、

1ヶ月のち賃貸マンションに引っ越します。

パソコンが手元にないこともあり、

日記もしばらく空白に。