2001年

対人恐怖症のオフ会にて

2001年4月29日(日)

最近「絶対音感」という本(少し前に流行ったらしい?)を読んでます。
私の絶対音が現在通常の基準とされる「ラ=440ヘルツ」より、半音近くも低いものであることが判明!
ヘルツ表示でチューニングができる電子ピアノを買ったので、確認できたのです。

何もなしにドレミの音階を歌ってみてからピアノで確認すると、「ラ=440ヘルツ」に合わせたピアノより自分の声の方が半音くらい低い音なのです。
歌謡曲なんか聞いてて自分の中でドレミに置き換えてみても、「ラ=440ヘルツ」のピアノで確認すると半音狂ってしまうというわけです。
それは調が違ってしまうということで、調が変わると同じ曲でもイメージが微妙に変わってしまいます。
なんだかショックでした。

慣れ親しんだ実家のピアノ以外の楽器(ピアノを含めて)の音を聞く時、「なんか音が高い・・・」と思うことが多いのは、「ラ=440ヘルツ」に合わせてチューニングされてる楽器が多いからなんですね。

絶対音感は6~7歳までに記憶に刷り込まれるものだそうで(これも本で分かった)、ありゃ~・・・と思っています。こりゃもう直せないってことだな。

ちなみにもっと古い時代の楽器は基準音が今より低い傾向にあったようです。

あと絶対音感があると、音楽を純粋に楽しむ妨げになる例が多いという記述もありました。
音楽が脳の中で言語として認識されるという特徴があるので、横で言葉をいろいろ喋られるのと同じになるらしい。
曲が流れると「シミソファミレ~」っていう感じに聞こえるんです。
ちらっと聴いただけでもすぐ曲を覚えてしまったりという便利な面もあるんですが、音楽をBGMとして生活に取り入れて楽しむことが出来ない人が多いそうです。
私もこの点は覚えがあります。

音楽が流れてる状態でのんびり過ごすっていうのが出来ない。
神経が集中しちゃうので「のんびり」にならない。
同じ理由で、音楽流しながらだと考え事も読書も書き物もダメです。

もの寂しくて音が欲しい時はTVをつけます。
音楽番組になると、消すか見入るかどっちか。

2001年5月1日(火)

GW(自分は毎日休みだが)だというのに、ここ3日あまり天気がよくありません。

今日はこれから食料の買出しに行ってこようと思います。

一人暮らししてすぐ始めた派遣のお仕事は、

体調不良で4ヶ月程度で辞めています。

2001年5月3日(木)

水の中。
髪の長い人魚が片腕を肘からスパッと切り落とされて、次第に弱って底のほうに沈んでいく。
傷口からは血が帯をひいて流れ出し、ゆっくりと広がっていく。
腕を切り落としたのはそれをじっと見てる私なのか、他の何かの仕業なのか分からない。

水面に顔を出す。周りを見ると、森の中にある大きな池だ。
女の子数人と一緒に、裸で頭だけ出して浸かっている。
池は暗くて深くて、足は底に届かない。
私はみんなから隠れなければならないと思う。
池の淵の方に大きな岩があるので、その後ろにそっと回り込む。
岩肌には蛇がたくさんはりついていて、大きなものも小さいものもいる。
一匹一匹が見たこともないようなカラフルでグロテスクな様相をしていて、私はおっかなびっくり隙間の岩肌に手をついて息を殺す。

時間が経って、他の女の子はみんないなくなったようだ。
私は岩陰から離れて、池の中央のほうに泳ぎ出てみる。
何が潜んでいるか分からない池の中にいるのはとても恐ろしいけれど、なぜか岸に上がることは出来ない気がする。

体も疲れてきているし、いつまでも泳いでいられない。
池の淵に行って何かにつかまりたい。
だけど淵のほうにはワニのような大きな生き物の背中が見えるし、蛇やそのほかの気持の悪い何かがたくさん隠れていそうで、とても安心して休めそうにない。
少し潜って水底の様子を確かめようとする。泥でにごっていて何も見えない。

再び水面に顔を出すと、女の子達の声が聞こえる。
声のする方を見ると、さっきの女の子達が楽しそうに森の中の小道を歩いてくる。
私は反対側の岸に向かって必死に泳ぎだす。
振り向くと私だと見つかってしまう。

裸のまま岸にあがる。
池のまわりをぐるっと囲んで踊りながら歩く人たちの列に入る。
その列に入っているうちは、あの子達には私だということが分からない。

こんな夢を見ました。

2001年5月4日(金)

ようやく晴れました!
シーツを干して、散歩に行こう。

関係ないけど最近、木曜の「ムコ殿」というドラマを見て、毎回泣いてます。家族ってよい。

2001年5月5日(土)

また嫌な夢を見て疲れた。内容は書けない。

夢の中で私はとんでもない状況におかれてるけれど、言いようのない不安を押し殺しながら、じっと事の成行きを無気力に眺めているだけ。
喋る言葉も平静を装った無意味なものばかり。
助けてとすがれる相手もいず、決して取り乱したりしない。

2001年5月6日(日)

ピアノ買っちゃったのが効いてて、普通預金の底が見えてきた。
定期預金崩すの嫌だからいっちょ稼ぐか・・・。

GW最終日。明日から多くの人がまた働き始める。

道行く人も電話の向こうの女の人も、みんながそれぞれの「普通」を持っているんだろう。
生活とか、気分のあり方とか、意識しなくても。
駅で雑誌を売ってる笑顔のおばさんは、私が想像もできないような世界にいるのだ。

だけどそれは一生わからない。
同じ人間なのに、とっても不思議なことだ。
例え親しくなってその人の身辺情報が分かっても、憶測の材料が増えるに過ぎない。

分かり合うことが出来ない同士なのに、それなのに、こんなにみんな他人の言動に傷ついたり感動したりする。
不思議なことだ。

2001年5月7日(月)

あしたは超短期の仕事をする為の派遣登録をしに行く。
一応、面接とテストがあるので緊張。

また仕事を始めるのが怖くてたまらないから、短期アルバイトや短期派遣からなんとか慣らしていこう、という計画。

2001年5月9日(水)

黒木瞳の自伝「わたしが泣くとき」を読んだ。
前から好きな女優だったんで図書館で見つけて借りたのだ。
感想は「あー正しい生き方してるなぁ」と思ってしまった。
やっぱりあの凛とした雰囲気は、自分の中だけでいろんなけじめをつけようとする覚悟が根底にあってこそ、漂うのだな。
最後の解説をこれまた私の好きな作家の山田詠美が書いてて驚いた。
黒木瞳が好きだと書いてあった。
どうも私が憧れるタイプの女性有名人たちは、彼女ら自身の間でも何かしら繋がりがあることが多い。
内田春菊も山田詠美を敬愛してるようだし。

最近、表面に出てきた辛さを理由に自分を甘やかしすぎて、「辛いことから全部逃げてしまいたい病」に加速がついていた。
でも1ヶ月もずっと何もせず気の赴くままに食べて寝て読書して・・・ってしてたら、なんか欲求不満な自分にだんだん気づいてきた。

「苦しいー楽になりたい!どうしたら楽になれるの!!」って切実に思っていたけど、人生ぜんぶに楽して好きにやっても生きていけるほど私は特別な人間じゃないって、ここんとこふっと思うようになった。
当たり前のようで実は分かってなかったことかも・・・

苦しさに固執するのはちょっとやめて、メリハリをつけてみよう。
で、昨日ひとつ、区役所での12日間だけの仕事決めてきた。
手続きや面談の間、震えるし目に力が入って焦点が合わなくてクラクラしたけど、体も痛くて困ったけど、力を使うことがなんとなく気持いいかも。

2001年5月12日(土)

一人で生きていくのが突然ものすごく恐ろしくなる。
頭をかかえて呆然として、手にしていたものを落としそうなくらい。

一人で生きていくには弱すぎる。
誰か助けて、って思う。
結婚もしてないし、定職にもついてないし、人が怖くて仕方ないし、頭も悪いし、友達も作れないし、親や姉妹がいつまでも生きてるわけじゃないし、この先どうなっちゃうの?!

だけどしばらくうずくまったあと、「それでも一人で頑張ろう」って起き上がるしかない。
誰だっていずれ、一人になるんだから。
寂しくてたまらないけど、きっと仕方ない。

2001年5月26日(土)

私にはもっと人に嫌われる勇気が必要なんだろう。
自分を大事にすると同時に。

ソフトウェア開発会社のOA事務の仕事の依頼がきた。
面接で断られないように頑張る。採用されたら続けられるところまで頑張る。
余力があれば英語もビジネスマナーも改めて勉強したいけど、何は無くともまずは収入の安定。

山田詠美の言葉に苦笑い。
「自分探し、っていう言葉が大嫌い。あなたはそこにいるでしょうが、そこに!」

2001年6月7日(木)

依頼があった仕事がボツになってから、仕事がなかなか決まらない・・・。
もうお金が無くなっちゃうよ~。

よさそうな仕事をオンラインで見つけると、毎日自分から派遣会社にアプローチしてやりとりしてるけど、やっぱり向こうから紹介された仕事じゃないと、すんなり就けないのかもしれないな・・・。
勉強する気はあるから、っておしてみてるんだけど。

昨日、新しい派遣会社に登録に行ってみた。
登録の時に受けたエクセルのテストがあまり出来なかったのが悔しくて、突然「試験に通用するような解釈」を少し身に付けようと思った。
(私のOAスキルはすべて仕事で覚えた自己流のもの)正式に勉強することで体系的な理解が深まるだろうし。

・・・で、MOUS(マイクロソフトオフィスユーザースペシャリスト)のエクセル試験用教科書、っていうのを買ってちょっと勉強してみたりして。
久しぶりにカッカして頭使ったら具合悪くなっちゃいました。

2001年6月9日(土)

昨日、大阪の小学校で殺人事件。
犯人は安定剤を10回分飲んで錯乱してたとしつこく報道されてる。
「精神異常者」ってのがクローズアップされてて、なんか通院してる身としては複雑。

先生に「殺人事件の報道すごいですね。なんか自分も安定剤飲んでるし通院してるし自分のこと言われてるみたい」
とふと言ったら、
「ここの患者さんたちもみーんな今回の事件に関してそう言ってますよ。ライ病の患者の問題よりもっと差別の問題として難しいと思ってる。ライ病よりずっと精神の病気で病院にかかってる人多いし。犯罪者も統計学的に見れば普通の人のほうが多いです。あの事件の報道の仕方見て、僕も頑張らないとなぁと思いました」
というようなことを言っていた。

私はついふっと笑って「・・・私も頑張ろうと思いました」
と言った。

仕事とは言え、先生もすごく精神力いるよな。
毎日朝から晩まで偏屈な人の話を次々とエネルギー注いで聞いてたら、私だったらおかしくなっちゃう。

そういえば先生も
「僕もこの仕事しか出来ないからやってるの。本当は南の島なんか行って、病院って感じじゃなくて、みんなが自由に集まって過ごせる施設作ってゆっくり過ごすのが夢なんです」って言っていたな・・・。 

2001年6月10日(日)

眠りながら何度も叫んでいた。
これは夢だと思っても金縛り状態でなかなか手足が動かせず、声が先に出せた。
ようやく意識がはっきり戻った時、自分がどこにいるのか分からなかった。
体が痛い。頭が鉛になったみたい。

夢が必ず怖いのは、潜在意識にいつも恐怖があるからだろう。
なぜ私はこんなに怖がりなの?
悪夢から覚めたあと現実に戻るまでの時間、部屋に一人きりでいることも改めて大きな恐怖になってのしかかってくる。

真っ暗な穴のなかに落ちて永久に抜け出せそうにない。
必死にもがいても手ごたえがなく、虚しいだけ。

電気つけてまた横になって、片手でぬいぐるみの手を握ってみたりして。

強くなりたい。
さっきの悪夢の理由は、ショッキングな殺人事件があったから?
美容院に行って長い間緊張してたから?
両親が来て、・・・何か、言いたかった? それが言えなかったから?
些細なことで私の何かが微妙に掻き乱されてバランスを崩す。

私を取り囲む現実はそんなに怖いものか?!
何も誰も私を攻撃しようとなんてしていない。
しっかりして、お願い。まだダメだよ。

2001年6月13日(水)

進めて貰ってたOA中心の仕事の話がまた無くなった!
派遣を雇いたい、っていう稟議が上に通らなかったんだって。
もう、うそでしょ・・・
っていうか、稟議通ってから派遣会社に依頼するのが順序じゃないのかね。
早く人材が欲しいから先手を打って探してもらっておいた、っていうことかしら。

でも同時に別の仕事紹介してもらった。
ファイリングが多く、OAが3割と少なめ。その割に時給が高い・・・ナゼ?
思わず「ファイリング、体力的に大変なのでは?」と訊いてしまった。

担当者の答えは
「資料が非常に多いが、特に何か運んだりが大変という話はない。英文メールの送信作業が多いのもあってこの時給で設定してる」とのこと。

教授秘書の時の英語の経験がどの程度か訊かれ、「送られてきたFAXや手紙をザッと斜め読みして仕分けしたり、教授がおおまかに下書きした英文を清書して送ったりしてた程度」と説明した。

下書きが貰えない時は、過去に送った手紙を真似てつぎはぎで作って、英語の出来る若い医者に「通じます?」って見てもらってた。

そういえば教授は忙しいと「自分で書きなさい!」って怒鳴ったな。
私も怒鳴られるのには慣れちゃってて(誰にでもすぐ怒鳴るのだ)「できません。簡単でいいから下書き下さい」って淡々と答えて。
一度それで、教授は紙に書かずに普通の速さで英語喋りだしたことがあった。
「エー」と思いながらも必死に書きとめた。
教授秘書の仕事は忙しかったけど、思えばあの教授は私にとって一緒にいやすい人だった。
周りの空気や人の内面を全く察しない、研究一筋の変わりものだったから。
私みたいな性格でも意に介さず皆と同様に当たり散らすし、甘える。
よく吠えるワガママな動物を相手にしてるようで、ある意味気楽だった。
同室にいる私に、私とは全く関係ない不満を目をむいてがなり散らす時なんか、「それは、困りますよねぇ(こうとしか言いようがない)」と相槌を打つと「そうだろう?!!」とますます白熱。
子供みたいで可愛いとさえ思った。
私は周りとの調和に敏感なフツーの人は、嫌いじゃないけど苦手である場合が多い。

新しく紹介された仕事だが、OAが少ないのがナンだけど、英語もいずれもっと勉強してみたかったから、仕事内容としては興味があるところ。
私の英語の能力では契約は難しいかもだけど・・・
これから先方に私のスキルを含め話をして貰って、また連絡待ちです。
あ~もうなんでもいいから(よくないけど)早くお給料の貰える状態になりたい。

2001年6月13日(水)

今、明るいと感じるほうへ、私の知らない、新しい世界が開いていると感じるほうへ、風に吹かれて、流れていってもいいのかな。

「連れてったげるよ」手を差し伸べられたら、その手をとって、旅に出てしまってもいいのかな。
手を差し出した人は、私に何を見ている?
無邪気な振りをして、このまま景色を楽しんでいていいの? 

2001年6月22日(金)

頭がぼうっとして、ものがハッキリわからない。
脳みそに膜が張っちゃってるような、酸素が行き届いてないような。
かすんでよく見えないものを一生懸命つかみとろうとしてる感じ。
自分の手も足も、自分のものじゃないみたい。

自分に力があることを感じられない。
情報シャットアウトしたい。
今来られても、私には受け皿がない。
自分が信用できないまま外界とコミュニケーションすると、ますます自分が信用できなくなっていく気がする。
簡単に翻弄されて足元をすくわれてしまうから。
責任のもてない言葉を放ってしてしまうから。

2001年6月27日(水)

昨日は新しく依頼された派遣の仕事の打ち合わせだった。

調子が悪くてどうにも仕事相手に積極的な態度を示せそうになかった私は、薬をしっかり飲み、待ち合わせの場所に向かう電車の中で
「人が怖くない、みんな同じ人間、私はあなたが好きです、私は幸せです、私は契約してもらいたいです・・・」
と心の中でつぶやいて懸命にテンションを上げようとした。

派遣会社の営業の女性とまず待ち合わせ、派遣先に向かう。
派遣先の会社の人ふたりに挨拶をし、4人で机を囲んで面談。
資料をいろいろ広げて見せて貰い、仕事内容の説明を受ける。
身を乗り出して資料を見て(あまり頭に入らなかったが)、相槌に気を配りながらメモをとる。
苦痛だけど時々目線を合わせ、笑顔を作る。
説明を受けた言葉を時々復唱して「~ですね」と確認、理解をアピール。
こんな大切な時なのに、どうかするとすぐに意識が4人のいる机から遠ざかってしまい、一瞬動きが止まってしまう。
焦って気を取り直し、必死に集中しようとする。
自分がやることになるかもしれない仕事なのに質問もあまり思い浮かばず、会話は途切れがちになる。

サポートとはいえ思ったより重要な部分を依頼されているらしいことだけは、ぼけた頭でもよく分かった。どうりで時給が高いわけだ。
機密性の高い部署で、扱う書類にも一字一句ミスのないよう、細心の注意が必要なようだ。
「大雑把な性格だと困ります」と念を押された。

ぼんやり気味のまま何とか打ち合わせは終了、最後のお辞儀をした。
途中、営業の女性が気を遣って、会話の間をフォローしてくれているのを感じた。
彼女には明らかに頼りない印象を与えてしまったようだ。
薬のお陰で緊張はそれほど強くはなかったが、何しろ意欲が湧かず、力が入らず、頭が働かない。

これは・・・
今回依頼されたような仕事をこなせる状態ではないのではと自分でも思う。
これで万が一仕事に就けたとしても、こんなふわふわした後ろ向きの気持のままでは、引き受けることすら無責任になってしまう。
すぐにでも病院でカウンセリングを受けて少しでも頭の中を整理したいけれど、混んでいてどうやっても二週間以上先の予約しか取れない・・・。

大雑把な性格ではないです、むしろ神経質です、

と答えたような気が。

そして採用されたのですが、

言葉も文字も理解できない欝状態で必死に働き、

しばらく日記すら書けなくなっています。

2001年8月6日(月)

こころがだめになりました。

病気じゃなくて、人間がだめになりました。
恥ずかしくて医者に言うことなんてありません。
薬のんでも治りません。
自分も人も、信じることが出来ない。
怖くて何をするべきなのか考えられない。
甘えきって現実に向き合うことすら出来なくなった弱い自分がいるだけです。  

2001年8月7日(火)

玄関を出ようとしてまた部屋の中に引き返し、座り込む。
考えているうちに始業時間が迫ってくる。
休んでしまいたい!!!
いやもう欠勤はダメだ・・・

結局、「少し遅れます」と電話をして出勤。

今日は初めてお昼を一人で食べた。
エレベーターで二階に降り、ロビーの席をとった。
真っ赤で夏らしいデザインの椅子が可愛い。

そこは吹き抜けの造りになっていて、ロビーから一階の噴水や行き交う人々を見下ろせる。
ぼーっと眺めながら食べ終わって、テーブルに突っ伏した。

2001年8月8日(水)

「私は自由だ!
 人生は一度きりだ!」

昨日の夜、メモに書いて冷蔵庫に貼った。
人に見られたら恥ずかしいなこれは。
今朝はどうにか時間どおりに出勤できた。
息苦しくて仕事に身が入らない。
時折、ぼんやり窓の外を眺める。空へ飛び出してしまいたい。
お昼はまた一人でロビーへ。
食後は突っ伏して昼寝。意識が少し遠のく。
感情の動きが相変わらず鈍く、緊張は薄い。ただひどく苦しいだけ。
誰も悪い人はいない。
辛さばかり感じていたらダメ。
洋服なんか買ってみようか。
万華鏡とか千代紙とかビー玉とか風鈴なんかも好きだったじゃない。
でも気づいたら結局なにも買わずに電車に乗っていた。
道端にしゃがんでコーラを飲んでいる金髪の男の子。
彼もひょっとしたらこんなふうに苦しいのかな。

2001年8月13日(月)

元気が欲しい。
もう毎日眠すぎです。

今の睡眠薬でも殆ど眠れなくなったらしく、会社で考えてることは「寝たい・・・」だけ。
日に日に眠くなってゆきます。
モニターがかすんで仕事が進みません。
ますますやる気ゼロ・・・。ほとほと困り果てた。
こんな状態のままでいいわけない。

お昼休み、食べるよりも寝たくて、ロビーで真っ先にうつ伏せになってたら守衛さんに起こされちゃいました。
これから昼休みにどこで寝たらいいのか。

なんかハキハキした品のいい人ばかりな職場なので、机で昼寝してる人なんて見当たりません。
ましてやそんな女の人はいない・・・
一人でお昼食べてる女性も私だけなんだけど。

最初は頑張って、お昼休みは喋らずとも輪に入ってようとしてたけど、毎日はやっぱりダメでした。一ヶ月しか持ちませんでした。

最近発見しました。
鬱がひどい時って、極度の緊張とかパニックには襲われにくいみたい。
感覚が麻痺して「もうどうでもいいや」モードになっているからか・・・

2001年8月14日(火)

朝目覚めたら、どうしても起き上がれませんでした。
なんとか休みの電話をいれた後は、倒れているだけで何もできない。

殆ど食べていないし、本当に動けなくなる前に実家に帰ろうか・・・

甘ったれ病なのが分かってるから、辛いけど堂々と相談することもできない。
医者にさえあきれられるのがもう怖くって。

2001年9月2日(日)

仕事に毎日通うことだけは苦しくても何とか出来るようになってきた。
家でも会社でも寝てばかりだけれど・・・

「元気に仕事してますか?」
「○○さんと一緒の仕事、疲れるでしょう?」
今まで3人くらいに唐突に声を掛けられた。
どんなに表情に気をつけていても、疲れが顔に出てしまうんだろう。

私はけっこういろんな職場で働いたけれど、上司が彼氏だった時以外は、仕事の仕方について面と向かって意見された経験が殆どない。
いや、もっと昔から。私は友達や先生に何も注意されない人間だった。
私の性格のせいだろうけれど、これはとても寂しい。
失敗のないように緊張して仕事してるのが分かるからか。
心を開けないことでやはり壁を作っているからか。

「何か言うと泣いてしまうと思われてるんじゃないか」

ネットのオフで若い女の子が言ってくれた、やっぱりこのあたりが情けないけど正解かもしれない。

大学を卒業して最初の会社で、一度だけ、普通に注意してくれた上司がいた。
その時とても嬉しくてお礼を言ってしまった。

そんなこんなだけど、ちゃんとできてないけど・・・、今、私に必要なのは生活費。どんな状態でも、毎日働けば暮らしていける。
こうやって、ひとつづつ・・・
やらなきゃいけないことで「辛くてもできる」ことが増えていけば。
体が言うことを聞いてくれるようになれば。

2001年9月14日(金)

あんまり人と話さないまま黙々と働く私。
話す相手が決まってる時は笑顔を作る。

最近鬱から抜け出してきた私は、少し前までの、永遠に続くと思われた地獄のような苦しみがウソみたい。
元気ではないけれど、淡々と過ごせる日常が、ふんわりとありがたい。

一日一日、辞めずに頑張って良かった・・・

お昼ごはんを一人でロビーで食べる。
一人になりたいのは相変わらず。
食べ終わるとすぐ、人があまりこないトイレに閉じこもって1時まで目を閉じる。
最近は、無関係の人が周りにいるのも落ち着かなくて、音のない隔離されたところで休みたい。

トイレでしか休めないなんて、なんかいい場所ないかなぁ。

私の普段の居場所は以前専務室だった日当たりのよい部屋で、だだっ広いオフィスとはブラインドつきの窓で隔離された形になっている。
みんなのいるオフィスにも私の机があるんだけど、自分用のPCがある部屋からあまり離れることはない。
普段はその部屋に3人で働いている。

今日、たまたま一人だった時に部長が入って来て、

「最近忙しくて疲れた、疲れたね~。どうだい、調子は」
「はい、なんとかやってます」笑顔。
「そうか、大丈夫か~。」
「はい。でもなんかあんまり役に立ってない気が・・・」
「どうしてー?」

部長は私の間近に来て、
「・・・今、チャンスやな」
「?・・・なんのチャンスなんですかー?」笑顔。

部長はブラインドを下ろす真似をした。
私は少しのあいだ固まった。

 2001年9月26日(水)

神経を揺さぶられないように、揺さぶられないように、夢の中にいるみたいに会社に通っていたけれど、今日は目の前の人の言葉に涙が止まらなくなってしまった。

もう明日になってしまった今でもまだボーっとしていて、なかなかしっかりしない。

今朝も直接の雇い主の部長の言葉で傷ついた。
私は今日、ミスが多くなっていた。
部長の言葉は悪気ないんだから流そう流そうと思ってきたけれど、いい加減ストレスが溜まっているなと感じた。

部長とのやりとりについて、なるべく軽い感じでアドバイスを貰おうとした。
普段会話は全然しないのだけれど、私と仕事部屋が一緒で、人の気持が解るな、言い方が器用だなと思っていた社員に、
「口で説明するのが苦手なので、暇な時に読んで頂けないでしょうか?仕事とは直接関係ないんですが・・・」と、夕方に打った短い文章を渡した。

「・・・わかった!これ、言っておくから。これは全面的にあっちが悪いから。溜め込まないで何でも言ってね、力になるから。」

その場で読んでくれて、すぐハッキリと声が返ってきた。
最初は「ありがとうございます」って普通に聞いていたのだが、涙が急に溢れて止まらなくなり、視線をPCに戻して頷いて返事をした。
もう一人の隣の席の社員が戻ってきたので、すっとトイレに行った。
必死に深呼吸して、仕事に戻った。

帰り際、「お先に失礼します、ありがとうございました」と言いかけたら、
「○○さんに迷惑がかからないように、うまく言っておくから。心配しないで帰っていいよ」と言われた。
また涙が出てくるので深くお辞儀をしてお礼を言い、すぐ帰った。

2001年9月27日(木)

早めに起きて、化粧をして、出掛ける準備をしたが、結局怖くて行けなかった。

部長と派遣会社に休暇の連絡をして、しばらく経った頃、会社から電話があった。
「大丈夫? 今朝、二度とそういうことがないように部長に言っておきましたんで、明日から今までどおりにしてればいいと思いますんで。また、何かあったら力になりますから。今日はゆっくり休んでください」

語尾に、一線を引かれたような響きを感じながら、応対した。
なぜ丁寧語なのかな・・・
私が少しおかしいのを悟られたのかな・・・
人が近くにきたのかな・・・とぼんやり思った。

体がだるかった。一日中寝ているだけだった。

苦しくなくなって淡々と過ごせるようになったと思えば、今度は空白を生きているようで不安が強くなる。

先週、珍しく具体的な強い欲求が意識に上っていた私は、先生に話した。
「僕ね、あなたの気持が、すごーくよく分かるんだよ。でもそれは・・・普通では実現は・・・しにくいことなんだよね」
両ひざに手ををあてて、うつむいて先生が言う。

「はい、想像してみるんですけど、やっぱり、出来ないですね・・・」

「どうしようか?」私の顔を覗き込む。

「わからないです・・・もう我慢するしかないんじゃないかと思います」

帰り道、ひょっとして先生なら苦しまずに私の希望を叶えられるのかな・・・
と思った。
「どうしようか?」身を乗り出して言ったその顔。
しばらく頭から離れなかった。

具体的な欲求…人間関係についてだと思うのですが、

何だったのか思い出せません。すみません。

2001年10月3日(水)

土曜日、サルサを踊りに行った。 サルサはとっても楽しい。
一緒に踊るのが楽しかった。
教えてくれるのも嬉しかった。
私が大人しくても気にせず、単純明快で前向きなところも安心できた。

だけど相手は私の内面を理解しようとはしない。
気遣っているようでもポーズだけ。
興味がないから、気にしないで一緒にいるのだ。
一緒にいる理由は、私に触りたいから。

サルサの時以外は、体に触らないで欲しかった。
私の内面には興味がないのに、言っても理解しようとしないのに、慰めるようなポーズを取らないで。無神経に触らないで。

私は突然立ち上がって、前を向いたまま震えて言った。
「やだ!・・・私にくっついていたいんだったら!!・・・帰る」
すごく低い声が出た。彼は、少しあっけにとられていた。

私がそういうことを言うとは思わなかったんだろう。
そりゃそうだよね、あんなに楽しそうに踊るんだもの。

別れ際、もうサルサに誘ってはくれないなと、彼の言葉から感じた。
やっぱり、単に、セックスできる相手が欲しかったんだ。
見込みのない私はもう用なし。

日曜日、母親から電話があった。
母親と話すと、いつも感じる。私の言葉の暗示にかかってしまうのだ。

長野の別荘にたまには一緒に来なさい、と言われ、
「何もすることないから行かないな・・・」
「自然に触れるとか、ボーっとするだけでもいいじゃない」
「ずっとボーっとしてるもん。近くに公園だってあるし」
あーいけない、と思いつつ、つい正直に喋ってしまう。
母親の中で、せっかく建てた別荘の意味が無くなってしまう。
虚しくさせてしまう。気力を奪ってしまう。

母親はいつも、私の言った言葉だけを繰り返して自分の言葉のように使う。

私の正直な言葉のせいで母親の生活は虚しく苦しいものになってしまう。

どこかに誘われて「疲れるから行かない」と言うと、
「私も疲れるから行くのやめるわ・・・もうトシだし・・・」と気落ちしてしまう。

もう何も言わないほうがいい。
もしくは正直に言わないほうがいい。

眠れずに行った月曜日の仕事の後、なんだか色々と悲しくて悲しくて、帰りたくなかった。サルサを踊れるバーにふらふらと行った。
私にサルサを教えてくれた人を、その店の大柄な黒人のマスターは知っている。

入り口からおそるおそる中を覗くと、「いらっしゃい!」とバイトの人が元気よく声を掛けてくれたので、迷わずカウンターに座った。

会社帰りの私の服装や気落ちした雰囲気は、明らかにカウンターでは浮いている。
しばらくしてマスターのサミーが挨拶に私の手を握りにきて、「今日はドシタノ一人?」とたどたどしい日本語で聞かれた。

まっすぐに見られて、つい口をついて出た。
「・・・I’m very sad today」
「! Why?」
それからは自分勝手に、マスター相手に何が悲しかったかを喋りつづけた。
つたない英語で、一生懸命、私の内面に興味がないのに触らないで欲しかった、私が「くっついて欲しくない!」とハッキリ伝えてしまったから、もうサルサには誘ってくれないだろう、私は彼とサルサを踊るのがとってもとっても楽しかったのに!
彼が私に触る時は、私の気持を何も考えていない。
彼が興味があるのは私の体だけ。

サミーは、
あなたが言葉にして伝えたのはとてもいいことだよ、多くの日本人の女性はそれをしないよ、とてもいいことだったと思うよ、もう彼はあなたにそれをしないと思うよ、と言った。

「でも・・・もう私をサルサに誘ってはくれない」

しばらくしてサミーが言った。「・・・マサオと踊らないの?」
「マサオ・・・DJ?」
「そう、DJ」
「もう少し、したら・・・」

喋るだけ喋ってしまうと、明るい空気のカウンターでは居心地が悪くなってきた。
まだ誰も踊っていないダンススペースの方に移動した。

隅っこの席で目を閉じていた。

マサオがブースから出て私のところへ来て、黙って片手を差し出した。

気持ち悪くなるまで踊りまくった。

途中、サミーが様子を数回見に来ているのが視界の端に映った。

マサオと踊るのは慣れていなかった、でも踊りつづけた。

いい加減遅くなったので「帰る」と告げて店を出た。
大きな外車が停まっていた。嫌な予感がして急ぎ足で通りすぎようとした。
窓から、ホストみたいな格好の若い男の子が「飲みすぎた?」と聞いてきた。
私は一瞥しただけで「大丈夫です」と走り去った。

駅まで急いだ。すごく悲しかった。気持ちが悪かった。

やっと家に着いて、倒れこんだ。

それから何も食べず、倒れたままもう二日目になった。

この頃、クラブでサルサを踊ることを、

どうしてだったか見よう見まね交えて覚えました。

ダンスはもともと好きだったことの一つです。

2001年10月11日(木)

会社で挙動不審になることがあっても、もうあまり気にならないみたい。
気にしてたらもう生活していけないから必然的に感情麻痺してるのかな。
だってただでさえ家では殆ど飲まず食わずで倒れてるだけなんだもの。

今週の火曜日、異動する社員の送別会の店に一人で行ってみたら、4人いる派遣社員で参加してるのは私だけだった。
ひょっとしてルール違反ぽいのかな、などと思ったり。

素面では殆ど部内の人と喋らないので、酒の席でくらいちょっと愛想を振りまいておかないとダメかなぁ、と参加してみたはいいけど、クジ引きで部長と主賓の間に座ることに・・・少し困った。

でも私はもうガチガチに緊張したりはしない。
トシのせい?強くなったせい?生活でいっぱいいっぱいなせい?

「○○さんそんな席になっちゃって不安そうな顔してるじゃない~(笑)」
遠くから声が聞こえた。こりゃまずい、なにか否定しなきゃ、部長(前に書いた人とは別人)に失礼だ。
「いやわたし、もともとこういう顔なんです!」
慌てて大きな声を返す。笑いが起こる。

「お昼ひとりで食べてるって本当?どうして?」主賓が私に訊く。
「うーんなんとなく、お昼くらいは一人で食べようかなって思ったんです」
「ひょっとして○○さんって、対人恐怖症っていうの?」別の社員が訊く。
「あー。ちょっと入ってますね」笑顔。
「へー全然見えないなぁ・・・どうして怖いの?」主賓。
「バカおまえ、昔のこととか色々あんだよー」別の社員が主賓に突っ込む。

昔のことか。
よくわからない。

英語の手紙を扱う仕事が増えてくる模様。
今日、過去のレターを真似して作成中に、この文章ヘン?と、ふとひっかかった。
今までこれで出してたんならいいやと思う反面、なんか気持悪いので、うちの部で「英語ならこの人!」という位置の派遣仲間にちょっと訊きに行く。
「こんな仕事してるの?!」と驚かれ、
あっマズイかも・・・。適当にごまかして教えてもらい、お礼を言って去る。
彼女はとても英語が出来て、みんなにも溶け込んでいるのに、どうやら内心いつクビになるかとすごく心配してるようなのだ。

帰り際、隣の席の社員が私に「こいつはホントにとんでもない奴だ」と契約会社(超大手)の社員のことをグチる。
毎日見てるから気持は分かる。「腹たちますよねぇ・・・」としばらく聞く。
頭の隅で、これも仕事かしら・・・と思っていた。

2001年10月13日(土)

言葉にしてしまうと頭から振り払えなくなりそうで、だけど、毎日、苦しいな・・・

興味持って寄ってこないで。すがりたくなるから。
それを耐えるのがとっても苦しいから。

それでも何かに、ずっとずっと、助けて欲しいと思っている。

2001年10月16日(火)

実の娘と正面きって会話する覚悟さえないのに、なぜ私を作ったの?
この常識人間。
20年黙って働けばそれでいいと思っていたんだね。

お父さん、助けて。
私のこと避けないで。
怖がらないで。お母さんに押し付けないで。
もうズバズバお父さんの弱さ指摘しないようにするから。

弱いひとだって、分かってる。
でも、助けて。お父さん。
私が頼っていい男の人は、お父さんしかいない。 

2001年10月20日(土)

私 「自分から用意してまで食べる気がしないのが困るな・・・。土日とか会社行けなかった時は飲まず食わずで2日倒れっぱなしです」

先生「僕も食べるの面倒なほうですからね~。お互い、疲れてるんですよ」

私 「先生も疲れてるんですか(笑)」

その後、先生がよく使うというウィダーインゼリーについて少し会話する。

私 「家族に猛烈に怒りたいです。そういう夢ばかり見て物凄く疲れます。一度勇気を出してめちゃくちゃに怒ってみないとダメだと思う。でも母から電話があった時、何か少しでも正直に話そうとすると、母親が傷つくのが手にとるように分かるので、何も言えなくなっちゃうんですよね・・・。で、母親と話した後、なぜか立ち上がる気力を失って、仕事に行けなくなるみたい。最近気づきました」

先生「金属バットと同じだよ。あなたは、会社に行けなくなる、ということで反抗してるんだと思いますよ。言え、言え。だって、ご両親は傷ついても、自殺はしないでしょ?」

私 「ハイ、しません」

あと、抗鬱剤は怖くて止められないけど、安定剤とリタリンは、仕事クビにならないラインを自分で判断しながら飲みたいと伝える。

クビにならないと思うなら、苦しくても薬を飲まないでいたい。

先生「・・・あと何か言っておきたいことありますか?」

私 「先生、患者さんに好きだって言われるでしょう。そういう時どうするんですか?」

先生「困りますねぇ。適当にごまかします(笑)・・・で、どうしたんですか?」

私 「昔はどんな異性に好かれるのがどんな理由でも気分良かったけど、今は私のこと分からない男の人に少しでも性的感情持たれるのが辛いんです。だけどそれを避けていくといっそう孤独で。性的な感情抜きで、抱きつかせて貰えたら、少し安定するかな、と思って・・・」

先生なら言ってもいいかなと思った。

私は、私に依存しない理解者に抱きしめて貰いたい。

先生が「・・・よし!」立ち上がって、「どうすればいいのかな」と手を広げてみせる。

「・・・抱きつくのはいいんですか?」と見上げて躊躇したら先生が少し笑ったので、

思い切って強く抱きついた。5秒くらい。背中をポンポンと叩いてくれた。

その後、両親からの誘いで会食。

実際に初めて父親に猛烈に怒りをぶちまけてきた。

いくらそらされても諦めず泣きながらずっとずっと、ちゃんと聞いてよ!と噛み付いた。

店員さんが驚こうが隣の客がどうしようが知らない。

そのうちだんだんと、父親がまっすぐ私を見て話すようになった。

母親と姉と私を放っておいたことへの怒り。

母親を気遣わなかったことへの怒り。

自分の力量を省みず、何も分からない私に依存し続けながら仕事を続けた母親への怒りも。

してほしいことなんて何もない。

ただ一度、感情をぶつけてみないと、他のことにいくら目を向けようとしてもダメなんだと感じたから。

私が思っているより、父は弱くはなかった。少し嬉しい。

こののち、激しい「躁状態」になります。

突然、異様に元気で強気になります。

会社でバリバリと働き、

ランチには誰かを自分から誘い、

アフターファイブにPCインストラクターの

バイトも始めてしまいます。

食べられない・眠れないのは変わらないのに、です。

この後の日記から私の変貌ぶりが伺えます。