2005年

2005年1月1日(土)

あけましておめでとうございます。
家でゆっくりです。

と日記を書こうとしていたら、つい今しがた携帯に着信があって、出てみたら耳慣れない女の子の声。
名前を聞いたら、入院中に同じ病棟だった高校生だった。
あたし電話番号教えたんだっけ??と思いながら、どうしたの、と訊いてみる。
まだ退院してなくて、外泊中に家を飛び出してきたらしい。

「もう病院に戻りたくないの。どこに行ったらいいのか分からないの。まゆちゃんのウチに行っちゃ駄目?」と言う。
突然の電話にビックリしたのと、家が遠かったような気がしたのとか、明日バイトなのとか、色々頭をよぎって、つい反射的に
「うーん、ちょっと駄目だな・・・。もう遅いし、家に帰ったほうがいいよ。退院はいつか絶対出来るから、大丈夫だよ」
と答えてしまった。
電話が切れたあとで冷静になってみてものすごく後悔。
行くところがないって言ってるのに!!
”来ていいよ”って言えばよかった!!!

人付き合いに消極的な性格がこういう咄嗟の時に顔を出してしまう。
公衆電話からの着信だったので、もう連絡のしようがない。
ああ、どうしよう。今頃、暗い中をうろついているのだろうか。
どうかどうか家に帰ってますように!
自己嫌悪。

2005年1月2日(日)

ジョギングでヒザを痛めてからだろうか、最近しゃがんだり立ち上がったりする時にヒザが痛い。
ロフトのはしごを前向きのまま下りるのも痛い。

バイト中に床に物を落として拾って立ち上がる時など、机に掴まって声にこそしないが「よっこいせ」という具合でとても年寄りっぽくてイヤだ。
これは整形外科か、接骨院か?

体重を減らせば緩和するかもしれない。
燃焼系アミノ式(清涼飲料水。7kcal/100ml)をかんてんで固めて、ローカロリーゼリーを大量に作った。
過食したい時に食べるのだ。

2005年1月3日(月)

短期アルバイト最後の日。
なんとか乗り切れたのでこれで一息。
作業所にまた通って少しインターバルおいて、次の仕事を探そう。

昨日およそ1.5リットルのかんてんゼリーを作ったのだが、2日でもう半分以上食べてしまった。

起きてるとなにか食べたくて仕方ない。
早くフトンに入ってしまおう。

2005年1月4日(火)

アルバイト無事に終わって一安心。
とりあえずだらだら過ごした。
引き出しの整理してテレビみて、午後は昼寝。
漫画『愛と誠』、読むの3回目に突入です。
ドラマ化された時、誠役が西城秀樹だったらしい。
愛役は、このドラマのためにオーディションでもしたのかな、役名そのままの早乙女愛という女優さんらしいです。

SASUKEもみたし、これからダウンタウンの番組みます。
お笑いコンビがバラバラになって今回限りの新コンビでネタ勝負!
ロンブー淳と出川のペアとか、どうなるんだろう。

2005年1月5日(水)

昨日のダウンタウン司会の『笑いの祭典!ザ・ドリームマッチ』。
500万円獲得の優勝コンビはココリコ田中とさまぁ~ず三村でした。
真面目にネタを作る几帳面な田中と練習嫌いでいい加減な三村。
ココリコ田中の苦労が報われたようで私としてはまあ満足です。
ロンブー亮とガレッジセール・ゴリのコンビも心配だったけど意外と面白かった。

さて、ちょうど最近読んだあだち充の『H2』。実写ドラマ始まりますね。
『タッチ』でさえ実写化されてないのにな~と思って調べてみたら、実写映画化は決定してるらしい。
上杉達也・和也役はまだ決まってないそうだ。
ヒロイン・浅倉南は映画版「世界の中心で、愛をさけぶ」でアキを演じた長澤まさみ(17)とのこと。知らない・・・。
南ちゃんファンが許すかどうか。タッチの南の人気は根強いからな。

大昔、漫画・TVアニメ共に一大ブームを巻き起こしたタッチは、劇場版もいくつか作られました。
『タッチ 背番号のないエース』、この劇場版は観ていないんだけど、主題歌ラフ&レディ「背番号のないエース」だけはハッキリ覚えてる。
すごくいい曲でした。
アニメの雰囲気に微妙にマッチしてて、歌を思い出すだけでふんわりと切ない。
野球なんてやったことないけど、ああ、甲子園を目指していたあの夏・・・などと懐かしくなってしまう。

 愛していると 届かないけど 外野席から叫んでいるよ
 背番号のないエースが

2005年1月6日(木)

今日から作業所に行こうと思ってたんだけど眠くて挫折。
初詣とか、みんな行ってきたかなぁ。

映画『化粧師(KEWAISHI)』の録画を観ました。
それほど面白くなかったけど、菅野美穂と池脇千鶴の演技が見れたのでまあよし。

数年前。
激ウツから躁転して、サルサバーに通いつめ、外人と踊りまくっていました。その頃を思い出し、ついつい2ちゃんねるのサルサ関係のスレッドを読むのにハマってしまった。
2ちゃんねる見ると、どんなスレッドでも、読み進むといつの間にか何もかもやりたくないテンションになっていく。
気をつけていたはずなのに、油断した~。

ところで○浜○町の○EROというバーで講師してる○ラコという人。
○○県のサルサ業界ではけっこう悪名高いです。
ネットのアンケートでみんなが口を揃えて言うことには、どうやら女性に手が早いことこの上ないらしい。
私は何度か彼と踊って、「誰に教わったの?」と訊かれて名前を2人くらいあげたら「あー、だから○○の踊りに似てるんだな」と納得されました。口説かれはしなかったけど(笑
一度、イベントで○ラコのダンスショーを見たんだけど、けっこうアクロバティックな要素も含んでて楽しかったー。
パートナーの女性の背中をささえて宙返りさせたり。
ちなみにその女性がものすんごく美人で可愛いんですよ。
露出が多いとかではないのに、とても色っぽいし。
ダンスの途中で観客の方をみてウインクしてたんだけど、ちょうど私のたっている方向を見てたので、もう感激モノ。
今もあの女性と組んでいるのかなぁ。
ネットで○ラコの名前を追ってみたけど、美人のパートナーの記述は見つからなかった。残念。
もっと元気に自信がついたら、また踊りにいってみようと思う。
サルサ、もうだいぶ忘れちゃってるから、レッスンから始めようかな。

なんか落ち込み気味だけど、明日は作業所いくぞ。がんばる。

2005年1月7日(金)

朝がきつくって1時間半も遅刻して作業所へ。
ペイント作業を黙々と。

帰りは4人でカラオケへ。
風邪でちょっとノドをやられていて、あんまり思い切り歌えなかった。
歌おうとすると咳込んじゃうの。
そのあと喫茶店でお喋り。
気づいたら22時を過ぎていた。疲れた。

ひとまわり年上の男性の服を「それ可愛いね」と言ったら、「可愛いって言われるの好きじゃない。例えば小泉首相に『そのネクタイ可愛い!』とか言える?」と訊かれた。
でも私、正直、小泉さんにも言えちゃうかも・・・。

私、その時、「ごめんなさい」ってちゃんと言ったかなぁ。
いくら一緒に遊んでてもあちらのほうが12歳も年上なんだもんな。
帰ってからも気になっちゃって、電話しようか迷った。

次からは「その服似合いますね」と言おう。

2005年1月8日(土)

このサイトにブックマークをつけて下さっている方へ。
http://www.geocities.jp/○○○○○
が新アドレスですので、お手数ですが登録しなおして下さい。
3月で旧アドレスは使えなくなるみたいです。

朝から殆ど何も食べてない。おなかすいたなー。

2ちゃんねるの「1日300~500円で今日も乗切る」というサイトを見て、カレールーを使わないでキーマ風のカレーを作るのに挑戦。
カレー粉を使う。材料はレシピの分量の2倍で作ってみた。
今、煮込んでるところなんだけど、下準備ですごく疲れた。
にんじん一本、りんご半分、にんにく、ショウガのすりおろし作業、キツかったー。途中で投げ出して止めようかと思ったくらい。
しかも玉ねぎ二個分のみじん切りをあめ色になるまで炒めるのが大変で(焦げないようにずっと混ぜてなきゃなんない)指に水ぶくれができた。

使う肉は挽き肉で、じゃがいもも小さなさいの目切りにして入れてある。
ごろごろした具の入っていない、汁気の少ないカレーになるのがキーマ風という所以らしい。
あとは塩で味の調整するだけ。

そして今日は映画『少林サッカー』がTVでやる。
ちょっと観たいなぁと思ってたので嬉しい。

2005年1月9日(日)

少林サッカー、つまらなかったです。
途中からあんまり観てなかった。

昨日つくったキーマカレーが我ながらすごく美味しくて、ついつい食べ過ぎました。お腹が痛くなったほど。
鍋いっぱいに作ったのにもう一食分くらいしか残ってません。
苦労して作ったかいがあったと思う味でした。

年末年始にバイトしたところから事務仕事の依頼の電話が。
だけど週5日と聞いて断りました。
ちょっと未練あるけど、まだ週5で働くのは自信がないです。

なるべくのんびりいこう。今年の抱負。
だけど完全燃焼で生きるのも好きなんだよね。
バランスのとりかたがヘタなのに。懲りないなぁ。

2005年1月10日(月)

成人の日でしたね。
洗濯、フトン干し、掃除、食べて、昼寝。
もし昼間に外出してれば、キレイな晴れ着の女の子をたくさん見られたかも。

私は自分の成人式の日は横浜の地下街でウェイトレスをしてました。
式にはあんまり興味なかったのだと思う。

今日は夜から近所の友人とマクドナルドでお茶。
近所に友達がいるのってほんと、ありがたいと思う。

しかし、数年前の調子の酷く悪い頃の日記って、自分で言うのもナンだけど読み返すと面白い。
当時はすごく苦しくて面白いどころじゃなかったんだけど、過ぎてから客観的に作品として読むとドラマチックなんだよね。
極限状態におかれてる頃の文章は壮絶です。
それに比べて最近の日記ときたら、ごくごくフツーですこぶるつまんない。
テレビ番組のこととか、漫画のこととか、料理のこととか。
でもこれがある意味「幸せ」ってことなんでしょうね。たぶん。

母親には「一緒に暮らしてたおととしは地獄だった」と未だに言われる。
離れて暮らしているのがお互いにとってベストなんだろうな。今のところ。

母はまた働きに出る予定らしい。
よくよく働くのが好きな人だなぁ。
でも趣味らしいものもないし、生真面目で頑張り屋で、働いてないとボケそうな気性なので心配。
母にとって、ほどよい刺激、気分転換になればいいなと思う。

2005年1月11日(火)

なぜだか久々に眠れなくて、途中で足と手をお湯であっためたり、少量のホットミルクを飲んでみたりしたけど朝になってしまった。
眠くって、作業所休もうかと思った。
でも眠いぐらいで休んでいてはイカン。
ゆくゆくは正規の仕事したい私はそう思って急いで支度して出掛けた。

作業所の仲間の芸術家に、私の似顔絵に詩を添えたカードを貰った。

 道具立ての いらない芝居は まだうてないのさ
 花束かかえて 君との マチネー

わーい、嬉しい!すごく喜んだあと、訊いてみた。

「マチネーって何ですか?」

「昼の舞台のことだよ」

「あの、野暮な質問しますけど、道具立てのいらない芝居はまだうてないってどういう意味ですか?」

「小道具なしで付き合うにはまだ関係が浅いから、っていう意味だよ」

「あー。なるほど!わかりました!」

「・・・ひょっとして男は誰でも自分に気があると思ってない?」

この質問に、私は予期せぬパンチをくらった。
一瞬にしてブルーになった。

「・・・私そんなに高飛車に見えますか?」

「ううん。ぜんぜん見えないよ。冗談だよ。ごめんね」

そのあと、あまった板切れに顔と手足を書いたものを数回もらう。
空気を悪くしないようにしているんだろうな。
そう思うので、私はその板切れのイキモノを見て、たくさん笑った。

冗談ではなかったけど、それを聞いた私の態度を見て、冗談だよと言わざるを得なかっただけなんじゃないかと思ったりする。

今日は病院の日。ヒルナミンやめてもらいました。

2005年1月12日(水)

作業所、休んでしまった。
遅れても行くつもりだったんだけど、お弁当も用意しかけていたんだけど、なんとなくダウン。

寝てばかりいた。
起きて映画『A.I.』をTVで観る。
よく出来た映画だと思う。

3年近く前、この映画を初めて観た時、私は酷く落ち込んだ。
そして何日もひきずっていた。

薬を飲みながら必死に通勤し、心の奥底ではいつも母親を求めていた。
はけ口を持たない欲求は、鬱という形に姿を変え、フルタイムで働かざるを得なかった私を毎日苦しめた。
眠れなくて足元がふらつき思考力もなくなり、食べられなくてガリガリに痩せていった。
アパートに帰る気力が残っていず、男性社員のマンションに泊めてもらった。
何をすればいいのと訊かれて、手を握って欲しいと言い、そうして貰った。
彼はベッドを貸してくれて、自分はソファで寝ると言った。
朝、気がつくと目の前にその彼がしゃがんでいた。
だらりと力なく横たわったまま動かない私の顔をじっと見ていた。

「ママ。ママ。僕をおいていかないで、お願い、ママ」
お母さん。お母さん。お母さん、助けて。

今はもうこの映画を観ても、主人公に感情移入しなくなった。

2005年1月13日(木)

誰か。何か。
私を私から守ってください。

ヒルナミンやめちゃ駄目だったかな。

2005年1月14日(金)

作業所いけなかった。
布団にもぐって過ごす。
ヒキコモリ状態。

午後、メンバーから携帯に電話がかかってきて、「大丈夫か~」「ちゃんと食べなよ~」と心配してくれた。
嬉しかった。

一人暮らしってこと知られてて顔みせないと心配かけちゃうよな。
しっかりせないかん。

しかし薬のんでも眠れない。今、朝の5時です。
寝るのあきらめて洗濯(ぜんぶ手洗い)とかしちゃった。

2005年1月15日(土)

痩せたいからヒルナミンやめたかったんだけど。

やっぱり飲んでないと駄目みたいです。
このごろ感じなかった厭世観がドっと押し寄せてきて、なにもかも虚しくて悲しくなってきて動けなくなる。
布団と友達になってしまい、作業所2回休んでしまった。
結局、今日、ストックのヒルナミンを飲んだ。

多少ふとってても生きててツライよりはいいよね。仕方がないよね。
自分の体型、ほんとに、気になるんだけど。
服が格好よく着れないし、ほんとに、イヤなんだけど。

しかもジーンズしか履けないから企業で事務仕事できないじゃん・・・。

2005年1月16日(日)

おとといの夜。
太って、まったくのすっぴんで、髪もセットせず洗いざらし、部屋着同然の格好で出掛け、一緒にカラオケしたあと、近所の定食屋で男友達が言ってくれた。

「お洒落しなくなったねー。でもそれって前よりもいいと思うよ。余分な色気が無くなって、病気を触発するような男が寄ってこないし。女性としての魅力を排除しても、じゅうぶん人間で勝負できるよ。もっと内面に自信もっていいよ。まゆはいい人間だよ」

ビックリでした。
これまでずっと、私が女性だから遊びに誘ってくれるんだと心のどこかで思ってた(ごめん)。
女性であること以外に生きていく上で使える武器はもっていないと心のどこかで思ってた。

学生時代からずっと本当の友達が作れないまま生きてきたけれど、今は心底リラックスできる正直な友達がいて幸せです。

2005年1月17日(月)

ほとんど一日中寝ていた。
病院にいって、急に落ち込んでしまったと話したら、ヒルナミンがまた出された。

太るのが嫌なんですと言ったら、前より痩せてきてるから大丈夫!と断言された。
先生、まったく根拠ないよ!
私、毎朝、体重量ってるんですけど。

だけど。
必要なお薬はきちんと飲みましょう。
焦らない、焦らない。

2005年1月18日(火)

洗濯を一度にたくさんするとハンガーの数が足りなくなる。
しかも冬で乾きが悪いので途中で干す向きを変えたりなんかもして。

ようやく昨年末の木梨憲武主演の相田みつを物語、「にんげんだもの」の録画を観た。
室井滋がみつをの母親役。
みつをには二人の兄がいたが、二人とも若くして戦死する。
遺影を前に、室井滋が息子の名を呼びながら「なんで死んだ」と号泣する。

その時、なぜだか私も突然こみあげるものがあって、嗚咽が止まらなくなった。

最近、泣くことってなかったんだけどな。
室井滋の役者魂にヤラれたかな。
それとも。

2005年1月19日(水)

昨日の夜、冬なのに元気なゴキブリが出て一人暮らしの恐怖を味わったよ!
早速コンバット購入、4箇所に設置完了。
どうか見えないところで消えてください。

一週間ぶりに作業所いけたよ!バンザイ!
しかもお弁当まで作って。エライ。

帰宅後、ポストの中身を見てしばし放心。
人の好意をどう解釈してどう対処するか。
相手が異性の場合、難しい。線引きが。

2005年1月20日(木)

本当に何もしてません。
またカレー作って、ひたすら食べてた。
今日のカレーは市販のルウを使った普通のカレー。
残ってた野菜をだいぶ処理できた。
そんだけ。

なんかもっとやらなきゃいけないこと、やりたいこと、真剣に考えなきゃいけない気がする。
こうしている間にも私の人生はどんどん過ぎていく。
またすぐ春が来るでしょう。
そしてまたすぐ夏が来るでしょう。

2005年1月21日(金)

「生きてるかぎりがんばるな
 死んでもがんばるな」

と筆で描かれたカードを貰った。

「死んでもがんばるな」は、
素直に解釈して死んだあとも頑張るなということか、たとえ命とひきかえでも絶対に絶対に(強調)頑張るなということか、どっちなのかちょっと悩んでいる。

やはり後者か。そのほうが前文との比較で洒落が利いてるし。

作業所のあと、カラオケで本田美奈子『1986年のマリリン』を踊った。
本田美奈子好きです。すんごい細いのに声量あるし歌うまい。
声が力強く澄んでいて、とにかく艶がある。
昔、彼女主演のミュージカル『ミス・サイゴン』も観に行きました。
ファンサイトいってみたら、どうやら今、白血病で入院しているらしい。
ぜんぜん知らなかった。

2005年1月22日(土)

あんまり調子でないなぁ・・・。
午後ずっと寝ていました。
夜から友人とカラオケとお茶したけど「元気なさそう」って言われて早めにおひらきです。

2005年1月23日(日)

引き続き低調なり。
暖房つけないとやっぱり寒いな。
この部屋で過ごす2度目の冬。

2005年1月24日(月)

診察の日。

先生「僕も失敗をたくさんしてるのが強みなんですよ」

私 「失敗って、医者をやってく上で、ですか?」

先生「いや、人間的にです」

私も人間的な失敗ならいっぱいいっぱいしてきた。
普段はもう忘れているけれど、思い返せばシャレにならない出来事がたくさんある。
そしてこれからも人と接するのを止めない以上、失敗は続いていくだろう。
そのたびに強くなれるのなら、これ幸いと。

先生がどんな失敗をしてきたのか聞きたかったが、短い話じゃなさそうと思い、それ以上訊かなかった。

今日の先生は、なんだか余裕があって好きだった。

2005年1月25日(火)

作業所いけなかった。
「休みます」と電話をいれた。
「どうしたの」と訊かれて「外に出る元気ないんです」と答えた。

布団の中で意識うしなって過ごしたいんです。

「がんばるな」と言われるけれど、本当にがんばらないでいるとヒキコモリだ。

ちょっとはがんばらないといけないみたい。

2005年1月26日(水)

作業所、行けました。

でも作業したくない・・・。
誰もいないところで横になりたい。
木片で作ったオーナメントにサンドペーパーをかける。
ああ、と投げ出して机に突っ伏したいのを耐えながら。

2005年1月27日(木)

入院中の友人のお見舞いに行く予定だったが、ずっと布団からでられず見送る。ごめん・・・。

2005年1月28日(金)

外に出るの嫌~。人と話すの嫌~。

だけど、入院先の主治医に退院時に言われた言葉を思い出す。

「しんどい時も、ちゃんと通所すること」

しんどいなら休んだほうがいいような気もするし、でも休むとますます外に出られなくなっていくような気もする。

結局遅刻して作業所に行き、なんとかやり過ごす。
作業所につけば、それなりにテンションあげて会話する。
しんどいのでアパートにまっすぐ帰ろうと思っていたが、カラオケに誘われてついOKしてしまった。

今日のシメは『ヤッターマンの歌』。

本当は「ヒカルとナナと~ 七つのメカが~♪」っていうフレーズが歌いたかったんだけど、タイトルわからなかった。今、ネットで調べてみたらオタスケマンの唄でした。
・・・って本当にどうでもいい日記だな。

2005年1月29日(土)

お昼近くに起きて、あわててゴミ捨て、洗濯機をまわす。
何か栄養あるものを食べようと思い、残り物の整理。
冷凍小松菜、油揚げ、玉ねぎ、豚肉、にんにく、しょうがをごま油で炒め合わせて味噌とみりんと砂糖としょう油で味付け。

昼間にお正月番組の再放送がやってる。
で、新春かくし芸大会を見てみた。

演目が終わり、満点を貰って感激している芸能人を見て、声をあげて泣いてしまう私はいったいどうしたというのだろう。

泣きながら「私なんで泣くのー」と独り言までいう始末。

2005年1月30日(日)

寝て過ごす。
食べるか寝るかしかないのか!

2005年1月31日(月)

診察の日。抗鬱剤のテトラミドを2倍にされた。
薬を減らす夢がまた一歩遠のいたな。

先生が「なにか心配なこと、ありませんか?」と訊いてくれる。
心配なことはないです。ただ、何もやる気が起きないです。

2005年2月1日(火)

作業所でスモークチーズ作り。
煙をたくさん浴びながらの作業、まるで自分がスモークされているかのようです。

帰りに3人でモスバーガーでお茶。
私以外みんなタバコを吸う。
もう煙あびたくないのでいつもより早めに帰宅。
煙臭さをとるため上着とカーディガンを浴室に吊るす。

今日は漫画『北斗の拳』の1巻を貸して貰った。
北斗の拳はアニメでしか観ていないのだが、なにを隠そう、大大大好きだったのだ。
中学一年くらいの頃で、塾の日だったのでわざわざ録画していた。
明日は2巻を貸してもらえる。楽しみだ。

そういえば昼休みに女性職員とメンバーが将棋をしていた。
将棋は私にとって「出来るとカッコ良いと思うゲーム」のひとつだ。
他には麻雀、チェス、ポーカー、囲碁、というところだろうか。
ちなみに私はどれも出来ない。

2005年2月2日(水)

作業所で、和風のオーナメントにペイントをした。
今日ペイント初挑戦したのは、甲羅に金色をちりばめたゴージャスな亀。
美大出身の女性職員が作った見本を見ながら塗るのだが、甲羅の八角形が並んでいるところとかかなり細かくて難しい。
だけど誰でもできるような簡単なペイントよりも飽きないし面白い。
ひとつ作るごとに上手くなっていくような気がするし。

他にも「同じものをメンバーが作れるのか?」と途方に暮れるような難しいデザインのオーナメントの試作品がたくさんある。
手毬や鼓や松の木などなど。
でも難しい作品は手をかけただけそれなりに見栄えがするものだ。

細かい作業は得意だと思っていたけど、筆の使い方がいまひとつ未熟です。女性職員のほうが上手い。(美大出身、それも専攻が油絵の人と比べたら失礼か)
慣れかなあ。もっと上手くなりたいな。

2005年2月3日(木)

何もしませんでした。
節分なんですよね。一人暮らしだし、興味もない。
メッセちょっとやって、昼寝です。
明日はがんばって起きて作業所だ!

抗うつ剤ふえて、ちょっと気分が浮上した気がする。
薬ごときに左右される私の日々。
どうせいつかは死ぬんだから、好きなように生きたい。
好きなように動ける最低限の元気だけ、くださいませんでしょうか。

2005年2月4日(金)

寝ていたくて、作業所40分の遅刻。
また細かいペイント作業を続ける。
同じものばかり作っていると気が狂いそうなので、3つくらい作ったら別のもの、という感じで次々とペイントしている。

6人でカラオケ、そのあと食事、さらに喫茶店でお茶。

カラオケで戦中歌『海ゆかば』を歌うおじさまがいる。

 海ゆかば水(み)漬(づ)く屍(かばね)
 山ゆかば草むす屍
 大君の辺(へ)にこそ死なめ
 かへりみはせじ

これ、とても悲惨な歌詞なんですよね。
意味はだいたいこんな感じだと思います。

 海に行けば水に漬かった屍になろうと
 山へ行けば草の生えた屍になろうと
 天皇のお傍を離れず死のう
 後悔はすまい 

2005年2月5日(土)

午前中のうちにシャワーを浴び、洗濯をして、掃除機をかける。
そして○○わちゃんとランチデエトです。
今日はちょっと緊張ぎみだったけど会えて楽しかったです。
相変わらず○○わちゃんのバイタリティには頭が下がります。
新しい住居、新しい仕事、いろいろ飛び回ってて、尊敬。
私は作業所の日以外は寝てばっかりですから。

『北斗の拳』、文庫本で4巻まで読みました。
けっこう楽しめる。まだ途中だからかなあ、いまいち人物描写が浅いかなぁ、単純すぎかなとか思うけど。
それに、昔はわからなかったけど、女性はでしゃばらず男性に守られて女らしくしていろ、みたいな空気があって、そこだけちょっとやな感じ。
いちおう女性戦士が出てくるんですけど、弱くてすぐやられちゃう。
本当に強い女性戦士が出てきて欲しいな。
たとえば漫画『ベルセルク』の初期のキャスカとか。

昔はジャッキーチェンの映画とか少林寺とかも大好きだった。
アクションものが好きな時代があったんです。学生の頃。
女子プロレスも好きだった。クラッシュギャルズとかね。
どちらかは忘れたけど、歌がけっこう上手いんですよね。
たしかライオネス飛鳥じゃないほう。名前忘れました。

昼寝のあと、今日もカラオケしてきました。

2005年2月6日(日)

具沢山の味噌汁を作った。
豚肉、大根、にんじん、長ネギ、冷凍小松菜、サツマイモ、豆腐。
野菜が多すぎて鍋に入りきらなかったので、少量をとりわけて茹でて食べようと思いレンジで加熱。
チンと鳴って見てみたらレンジが煙ふいてる!
あわてて開けたら野菜真っ黒焦げ。
水分ぬけきってカラカラの炭になってました。

久々にちょっと怖い思いしました。
火事とかになんなくてよかった。 

2005年2月7日(月)

頭頂部が広く禿げてる夢をみて怖かった。

日中、ネットで知らない男性と喋ってみる。
話しかけてくる人はたいがいお決まりのくだらない話題をふってくるので、途中で止める繰り返し。私なんでこんなことしてるんだろうか。
そして寝てしまう。本当によく眠れる。
眠いのは大量の薬のせいだと思う。

今日は診察。
薬減らしたくてしょうがないんだけど、ダメですね。
先生にも「もう少し様子を見てからね」と言われた。

2005年2月8日(火)

朝、眠すぎて作業所休んじゃいました。
罪悪感と闘いながらも一日中寝てました。

こんなんじゃいかん。
毎朝きちんと起きて、決まった時間に出掛ける。
ここから基盤作りしていかなきゃいけない。
働けるようになりたいんだろう?

2005年2月9日(水)

作業所20分の遅刻。
でも行っただけよしとしよう。
部屋を出る前まではずっと悩んでいるのだ。
行こうか休もうか・・・。

午後は太極拳。
床に毛布を敷いてヨガ体操もやる。
ジーンズでやってるので思い切りできなかったけど、筋肉のあちこちを伸ばすのは気持ちいい!

またカラオケしてきました。
で、夕食は抜こうと思っていたんだけれど、結局食べちゃった。
ニンニクの芽と鶏レバーの炒め物。
味付けは濃縮めんつゆと砂糖としょう油で。

2005年2月10日(木)

お昼前に起きて、もやしナムルを作って食べたあと、お菓子を買出しに行き、過食。
そして寝てしまいました。
起きてからネットでたくさん知らない人と会話した。
ああ、生活のリズムを正さなければ・・・。 

2005年2月11日(金)

じゃがいもとにんじんとブロッコリーをさいの目に切って、
豚の細切れ、水煮大豆と一緒にコンソメで煮る。
ケチャップと塩コショウで味付け。ポークビーンズです。
でもなんか味にいまひとつパンチがない。何を足そうか。

ドラえもんスペシャル。『のび太の結婚前夜』。
のび太との結婚式を明日にひかえたしずかちゃんが、泣きながらお父さんと会話する。
お父さんの台詞にまたもや泣いてしまった。

「きみの選択に間違いはなかったよ。あの青年は、人の幸せを喜び、また人の不幸を悲しむことの出来る人間だ」

2005年2月12日(土)

明日が天気わるいそうなので、昼過ぎにあわててシーツやタオルの洗濯をする。
布団も干し、部屋に軽く掃除機をかける。

昨日作ったポークビーンズにタバスコと粉チーズをかけて食べる。
トマト味のスープは物足りない味になりやすい。
何を足すといいのかなあ。

おおた慶文、 Kizuku Takadaのほかに、美少女イラストのなかなかイケる人発見。
陳淑芬(チェンシュウフェン?)。
台湾のイラストレーターです。女性であります。 

2005年2月13日(日)

もっと早起きして動かないといかん。
いやでも外に出ないといかん。
一日なにかひとつでも努力しないといかん。

ポークビーンズは今日で食べきった。
さあ次は何を作りたくなるのか? 

2005年2月14日(月)

バレンタインデーですね。
今日も起きるのが遅くて自己嫌悪。
メッセで珍しく面白い人がいたのでずっと喋ってました。

夕方から、診察。
朝つらくて作業所休んだり、夕方いつも寝てしまったりすると言ったら、無理に生活のリズム正そうとしなくてもいいですよとのこと。
いや、それはよくないだろう・・・。

体重がヤバいですよ。
先生は「調子がよくなってくれば自然に痩せます」と言うけど、そんなの待てません。夕食はもやしナムルだけ。

2005年2月15日(火)

作業所、一時間半の遅刻。
朝はどうしてもダメだなあ。

お昼休みにメンバーとオセロをした。
苦戦の末、見事チャンピオンの座を奪取!嬉しい~。
ここ最近で一番アタマ使ったですよ。
薬でしわの伸びきった脳みそしぼりました。ええ。

和風オーナメントのペイント作業、今日はアゲハチョウに挑戦しました。これまた難しい。
デザインは家紋のアゲハチョウを参考にしたとのこと。
正直、ぱっと見アゲハチョウに見えないデザインなんですけど・・・。
いいのだろうか。
ところでペイント作業についてだけ、他の人より時給が高く貰えるようになりました。

夕食に玉ねぎ入りのオムレツ。
卵の賞味期限が切れたから、加熱調理して始末していかないと。
明日の朝は卵焼きでも作ってお弁当にしようか。

これから北斗の拳の文庫版、6巻を読みます。
楽しみ。

2005年2月16日(水)

朝、卵焼きを作り、残り物の煮物と一緒にお弁当にした。
で、作業所はまた一時間半の遅刻・・・。

今日はウチに若い女の子のお客様が来てくれた。
ローズヒップとハイビスカスのブレンドハーブティーを淹れてみた。
紅茶の色がピンクで綺麗だったな。
久しぶりに逢えて嬉しかった。
元気でね。また喋ろう。

2005年2月17日(木)

W(ダブルユー)の『恋のフーガ』の振り付けが可愛い。
辻ちゃん、ちょっと痩せましたね。
加護ちゃんは相変わらずだけど・・・。
辻ちゃんのほうが美人と思うけれど、加護ちゃんの方がどうやら人気あるらしい。

人生は短い。
好きなことを好きなだけ。っていうのに憧れて5年ほどになるかな。
まだ私の足元はいつもグラグラ揺れている。
目下、アイデンティティーの確立が目標なのだ。

2005年2月18日(金)

ドラマ『週末婚』の再放送が始まった。
第一話からサブタイトルが「私より不幸でいて」。
もう姉妹の足の引っ張り合い、ドロドロの面白いことといったら!

最後の永作博美(妹)の怒りに燃えた長い台詞に釘付け。
松下由樹(姉)の結婚式で、両家の両親の前で姉を罵倒。
「こういうのを寂しがり屋の弱い女って言うんですね。したがり屋のずるい女って言うんだと思ってました!」

途中からしか見てなかったので残念。最初から見たかった。

今日は作業所の仲間と地区センターで卓球大会。
そのあとカラオケしてきました。今日はじめてカラオケで歌ったのは、『日本ブレイク工業社歌』、『大ちゃん数え歌』、『バレンタイン・キッス』。

2005年2月19日(土)

映画の「呪怨」が今週の水曜日にTVでやりましたね。
みんな怖いって言ってるから期待してたんだけど、ぜんぜん怖くなかったです。
小説のほうも読んだけど、動機付けが浅くて展開に説得力なくて、ちゃちな印象でした。
怖くないホラーなんて、つまり面白くないということです。
もっとCGとか特殊撮影駆使してれば、別の興味を持つところだけど(洋画の「バタリアン」とか「死霊のはらわた」とかみたいに)。ゴキブリ、地震のほうが何倍も怖かったです。

今日も起きたのが昼近く。
そして夕方、また眠ってしまいました。
夜は薬のんでも眠くならないときてる。
完全に昼夜逆転しちゃってるな。

2005年2月20日(日)

昼すぎに陽射しが出たので、慌ててリネン類の洗濯。
布団もロフトから引きずりおろしてベランダに干す。
でもすぐに曇ってしまって、せっかく干したのになんだかなー。

軽く部屋全体に掃除機をかけて、シャワーを浴びる。

日常の作業のひとつひとつ、これが出来ているうちは調子がいいのだ。

しかし、どうして薬の数が合わなくなるんだろう?
きちんと数えて飲んでいるはずなのに、なぜか余ってしまう。もしくは足りなくなる。
不思議だ。

2005年2月21日(月)

診察の日。
太るのが困るんです、と相談。
ヒルナミンが太るとよく聞くんですが、と言ってみたら、むしろウインタミンが問題だと言われウインタミンを半分に減らすことに。
コントミン(ウインタミンと成分は同じ)12.5mgが処方された。
派手な黄色の大きめな錠剤です。

朝も起きられないし昼間も寝てしまうと言ったら、「だらだらしてていいと思いますよ、今は」とのこと。

先生はいつも「それでいいですよ」と言う。
私の先生は、厳しくない。
優しいのか、エネルギーが足りなくて流しちゃうのか。
いいのか?このままでいいのか?
やっぱり自分で切り開いていかないと何も起こらないのだ。

2005年2月22日(火)

私ってやつは。
私ってやつは。

いつまでたっても中途半端なやつだなあ。

遅刻した上に、私の気に入っている人が、いやそれだけじゃなく性的に気に入られてると感じる男性が誰も来ていなかったというだけで、戦意喪失で早退してしまったのだ。
一時間しか作業できなかった。

青空の下、早足で歩く。二駅分の距離、電車使わない。
せめて少しでも自分に足かせをつけたくなる。
歌おうと思ってリストアップしてあった洋楽(でもなんか気が向かなくてずっと借りてなかった)を
ここぞとばかりにレンタルし、部屋に戻ってCDに焼いたりラベルを作ったりして過ごした。
ぜんぶ、誤魔化しだ。ゴマカシ。

そう、思い出したのだ。決して表面には出さないけれど、私は「かまってちゃん」だったのだ。それも命をはるほどのね!

職場に恋人がいなくなったらみるみるうちに鬱の波に飲み込まれて、出社拒否になってしまった会社員時代を思い出す。
恋愛を仕事場に持ち込まないでは働き続けられない依存心の強さ。
自我の弱さ。

私、ぜんぜん成長していないよ。さあ、どうする。

2005年2月23日(水)

レンタルCDを朝の10時までに返却しなければならなかったので、ひさびさに時間通りに作業所にいけた。
オーナメントの絵つけをして、午後は太極拳。

ところで過去日記から記事を抜粋してヤフーブログを作リ始めたのだが、熱中しすぎてしまって、布団にはいってもよく眠れなかった。
人種差別うけて投獄され、どうにか脱獄するも追われる身となり、銃を手にいれて乱射しながら仲間と逃亡生活を続ける、というストーリーの怖い夢を見た。

寝る前には、頭つかってはいけません。

2005年2月24日(木)

ひきこもりです。
外に出たのは、ベランダにある洗濯機で脱水かけた時だけ。

一日中、ブログいじってました。
いまひとつよくわからない機能がある。
解説読んでみても理解できない。
トラックバックとかRSSって、つまり何よ?

もともとある自分のHPのリンクを載せるかどうか考え中。
ブログに載せてるものは文章も画像も全部、HPから抜粋したものなのです。

雨ですね。明日も雨みたいですね。
天気はかなり私の精神状態を左右する。
めげずに明日もがんばって早起きしよう。

2005年2月26日(土)

昨日は作業所やすんでしまってちょっと自己嫌悪。

今日は知り合いのアーティストとカラオケ3時間してきました。
「カラオケの鉄人」で。

ジムノペディ
『13』、『ジェリー』、『トレモロ』。

レベッカ
『黄金の日々』、『Little Darling』、『TROUBLE OF LOVE』、『ONE MORE KISS』、『KILLING ME WITH YOUR VOICE』、『瞳を閉じて』、『CHERRY SHUFFLE』、『NEVER TOO LATE』。

懐かしい曲がいっぱい。
カラオケの鉄人は超マイナーな曲がたくさんあって良い!

ファミレスでお喋りするのも楽しくて、幸せを感じる。
相手も楽しそうだし嬉しい。
ほんの5、6年前までは、他人と楽しく雑談するなんて夢のまた夢だったのだ。

2005年2月27日(日)

人と会ってたくさん喋ると、家に帰って柔軟体操したり薬飲んだりしても眠れなくなってしまう。
もう緊張はしない相手のはずなのに、神経使っちゃうのかなあ。
結局朝まで一睡もできなかった。

昨晩は徹夜だったから、今夜は眠れるかなー。
薬のんで早めに寝たいけど、ダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで!」を観たい・・・。

あー、でも寝ちゃおうかな。
やっぱり眠いや。

2005年2月28日(月)

先生は、診察のたびに
「あなたは変わったねえ」と言う。

今日は
「100かゼロかでしか生きられなかったのが、『ほどほど』『適当』が出来るようになってきましたね」

その前は
「本当の意味で人のことを考えられるようになってきましたね」

さらにその前は
「最初の頃は喜怒哀楽がまったく感じられなかったのに、今は出てますね」

私は進化し続けているようです。

2005年3月1日(火)

また作業所やすんじゃった。
ネットが楽しくて外に出なくなってきてる~。これじゃいかん。

フジTV「歌が上手いお笑い芸人王者決定戦」、もうめっちゃ楽しかった。
この手の番組が大好きなんです!
ビデオが壊れてるので、友達からのカラオケの誘いを断ってTVの前にスタンバイ。

山崎邦正が歌った一曲目は「煙が目にしみる」。
しょっぱなから洋楽です。これが上手なの。

決勝まで勝ち進み、最後はヒロシの「浪漫飛行」に負けちゃったけど、私としては山崎邦正のT-BOLAN「離したくはない」のほうが良かったです。

夢中になりすぎてふと横にある鏡を見たら、すっごい前傾姿勢でTV観てました。

他の出演者はレギュラー、アンガールズ、森三中、劇団ひとり、波田陽区など。
歌の後とかに参加者がネタ披露もしてたんだけど、はっきりいってこの番組ではネタ披露は要らない。

またやって欲しいな。こういう番組。

2005年3月2日(水)

映画『あずみ』観ました。

漫画のほうはすごく面白いのですが、映画となると2時間枠、どうまとめるのかなと。

上戸彩があずみかぁ、なんかイメージ違うと思ってましたが、なかなか頑張ってる。

殺陣シーンがもっと見たいです。

ところで成宮寛貴が出てましたね。知らなかった。
最後は斬られちゃったけど・・・。

あと、最初のほうで、どうしても雨上がり決死隊の宮迫に見える人がいるんだけど、どこのキャスト見ても書いてないですね。ただ似てるだけの別人か?

2005年3月4日(金)

そうだこんなもの
そうだこんなもの
私はあきらかに傷ついているけれど
誰も悪くないのです
熱いシャワーを浴びて
髪を洗って
洗濯をして
なかったことにしてしまえ!

まだ汚れが残っている気がするのは
私の中に入りこんだもののせいです
目に見えるところをいくら洗っても落ちません

メールアドレスなんて要りません
もう二度と逢いたくないからです
誰も悪くないのです
だけど大嫌いです
あなたのこと大嫌いです 

2005年3月5日(土)

撃沈・・・。
一晩たっても、自責の念にまみれて動けない。

友達に話を聞いて貰った。
優しい友達がいて、私って幸せだなぁ。

少し気持ちが前向きになって、昼の薬を飲んで、寝逃げしました。

目覚めて、何もする気になれないけど、少し頑張って、ご飯を炊きました。

過ぎたことは忘れよう。つらいだけの事は忘れよう。
ほんの一日前のことだけど、立派に過去の出来事なのだ。

先生にも報告しよう。まるで懺悔さながらに。
そしたらまた「大丈夫ですよ」って、きっと、言ってもらえる。

2005年3月7日(月)

一週間ひきこもっていた私。
スーパーに買出しに行く気力もなくて、冷蔵庫がほとんどからっぽ。

今日は診察の日。先生にすべて告白した。

「悲観的なサイクルに入っちゃったかな?あなたが進んでやったことじゃないから、大丈夫ですよ。あとは行動することです」

やっぱり先生は大丈夫だと言ってくれた。
私は少しだけ泣いた。

食材を買い込んでアパートに戻る。
行動あるのみ。やっぱり作業所にはがんばって行こう。

2005年3月9日(水)

待っているのです。
体中が「YES!」と言ってくれるのを。

がんばって、一週間以上ぶりに電車に乗って仕事場に行けたのに、作業したのに、会話もしたのに、友達とも会ったのに、充実感がない。自分に「エライ!」と言ってあげられない。

料理しようと思って食材もたくさん買ってきたのに、料理する気がおきない。

舞台装置を一生懸命つくりあげてみたところで、役者がいなければ意味がないのね。

セッティングに騙されることを期待していたの。
そんなに上手くいかないね。

理由なく幸せで飛び跳ねてみたり、理由なく辛くて這いつくばってみたり。

流れをコントロールする力なんてもう残っていないよ。
ただどんなに悲しくても「進め」という言葉が頭の中で響くだけ。

2005年3月13日(日)

冷蔵庫に冷凍小松菜と冷凍ブロッコリー、大根、納豆、トマト、野菜ジュース、牛乳しかない。

料理する気がないんだけどおいしいものは食べたい。

大根を千切りにして塩もみ、水分をしぼって、白ゴマとマヨネーズで和えて大根サラダ。
けっこうおいしい。

昨日の夜も今日のお昼もこれだけ。

2005年3月14日(月)

ヤフーチャットの音楽カテゴリのユーザールームで、参加者が歌を順番に披露していくという遊びが行われている。
ギターが弾ける人は弾き語りをしていたり、楽器のない人は音楽を流しながら歌ったり。
昨日は私もホコリだらけのマイクを取り付け、3曲ほど歌ってみた。
これが普通のカラオケより緊張する!
次にスタンバイOKの人にマイクを渡すまでの場つなぎトークで、MCのようなこともしなきゃならないしで。
74歳のおじいちゃんでチェッカーズを歌う人がいたりして面白かった。

のどがちょっと痛いなと思っていたら、今日はさらに痛みが増し、くしゃみ鼻水、咳も出る。風邪か?それとも花粉症ついに発症か?

そして今日は診察。
「一週間前のショックをまだ引きずってるんですよ。ゼロからもういちどやりなおしましょう」と言われた。

インターネットはやめたほうがいいとも言われる。
外に出ましょう、と。
今の私は本当にネットに逃げていると思う。現実逃避しまくりだ。
知らない人と喋って時間を潰して、薬で眠いのと意識を失いたいのとですぐ寝てしまう。

目覚めた瞬間が、いちばん、どうして生きてるのだろうと思う。

2005年3月18日(金)

今週は水曜日だけ作業所いけたんだけど、(手作りぼたもち大会でした)ずっと風邪なんですよ。風邪。
のど痛いんです。咳も止まりません。
今日はカラオケにも誘われてたんだけど、行けないな。
でもこれくらいで医者に行く気はしない。
これ以上薬のみたくないし。
会社員だった頃は、この程度でも医者にかかったのかも知れない。
作業所に対してあんまり責任感のもてない私です。
気分は少しずつ浮上してきています。

2005年3月22日(火)

『入水願い』

 大嫌いです
 全部が厭です
 賞讃したがっているあなたの嘘吐き
 今夜以降こんな仕様も無い女が生き存らえるなんてあられもないわ!
 ・・・どうぞ殺って

東京事変の曲の歌詞です。     

2005年3月25日(金)

遅刻したけど作業所いけた。

仲間たちと笑いがある普通の会話をしているだけで、自分の身が清められていくような気がする。
なので少し積極的に喋って過ごしてみたりする。
特に女性と談笑していると、自分がそれほど堕落した人間じゃないというか、人としてそう悪くないかのような気分になれる。

4人でカラオケ、夕食、お茶して喋って来た。
他人と一緒に居過ぎて、疲れて頭痛がする。
こういう日は朝まで眠れないことが多いけど、今日はどうだろう。

2005年3月26日(土)

二日連続、カラオケ。
歌った曲を思い出す限りリストアップしてみます。

C-C-B『Romanticが止まらない』、『空想Kiss』、 『元気なブロークンハート』
イモ欽トリオ『ハイスクールララバイ』
B’z『GIMME YOUR LOVE - 不屈のLOVE DRIVER -』
バービーボーイズ『女ぎつねon the run』
うしろ指さされ組『うしろ指さされ組』
レベッカ『ウェラム・ボートクラブ』、『BOTTOM LINE』
尾崎豊『15の夜』
少年隊『仮面舞踏会』
椎名恵『今夜はANGEL』
東京事変『遭難』、『群青日和』
萬Z(量産型)『日本ブレイク工業社歌』
THE BLUE HEARTS『情熱の薔薇』、『TRAIN-TRAIN』
ABBA『DANCING QUEEN』

世代を感じるな~。

2005年3月28日(月)

心の冷たい私ですが、最近なんだか感激屋です。

私がピンチの時に、平日の真夜中でも助けにきてくれる友達が二人もいることに涙したり、映画『ジョゼと虎と魚たち』を繰り返し観て、いまや公式サイトの予告編だけで泣いてしまいます。

昔小説の原作読んだ時はそれほど印象に残らなかったんですが、映画の『ジョゼと虎と魚たち』は、恋愛というものの切なさが本当に見事に描かれていて、オススメです。

主演の池脇千鶴もこうコメントしています。
「一度でも恋愛したことのある人なら、なにかを感じて帰ってもらえると思う」

2005年3月31日(木)

仔猫を潰してしまう悪夢で目覚めた朝。

今日は美容院へ行こうと決めていた。
3ヶ月に一度の頻度。
スタイルは最近定番になった、前下がりのショートボブ。
そしてアッシュピンク系でカラーリング。

「頭ちいさくなったねえー」
いつものようにかなりの量をすいたあと、軽くワックスをつけてくれながらTさんが言う。
Tさんは私の髪の毛をすくのが楽しいらしい。
髪の毛が多いので、やりがいがあるんだそうだ。

Tさんの職場が変わって、一時間かけて初めて行った本牧の美容室。
顔が整ったスタッフの男の子発見。滅多に見ないレベル。

「カッコいい男の子いますねー。あの、黄色の上着の人」
「うん、ウチのビジュアル系。ファンも多いんだよー」
そうか、やっぱりそうか。

顔のいい子は態度があまりよくないことが多い(気がする)んだけど、遠くからなんとなくチェックしていたらわりとソフトで真面目そう。

そういうTさんはともさかりえに似ている。
たまたま見た雑誌にともさかりえが載っていて初めて気づいた。
訊いてみたらやっぱりよく言われるらしい。

頭サッパリして、帰り道、久々にちょっと贅沢してみたくなった。

「やさいや」という自然派レストランでディナーコースを頼んでみた。
自家製にんじんジュース、自家製ゴマドレッシングのサラダ、メインはココナッツミルク入りのオーガニック野菜とチキンのカレー(ライスは五分づき黒米いり)、そしてオーガニック紅茶。

美味しかったです。ちょっとだけ高いけど。

2005年4月1日(金)

作業所いけた。
ボランティアの女性に嫌われてる気がした(たぶん気のせい)。
帰りに4人でお茶したのだけど、なんだかずっと悲しかった。
近所の友達とカラオケした。そのあと定食屋で午前1時まで喋っていた。

なんとなく辛い理由は見当がついている。

要するに私は自虐的な反面相変わらずかなりのナルシストで、最近とくにそうで、ナルシストだってこと自体はもうどうでもいいんだけど、他人をしらけさせる程に自己陶酔してることに気づいていなくて、それを指摘されたのがショックだったからなんですよきっと。

2005年4月2日(土)

明日は天気が悪いみたいだ。
洗濯して干して、掃除機をかけ、○○わちゃんとのランチに出掛けた。
女の子とレストランでしばしの談笑。嗚呼なんと健全なことよ。

中島みゆき『ファイト!』入手。
これずっと歌ってみたかったんだよね。

 ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう  

2005年4月4日(月)

週に一度の、先生と会う日。

なんだかエネルギーがありあまっている感がある。
作業所、あんまり行けてないんだけど・・・。
いっそのこと、普通の仕事いれてしまおうかと思う。だけど。

「僕がひとつ言いたいのは、あなたは作業所に通わなきゃならないレベルだということです。ネガティブな意味じゃなくね」

私は調子がちょっとでも良いと、すぐにこう思う。
「私って病気なのかな?根性が足りないだけじゃないのかな?」
3回も入院して、薬を10種類も飲んでいるのに、いまだにそう思う。

150%の力で働いてきたんですよ、と先生が言う。
言われてみれば確かに私はずっと余裕が無くて、抑圧された感情から、水面下では異常な行動を繰り返してきた。

出来事→認知→反応(解決、依存、行動など)

先生がパソコンに打ち込んでなにやら分析しているのを見せて貰った。
患者(多分、特にAC)が自力で治せる部分はどこかと考えてるのだって。

「認知療法っていうのもありますけど、物事に対する感情は、もう変えられないんですよ。自力で変えられるのは、今のところ『行動』だけだと思うんです」

まあ今のところ週末にお花見の予定が2つはいっている。
とりあえずちょっと頑張って、作業所には行って、またちょっと頑張って、新しい人に会ってこようか。
なんて思っている。

2005年4月6日(水)

あーー、むっちゃ疲れた!

なぜかというと、久しぶりに絵を真剣に描いたからです。
しかも自分で飾るんではなく、人にプレゼントするのでもなくて、今回はなんと売る予定のやつです。初めての試み。
売れるかは分からないけどさ。

昨日は数年ぶりに横浜の画材屋めぐりをして、イラストボード他を買ってきました。それもまた疲れた。
だけどちょっと、ボードの使用感いまいち。
もっときめの細かいボードにすればよかった。
しょうがない、また買いにいくかー。
私は色鉛筆を使うので、フィキサチーフも用意しないとな。
実家に残してきた気がするから電話してみよう。

2週間くらいのうちに3作品くらい作って、プレゼンです。
テーマが決まっているのでイメージに悩みます。
(猫がモチーフ、そして何故かフランスのパリが今年のテーマ。エッフェル塔と凱旋門くらいしか思いつかないよー。)

プレゼンでOKが出れば、夏に○浜のギャラリーに出品します。
売れなくてもいいから、一度やってみたかったので頑張るつもり。
余裕があれば、原画をスキャンしてこちらにもUPする予定です。

2005年4月7日(木)

昨日疲れすぎて、朝の4時くらいまで眠れなかった。
でも起きたらすぐ2作品目の絵にとりかかる。

イラストに使う小物の見本は、ネットでいくらでも探せる。
パリの信号機、フランスパン、クロワッサンの画像を検索して資料にした。
ネットがない時代は、雑誌をひっくりかえして資料を探したものだ。
今はすごく便利だなあ。

それにしても。
きちんと絵の勉強をしたことがないということを痛感する。
描いてて、構図のとりかたが下手だなあと思うのだ。
どこがポイントなのかはっきりしている絵にしたいんだけど難しい。

資料を使わず、頭の中にあるものだけで描いた抽象的な絵のほうが、いいものが描けている気がする。
なんだか物を見て描くのがあまり上手くない。

2005年4月8日(金)

なんかもう、あれですね。

情熱がないと、絵なんて描けないです。
情熱だけあればいいです。あとはどうでもいいです。
ただ好きで、何の目的もなく描いていた昔の心を取り戻したいです。

今の私を縛るあらゆる邪念をどうしたらいいのでしょう。
たった2作品だけで、自分の腕の未熟さを感じ、詰めの甘さを感じ、スランプに陥ってます。
完璧主義のベクトルがマイナスの方向に向いています。

素になれ。内側にあるものを引き出せ。好きなようにやれ。楽しめ。
描きたいのはどんなものだった?使いたい色はどんな色だった?
思い出して、思い出して。

食べる時間も寝る時間もめちゃくちゃな日々。

2005年4月9日(土)

絵のことが気になって気になって、なんか気が狂いそうなくらいで、狭い部屋を行ったりきたりしていて、鎌○まで行ってお花見して喫茶店にはいってカラオケもしたんだけど、行きの電車の中からメールで絵を描く友人にアドバイスを求めたり、
(ほんと、返信、ありがたかったよ!)
カラオケでも苦しくて過呼吸起こしそうで心臓がバクバクで、結局、帰りに、私を作品展のオーナーに紹介してくれるアーティストに交通費払ってまで寄り道してもらって、私の猫の絵を見てもらいました。

葉書より小さい絵でも4000円くらいつけてもいいって言ってくれました。
(1000円くらいかなぁと思っていた)
オーナーに紹介してもぜんぜん恥ずかしくないと言ってくれました。
これで少しは眠れそうです。

それにしても自分の筋金入りの気の小ささ、自信のなさはほんと、異常です。
これだけのことでここまでオカシくなるなんて、情けなくってもう・・・。

だけど。前に進んでいこうと思っています。

2005年4月12日(火)

とにかく絵を描かないことには始まらない。今日は3作目を描いた。

うすくリキテックス(水彩アクリル絵の具?)で全体を塗ったあと、色鉛筆で細部を仕上げていくという方法を使っている。

作業所仲間のアーティストに「サインをいれてね」と言われたので「Mayu」と右下の空白に鉛筆でサインをいれてみた。
私の作品だという、しるし。

2005年4月13日(水)

起きたら10時だった。頑張ってお昼ごろ作業所に行った。
作業には間に合わず、掃除と太極拳だけやった。

3つの絵を並べて作業所のアーティストにゆっくり見てもらった。
「3作目は2作目と比べてちゃんと軌道修正できてる」と言われた。
自分で見てもそう思う。

私は池田あきこさんのわちふぃーるどの猫のダヤンの絵が大好きで、手元にある彼女の画集を時々開いて見ながら描いたりしている。
彼女も水彩と色鉛筆を使った作品をけっこう描いていて、影のつけかたとか、色の境目の処理の仕方など、参考になってるのかどうか分からないけど、じっと眺めたりしている。

もっと軽い作品を描いてみたいけど、デフォルメできるほどの腕は無い。
私にできるのは只ひたすら丁寧に描き込むことだけ。

ずっと息苦しくて、クラクラして、ちょっと辛い。でも厭じゃない。
この先やろうとしていることがたくさんあって。
楽しみなことも嬉しいこともたくさんあって。

なんだかハイで眠れなくなっちゃうのが困るけど。今、夜中の3時です。

2005年4月14日(木)

サックスブルーっていうのかな、この色使いたくて新しい絵を描き始めたのですが、空白をもてあまして大苦戦でした。

結局、左下にフランス語を書き込んでバランスとってみました。

Ce matin, je me suis reveille tot.

「僕は今朝早く目が覚めた」
(html表記できないため記号を省いています)

2005年4月19日(火)

手持ちのフレームが無くなり、100円ショップで買ったフレームに着手。

木肌の色が安っぽいのでイラストに合わせてペイント。
だけど絵もフレームの色も出来がいまひとつ・・・。

作品の出来にかなり波がある。シロウトだからこんなもんかな。
絵を描くってやっぱり難しいな。

2005年4月21日(木)

夕方まで布団の中で現実逃避してました。

猫の表情が思ったように描けない!何度もやり直し。
こうじゃないのにな~。最後まで納得いかない・・・。

サックスブルーの猫を最後に、気に入る絵が描けない。

2005年4月23日(土)

作業所仲間のアーティストに連れられて、○内のギャラリーのオーナーに会ってきました。
出来がいいと思う絵を3つ持って。
一緒に行った28歳のT君は、木工製品を持参。
灯かりをつけると猫の絵が浮き出るランプシェードと猫のパズル。
T君の電動ノコギリの腕前は信じられないほどスゴイです。神業です。(私も作業所で電ノコやったことあるのでわかるの)

いちおうオーナーに断られはしなかったので、第一段階クリア。
3人でカラオケもして、ファミレスでいろいろ語って、楽しい一日でした。
あとは搬入の日まで描きまくるのみ!

もう気に入らない作品は生みたくないので、心機一転。
サボらずちゃんと昔のように下書き→トレース→複写の手順を踏んで、次の作品を描いています。
下書きにおおまかに着色して配色のバランスもチェック。
今までは直にイラストボードに下書きから描いちゃってたのです。

今、7個目の製作途中で、寝る時間がもったいない。でも寝ないとなぁ。 

2005年4月24日(日)

黒猫がポストに手紙を投函しようとしてる絵に着手。
夜中の1時半までかかって下書きの複写まで終えて、我慢して寝ました。
今朝、天気予報チェックして洗濯、掃除のあと、着色にとりかかり午前中で仕上げました。
フランスのポストは黄色なんですねー。

用心深く手順を踏んだので、ほぼ思い通りの作品になりました。めでたし。
でもちょっとまとまりすぎかな・・・。

絵を描いてるのであまり食べなくなり、体重が減ってきています。ラッキー。

2005年4月26日(火)

み○とみらいにあるネットカフェへ、当事者同士の親睦会に参加しに行って来ました。

車椅子の店長さん、ちょっとカッコよかったなあ・・・。
また会いたいな。

サイドカーつきのバイクや、トライクという身体障害者用のバイクを運転させて貰ったり、先生にダンスを習ったり。ABBAのダンシング・クイーンで踊りました
(その前はマツケンサンバ2だったらしい)。

そのあと夜まで作業所の先輩アーティストとジョナサンでお茶しました。
楽しかったけど疲れたな~。
絵を描く気力が残ってません。

2005年4月28日(木)

今年はじめて日傘を差した。そのくらい暑かった。

だいたい1年に1回やってる歯のお掃除に行った。
この町で初めての近所の歯医者。腕は普通かな・・・。
くどいようだが私は歯をとても大事にしていて歯医者が好きだ。上手ならね。
歯茎チェックされ磨き方がスバラシイ優秀ですと言われ嬉しかった。
しかし口を一生懸命あけていると唇が痙攣するのを止められなかった。
おととしも歯医者で口だけでなく手足の痙攣が始まって、しまいには過呼吸発作を起こしたのでその記憶が頭をよぎった。

ウインドウズの歯医者用ソフトらしきものを使っていてちょっと驚き。
今はこんなのあるのねー。
診察台ひとつひとつにモニターが設置してあって、治療を受けながらPC画面が見られる。
患者ごとにレントゲンなどのデータを管理できるみたい。
(おまけに受付ではボタンを押すと滅菌済みのスリッパが出てくるというマシンまであって、なんだかハイテクな歯医者でした)

それから区役所へ。
区役所の女子トイレが清掃中だったので、障害者用のトイレに入った。
水を流そうとしてレバーらしきものを押し下げてみたら根元から簡単に折れた。
あっらー。と思って水を流すレバーを探したら他の場所にボタンがあった。
謎の金属棒を持って職員に「これ折れちゃったんですが」と渡した。
「そ、そ、そうですか・・・えーと・・・いちおう、お、お預かりします・・・」
なんでだかわからないけど、その人、ものすごく緊張してた。 

2005年4月29日(金)

昨日も今日も寝逃げしてて絵かいてない~。
一週間に最低一個は描きたい。で、夕方から奮起。

パリ猫のネタが思い浮かばないのでオードリー・ヘプバーンの映画「パリの恋人」のポスターを真似してみた。
いちおうエッフェル塔もうっすらと入ってるし・・・。

でもロゴとかエッフェル塔とか苦労した割には出来がイマイチ。
色鉛筆の割合が多くて小学生のお絵かきチックだわー。
使うつもりだった白木の額縁に入れてみたら色彩がぼんやりした感じ。
なので手持ちの中から別の額縁を選び、その大きさに合わせてイラストボードをカットした。
他の作品と並べてみたらこれだけ路線が違うなぁ。まあいいや。

2005年5月1日(日)

昨日の夜は母がアパートに泊まりに来た。
朝、いつものように落ち込むことを言われた。
相変わらずありのままの私を褒めてくれない人です。
母の理想はよくわかってる。だってきっと未だに、それが私の理想だもの。
だけどそんなの嫌。私は私の理想を持てるようになりたい。

私は母親の批評にとても弱い。ホントに弱い。
母の言うことはある程度無視しないと生きていけない。
だけど一番認めて欲しい相手もまた母であるわけで・・・。
来てくれるのも楽しみにしているわけで・・・。

夕方までたっぷり寝逃げ。だけど負けないぞー。
せっかくやりたいことができたんだ、絵、描くぞー。
と起き出して新作に手をつける。
構想と下書きはだいたい昨日すませてた。

私と同じように寝逃げしてる猫。
「寝逃げ」なんていう言葉、
一般的じゃないからタイトルにはできないけど。

フレームと絵の色調の組み合わせが難しい・・・。
赤のチェックのシーツが派手すぎてテーブルクロスみたい(笑)になったので、あとから白をかさねて淡くしてみた。

9つの作品を出窓の周辺に集めて飾っている。ミニ個展状態でおもしろい。

2005年5月2日(月)

なーんにもしてない日。

残ってる大根とニンジンを千切りにして塩もみ、水切り、マヨネーズと白すりゴマを混ぜて昼食と夕食に食べた。

絵にタイトルつけなくちゃいけないんだけど、あとでいいや。
値段も考えなくちゃいけないんだけど、あとでいいや。
値札と納品書も作らなきゃいけないんだけど、あとでいいや。
おまけに名刺も作らなきゃいけない。これもギリギリでいいや。
スキャナとプリンタの複合機は、GW中には買いたい。

うーん。タイトルちょっと考えておこうかな。

「もうすぐ逢える」
「びっくりフランスパン」
「あこがれ」
「ボクは今朝はやく目が覚めた。」
「朝市で」
「眠りたくない夜」
「ポストにおねがい」
「パリの恋人」
「まひるのゆめ」

うわー。タイトルつけるのって恥ずかしー。

2005年5月3日(火)

母にとりすがって泣き喚き何やら猛烈に訴えている私。
いくら叫んでも冷笑するだけで相手にしてくれない母。
悔しくて悔しくて、泣きながら家出の準備をし始める。
ここで目が覚めた。ああ夢か。・・・疲れたなぁ。
もう一緒に暮らしていないじゃないか。
夢から醒めて初めて一人だって思い出すことが多い。

食料の買出し。食料が殆ど無くなるまで買い足さず、いつもまとめ買いするから非常に重たい。
地面に置いて休んだり、右手、左手、と頻繁に持ち替えながらヨロヨロ歩く。
アパートの階段で一瞬後方にバランスを崩してヒヤっとした。
今のアパートは一階にもロフトがついていて天井が高く、2階への階段は急だし直線で長いしで落ちたら本当に危ない。
手すりも、とっさには掴まりにくい平面の壁だし・・・。

冷蔵庫に食料をしまってから○○駅まで。
駅のベンチで夕方の薬を飲む。
夕方は9錠と1包。がさごそ取り出して次々と口に入れる。
隣に座ってる人の視線を感じた。
この量は風邪なんかじゃないな、とか思われてるのかな。

ヨドバシで念願の複合機をGET!
プリンター、スキャナ、コピー機のオールインワン。素晴らしい!
スキャナの解像度が1200dpi。今まで使ってたのなんて350dpiですよ。
色鉛筆の淡い色彩と質感をどこまで拾ってくれるかな。
ヒューレット・パッカードで15,800円なり。意外と安くて助かるなぁ。
重さが7kgもあって、アパートまで運ぶのがこれまた大変だった。
よって開梱・接続する気力が残ってないのでまた明日~。
でもたぶん明日も出来ないな。
元町の美術館に3人で行く予定があるからー。

2005年5月4日(水)

インクジェットカラープリンタとスキャナ(古いけど壊れてない)が欲しい方、もしいらっしゃるようでしたらメール送信か書き込みしてください。
もちろん無料でお譲りします。捨てちゃう予定ですので。

3人で○浜の「猫の美術館」へ。
どうしても単なる観客として作品を楽しめなくなってる。
自分の絵と比べてしまってなんだか落ち込むのです。
やっぱり違うなぁ、付け焼刃の私の作品とは~。アタリマエだけど。
私も描き続けたら、こういった魂が感じられるものを
作れるようになるのだろうか?

ガストで夜中の11時半くらいまで語って過ごす。
「ファミレスでこんなに長時間喋るのなんて学生以来だよ」
「この3人でいると根っこが生えちゃうね」
「まあ居心地がいいってことでしょ」と男性陣。

作業所仲間のアーティストもT君も非常にアタマのよい人です。
本当に物知りで、冗談もハイレベル。時々、会話についていけません。
そういう時はぼーっとしていたり「それってなあに」と訊いたりしてます。
話がわからなくてもさほど気にはならないです。
私は私で、ありがたいことに素のキャラで楽しんで貰えてる様子なので。

T君が折り紙の本と大判の折り紙を貸してくれた。
T君が以前ファミレスで紙ナプキンでいつの間にかカンガルーを作っていて、私も覚えたくなって「マニュアルある?見たいなあ」って言ってあったのだ。
でもマニュアル見たら、相当難しそう。今はやる余裕ないな~。
これを覚えてしまっているT君ってやっぱりスゴイ。
ギャラリー終わったら挑戦しよう。
私も昔、チラシでキャタピラとか作ってたなあ。
折り紙ってあなどれない。凄く奥の深い文化ですよ。

2005年5月5日(木)

なんだか一日動くと翌日は完全休業にしないとキツイみたい。
今日は友達のカップルが遊びに来た時間以外はずっと寝てました。
当然スキャナプリンタを接続する気力もない。

夜の11時ごろに目が覚めて、シャワー浴びて、ストレッチ。

絵は上手い下手じゃなくてやっぱり情熱ですね。
知り合いの女の子が詩画集を出しているんだけど、その絵を見ると「絵が大好き」という気持ちがすごく伝わってくる。

私にはそこまで絵に執着ないからなあ・・・。羨ましい。
だけどやれるだけやってみたいのです。

作業所仲間のアーティストが「あなたのピアノが聴きたい」と言うので、過去、練習用に録音していたテープを引っ張り出して聴いてみた。
映画「ピアノ・レッスン」のサントラ、マイケル・ナイマン『ビッグ・マイ・シークレット』、『ある愛のうた』、あともうひとつテープに入ってたけどもうタイトル覚えてない。それと発表会で弾いたカスキ『夜の海辺にて』。
しかし今は忘れちゃって弾けない曲ばかり。とほほ。
ピアノ・レッスンで口の利けない主人公が砂浜で演奏しているシーンがある。
その時の曲『楽しみを希う心』が大好きで一時期そればかり弾いていた。
でもこれももう弾けなくなっちゃってる。
6畳のワンルームでは電子ピアノさえ置くスペースがなくて。
ピアノはやっぱりいつも弾いてなくちゃねー。
でもしばらく練習すればまた復活できるんじゃないかなとかと思ってます。

2005年5月7日(土)

絵より気になることがあって。
描かなきゃと思うんだけど、それより気になることがあって。
それはくだらないことなのかも知れません。
でも大事なことかも知れません。
なんとなく模索してみたけど、わからないまま今日も一日を終える。
そもそも、くだらないことこそが、大事なことかも知れないしね。
ああ、やだな。禅問答なんてしてる暇はないよ。
人生は、とっても、短い。
Time flies like an arrow. 

2005年5月9日(月)

黒い靄に捕まって身動きが取れなくなって、それでもなんとかして動かなくちゃいけない時は、音楽をかけて思い切ってひたすら大声で一緒に歌う。
心が騙されて手足に力が戻るまで機械みたいに歌い続ける。

2005年5月10日(火)

不安です。不安です。
怖い。何が?

 嵐の夜はベッドで抱いていてね
 心が風に吹かれて飛ばされぬように

こんな歌あったな。

だけど私はきっと今誰に抱いてもらっても、誰に抱いてもらっていても、生きているのが怖いのです。

嵐が過ぎ去るまでひっそりと這いつくばって耐えてみるしか無いのです。

もうじき、私と血の繋がった新しい命がこの世に誕生する。
姉のお腹の中で10ヶ月、成長しながらその日を待ち望んでいた命。
こんな気質を受け継ぐことなく、元気に飛び出しておいで! 

松田聖子さんの『抱いて…』の歌詞です。

2005年5月11日(水)

また一日寝逃げしてしまった。
たぶん出掛けないと悪循環なのだろう、わかってるのだけど、朝、ギリギリまではいつも仕事場に行く気なんだけど、くじけてしまう。

絵もずっと描いてない。
ネットでなんとなく「絵が描けない」で検索してみたら、絵が下手だけど描きたい人のためのサイト、にたどり着き、ざっと読んでみたけど私の現状解決には役に立たず。

夕方、作業所仲間から電話があって、「生きてるかー?」と訊かれた。
電話をしながらPCでジョン・デンバーのカントリーロードを流して、ちょっと一緒に歌った。

彼は機械嫌いで、PCのことはぜんぜんわからない。
「パソコンの中にジョン・デンバーがいて歌ってくれるの?」
「うん、いるんですよー」とか適当なことを言ってみた。

しばらく会話して、
「ちょっとは元気になった?」と訊かれて「はい」と答えた。

2005年5月12日(木)

あまり認めたくないことなんだけれど、私は母親が私以外のことで忙しいのだと思うだけで、調子が悪くなる。

旅行に出かけている時。
仕事をしている時。
姉の面倒を見ている時。

どうにかしたいが、どうにもならない。
夢の中でさえ過食している。
何かで心を満たそうと必死になっている。

歯医者で先生に抱きかかえられながら、お母さんお母さん、と猛烈に泣いて暴れている小さな女の子。
怖いんでしょう。すごく怖いんでしょう。
電気ドリル。脳に響く振動。こんなことされて怖いに決まってる。

私は大人だから平気だよ。
だけどあなたと同じなんだよ。

2005年5月13日(金)

朝、なぜか突然母親から「早く起きなさい!」と強烈なモーニングコール。
おはようメールも届いて、8:30にずるずると布団を出た。
GWあけてから初めて作業所に行けた。
遅刻もしなかったし。よしよし、頑張ったね、私よ。

犬とネコのプランタースティックのペイント作業。
ミニチュアダックス5匹、ダルメシアン(101匹ワンちゃんの犬ね)5匹を仕上げた。
さあ次は、とシェットランド・シープドッグに手をつけようとしたところ、同じくペイント作業をしていたK君から「これお願いします」と未完成のダルメシアンを大量に渡された。
「え、模様、描かないの?」と訊いたら、ダルメシアンの仕上げの黒ブチ模様をバランス良く描く自信が無く職員に言ったところ、「○○さん(私)に頼んでください」と指示された様子。
なんだかな。目鼻とか途中まで塗ってあるんだけど、正直、塗り直したい・・・。
でもそこまで私が責任持つことじゃないや、と思いなおす。
職員がいいって言うんだし、頼まれた通り模様だけ描こうっと。

隣の席でペイントをしていたおじさま(55歳)が、すごく嬉しそうに言う。
「タコがイカに言いました。おまえは人間に干されて食べられちゃうんだよ。するとイカは答えました。さてなんと言ったでしょう?」

「・・・(そんなこと)するめぇ。」すぐわかってこう答えたんだけど、私は駄洒落が嫌いなので答えてしまう自分が嫌でした。はい。

2005年5月14日(土)

友達がプリンターを受け取りに来てくれました。
遠方から来てくれてありがとう。プリンタも喜んでいるでしょう。
ひさびさに会ってお茶しました。元気そうでよかったなり。
かなり重たいので、無事に持ち帰れたかなー。

2005年5月15日(日)

今の私に人に伝えたいことなんてあるのかな。
とか思いながら絵を描いてます。

絵を描くって大変。本当に思い通りにいかない。それに、何の目的も無く描いている時のような個性が出ていない気がします。

こげ茶色のフレームに合う絵を描きたくて、新しい下書きに着色してみたけれど、つりあう配色の絵が描けない。
自分なりに写真集などを見ながら研究してみたのにどうしてなの、白いフレームのほうが断然似合う。
なので気に入らない絵を入れていた白いフレームを使うことに。
今までで一番気に入らない絵は、あまりに下手で売りに出すのすらはばかられるフランスパン切ってる猫。

「頑張りすぎの病気なんだから、もう無理に描かなくていいんじゃない?」
と、カラオケのあとでお茶している時に友達が言ってくれた。
だけどダメね。苦しくても最後までやめることは出来ないみたい。

「あきらめましょう、あきらめましょう~。リセットしましょう♪」
一時期どん底まで落ちた華原朋美が歌うので妙に説得力があるこの詞。
明るくスッキリあきらめるのも、大切なのかも知れないけど。
やっぱりまだベストを尽くしたいのです。

2005年5月16日(月)

眠れなかったので徹夜で絵を描いてました。

洗濯、布団干し、掃除のあと、寝ました。
起きたらもう診察の時間。

「絵、頑張って描いてますか?」
「はい、でも、もー下手で・・・かくかくしかじか」
「上手ですよ。あのままの絵で素晴らしいです」
先生、ありがとう。

薬減らせないでしょうかと訊いてみたけど、今はダメだなあという返事。
ううむ、ダメか。

隣駅まで歩き、100円ショップで額縁を購入。
絵とフレームの色のバランスってほんと難しい。
新しいことに挑戦していると、新しい発見がいっぱいある。
やっぱり何かしら目標があるって、心にはいい薬。
苦しいんだけど、充実してる。

「高ければ高いほど、ハードルを越えた時、気持ちいい!」

入院していた頃大好きだった友達が、退院する私に送ってくれた言葉のひとつ。
私はまさに今、めずらしく高いハードルに挑んでいるのさ。
だめでもともと。うまくいかなくても、やらずに後悔するよりずっといい。

2005年5月17日(火)

午前は作業所でペイント、午後は生活保護と障害年金の講習会に参加。
でも殆ど寝てました・・・。

作業所のアーティストが私の感受性とセンスを褒めちぎってくれる。
こんなに繰り返し繰り返し内部の見えないモノを褒めてくれるのは、今は年賀状だけの付き合いのピアノの先生と、仕事場の先輩の彼だけのような気がする。
あ、もちろん先生もだ。

褒められるのは嬉しいけれど、素直に喜べない自分がいます。
狭い世界の中で有頂天になりそうな気がするんです。
井戸の中にいるカエルにはなりたくないんです。

2005年5月18日(水)

昨日わたしのこと好きだった気がした人が、今日はわたしのことを嫌ってる気がすることがある。
そんな時に限って友達にも嫌われてるんじゃないかと思う出来事がある。
また別の人へのメールの返事も来なかったりする。

どのみち大した事ではないのだろう。
だけどそんな些細な事ひとつひとつが、どうやら多大な影響力を持っていて、”なんとなく不調な”私を作ってしまうこともある。

「納品を控えてるから明日ちゃんと来てね。あてにしてるから」
そう言われてなかったら今日、休んでました。
体が辛いのなんのって。
頑張って昼から行ったけど、20分作業しただけでダウン。
台所に閉じこもって突っ伏してました。

昨日、私と出品仲間の彼、ファミレスに7時間も居たんだって!
これも言われなきゃ知らなかった。
しかもドリンクバーだけで・・・。

無事に甥っ子が産まれました。
私は男の兄弟がいない環境で育ってるので、次は男の子がいいなと思っていたの。これから楽しみだ。
どんな子に育つかな。 

2005年5月19日(木)

ハイタッチっていいですね。「イエーイ」って。楽しい。

偶然が重なっての軽い孤独感はまるで神様が日記を読んでいるかのように、原因が次々と私の思い過ごしだったと知ることになり、消えていった。

思う存分、寝た。

そしてオールインワンプリンタを、ようやく接続した。

ペディキュアを落とし、塗りなおした。

幼い頃、叔母が私を見て
「この子は本当にスタイル悪いねえ」と言った。
私はひどく傷ついたが、感情を表すすべを知らなかった。
叔母にはまだ言葉の意味がわからないと思われていたのだろう。

中学の頃、体操部の顧問(大学出たばかり)がみんなの前で私に怒鳴った。
「お前みたいなやつ、俺は大っ嫌いなんだよ!」
解散後、私はその場で泣いた。女の子たちが慰めてくれた。
今なら、彼も14歳の子供にそんな罵声を浴びせたりしないだろう。

大学病院で秘書をしていた頃、私を目のかたきにしていたボス秘書が「近寄らないで!鳥肌が立つ!」と私に向かって叫んだ。
喧嘩になりかけたが、仲裁が入って教授室に戻るしかなくなった。
席に戻ると、私は声を殺して泣いた。友達にメールをした。
返信を貰って、涙を振り払って仕事を続けた。
今も彼女はそこで働いているのだろうか。

嬉しいことのほうが何倍もたくさん言われてきたはず。
でも嫌なことほど鮮明には、思い出せないものなのだ。 

2005年5月20日(金)

カラオケ2箇所行って、お茶して、また別の友達とビリヤードとカラオケ。
一日でカラオケ3箇所もハシゴしたのは新記録かもしれない。

ちょっとショックなことがあった。
久しぶりにビリヤードでナインゲームをしたら、なんとブレイクショットが出来なくなってた!
何度か試したけど、何故だか当たらない。薬のせい?疲れのせい?
今まで、ブレイクではずすなんて皆無だったのに~。
これじゃもう人に「ビリヤード、初心者ではないよ」とは言えないよ。
2ゲームともナインを早めに落として勝ちはしたけど、その前にブレイクが当たらないなんて、お話にならないわ。
時間が出来たら、またひとりでビリヤードの練習しに行くかも。

2005年5月21日(土)

「あなたは言い逃げするよね」
「言い逃げってなんですか?」
「いつも一番おいしいところを持ってく発言をするよね」
「今週の踊る!ヒット賞は~。ってやつですか」
「それなに?」
「うーんと、MVPとかってことですか」
「そうそう。天然ボケなんだよね」

天然ボケというのは自分では分からないので、失言をしているのではないかと思ってしまう。

昨日、ちょうどアパートに辿り着くころ、「寂しいから一緒に遊んでくれ!」と友達から呼び出しがあり、近所のカラオケで夜中の3時まで歌っていた。
一日中動いててもうグッタリなのに、長い付き合いのカラオケ友達の意図的な選曲は見事に私のツボを刺激する。
どんなに疲れていてもつい大声で一緒にハモリまくってしまうのだ。
W(ダブルユー)『恋のフーガ』、井上陽水・奥田民生『ありがとう』、少年隊『仮面舞踏会』、シブがき隊『NAI NAI 16』、ビリー・バンバン『白いブランコ』『さよならをするために』、岩崎良美『君がいなければ』(アニメ「タッチ」のエンディング)etc.・・・。

昼近くに起きて、週末のルーチンワーク。リネン類の洗濯、布団干し、掃除。
そして猫展の準備にとりかかろうとしたけれど、どうにもダルい・・・。
とりあえず現実逃避決定。借り物の漫画「スラムダンク」を読んで、昼寝。

夕方からようやくプライスカードの作成に取り掛かる。
たかが10作品の値札、すぐできるさとあなどっていたが、
久々にWordを使い文字のバランスや余白を調節し、ラベルシールに印刷、余り物のイラストボードに貼り付けてカッターで切断、なかなか綺麗に作れず何時間も費やしてしまった。

納品書も、あとはプリントアウトするだけ、というところまで仕上げた。

さて次は絵のデジカメ撮影と、スキャンだ。
新品の複合機の使い勝手やいかに。

2005年5月22日(日)

災害時の用心として10日分程度の薬はストックしておいたほうがいい。
そう言われてみればそうなので、昨日は睡眠薬を使わず寝てみた。
そしたら起きたのが昼の1時。
それなのに徹夜明けみたいにだるくてまた寝てしまった。
薬の効果は短時間での深い睡眠だったのだな。

というわけで殆ど一日中寝てたってことなんですが、当然スキャナも使ってないってわけですよ。
名刺も作成ソフトで作らなきゃならないのに~。

作業所の先輩に好きだと言われた。ああ・・・。
私も好きですよ。でも恋愛感情じゃないとは伝わった。

知り合いがお手製おにぎりの画像をくれたので、ご飯が食べたくなり、久しぶりに炊きました。
最近、ご飯食べてなかったのだ。
たまねぎ、さつまいも、ワカメ、長ネギで具沢山の味噌汁も作った。
やっぱり手作りって美味しいなー。幸せな夕食でした。

2005年5月23日(月)

仕事場の先輩のことが気になって落ち着かなくて仕方が無い。
歯医者をすっぽかして寝逃げ。
母に電話してみたけどなんだか「馬鹿馬鹿しい」という感じのあしらい。
心療内科はすっぽかすわけにいかない。
腕をさすりながら先生に色々と聞いてもらう。
まあ様子見だね、と言われる。
友達にメールで相手して貰う。
薬を貰いに行き、食料の買出しをして、帰る。
アボカドまるごと一個食べてしまいちょっと気持ち悪くなった。
その上コーンの缶詰を1缶食べてしまった。うわー。

2005年5月24日(火)

——- トップページのメルアドへメールを下さった方、サーバー不調でメール受信できず、しばし格闘しましたが原因が分かりませんのでいったんサーバーにあるメールを全て消去します。ここ2日くらいの間にメールして頂いた方は、申し訳ありませんが別の連絡方法でお願いします。————-

木工職人のT君が私を手招きして、新作を見せてくれた。
白いアクリル板で作った家の形をした、猫の影絵が映るフットランプ。
私はもう絵を描く気力が残ってない。
作業のあと、ケースワーカーと職員二人とで個人面談。
今までのことたくさん喋った。
これからのこともたくさん喋った。
自分の言った台詞がずっと頭の中で回っている。
なんだか、格好つけてる。私。やっぱり。

男性職員が言った。
○○さんはなんでもできるから。
○○さんはなんでもできるから。
そうかもしれない。だけど単に生きることが、人より出来ない。
何もないのに、こんなに疲れているんです。

2005年5月26日(木)

電車を二つ乗り継ぎ、バスに揺られ、美容院へ行った。
Tさんが私を見るなりそばに来て手をとって迎えてくれた。
「おー、○○さん!元気?・・・ちょーっと疲れてるかな?」
うん。かなりヘロヘロです。
美容院はTさんがいつもフンワリと優しいし、カットも上手だし、シャンプーして貰ったりブローして貰ったり飲み物出して貰ったり、私にとってすっかりヒーリングサロンと化している。
カット5000円、カラーリング5000円、(そしてなぜかいつも10%引き。貧乏がバレてるからか?)高いと言う人もいるけど、旅費を入れてもぜんぜん惜しくない。
終わって店を出て少し歩き、たまたま後ろを振り向いたら、Tさんは私の姿が見えなくなるまでドアのところで見送ってくれていた。
ああ、何年か前、元○でカットモデルにスカウトされためぐり合わせに感謝。

昨日、作業所のあと、知り合いのアーティストの作品がおいてある近所のギャラリーカフェに連れて行ってもらい、オーナーさんに紹介され、しばらくコーヒーをいただきながら喋った。
途中で親子連れの近所の人が来て、知り合いはそちらとも気軽に喋っていた。
でもすぐに「じゃあそろそろ帰ろうか」と私に言い、店を出た。

帰り道、靴擦れで痛い足をかばいながらトボトボと2駅分の距離を歩き、こんなにこんなに生きるのが下手で不安なら、もうやめたほうがいいのかなとぼんやりした景色の中で久しぶりに思った。
歩道橋を渡っている時、飛び降りるところを想像した。
横断歩道を渡っている時、車に轢かれるところを想像した。

帰ってから、昼間一緒だった彼が心配してメールを続けて2通くれた。
それから電話で話した。
初対面のオーナーさん一人を相手にするだけで、もう私がいっぱいいっぱいだったと彼は分かっていた。
そして「目にいつもの力が無かった」と言われた。
私の調子があまりにも悪そうだったので、自分がうろたえる余裕が無かったと。
私は彼が私と普通に喋ってくれることが有難かった。
その程度には大人であってくれて、本当に有難かった。

そして。対人恐怖が酷く挙動不審だった私が、当時とても憧れていた高校のクラスメイトからのメールに信じがたいくらい嬉しい言葉が。

 あの頃の友達ではまゆちゃんが一番好きだったんだよ

2005年5月27日(金)

スキャナを使って猫イラストを取り込み、カラープリントした。

・・・と書くと一行で終わってしまう作業に7時間くらい費やした。
使い慣れないソフトで余白がバランスよく印刷されなくて・・・疲れた。
夕ご飯も忘れてずーっとやってたらかなり辛くなってきていて、友達からの電話で言われて気づいて、少し食べて薬を飲んだらだいぶ楽になった。

まあそこそこ綺麗に印刷できました。
あとはWEB上でどうなるかですね。
試しにイラストギャラリーの12番「はじまり」だけ差し替えてみました。
古いスキャナで取り込んだの画像との違いが顕著には判らないんだけど、並べてみると実物の色合いに近くなってはいるみたい。
デジカメで撮った画像をカラープリントしてみたりもしたけど、なんかどの方法が一番いいのかよくわかりません。
スキャナの解像度、上げればいいってものでもないみたいで。
あ、原画をカラーコピーする、っていう手もあったな。
スキャンした画像をカラープリントするのと、どう違うんだろう?

さっきまでカラオケ友達と電話で一緒に1時間くらい歌って遊んでました。
三十路過ぎてるとは思えないことしてるな。 

2005年5月29日(日)

ようやく名刺作成ソフトをインストールして名刺を作った。
どうやら表面がつるつるの名刺専用の紙を使っているせいらしいが、印刷が進むにつれて印字位置が微妙に左にずれていくので困る・・・。
それにしても自分の写真を入れてデザインしてしまうという自己顕示欲、なんという図々しさか(笑)
改めて見るとまだ作り直したくなるけど、とりあえずはいいや。
明日はギャラリーへ納品の日。

2005年5月30日(月)

ギャラリーへ納品の日です。
雨の中、3人で待ち合わせ。
さっそくスペースを確保して各自作品をレイアウト。
私は小さい絵が10個しかないのですぐ終わったけれど、仲間がミニチュアを300個も持参していたので少し手伝った。
木工職人のT君のランプシェードはコンセントをひいて、パズルもどうにか設置。

他の人たちの作品も色々見て、いやー、やっぱりみんなスゴイなぁと思った。
私のイラストなぞ陳列させてもらうだけでも気後れします。

それと名刺はどうやら作り直した方がいいみたい・・・。
自分の写真をいれるなんて役者関係の人しかやらないとか。

りっぱなヒゲのかっぷくのいいおじ様が作品を広げていて、「わー、皮細工なんですね。すごいですね」と話しかけたら「そうなんですよー」と気さくに答えてくれたのだけど、あとで相当有名な作家さんだと知らされた。T君も知ってた。ぎゃふん。
有名なのにちーっとも威張ってないところが素敵。

2005年5月31日(火)

複合機、どうしても納得できない不具合が発覚。
どう紙をセットしても、どの紙を使っても、印字位置が微妙に左にずれていくのだ。
それがわかったので早速電話で○ドバシにクレーム。

私の買った製品だけが不良品なのかと思っていたら、ヒューレット○ッカードの前面給紙製品はみんな位置がずれるだとか、しかも箱がないと返品は出来ないなどと態度の大きな店員に平然と言われ、久しぶりに相当アタマにきて、数回電話でやりとりしたんだけど、店員に返品承諾してもらうまでかなり時間がかかりました。

天下のヒューレット○ッカードの複合機だよ?!
A4一枚で判るほど印字位置がずれていくの当たり前だなんてあり得ないし、100歩譲って仮にそうだとしても何の断りもなく販売して許されると思う?!

担当の人(たぶん機械オタクのバイト)が話してもらちがあかないので、しまいには本社の広報担当に電話で怒りをぶつけました。
(それも最初から「広報の番号教えてください」と言ったのに、繋がったのは「お客様センター」でしたよ!怒)
疲れた・・・。

広報に電話したのが効いたのでしょうか、バイト君の態度がコロっと変わって、複合機はもちろん、保証も、だいぶ使った後の専用のインクも用紙もお金を返してもらいました。
それから信用できそうな社員に、実際に店頭で持参した自分のイラストをスキャンしてプリントしてもらったり、相当吟味した上でエプソンのカラリオPM-A700を購入。

また繋ぐのかあ~。あああ。作品も持ち帰ってスキャンしなおす予定。

2005年6月2日(木)

ギャラリー開催2日目。イラストが売れました!バンザイ!
普通写真くらいの大きさで5,670円の値段をつけたもの。
ポストに手紙を入れようとしてる黒猫の絵です。

スタイルも服のセンスも物凄くカッコイイ綺麗な女の子が、台の上に陳列されてた私の絵をひょいっと・・・。
こんなに垢抜けた子が、およそ50人もの作家が出品してる中で、ド素人の私の絵を選んでくれるなんて!!

本当に嬉しいです。
指導してくれた仕事仲間も喜んでくれて帰りにファミレスで乾杯。
もう打ち上げしたいくらいです(笑)まだ先は長いのに。
ちなみに木工職人のT君のフットライトは初日に3つもオーナーさんがお買い上げ。
紹介した人が二人とも売れたので師匠も一安心だろうな。
もちろん師匠の作品は2日目にしてすでに10個くらい売れてます。

ところでエプソンのカラリオPM-A700、よく頑張ってくれてます。
返品したヒューレット・○ッカード1610が困ったちゃんだったので、なおさらカラリオが使いやすくて良い子に思えます。
昨日、徹夜でカラリオ接続して絵を全部スキャン・プリントしてみたのですが、相当こまかく色鉛筆の質感などの情報をひろってくれてなかなか優秀。
デザインもシンプルだし色がオフホワイトなのも目障りにならなくて良いです。

キャノンの複合機の方が仕上がりの色は綺麗だと言う話なんだけど、一番安くても3万する。それはちょっと貧乏人には厳しい。

2005年6月3日(金)

なんか何もしなかったです、今日。ギャラリーに行くのも休みにした。
ずっとネットしてました。放置してたブログにレスしたり。
夕方に郵便振替の口座つくりに郵便局へ。
猫展の売り上げの振込み用です。
でも窓口手続きが4時までで、もう過ぎてた・・・。
それにしても部屋が散らかり過ぎ。
いつもは綺麗にしてるんだけど、今は人を呼べない状態です。
画材やら印刷物やら散乱してます。まあ仕方ないや。

久しぶりに思い出した小説と漫画の話。
氷室冴子の小説「なぎさボーイ」「多恵子ガール」「北里マドンナ」etc.。
他にも彼女の作品は13歳くらいの頃かなあ、かなり読んだ。
コバルト文庫にハマってた時期があったのよね。
それこそ輝け青春まっしぐらという感じでしたね。みんな一途で、切なくて。
実際の私はだんだん対人恐怖の片鱗が見えてきた頃でしたが・・・。
他にコバルトでは藤本ひとみとか。
恋愛経験が殆どない頃だったし憧れたなー。

山岸涼子の漫画「天人唐草」「汐の声」。
山岸先生の作品は、どれを読んでもハズレがないと断言できます。短編では上記の2作が一番印象的かな・・・。どれもスゴイんだけどね。私の言葉ではとても説明がつきませんのでとにかく読んで貰いたいです。「天人唐草」なんて最後までとことん救いが無くて、これでもかという展開で、まさに主人公が自分と同じ育ち、思考回路を持ってると感じました。私も最後は狂気というオリの中でしか自己解放できない人間になるのかと、本気で恐ろしくなりましたね。今ではたぶん大丈夫になったと思えるけど。ここまで色々な種類の人間の心理を究極まで追求して表現できる人って、そうそういないと思う。本当にものすごい漫画家さんです。
「汐の声」はホラー。山岸先生はホラーも描くんだけど、とにかく怖すぎ。私はホラー漫画も小さい頃から沢山読んできたけど、これはハンパじゃないです。ほんとにほんとに怖かった・・・。神経症の発作を経験した後の今の私には怖くないのかも知れないけど。他の作家さんのわりと最近の「座敷女」もあちこちで怖いと言われてますが、私には普通に面白く読めるという域を出るものではなかったです。
山岸先生、長編では「日出処の天子」がイチオシかな。仏教の世界を、魑魅魍魎を、もう芸術として美しく妖しく作品全体に生かしてる。無論これも人間の深層心理の描写で相当読ませる作品です。高校生だった私はラストには涙が止まりませんでした。母子ものにとことん弱かったので、ものすごい打撃を受けましたね・・・。少女漫画なのに乾いた硬質な画風も特徴的です。

ああ、世の中にはすごい才能を持った人がたくさんいて、生きてるうちに全部に触れることはとても無理だなぁとつくづく思うのです。

2005年6月5日(月)

昨日の晩、突然スイッチが入って久しぶりにおかしくなった
(ACの発作というんだろうか。どうなるのかは説明できない)。
たまたま一緒にいた友達が説得してくれなかったら、今回ターゲットになった男性がある程度大人で真面目な人でなかったら、歯止めがまったく利かなかったと思う。
で、今日は夜の予定だった診察を午前にしてもらった。

神経すり減らして疲労困憊モードで病院に行き、恋愛感情なのかアディクションなのか区別がつかないと言ったら「どっちでも同じ、今は避けたほうがいい」との先生のお言葉。

私は最近ほとんど化粧をしなくなっていて、口紅もつけないのが普通になっていたのだが、例の彼が「こういう色の口紅なら合うと思うよ」と言ったピンク色を手持ちの口紅を混ぜて作ってみて塗った。
服はモノトーン、チークとネックレスとバングルはピンク系のものをつけて、1時頃からギャラリーに顔をだした。
彼がとても似合ってると言ってくれて嬉しかった。

月曜日ってあんまりお客さんが来ないのかな。わりと暇で、オーナーさんや娘さんと会話したりお茶やお菓子を出して貰ったりしながらのんびり過ごした。

深入りしたくないと思っているのに、帰るとき彼と別れるのが寂しい。

2005年6月7日(火)

夜眠れなかったし、なんだか自分が怖くてどこにも行かず寝ていた。

昨日、ギャラリーの帰りに仲間の男性といつものようにお茶した。
私が調子が悪かった時の昔の彼とのやりとりを話したら
「私には重たすぎる・・・」と言われた。

私にはそれが「重荷すぎてあなたを受け止められない」と聞こえた。
もう私の症状が手に負えないレベルだと思われたと解釈し落ち込んだ。

だけどあとでそういう意味ではなかったと、夜、本人と話してわかった。
「あなたがそうやって傷つくのが自分には耐えられない」という意味だった。
と打っていても明確には把握できてないんだけど。

とにかく私のことを心の底から愛してるのだと改めて言われた。
経済的なことを補ってもあまりあるほどのものを持ってると言われた。

そんなこと敢えて自分から言うものではないような気がしたし、まだ日が浅くて判らないでしょう、と言ったら「断言できる」との返事。
「ゆっくり時間をかけて何がいけないの、医者に止められてるなら半年でも一年でも待つよ、経済的なことも一年以内になんとかする」と。

あなたはどう思ってるの。あなたの意志はどこにあるの。
そう問われて私は何もハッキリとは答えられなかった。

嫌いじゃない。むしろ大好きなのだけど、なんだか育った環境も価値観も違いすぎる気がする。
彼は「普通じゃない」ことに重きを置いている種類のひとだ。
私は「普通」であることへのこだわりを捨てられないでいる。
誰から見ても、社会的にも、「普通」と思われる状態でいたいのだ。
自分は病気のくせに(いや病気だからこそか)、健全な精神と肉体を持ち普通に働いている、安定した人と付き合いたいのだ。
なんのために?誰のために?それすらよくわからないのに。

私はもうそんなに若くなくて、昔のように好きだという気持ちだけで突っ走ることは出来ない。
このまま離れられなくなってしまうのが、とても怖いのだ。

2005年6月8日(水)

とある男性と電話やメールでやりとりしていたら、とつぜん、すべてがばかばかしくなってしまいました。

今日、私の絵、3つ目が売れたそうです。

目の前に事実がある。それだけのこと。いつも、それだけのこと。
何に怯えて、何を慌てていたのだろうか。
私はここにこうして生きている。
今はずっと眠れないわけでもご飯がまったく喉を通らないわけでもない。
「あした会社に行けるかどうか」しか考えることができないわけでもない。
死にたいと思うことも少なくなってきた。

遊んでくれる友達も、心配してくれる友達もいて、好きな歌をうたって、一生懸命描いた絵をすこし人に買って貰えたりなんかもして、それを普通に喜んでくれる優しい姉もいたりして、

ただ、それだけのことなんです。

2005年6月9日(木)

生きがいが無くなったようで、寝てばかりいました。
3日間そとに出ていません。

2005年6月10日(金)

またずーっと寝てました。
夕方から化粧もせず髪もセットせず慌ててギャラリーへ。
作業所の職員とメンバーが遊びに来てくれたのです。
間に合って良かった。

買い物してないので冷蔵庫の食料が尽きてきました。
明日は帰りが遅くなりそうで、また買い物できないな。

お客さんに「絵はやっぱりどちらかでお勉強したんですか?」
と訊かれた時、ちょっと困って、「作品を並べてるのもおこがましいんですが、習ったことはないんです」と言ったら、あとで「おこがましいなんて言ったらオーナーに失礼になっちゃう」と教えられました。そういえばそうね。

甥っ子と姪っ子に、イラストをプリントしたTシャツをプレゼントしたいなぁとちょっと考えてます。

2005年6月11日(土)

懐かしい人も含めて知り合いがたくさんギャラリーに来てくれました。
すごーく嬉しかった。

絵は4、5個目が売れて、残り半分になりました。

疲れすぎて日記が書けませんでした。

2005年6月12日(日)

ストレス溜まってるんですかね、今日はなんだかたくさん食べちゃいました。
「夜はあんまり食べない」だけの軽いダイエットをなんとなく続けていて、四ヶ月前より6キロくらい痩せたけど、目標にはまだ遠いです。

洗濯、布団干し、昼寝。夕方からまたカラオケ。
最近新しく覚えたALI PROJECTの「禁じられた遊び」と、川本真琴の「1/2」を歌ってみました。
2時間でひとり250円。なんてお安い。

数日前、Kちゃんが戸川純の歌う「ロリータ108号」を送ってくれた。
歌、下手すぎて驚愕。しかも戸川純ってこんな声だったっけ?
この歌のためにこういう声つくってるのかな?
曲も詩も印象的ではない。だけどなぜか耳について離れない・・・。
それがきっかけで少しネットで彼女のこと調べてみた。
どうやら現代で言う椎名林檎の路線をいってるという評論が多く見られる。
狂気とロリータ。
椎名林檎にはロリータの要素はないが、とのこと。それは同感。
他に戸川純の歌で「あたしもうぢき駄目になる」というのがある。
タイトルがすごい。歌詞が知りたいがネットで簡単には見つからなかった。

2005年6月13日(月)

今日も暑い。
日焼け止めも塗らず日傘もささず後悔しながら日陰を探しつつ病院へ。
薬局の椅子に座って放心していたら「大丈夫ですか?」と声をかけられ、ちょっとふらつきながら店をあとにする。

私はパプリカが好きで、赤いのをひとつ買った。
そして持ち歩き用の飲料、燃焼系アミノ式のかわりに飲み始めたのがコントレックス。
薬局で1.5リットルが198円で売ってた。
いつものスーパーではもっと安かったけど、売り切れ。
カルシウムとマグネシウムが豊富とか。立ちくらみには効くだろうか。
毎朝たべてるプルーンとプチトマトは買い忘れた。
朝のプルーンで鉄分補給してるつもりなのです。

人の評価に一喜一憂する自分が、小さい人間だなー。とつくづく思う。
嬉しいことは嬉しいと言っていいんですか。
辛いことは辛いと言っていいんですか。

母がくれたさつまいもと、大根と長ネギと豆腐でお味噌汁を作った。
食事はいつも、たんぱく質と野菜の組み合わせが基本だと思っている。
夜は、塩もみした大根とパプリカとツナ缶をオリーブオイル、酢、砂糖、塩、コショウ、すりごまで和えて大量にサラダを作った。

2005年6月14日(火)

あんまり知らない人に遊びに誘われて、約束の場所で待っていました。
ひとりで一時間ちかく待っていました。
連絡もなくて、あきらめて帰ることにしました。
こんなのたいしたことじゃないやと思ったけど、やっぱり少し悲しかったのかもしれません。

2005年6月15日(水)

今のアパートに引っ越してきたばかりの頃、ひとりが心細くてたまりませんでした。
風の音や窓のきしむ音が怖くて、部屋の真ん中でうずくまってました。

去年の7ヶ月の入院を終えて、私は今、だいぶ調子がいいんだと思う。
家事もこなせるし、シャワー浴びるのもそれほど億劫じゃないし、ひとりって気楽でいいなあと思えるからです。

2005年6月16日(木)

午後からギャラリーに顔出し。
前に日記で出品者が50人くらいって書いたけど、今年は40人くらいらしい。
お客さんがいる時はたくさんいて、いない時はぜんぜんいない。
オーナーさんの娘さんS子さん(40歳くらい)が、暇な時「もーたいくつ~!!つまんな~い!!」と叫んでいました。
S子さんは外見も若くてスタイルも素晴らしく、とても「おばさん」とは呼べない美貌の持ち主ですが、この時ばかりは女子高生か、とつっこみたくなりました。
でも私が居ない時、オーナーの家族と仲良しの私の知り合いに私のことを「裏表なさそうでいい子と思うわ」と言ってくれていたそうです。嬉しい。
ちなみに最初わたしは10代と思われていたようで、本当の年齢おしえた時も悲鳴をあげられました。
他にも○クターのデザイナーを辞めて独立したというMさん(男性48歳)に、初日に仲間と一緒にお昼を中華街でご馳走して貰ったのですが、「・・・二十歳すぎてるよねえ?」と訊かれました。
あまりのことにお世辞かと思いましたが、話してみるとお世辞言うような人ではないようです。
もうここまできたら、誰にも本当の年齢おしえない方が面白いような気がしてきました。

先週の土曜日、Cさんが来てくれて色々話しながら案内したのですが、描いてる私よりだんぜん絵のこと詳しいのですよ(笑)
いろいろアドバイスもしてもらっちゃいましたし、他の作家さんとの会話を横で聞いてたのですがちんぷんかんぷんでした。

2005年6月17日(金)

「金曜日は完全休業にして、土曜日のために体力温存してね」

その通りだらだら過ごしていました。

それにしても私、薬が多すぎです。
いまだにいつどれを何錠飲むのかハッキリ覚えられていません。
こんなに飲んだら普通の人でもおかしくなるんじゃないかと思う程です。

「減らしたいんですけど・・・」と訊いてみるんだけど、いつも先生に却下されます。

自分では大分調子がいいと思っているのに、不安定に見えるらしいのです。

2005年6月18日(土)

ギャラリー期間中、最後の土曜日。
今日は知り合いが3人ほど来てくれました。
陶芸作家さんOさん(女性)のお母様(80歳代)が10万円の掛け軸と、これまた10万くらいする絵を購入なさっていました。
すんごいお金持ち~。
他にも行政書士で趣味でガラス工芸を手がけているHさんが、藤田○治先生(有名らしいが知らない;)の35万円の絵を購入されていました。
私も色々見てまわって気に入ってる作家さんが2人ばかりいるんだけど、お金出して買う気にはなれなくて・・・。飾るにしても部屋が狭いし(笑

私がOさんのお母様の話し相手をずーっとしていたら、親しい出品仲間が気遣って「携帯電話なってるよー」と声をかけてくれて「携帯で話すフリして外でちょっと休んできなよ」と言ってくれました。
今日は意外と調子が良くて、お年寄りの話し相手も疲れてなかったけど、彼の気遣いに素直に席を立って外に出てでしばらくのんびりしてました。

ほかの作家さんと会話する機会がやはりちょくちょくあるのですが、ああ、こういう人になりたいなーと思う人がいます。
前述の陶芸作家のOさん(たぶん40代くらいかな)なのですが、本当に気さくで、さっぱりしてて、誰とでも話せるし、私も話してて珍しくとても楽なのです。
なんというか、ガードがまったく無い人なのです。

一方、苦手というかちょっと怖い女性作家さんも2人程居ます。
なんだか嫉妬深い感じだったり、「私が一番!」というオーラがあるの。

今日は木工職人のT君も来ていて、帰りに仲間と3人でお茶しました。
4~5時間は喋ってましたね。
ドリンクバーでお茶やコーヒーを何杯飲んだかわかりません。
ガストのドリンクバーは紅茶の種類が豊富でけっこう楽しいです。
あとは砂糖抜きのカフェオレがあればなお嬉しいんだけど。

2005年6月19日(日)

木工職人のT君ともっと仲良しになりたいんだけど、いまひとつ壁を越えられないでいます。
お互い嫌いじゃないのは分かっているのに、2人にされると緊張感が漂う・・・。私も話題を探しちゃうのです。
とてもシャイな人なのですよ、T君は。で、頭がいいんですよ。
会話してるだけでも頭がいいのは十分わかるのですが、最近知ったのだけど高校が横浜○○高校なんですよ!しかも中○。
それだけでもけっこう謎の人なんですが、他にもあんまり突っ込めないような謎がたくさんある。

共通の知り合いに言わせるとだいぶ屈折してるそうです。
私には屈折してるようには見えないけど。
ただT君みたいな人と一緒に喋ってたりすると、時々「私って相当バカだと思われてるんだろうなー」と少しへこみます。
「○○さんって新聞読んでないでしょ」とか言われたし。
そんなもの、ギャラリーの準備期間と開催期間中はテレビすら全くつける気が起きないような私が購読するわけあるまい。
特に最近はニュースとかドラマとか、見てるとすぐ泣いちゃうし。
話しているのは自分なのに涙が浮かんじゃうことも多い(老人か・・・)。
普通に生きてるだけでこの世は情報過多なのです。
だから自然にシャットアウトするようにできてるらしいのです。
威張ることじゃないですけど。
人に「世事に疎いのと頭が悪いのとは別」と慰められてます。

だけど「嫌われていない」という条件付きでは、利口だと思われているよりはバカと思われている方がいい気がします。

2005年6月20日(月)

風邪でツライです。のども体も痛いし、外出がきついです。
心療内科の先生がのども見てくれて、炎症止めと抗生物質を出してくれました。
蜂蜜とレモン汁と大根おろしと生姜を混ぜた謎のドリンクを作り、午後はずっと寝ていました。

1.5リットルのコントレックスを188円でGET!
これより安いところはそうそう無いだろうと自己満足。

はあー、風邪なおさなきゃ。
せめてあさっての最終日はギャラリーに行きたいです。

2005年6月21日(火)

はー、寝苦しい・・・。夜中の3時です。
トイレに起きて熱を測ったらやっぱり発熱してました。
月のものも来て、ダブルパンチです。
熱出すほどの風邪は珍しい。
打ち上げ行けないかも・・・悲しい。

私にできることは何かと思うのです。
人前で演奏するの苦手でも発表会のキーボード演奏を担当したり、ド素人だけど悩みながら頑張って絵を描いて人に喜んで貰えたり、そういうことひとつひとつで、今まで私が辛い時たくさん助けてくれたたくさんの人に、すこしでも恩返しできるような気がしているのです。
都合のいい解釈かもしれないけど、もう居ない人へも。

やれることを少しだけ頑張って進んでいくのが私に残されている道だと思う。
気にかけてくれた人の優しさを無駄にしないように。
またいつの日にか逢った時、胸を張って笑顔でいられるように。

2005年6月21日(火)

一日寝ていました。

どうでもいい人なら無視するんだけど、なんかもう黙ってられなくなって、「あなたのこういうところが変だと思う」と、とうとう言ってしまいました。
相手は落ち込んでしまい、哀しいからもう寝ると言いました。
言うべきじゃなかったのかも知れません。
いやきっと言わないほうが良かったんですね。
言っても拗ねてしまうような人なんだから、落ち込ませるだけで意味がないんですね。

後味の悪いまま一日を終えるのは嫌なものですね。
だけど何故かフォローする気にはなれません。
熱があるせいですかね。

2005年6月22日(水)

昨日のメールの相手、ずっと気になってたんですが、なぜか「昨日はごめんね」と言われ、普通にやりとり。
なんだか安心したものの、複雑な心境。
この調子じゃ私の言ったことは理解できてないままなんだろうなあ。
まあいいや、もう面倒だわ。

ねこ展最後の日。風邪が完全には治っておらず、打ち上げも含めて行きたかったんだけど我慢して寝ていました。
明日は搬出の日。行けるかなあ。

2005年6月24日(金)

結局、絵の搬出も人にやってもらって休んでました。
今日、手元に残りの作品が戻ってきました。
なんだかまだやることがいっぱいで混乱気味です。
予定が多い状態って幸せなことなんだけど苦手。

冬服を洗濯して仕舞って夏服と入れ替えなきゃとか(今日は晴れてたので冬服を6着、手洗いして干してました)、絵を買ってくれた人にお礼を書かなきゃとか、買った絵を期間中飾ったままにしてくれた人に渡しに行かなくちゃとか、途中で止めてた歯医者にまた行かなくちゃとか、誘ってくれた2名ほどの作家さんの工房に遊びに行かなくちゃとか、甥っ子姪っ子にプレゼントするTシャツ作らなきゃとか、ねこ展用の絵をHPにアップしなきゃとか、ギャラリーカフェのオーナーさんに秋に絵葉書を出品してくれと言われてそれも準備しなくちゃとか、・・・まあこれは先のことすぎるんですけど。
ひとつひとつ、なるべく楽しくこなしていけたらなー。

それよりまず風邪を完治させることが第一だな・・・。

2005年6月26日(日)

まだ6月なのに、暑い。暑すぎる!
汗っかきの私はじっとしてるだけでも汗ダラダラです。
今年はじめてクーラーつけました。

HPのイラストギャラリーを総リニューアルするつもりで、少し着手してるんだけど集中力なくて遅々として進まず・・・。
HP作成ソフト使わずメモ帳だけでタグ打ちで作ってるので、なおさら遅いです。まあ急ぐことではないんだけどね。
他に急ぐべきことがある。
まず買って頂いた絵を渡しに行かなくちゃ。

陽が落ちる午後7時くらいから2駅分歩いて、いつもの男性とお茶してきました。
恋なのかどうなのかよくわからないまま宙ぶらりんで仲良くしてます。
私と逢って会話できるだけで幸せと言ってくれるので、その言葉に甘えてしまって肝心な判断を怠けている気がします。
私はやっぱりずるい人間なのだと思います。

彼には指いっぽん触れられていないのです。
「欲求に走ってあなたを壊したくない」と言ってくれます。

風邪がまだちょっと残っています。
栄養とって、よく眠ることですね。

2005年6月27日(月)

先生に会う日。
最近診察時間を午前に変えてもらって気づいたのだが、夕方よりも先生が元気で余裕があるように見える。
なのでなるべく予約を午前にしようと思っている。
異性関係のことを相談した。関わるのを止めなさいとは言われなかった。
私に触れもしないまま一緒に楽しく過ごせる異性がいるのは良いと。
そしてまだ様子見だな、と。だけど同じ作業所なのがちょっと問題だと。
そして相変わらず薬は減らしてもらえず。

彼が私の曖昧な態度に辛い思いをしている。
「今、関係を絶ったら傷つくか」とメールで訊かれ、私はもう動くことができなくなってしまった。逢いたいのだ。話したいのだ。
部屋の真ん中で友達から誘いのメールが来るまでずっと倒れていた。
彼は苦しんで薬をたくさん飲んで、これから12~3時間昏睡すると言った。
鬱のスパイラルに突入するとも言っていた。
そんなことを隠さずにわざわざ伝えるのは私に甘えているんだと感じた。
「あなたのせいじゃない」と言っていたけれどあてつけにしか思えなかった。
10歳以上も上の男性に暗に甘えられるのは不快で、かすかに嫌悪感を覚えた。

だけど苦しむ資格なんて私にはないだろう。
こんなに好きだけど、ちゃんとお付き合いをする覚悟すら無いのだから。
精神的に壊れた時の彼は私の手に負えないのも判っている。
頭が良くて頼りになる人なんだけれど。
私は片想いをした経験がないに等しくて、彼の辛さを身をもって理解できてはいないのだ。
そして正直、今まで通り楽しく喋って過ごして欲しいと思っている。

友達にも「同じ男性として言うとその男性が可愛そうだ」と言われた。
辛くても距離を置いたほうが相手の為かも知れないと思い始めた。
依存心が強くて我侭な私に出来るかどうか自信はないけれど。

今はただ、あした目が覚めた時、彼が少し元気になっていることを祈っている。

2005年6月28日(火)

冗談かと思うほどに暑い日でした。

生きてるって、本当にそれだけで恥さらしです。
私はいつまでも甘ったれで幼稚で馬鹿で思いやりも無くて、今日と言う今日はつくづく自分が嫌になりました。
ダラダラ流されているとこうまで落ちぶれてしまうのかと、我ながら呆れ果てました。みっともないったらありゃしない。

というわけで、仕切りなおすことにしました。
とりあえずある男性に固執するのを自主的にストップしてみることにしました。
好きでどうしようもないとぶつかられても言葉に溺れないことにしました。

目指すは「傷つけず、傷つかず」です。
私はもっと、しなやかな大人になりたい。

2005年6月29日(水)

寝坊で遅刻だったけど、作業所に一ヶ月ぶりくらいに行きました。
いろんな人と少しだけ積極的に会話するのです。
軽い冗談を言ってみんなで笑ったりするのです。
そうやって意識を分散させてバランスとっていくのです。
非建設的な深みにハマるのを避けるために。
私にはやらなきゃいけないことがあるのだから。
生きていかなきゃならないのだから。

2005年6月30日(木)

作業所仲間のアパートで4人で飲み会。
飲むと強いのだけど本来お酒が好きではない私は、最近ぜんぜん飲み会に行かなくなっていて、本当に久しぶりにアルコールを大量に摂取してきました。

バーテン経験のあるホストは、日本酒やウイスキーの苦手な私のためにカクテルのメニュー表まで作ってくれていました。
しかも男性なのにオードブル、野菜サラダ(手作りドレッシングつき)、もやしナムル(ご丁寧にヒゲまでちゃんと取ってある!)、厚揚げの挽き肉あんかけ、手作り鶏肉ソーセージ(ソースも和風、バーベキュー、オーロラ3種類手作り)、とビックリするくらいのおもてなしでした。

私は料理ができないわけじゃないけど、とても真似できませんです。
サービスの大好きな人っているんですね。今度お茶でも奢らなきゃ。

2005年7月1日(金)

遅刻だけど作業所に行きました。

彼が苦しんでいるのを苦しいと思うのは、少しだけど好きだからです。
だけどきっと彼の気持ちには全く釣り合わない程度の感情しか、私は持ち合わせていないのです。
抑えようと思えばコントロールできてしまう範囲なのです。
そして私はおそらく、男の人を心の底から愛したことなんてまだないのかも知れません。
自分自身が一番嫌いだけど、一番好きなのです。
まわりの空気に気を使うタチなのは、人の期待を先読みする優等生癖が抜けていないだけで、本来は他人にあんまり興味がないのです。

私に逢うと好きで好きで何もできないのが苦しいと言われました。
触れるのを我慢できない事を「罪深い」と言って自分を責めていました。
もう壊れてしまうと言われました。
私を嫌いになれたらどんなに楽かと言われました。
私の魅力が今は忌まわしいとまで言われました。
そしてしばらく逢わないといわれました。

私には、かける言葉が、もう、浮かんでこなくなりました。

仲良しになれて、話しててとても楽しかった。
でももう私からアプローチするのはルール違反になってしまう。
今日の最後のメール「少し休ませてください壊れそうです」に、返信は出来なかったのです。だた酷く切なくて仕方がなかったのです。

私は我侭を承知で言えば、ドライな友情を続けたいだけなんです。

2005年7月2日(土)

可愛さあまって憎さ百倍ってとこですか。
一番おそれていた事態になってしまいました。
思い通りにならないと判ると攻撃に転じるという最悪のパターンです。
今日の夕方まで続いていた褒め言葉の嵐はどこへいったんでしょう。
突然手ひどい批判をされてショックで鉛を飲んだような気分でしたが、こんなことで落ち込むのは嫌だと思いました。
「さようなら」とメールして、もうそれ以降は返信してません。
ちょうど母が泊まりに来ていたので愚痴って過ごしました。

今日は昼間は○崎まで出向いて、イラストを買ってくれた派遣社員時代の上司のTさんに、イラストとお礼の小さいメッセージカードを書いて渡してきました。
つばめグリルでランチとデザートを奢って貰いました。
絵を買って貰った上にお昼ご馳走になっちゃってなんか悪いですね。
でもTさんはお金持ちなので、正直それほど恐縮せず素直にご馳走になりました。
相変わらず色々と忙しそうにしている日常を話してくれました。
やりたいことは着実に進めていくバイタリティは肖りたいです。

Tさん、○内のホールでダンスの発表会に参加することになったそうで。
サルサで舞台に出るそうなんですよ。
全体もパートナーもレベルが低いらしく、あんまりオススメではないらしいけど。
3000円のチケット3枚くれました。
誰か興味ある人いたら私に連絡してみてください。
来週の10日の日曜日の夕方6時からです。

2005年7月3日(日)

私に先見の明があったなら、彼と楽しく友達でいられることも出来たかもしれない。
とても感性の鋭い人で、頭も良く(天才に近いです。でも人間としては幼い。私が言うのだから相当)、会話してる分にはとても面白かったのです。

仲良くなりすぎたんですね。本性を見せられ、弱さや甘えや、体を張ってまでの無意識の善人の演技、あまりの子供っぽさ、了見の狭さをを知ってしまったのです。
自分のこと「病人や弱者に対する時は自分のことなど考えていないのです」と、訊きもしないのに堂々と言っちゃうクリスチャンなのです。
「雨ニモ負ケズ」「星の王子さま」を信じてる人がいたっていいじゃないか、と主張しているのです。誰がダメだと言ったのか知りませんが。
限りなく善人を演じサービスすることで、自分の存在価値を保っているつもりなんだろうな。
無償の愛情をうたっているけれど、本当は見返りを求めていることを本人が気づいてないのでお手上げです。
突然手のひらを返したように逆恨みされ、もう友達でいるのも嫌になりました。

恋愛には持ち込まないような空気を私は意識して作れたかも知れません。
たぶんもう遅いですが。 

2005年7月4日(月)

作業所で絵画教室。
指導は美大出身の職員Yさん。
皆でかわりばんこにモデルをやりながら、大きな紙にマジックで人物画を短時間で何枚も描いていきます。
私は自分では細かい小さな絵しか描かないので新鮮でした。
デッサン(クロッキー?)の勉強をした事もないので楽しかったです。
大きな紙に大きくザザッと手早く描いていくのも、開放感あって面白い。
やっぱり下手だったけどね。Yさんのクロッキーはさすがでした。

作業所のあと、診察。先生に近況を話しました。
「タフになってきたねえ」と褒めてくれて、その調子でいこうね、と最後に肩を軽くたたいてくれました。
薬は相変わらず減らしてくれませんが・・・。

病院から帰ってから、友達に誘われて定食屋で夕食。
ボーナス入ったからとドリンクバー300円は奢ってくれました。
私は今のまま(障害年金だけ)では赤字なので、落ち着いたらまた近いうちに軽い仕事をしようと思ってます。
年金貰いながら足りない分は自分で稼ぐ、というのが今の理想。
だけど仕事はじめたら障害年金貰えなくなりそうな気もして、どうなるのかわからないけど。 

2005年7月5日(火)

作業所でパソコン教室に参加。
メールやネット、Excel、Wordはもういいので、Illustratorの勉強を希望。
これまた指導は美大出身の職員Yさんです。
レイヤーを使って簡単な絵を描かせて貰いました。

帰りに3人でお茶。
最近よく喋ってくれるMさん(男性37歳)と、面白いアーティストが不調で来ないのでなんだか寂しいです。

後者はもう無視するしかないのかなと思っていたけど、今朝の4時くらいに「あまりに愚かでした。ごめんなさい」とのメールがきていて、一日悩んだ末、夕方に「早く元気になってね」とだけ返信しました。

「あなた宛ての短歌をまとめて、あなたの絵を一枚描きました。一言のメールでこんなに安堵したのは初めてです」と言われました。

なんだか私、子供の面倒をみているような気分になってきました。

2005年7月7日(木)

午前、仕事場の男性が私のポストにプレゼントを入れに来てくれました。
私に会うのは、まだ辛いみたいです。
私ももう今は普通に接する自信があんまり無い。

彼が帰ったあと、ポストを開けてみました。
私がモデルの挿絵つきの、筆で書いた私への短歌集が一冊。
短歌集のミニチュア版もひとつ。
額縁に入った、私の横顔をピンクの線画でデフォルメした絵がひとつ。
そしてピンク~パープル系の色石のたくさんついたネックレス。

貰っていいものか・・・と言ったら、ぜんぶあなたのために準備したから貰って欲しいと言われました。

それからギャラリーで買っていただいた私の絵をCさんに渡しに渋谷へ。
最近ぜんぜん会っていなかったご近所のYさんも合流。
私の絵はマットも使わず額も安モノしか使っておらず、Cさんがちゃんと額装しなおしてくれると言ってくれていたのです。
渋谷の額縁屋でマットと額をCさんとふたりで、色がああだこうだと言いながらどうにか選びました。
ちゃんと額装するだけで、私の絵でもかなり高級に見える!
出来上がりが楽しみです。
絵を大事にしてくれる人に買って貰えて、あらためて嬉しく思いました。

久しぶりにCさんとYさんに会い、お酒のんで食事して、とても楽しかったです。
会う前は久しぶりでなんだか緊張してたのだけど。
最近ご無沙汰している昔の仲間の飲み会、また参加してみようかなあ。

七夕サービスで地元のカラオケが一時間無料だったので、帰りにまたカラオケ友達と行ってきました。
「俺に会う時と格好が違う!ずるい!」と言われました。何がずるいんだ。
(普段カラオケだけに行く時は部屋着同然でお洒落全然してないの)

2005年7月8日(金)

作業所、お休みにしました。

「あなたに会えなくてとても辛いです」とメールが届き、私は悪い癖でつい慰めてしまいそうになりましたが、我慢して何も返信しませんでした。

なんだか外食したくなり、珍しく近所の安いお店で夕食。
380円の冷やしたぬきそばをひとりで食べました。

何を見据えてゆくのがいいのだろうか。
生きている限り、明日はいつまでもやってくるのです。
それは素晴らしいことのようで、絶望的なことのようで。

2005年7月9日(土)

会議室に昔の上司たちが集まって座っている。
私はお茶を出そうとしているのだが、たくさんの湯呑みが誰のものかどうしても思い出せない。
なぜか姉が同じ会社にいて、横でテキパキお茶を配っている。
私にはできない。お茶だしすら満足にできない。
いつまでも覚えられない。とても焦る。

今朝の夢でした。

会社で働いていた頃、私はお茶だしが怖かった。
電話でお昼の手配をして、会議中の上司や客に配るのも怖かった。
会議中の上司に電話を取り次ぐのも怖かった。
何が怖かったのか。
「簡単なことが普通にできない」と思われることが、とても怖かったのだ。

私はもともと仕事ができなかった。極度の緊張がさらに追い討ちをかけた。
仕事ができないと思われてはいけないと思い込み、必死で気を配り続けた。
ひとりで家でじっくりやらなければ本来の力が出せなかったのに、全身全霊でしがみついてきた。
電話が駄目で交渉も極端に苦手なのに秘書なんかしていた時代もあった。
履歴書に書くと、いかにもキャリアウーマンといった職歴が出来上がってしまう。

もう、できなくて、いいじゃないか。

常に会社に行けないことで自分を責め苛み、体が動かず、立っていられず、ご飯が喉を通らず、緊張が解けず、眠れない。
そんな毎日を送ることを考えたら、仕事なんてできなくて良かったのだ。
できないということを必死で隠していたら、余計に苦しくなるだけだったのだ。

2005年7月10日(日)

なんか眠たくて、寝てばかりいました。
だるかったけど洗濯して、軽く掃除機をかけて、シャワー浴びて、夕方に○内へ。

知り合いのTさんが出演しているダンスの発表会を見てきました。
照明も凝っていたし、思っていたよりファンタジックで豪華なステージでした。
私もまたダンスやりたくなったけど、実際にやるのはいつになるやら。

帰りにスタジアムの近くの中華ラーメン屋さんで冷やしタンタン麺を注文。
これがすごく美味しくって、杏仁豆腐も追加しちゃいました。

2005年7月11日(月)

眠くてだるくて、作業所休んでしまいました。

ゴミを捨てに外にでたら物凄く暑かったです。
真っ黒に日焼けしたニッカポッカのお兄ちゃんが3人、日陰で足を投げ出して黙って休んでいました。
寝起きで鏡も見ていず、部屋着のワンピースのだらしない格好だった私は、視線を下げたまま足早に通り過ぎました。

ロフトで汗をかきながら寝ては起き、寝ては起き、あまりに暑いのでロフトを降りてまた寝ては起き、なんとなく入院中に日記やら手紙の下書きやら、いっぱい書いたノートを引っ張り出して開き、つらつらと読み返しては軽いとは言えないような気分になり(例えば「私はこんなダークな手紙を伯父に出していたのか」とか)、夜になるとようやく眠気から開放されたものの、足の指を何度も触っては伸びた爪を切ってペディキュア塗り直さなくちゃとか、私の連絡を待つと言ったままの男性と笑いあえる時が来るのだろうかとか、テレビをつけて目にした芸能人の昔の歌をうたってみて下手だなとか(杉田かおるの「鳥のうた」や伊藤つかさの「少女人形」など)、モーニング娘。の振り真似をしてみてもっと痩せないとダメだなとか、くだらないことを際限なく思いながら一日を終えます。

2005年7月12日(火)

朝から張り切って始動。
作業所の仲間と映画レク。観たのは「宇宙戦争」です。
「電車男」のほうが観たかったけど、映画館の都合により断念。

却ってここまでやると気持ちがいい程の、街の破壊シーンのダイナミックぶり、
激しい地割れに車はふっ飛んでくるわ船はひっくり返るわ。
民衆の大パニックの凄まじいこと。エキストラ何人なんだいったい。
今頃「地球滅亡の危機」作品がまだあったのかと思ってましたが、そこそこ楽しめました。しかしトム・クルーズも老けたな・・・。

電気屋や100均ショップやら買い物にあちこち回ってから、Cさんとお食事しに待ち合わせ。
私の絵が豪華に額装されて返ってきて、見せてもらいました。

やっぱりきちんとマット使って額にいれるとぜんぜん違いますね。
我ながらこれはいいなあと改めて思いました。

2005年7月13日(水)

作業所仲間の男性が夜中に電話してきて話が午前3時まで続いて、電話なんてさっさと切ればいいんですが私は睡眠薬で意識もうろうとしていて強く言い出せず、ようやく「遅い時間に電話はやめて欲しい」と伝えたら、やっと切ってくれる空気になったのですが「おやすみなさい」と言ったら返事なしで切れましたよ!

誕生日なのに先生にしか逢わず、殆どロフトで夢を見ていました。

姪っ子と甥っ子にプレゼントの支度を始めました。
昨日、子供服のサイズのことで姉に電話したら「たまには遊びにきなよね。料理だすしか出来ないけど~」と言ってくれました。
うん、今、お祝いの準備してるからね。もうちょっと待ってて。
わたしの一歳違いのただ一人の姉は、子供の頃から料理うまいんですようー。
身内ながら優しくて美人だしさ。
幼い頃はかなり八つ当たりされたり苛められたりした気がするけど・・・。

ちなみに姉とは性格も顔も体格もぜんぜん似ていません。
二人でゲーセンで遊んでいたら普通にナンパされたことがあります。
性格は、ずっと気付かなかったけど私のほうが気性が強くて激しい。
なのに神経は細くて小さい時からよくストレス性の病気になってました。
姉はあまり深く考えないおっとり派。そして変に大胆なところがあります。

大人になってからは、姉とは実家にいた頃よく一緒に遊んでいました。
カラオケが一番多かったな。服も一緒に買いにいって、よく貸し借りして。
そういえばカラオケも買い物も私から誘ったことはありません。
今も友達と遊ぶ時とか基本的に受身なところは変わってないです。
あとは、リビングに一緒に居ると、別の事をしているんだけど同じ歌を歌ってハモったりしていました。
姉も多分、絶対音感があったのだろうと思う。
会話の途中で突然浮かんだ関係ない歌がワンフレーズ入るなども当たり前。
人といる時に(ましてや会話中に)歌ったりしないほうが普通なのだと、社会に出てかなりあとになって知りました。

私は今でも一人で歩いている時や部屋にいる時よく歌っています。

2005年7月14日(木)

やっと通知がきて貰ってきました、障害者手帳とパス券。
区役所の担当ケースワーカーさんがちゃんと覚えててくれて、「ねこ展どうでしたか?」と訊いてくれて嬉しかったです。

携帯電話を新しくしました。
ポイントたまってたり2年以上使ってたりで一番安く機種変更できました。
たったの2,100円~。
選んだのはボーダフォンV603Tの新色のホワイト&ベージュ。
テレビが見れるし、SDカード買えば録画も出来る。
○○わちゃんと色違いです。
あれこれいじりながら、割引サービスの申請しにボーダフォンショップへ。
それから最近行きたくなってたラーメン屋へ直行。
横浜ビブレ地下の桂花ラーメン。ここの「こたろうめん」が好きなの。

次に甘いものが食べたくなり、安い甘味処と言えば・・・と、横浜ジョイナスイレブンの「あかさたな」へ向かいました。
京風ラーメン屋さんで、あんみつやカキ氷も色々あるのです。
久しぶりに行ったら、お店の名前が「京都はなてまり」になってました。
クリーム白玉あんみつを注文。
ここの白玉、外側がとろっとしてておいしいんですよ。
つぶあんも歯ごたえあって、おすすめです。

2005年7月15日(金)

顔を洗って、腕、足、顔、首に日焼け止めを塗る。
そして日傘を差して作業所へ。
外を15分くらい歩けばもう汗だくです。

午前は絵画教室に参加。
赤と黄と青の3つの絵の具だけで、静物画を描きました。
お手本のYさん(美大出身の職員)の静物画は教科書にある絵みたい!

午後はまたIllustratorのお勉強。
商品の写真を撮って、加工して、キャッチコピーと説明を考えて配置、広告のようなものを作りました。

木工職人のT君に「○○さん、出席率いいねえー」と言われました。
そうよ私は細かいこと気にして休んでなんかいられないのさ。
いつも服装に無頓着なT君がFILAのTシャツを着ていたので「TさんそんなTシャツ珍しいねえ、でも良く似合ってるー」と褒めました。
日焼けした骨ばった腕が大き目の白いTシャツの袖からから出ているのが、なんだかセクシーだなあと思いました。
T君とわりと仲のいいある男性がずーっと仕事場に顔を見せないので、T君は何か勘付いているだろうな。

帰りにまた3人でお茶。
なんか私ストレス発散という感じで自分のことばかり喋りすぎた気がする。
人と会話してる時は、辛くなければ聞き役になった方が自分の財産になるよなあと、帰り道また汗だくになりながら思いました。

2005年7月16日(土)

洗濯、掃除。賞味期限切れの牛乳でコーンポタージュスープもどき作成。
そしてやっと、姪と甥へのプレゼントが準備完了。

子供服に自分のイラストをアイロンプリント。
初めてだったので緊張したけど出来はそこそこです。
しかし無地の子供服、かなり探し回りましたよ。
結局ユニクロでGETしました。

2005年7月18日(月)

誕生日も過ぎ、梅雨も明けて、夏本番です。
狭いワンルームなので空調つけると効き過ぎて寒いし、消すと暑い。

今日は夕方までずっとPCでネットサーフィンして遊んでいました。
ブログめぐり、美少女画像探し、アングラサイト見物。

しかしブログは面白いですね。自然と共通点のある知り合いが出来てくる。
ただ、鬱系の知り合いのブログに
「ブログの人間関係と現実の人間関係(劣悪)とを交換できたらいいのに」
とあり、何人か鬱仲間?が賛同していましたが、私はそうは思わずコメントしませんでした。
現実のほうが同じような考えの人ばかり付き合うわけじゃないので確かに大変かもですが、その分心の底から手ごたえが実感できるのは、良くも悪くもやはりバーチャルよりリアルだと最近特に思っています。
ネットの人間関係にはもちろんそれなりの利点が沢山ありますが。
どちらも楽しんでいきたいな。

最近、昼間はなるべく歩いて汗かくだけかいて、夜は防滴ラジオ聴きながら毎日シャワーを浴びます。
そして軽い筋トレとストレッチ。
調子の悪い時にはどれも出来ないことでした。

夕方から友達と食事して、カラオケ。今日は3人です。
久しぶりに若い女の子の友達に会えて、一緒に歌って楽しかったです。
いやー、それにしても相変わらず健気で可愛いんですよ。
若いのにチャラチャラした所が無くて勤勉で控え目で、何より正直。
私の好きな女の子です。
いつものカラオケ友達とハモりまくりで思い切り歌ったら、「すごい~。楽しそう!」と喜んでくれました。
また遊ぼうね。 

2005年7月19日(火)

作業所で木工教室に参加。指導は木工職人T君。
板をつかって小さな箱を作りました。まだ途中だけど、電動じゃない普通のノコギリ使う作業がかなり疲れた・・・。
それにしてもT君の切った板の断面は、機械で切ったようにキレイ。

私はさっそくノコギリで指を少し切ってしまい、出血。
バンソウコウ貼るまでもないくらいの小さな傷でしたが、T君が「申し訳ない」と言いました。「え、Tさんのせいじゃないよ~」と私。
そうしたら「俺の教えが不十分だった」と。指導者として頑張ってるな、T君。

最近T君とコミュニケーションするのがお気に入りです。
お互い無口なので少ししかやりとりしないのですが。

夕方から先生に会ってきました。
「いい調子ですねえ。でも今はまだ刺激のある事しないほうがいいですよ。『何もしない』ということに慣れたほうがいいね」とのこと。
仕事もダメでしょうか、と訊いたらやっぱりダメとの返事。

先生には節目節目に「仕事しないほうがいい」と何度も言われてきました。
でも働かなきゃ生活できなかった頃(正確には普通に仕事をして収入を得て自活することに固執してた頃)は、どんなに具合が悪くても働かないわけにはいきませんでした。
どんどんボロボロになってゆき、最初の入院となったわけですが。

年金貰えてる今は経済的にそれほど切羽詰ってはいません。
親も昔と違って私を怠け者扱いしたり罵倒したりせず援助してくれます。
(親の経済的援助も、私自身も昔は死んでも嫌と思ってたのよね・・・)
仕事はドクターストップということにして、開き直ってもうちょっとのんびり様子を見ようかと思います。

2005年7月21日(木)

育った町に、久しぶりに行ってきました。

姉のマンションできのこクリームパスタとスープのランチを二人で食べて、保育園から帰ってきた姪っ子(4歳)と遊びました。
もう私の顔なんか忘れてるだろうと思ってたけど、少しは覚えていてくれてたみたい。
ジュース屋さんごっことか折り紙とかをしました。
それから甥っ子(0歳)をずーっと抱っこして歩き回ってあやしたり。

オリジナルイラストつきTシャツを姪っ子に渡したら、恥ずかしそうに「ありがとう」と言ってくれました。

そして実家に泊まってきました。
今回は怖くなかったし、実際調子悪くもならないようです。
久しぶりにゆっくり湯船に浸かって、たくさん母と喋ってきました。
栄養ある料理も色々出してくれて美味しかった。

今、6歳で習い始めてから初めて手元にピアノがない生活をしていて、勘が狂ってるだろうなぁと思ってたのですが案の定でした。
久しぶりに実家で弾いてみたら指がうまく動かない。
タッチの強さが揃わないし鍵盤への狙いも定まりにくかったです。

2005年7月22日(金)

作業所で木工作業の続き。
あられ組という組み方で箱を作っています。
まだ仕上がらないけど着々と進んでいて、ひとつひとつの過程が楽しい。

作業所のあと、6人で久しぶりにカラオケに行きました。
珍しくビールをジョッキ4杯飲んで、少し酔っ払いました。
最後は踊っちゃってたし(笑)

そのあと作業所の仲間(私の高校の先輩)を連れて友達と合流。
お互いを紹介して、3人でまたカラオケルームに入ったのだけど、殆ど歌わずに語って過ごしました。
すごーく楽しかったけど疲れて頭痛が酷くなってきていて、あとで友達に頭痛薬もらいました。ちょっと無理した一日だったな。

2005年7月23日(土)

ここに吐き出してみよう。

酔っ払って、帰り道に男性と2人になった時、手を繋がれてほどくどころか正直その体温に安堵してそのままにしてしまった自分も、好意を持ってくれてる人のこと傷つけないよう上手くできない自分も、なんで私ってこうなんだろうと思うことが多すぎて、自分の中だけで処理できない。飽和状態です。とても苦しい。

深入りしたくない男性からの誘いを上手に断れたかどうかとか、作業所のボランティアの女性に嫌われてる気がするとか、人がくれたもの使わないので謝って返さなくちゃとか、ほんとうに些細なことばかりなんです。
だけど頭がそれらでいっぱいなんです。

朝、お湯につかってまた寝てみたけど、体も頭も疲れがとれません。

作業所行って、姉と姪と甥に会って喋って、実家にも泊まって喋って、とどめに大勢のカラオケ、お酒、食事、またカラオケ。
今週、いろいろ詰め込み過ぎたのかもしれないです。

2005年7月24日(日)

昨日よりは気分も体も少し楽になったみたい。

さて、ここらで大好きな漫画の話でも。
今わたしが読んでいる漫画は「スラムダンク」。
アニメにもなった、有名なバスケット漫画です。
外国にも翻訳されて出回っている模様。
日本の漫画はスゴイですね。

人気があるだけあって、やはり面白い。
まだ途中なのですべてはわからないのですが、ド素人でお調子者、だけど運動能力は未知数の「花道」が試合を通して着々とバスケの魅力にとりつかれハマっていく様子、ワクワクします。
167cmと背が低く一見ナメられる「リョータ」は、持ち前のスピードと瞬時の的確な判断で周囲をアッと驚かす働き、痛快!
一時期グレてバスケから離れていた「三井」の得意の3点シュートと男のプライドをかけた踏ん張り、熱い!
冷静沈着で寡黙、同学年の花道と対照的な性格ながらピンチの時にチームを引っ張る力もすでに備えているスーパー天才ルーキー「ルカワ」、クール!

他高校の選手も個性の強いキャラクターが目白押し。
これから花道たちがどんな相手と対峙するのか、どう成長していくのか、楽しみです。

ちなみに私は今のところ、バスケには深刻な「背が低い」というハンデを持ちながら、愛するマネージャーの彩子の笑顔が見たいがためにひたすら頑張る健気な「リョータ」がとてもお気に入り。
母性本能をくすぐられるのです。 

2005年7月25日(月)

先週末、ボランティアの女性に「月曜日の午後、大掃除するから来てね」と言われて、ずっと酷く気になってしまってよく眠れず、気分も優れず、却って行き辛くなってしまった。

それでも頑張って昼過ぎから顔を出したら、職員の都合で掃除は延期。
私はそれを知ったらすぐ帰ってしまいました。
明日は午前から休みたくない当事者同士の集いがあるんだもん。

話は変わって、さっきまで、昔の日記をなんとはなしにざっと読んでみてたんだけど、

なんとまあ、とにかく暗い。暗すぎる・・・。

いや暗いなんていう次元じゃない、ノイローゼチックだし厭世的過ぎるし、もう救いがたい。

自分でもこんな日記に下手にコメントなぞできないと思うくらいだ。

まさしく精神病患者以外の何者でもない(笑)

・・・と今は思うが、本当にその時はこうだったのだ。
そして、またいつそうなるかもわからないのだ。

だから今のある程度の安定を満喫しようっと。
(ってそういう問題じゃないよな・・・まあいいか)

2005年7月26日(火)

ボランティアの女性に個人的に「掃除があるから来てね」と言われて調子が悪くなってしまった旨、情けないなと思いながらも正直にメールに書いてみたら、男性職員(40代)が目の前で読んでくれたのですが、なんだか「自分にはあんまり関係ないなあ」という感じの応対でした。
ボランティアを管理する立場なのも職員なのだから、なんらかの対処してくれるかなと思ったのですが・・・。

私も、普通の職場ならこんなこと上に言ったりしません。
障害者施設の「作業所」だから、職員に言ってみたのです。
だけど、前から見ていて感じてはいたけれど、メンバーの精神的なケアに対しては、知識も無いし、責任も感じていないんですね。
「自分たちは職人だ」という意識が高くて、そちらにしか興味がないようです。
作業所って、他のところもそういうものなんでしょうか。

おまけに今朝、女性職員(27歳)から電話があり、「台風の影響で当事者同士の集いは中止です」との連絡を受けたのですが、なんかいつもより急に態度がよそよそしい。
台本を読んでいるみたいに語尾が固いのです。
ああ多分、私のメールを見て、思ったより相当神経質だと思われたんだな。
やっぱり深入りしたくないと思われたんだろうな・・・なんて、かなり寂しくなってしまった。

私も些細なことで一喜一憂しすぎで、特に最近浮き足立っていてあちこち動き回っているし、波風たてないように一生懸命気をつけているつもりで却って作業所のメンバーの言動にかなり気疲れしています。
ちょっと一呼吸おかなければ・・・。なんだか出来そうにないけど。

先生が先週「じっとしていることを覚えて下さい」と言ったのは、私のこういうところを見越しているのかもしれないな。

作業所の職員さんについて、

断じてそんなことはありません!

すみません、この時こんな風に書いて。

2005年7月27日(水)

思いつきで漫画・小説などのレビューのコーナーを作ってみました。
今のところ2つしかありませんが、トップページからどうぞ。

作業所の職員(女性27歳)からすごく長い”お詫び”のメールが届いた。
仕事にあぶれている人が出てきている中、ボランティアさんに台所掃除をメンバーに教えて欲しい、など持ちかけたのだと。
これから一人暮らしをしたい人の役に立たないかななどと思ったと。
○○さん(私)には不必要だと思ったが黙っていて配慮不足だったと。
そのボランティアさんは掃除は女性の仕事だという考えがベースにあって、女性職員にも女性メンバーにも厳しい目になりがちな人なのだと・・・。

(いや、私が困ったのはそういう点じゃないんだけどな・・・)

一緒に掃除するのは全然かまわないです。
ただ個人的に「○○があるから来てね」と言うのは、正直プレッシャーになってしまうので止めて欲しいなぁ~。
と思っただけで・・・。
と言う旨、一生懸命文面を考えてメールを書いたけど、なんかもう面倒・・・。

「それではまた金曜日、宜しくお願いします。」と締めくくって送信した。

台風一過。ものすごーく暑い。そんな中、先生に会ってきた。

ロビーで携帯に打ち込んだ文章を読み上げた。
先週はこれをして、あれをして、こういうことがあって・・・。

「人間関係は面倒ですねえ、ほーんとうに、お察ししますよ。私も大変です」

こんなふうに言われて笑ってしまった。

今回相談した人みたいな人は私の中に侵入してくる部類の人だから、もっと厳しくシャットアウトしたほうがいいと言われた。完全無視だと。
今までは最低限と思う程度のメールの返信はしていたのだが・・・。

手を繋がれて温かいと感じた男性のほうは、いいんじゃないですか、と言われた。・・・あら、それはいいのか。

温かいなら、いい距離だと思いますよ。でも、ちょっとでも負担に思ったら、その時はすぐ関係を止めること。

・・・そうですね。まったくその通りです。

2005年7月28日(木)

レビューのコーナーに2点追加しました。
思いついた作品から適当に書いていっているのですが、今のところラインナップが重めの作品ばかりだなあ。

自分勝手に書いているし楽しいんだけど、日記と違って難しい。
こんなんじゃあんまり作品の魅力が伝わらないよな~。
と思いながら書いてます。
私は基本的に何に対しても受動的で、客観的に色々な角度から物を見るのが苦手です。

ねこ展の売り上げの振込み金額の通知が届きました。
ああ私、自分の絵でお金もらったのね。
一瞬だけプロだったな。
大変だったけど心底貴重だなと感じた経験でした。

2005年7月30日(土)

私はもう少し先を見越して行動しないといけないのだろう。
口に出す言葉に気を配らなければいけないのだろう。
もっともっと自戒して努力すれば、たぶん出来ないことはないはずだ。

だけどあの温かさが。
あの温かさが忘れられなくて私は。

手をかけて迷っていたドアをやっぱり開いてしまう。
そしてその奥にあるものを、この体で確かめずにはいられないのだろう。

2005年8月1日(月)

インターネットで電子書籍のサイトを見つけて、「はだしのゲン」のお試し版を読んでみたのだけど・・・。

いやー、私の子供のころの記憶だけで書いたレビューなんて、ぜんぜんこの漫画の良さがわかりませんね。
「気持ち悪さ」だけが印象強くて、幼い私には作品の凄さが理解できていませんでした。

反戦ももちろんなんですが、なんといっても、

「家族の絆」なんですよ!
混乱の世の中、わが子を慈しみ常に正しく導き守り抜こうとする父ちゃんと母ちゃんの、体を張った凄まじいまでの教育と愛情。
そう、愛なんですよ、愛。
原爆が落ちるだいぶ前の話しか見てないんですが、涙なしには読めません
(「こんなに親に大切にされて羨ましい・・・」と寂しくなってしまったくらい)。

今日は遅く行くと売り切れてるものを買いに早めにいつものスーパーへ。
他の店では残ってたりするけど、やっぱり一番安いところがいい。
野菜ジュース、コントレックス、天然水、牛乳・・・。
ここぞと飲料を買いだめして重たいのなんのって。

そして心療内科で紹介してもらった皮膚科に行って来ました。
バスに乗って。なんか背中一面、あせもみたいなのがひどいんです。
しかし最近バス停にいるとよく話しかけられます。おばあちゃまたちに。
「知らない人によく話しかけられる時期」って、時々訪れるような気がします。 嬉しいんですけどね。なんだかね。

麦茶を作ってはたくさん飲んでいます。
また大事なことから目を背けている気がします。

2005年8月2日(火)

以前から好感を持っていた高校の先輩(44歳)がアパートまで送ってくれて、
・・・

好きだと思ったけど、3日間ひとりでよく考えてみました。
そしてその人の言動から、ちょっとひとりの大人の男性として問題アリかな。
・・・いやダメだよな。
と思うようになりました。

だけど、判っていても、私は弱くてきっぱり関係を断ち切ることが難しい。
毅然とした態度をとれる自信がもてない。

ちょっとでも人の内面に共感して愛着を持ってしまうといつもこうなる。

女性の友達にメールをして「止めるべきだ」とハッキリ言ってもらった。
決心を固めるために、「その男性は×」と言って欲しかったのだ。
甘えてしまってごめんなさい。

貰ったメールをお守りにして、相手と距離を取るように心してかかります。

2005年8月3日(水)

朝一番、心を鬼にしてデートの約束をドタキャンした。

今日は診察。
先生の言葉に久しぶりに傷ついてしまった。
その場で自覚して口に出せなかった。そのままずっとひきずっている。

「例えば僕なら、あなたとはSEXしません。ドロドロの関係になる入り口だと判っているからです。あなたに近づいてくる男性はみんな、あなたの母性に惹かれてくるんです」

「母性?私、人の面倒見るのキライですけど・・・」

「あなたの持つ、”自分を理解してくれそうな”空気に甘えて、つけ込んで来る人ばかりなんですよ。だからあなたに近づいてくる男性はすべて注意しないといけない」

先生、どうして敢えて「僕ならあなたとはしない」なんて言うの。
(・・・したいと言われたいのか?私は・・・)
私が悩まされている男性がみんな先生と年齢が近いから言ったのか?

私と関係を持つとみーんな、「ドロドロ」になってしまうのですか。
私に近寄ってくる男性はみーんな、私に依存しているのですか。
普通の関係は、持てないのですか。
普通の恋愛は、出来ないのですか。

バス停で、ひとり立ち尽くす。
風が、強くて。
日傘が、折れた。
何箇所も縫い直して使ってきた日傘が、とうとう折れてしまった。

デパートに向かい、折れた日傘よりかなり値段の安い日傘を選んだ。
「これ捨てて下さい」と、だいぶ色褪せた黒の日傘を渡した。さよなら。

私はもっと大人にならなくちゃいけない。
だけど、しっかり考えるとはどういうことなのだろう。
どういうところを直したらしっかりした大人になれるのだろう。
(こんなふうに考えること自体、子供なんだろうな) 

2005年8月4日(木)

今日はずーっと、ヤフーチャットのカラオケ部屋で歌っていました。

いやー、飽きない。上手な人の歌も聴けるし、自分も聴いて貰えるしで。

最初は心臓バクバクだったけど、歌う前に選んだ曲についてちょっと説明してみたり、次の人にマイクを渡すまでの場つなぎのMCも少し慣れてきて、徐々に楽しめるようになってきました。

喋りも歌も、声がいいと言って貰えるのでお世辞でも有頂天になるなる(笑)

殆ど一日中歌っていたのに、夜はまた友達に誘われてカラオケ。
今日は割引券があって、1時間ひとりなんと70円。
友人が勝手に入れた私へのリクエストは、レベッカの「プライベイト・ヒロイン」。
かなり絶叫系で高音だしエネルギーの要る歌なのですが、カラオケ友達に言わせると私はこれが一番うまいそうです。

留守電に高校の先輩からのメッセージが。
「心配で電話しました。具合がよくなったらまた会いたいです」

ちゃんと、「やっぱり距離をおきたいです」と伝えなくちゃいけない。
明日、気合を入れて電話しよう。

2005年8月5日(金)

高校の先輩の留守電に、意を決して「やっぱりお付き合いはできないです」とメッセージを残した。
だけど、後から電話がかかってきて、

やっぱり何時間も話すハメになってしまった。
やっぱり促されていろいろなことを喋ってしまった。

そして、やっぱりなんだかよくわからなくなってしまった。

昔の、悲しかったことを、たくさん思い出す結果になった。

「・・・辛かったね」と呟かれただけで、安っぽく涙が流れた。

かわいそうに、痛々しい。と言われて「かわいそうと言われるのは嫌いです」と答えた。
だけど「そうか、私はかわいそうだったのか・・・?」と思わせるような響きが、先輩の口調にはあった。

もう言わないで。惨めになるから。

それと、この頃わたしはちょっと変なのだ。
出来るだけ歩いて交通費を浮かせたり、新しい洋服や靴が欲しくても見るだけで買わないでいたり、人に誘われた時に「安いお店がいい」と言わなくちゃいけないことが、当たり前だと思っていたのに、なぜだか、すこし切なくなってきてしまっているんです。

実家を飛び出してからもう5年になる。
なのに、こんなに色々な目にあってきてもまだ、昔のようなお金に不自由のない生活への執着を捨てられないでいるんだ。
「お嬢様」扱いされていたいんだ。

なんて往生際が悪くて、くだらないんだろう。

2005年8月8日(月)

いつもメタリックベージュのペディキュアをしていたのですが、昨日の夜は水色でラメ入りのネイルに変えてみました。
だけどラメの粒がジャマしてあんまり綺麗に仕上がりません。
足の指だから遠目だしいいか、とそのままにしましたが、安いネイルはやはり難アリってとこかな・・・。

今日から作業所の夏休みが終わって通所再開。
節約しようとお昼のサンドイッチを作って持参し、一週間ぶりにみんなに会えました。

男性に紛れて木工教室に参加。
CDが入るサイズの立方体の箱を作ってます。
慣れないノミやカンナを使って微調整。なぜだかやっぱり楽しいです。
仲良くなりたい指導員の木工職人T君とも喋れるし。

私の作成途中の箱の切り口を見て「女性の仕事とは思えない~」とSさん。
「その発言はちょっと女性蔑視かも・・・」とT君。

それで思い出したんだけど、昔読んだ「話を聞かない男、地図の読めない女」。
その中に女脳か男脳か診断するテストがあって、やってみたのだが、私は女性ながら限りなく男脳に近かった。
それを言ってみたら「論理的なのね」とT君。

うーん、群れて仲良くするのが苦手なところとか、熱中すると一人でコツコツ続けるところとかが男っぽいかなぁとは思ってたけど、論理的ではないよなー。
どうなんでしょうね。
みなさんも機会あったら診断してみると楽しいですよ。

T君が「○○さんはやることが細かいから職人向きだ」と言ってくれました。

それと、ようやく漫画「スラムダンク」の続きを借りることができました。
本当にバスケットやりたくなっちゃうほど面白いです。
ネットで近所のバスケットのサークル探しちゃいました。
でも私は身長が150cmに満たないほど小さいからな~・・・。

これから寝る支度したら、読むぞー。

2005年8月9日(火)

今日もサンドイッチを作って作業所へ。

また木工教室に参加。
箱の表面にカンナをかけるのが私にはかなり重労働でうまく削れず、何度も指導員のT君にお手本を見せてもらいながら汗を流しつつ時間をかけてやった。

疲れるけど楽しい。私は物を作るのが好きなんだなあー。

帰りはいつも、二駅分あるいて帰ることにしている。
電車賃を浮かすためと、運動のため。

部屋につくと汗だくだけど、一日作業して帰ってくると気持ちいい。

それとみんなと会って会話するのって、気持ちが分散して良い。
悩みを相談するわけではないのだが、明るい気分になれる。
ひとり思いつめて滅入りやすい私には、いまは貴重な場所だ。 

2005年8月10日(水)

「先週の診察で先生が言った言葉で、けっこうズガーンときて引きずってしまいました(笑)」

「ええ?僕なんて言いましたか?」

「ええと、僕はあなたとはSEXしません、ドロドロの関係になる入り口だと判っているから。あなたに近づく男性は、あなたの母性、自分をわかってくれそうな空気に甘えてくるんだから、みーんな気を付けないといけない、って」

「ああ~、僕、疲れてたんですね・・・。言い方がマズかった、本当にごめんなさい。気にしないでね。弱い男性が近づいてきやすいから気をつけて、っていう意味のつもりだったんです。僕も含めて、弱い男性が多いんですよ。自戒の意味も含めて言ったんです。僕も他人と自分の境界線が曖昧になりやすい人間ですから」

「え、先生、今もそういう自覚があるんですか?」

「ありますよ~」

・・・自戒の意味もあるって・・・。
先生が私に母性を感じて間違いを犯しそうな気がするということ?
まさかね。

先生、私しらなかったけど、先生は精神病の女の子(私は「子」じゃないけど)を診る医者としては
県で一番だっていう噂もあるらしいよ。
たぶんそうやって、なんだか自分むき出しでプロっぽくなくて、けっこう感情移入しちゃって仕事してるところ、大変そうだけど私は好き。
先生に逢う前に逢ってきた短い付き合いだった医者たちとは違う。
先生は、私の言っていること、知識にあてはめるのではなく身をもって感じ取ってくれる。

診察の後、自分のイラストをお土産にして、祖母の家へ行った。
2時間くらい、喋っていたかなあ。
94歳なんて思えないほどしっかりしていて腰も曲がっていない。
「おなかすいちゃった」と言ったらラーメン作ってくれて(私がやるよ~、と言っても阻止されるのだ)、自分で漬けたおいしい薄あじのキュウリのお新香も出してくれた。

作り方を教えてくれたので、さっそく安いキュウリを買ってきて漬けています。
トゲをそぎ落として、一口大に切って袋に入れ、塩をふり、混ぜて冷蔵庫で寝かせるだけ。
一晩で良いそう。私は塩のほかにレモン汁もふってみました。

2005年8月11日(木)

ヤフーチャットのカラオケルームでずっと歌っていました。
そして夜はまた友達とカラオケ。
殆ど歌わないで喋ってたけどね。

これからマイノリティでありながらどういうことをしていきたいのか、どういう目標をかかげて生きていくのか。
そんな話を延々としていました。主に友人がね。
やり残していることがあるけど仕事に忙殺されて出来ず悔しい、モチベーションが低下していると落ち込んでいたので。

私は人生をかけたいような大きな目標は今のところ、無い。
だけど小さい頃から好きだった絵を初めて売ってみたし、また別のギャラリーカフェのオーナーさんからポストカードを出品してくれないかと依頼があって、やってみるつもり。

そしてまた、まったく別の新しいことに首を突っ込みかけています。
好きなことはとりあえずチャンスがあれば覗いておきたい。
エネルギーのあるうちにね。
難しいかなと思うけど、もし軌道にのってきたら日記にも書くと思います。
こうやって、模索しながらでも進んでいきたい。
私はもう人の期待に応えるために生きているだけの人形じゃないのだ。

 あの頃の僕らが
 嘲笑って軽蔑した
 空っぽの大人に
 気づけばなっていたよ

 生まれて来なければ
 本当はよかったの・・・?

『砂の果実』より。

「この歌詞、若い子向きじゃなくて、30過ぎてから共感できる詞だよなあ」
友達がため息まじりに言いました。

若い時は理想に燃えて突っ走っていたけれど、実際社会に出てみたら適応できずに挫折、挫折の繰り返しで、ただ与えられた仕事をこなすだけの「空っぽの大人」になってしまったと。

改めて思い出してみると、なんとも切ない詞だ。

 少年くさい君の
 誇りが鬱陶しくて
 真心をからかったね
 愛さえはぐらかして

 弱虫の偽善者は
 僕のほうだったよね
 そこから笑えばいい
 堕落してゆく僕を

2005年8月12日(金)

先輩の前で酷い醜態をさらしてしまった。

私はやっぱり病気なんだなあ。
こういう時に、あらためて自覚する。

あとになってから思うと恥ずかしくて情けなくて、なんであんなことしてしまうのだろうと思う。

いつも、あとになってからそう思う。

2005年8月13日(土)

二日酔いで気持ちが悪かったし、昨日の自分を思い出しては滅入っていたけれど、がんばって待ち合わせの場所へ。

初めて会う女性とカフェでお喋り。
今わたしがやりたいと思っていることのお話を聞くため。
相手にしてみたら「私」という人間を判断するための顔合わせですね。
その女性があまりにテンションが高くてポジティブで、話を聞いてるだけでも眩暈がしそうな情報の嵐でした。
もうおなかいっぱいです。

でも次の約束をして、握手をして別れました。
さて、これからどうなるか。

2005年8月14日(日)

顔を覆いたいような恥ずかしさを引きずりながら過ごす休日。
掃除機かけなくちゃ・・・と思いながらも、洗濯物を干しただけで、意識を失っていたくて、部屋の真ん中に横になる。

浅い夢をたくさん見る。
オレンジ色の線で落書きされた私の部屋のグレーの冷蔵庫が見える。
何が描いてあるのかよく見えなくて、近寄ろうとするが近寄れない。

本当に目が醒めた時はもう日が沈みかけていた。
慌てて洗濯物を取り込み、勢いで掃除機もかけた。汗が首をつたった。

土曜日に会った女性から、「会えてよかった、時間をありがとう。また木曜日、会いましょう」とのメール。
こちらこそありがとうございました、と返事を返す。

こんなに恥ずかしいなら、もうやめればいいだけのことだ。
済んだ事は仕方ない。後悔したって過去は変わらない。
きっと、次からは、やめられる。難しいけど、わたし、できるよね?
祖母が無理やり私に押し付けて断りきれず「じゃあこれ使わないでお守りにするね」と受け取っておいた、おこづかいの一万円札を眺める。

先輩は優しかったし冷静だった。私は救われたのだ。
だけど金曜日の私を見て、もう嫌ってくれたかもしれない。
悲しいけど避けてくれたほうが、今の私には幸いなことかもしれない。

明日になったら、また新しい一日を過ごすんだ。
お弁当もちゃんと作って、出かけよう。

2005年8月15日(月)

ベーコンとトマトと玉ねぎをはさんだサンドイッチを作り、作業所へ。

木のCDケースが出来上がり、表面をバーナーで焼いて焦がし、こすって、アンティーク風に。
さっそくアパートに持ち帰ってCDを入れています。

話かわって、作業所で使ってる電動の糸ノコギリ。
私、これ、うまくないんです。
作業所で初めて「あ、思い通りにいかない・・・」と思ったモノ。
手作業はなんでもすぐコツを掴めるほうなので、なんか落ち込んでしまった。
表面には出さないけど、その落ち込み具合といったら泣きたいくらいだ(大袈裟・・・)。
これはもう、うまくなんないと気がすまない。
木工職人のT君にお願いして手本を見せてもらい、余りものの板きれで練習、練習。

それと、夜から、知人に手紙の返事を出そうとイラストを印刷しはじめたのだが、「これだ!」と思うような色がなかなか出せなくて5時間くらい経ってしまった。
それでもまだ納得いくものが出来ないでいる。
だけどもう寝る支度しなくちゃ・・・。

一枚のイラストでこんなに色にこだわって印刷に時間かけるようじゃ、ギャラリーカフェにポストカードを何種類も出品する冬はどうなることやら。

途中で友人から電話があって「今、イラストが思うような色に印刷されなくて忙しいから、切るよ」と言ったら「さすが完璧主義・・・」だって。

完璧主義か・・・。いいんだか悪いんだか。ねえ。

2005年8月17日(水)

美容院へ、一時間半の長旅。

担当のTさんは私の顔色を見て「今日は調子が良さそうだ」とか「今日は早く終わらせて帰ったほうがいいかも」など判断するそうだ。

私は自分の顔色なんて鏡で見てもわからない。
ましてや他人の顔色なぞ、そうそう変化に気付かない。
人の顔色に気付くのはお酒で赤くなってる時くらいか・・・。
Tさん、さすが接客のプロ。

せっかく○○町方面に出たので、寄り道して、○○内の「クア・アイナ」のアボカドバーガーを食べてみた。
節約しないといけないんだけど、どうしても試したくて。
うーん、でもモスバーガーのナンタコスのアボカドのほうが味が好きだな。

今月、出費が多いぞ。作業所にはお弁当持参して地味に努力しているが、ちょっと追いつかないなー・・・。

○○内でひとりの若い男性の似顔絵画家さんがカップルを前にして似顔絵を描いていた。
私は画家さんの背後からずっと手元を覗いていた。
鉛筆で薄く下書き、マジックで線を書き、消しゴムをかけ、パステルで着色。
紙をくるくると回しながら塗り、みるみるうちに出来上がっていく。

私は絵を仕事にすることはできないんだよなー。
せっせと作業するプロの画家さんを見て、なぜか改めて確信した。
憧れはもちろんある。でも趣味の範疇で楽しむのが限界だとわかっている。
仕事にしたら、私はきっと、描けなくなるだろう。

そこはかとなく寂しくて(Tさんがなんとなくいつもより冷たい気がしたから?似顔絵を描いてもらっているカップルが幸せそうだったから?)帰りのバスで奥の席に座り、窓ガラスに頭をもたれかけ目を閉じていた。 

2005年8月18日(木)

○ーさんに会いに行ってきました。
もうあれから一年経ってしまったなんて。
まだ信じられないです。

○ーさんはみんなでお金を出し合ったたくさんの花に囲まれていました。
Cさん、まとめ役してくれて、いつもありがとう。
私の描いた猫の絵も猫好きの○ーさんの傍に飾られていました。

○ーさんは私が生まれて初めて本気で憧れた女性です。

私はそう遠くない昔まで、自分の気持ちがわからない大人でした。
それを問題だと気付かせてくれたのも、多分、○ーさんです。

○ーさんを初めて知った時、その文章を見て、
あまりの面白さ、頭の良さ、何より自我の明瞭さに衝撃を受けました。
「こんなふうになりたい」と強く思い、人生を変えなくちゃと思いました。

そうして、ここまで生きてきました。

2005年8月21日(日)

最近知り合った10歳上のブっとんだ主婦のYさんに誘われて、六本木のベルファーレに行った。入場無料券をくれたの。
ベルファーレは初めてだし、クラブへ行くのは2年ぶりくらいかな。
サルサ以外のクラブも初めてです。

ベルファーレは日によってテーマが違って、今回は30代を狙った選曲。
「70’s&80’s DISCO 『東京エイティーズ』 presents TOKYO DISCO NIGHT」。
若い子も勿論いるけど、スーツ姿のサラリーマンや50歳くらいの女性まで踊っている。

選曲が私の世代よりちょっと上かなーという感じでしたが、やっぱり一応知っている曲ばかりで、汗を流しながら2時間半踊りっぱなし。

マイケル・ジャクソン「BEAT IT」
A-HA 「TAKE ON ME」
「ジンギスカン」
QEEN「I WAS BORN TO LOVE YOU」
カイリー・ミノーグ「TURN IT INTO LOVE」
「YMCA」 etc…

楽しかったあ。ダンス、やっぱり大好きです。

ベルファーレはしきいが高いと感じてたのですが、思っていたより上品だし、入りやすかったです。
フロアも広くて踊りやすいし、マナーのいい人が多いみたい。

イベントチェックして、また行くつもりです。
六本木、うちから意外と行きやすいと判明したので。

露出度の高い服装をしたので(Yさんが貸してくれた黒のミニスカート)、鏡で見てみると、やっぱりもう少し痩せないとあんまり格好よくない。

がんばって痩せるぞ(と言ってみるだけ)。

2005年8月22日(月)

今日まで夏休み。明日からはお弁当つくって出勤?です。

なんか最近、よく出歩いてもいるんだけど、休日はネットでチャットしてることが多い。
たぶん、なんだかんだ言って、寂しいんだろうなあ。

だめだよなあと思っていても、なぜかチャットに入ってしまう。
カラオケ部屋とかメンタル系のチャットならまだしも、友達になりたい人が居ないような出会い系のチャットに入り浸ってメッセンジャーしてることが多いです。

くだらない話題ふってくる人ばかりなので(そういうところに行く私もくだらないんだけど)、途中でやめるばかりで、不毛・・・。

はー、無駄に時間を過ごしているなあ。

2005年8月23日(火)

寝るのが遅いんですね。
目覚まし止めちゃってから二度寝してしまい、一時間後に慌てて起きてゴミ捨てに行ったけど、回収に間に合わず・・・。
朝からちょっとブルー。週に1回だけのプラスチックごみの日なのに。

眠いしダルいし天気も悪そうだしで、休もうかと思ったけど、去年、都内のH病院の主治医に退院時に渡された言葉を思い出す。

「しんどい時も、ちゃんと通所すること」

そうなのだ。たぶん休んだらもっとブルーになるのだ。

あまり考えず機械的にサンドイッチを作りモチベーションを高めてみる。
頂いた○ーさんの服の中から薄手の黄色いインド綿の半袖ブラウスを選び、黒のキャミソールの上に羽織ってみた。
鏡で見たら、ブラウスの淡い黄色が可愛い。ちょっとテンションが上がる。

さて、次はアクセサリーだ。
エキゾチック&地味カジュアル(←?)でいこうか。
ブロンズ色のグラスコードにオニキスの指輪を通してペンダントにし、
チャイナ風花柄のバングル(これも○ーさんが去年の私の誕生日に病院に届けてくれたんだよなあ)の中から白地の物を右手にはめ、もうひとつブロンズ色の細いバングルを重ね、左手には使い古したシルバーの愛用スウォッチ。
耳には黒ビーズのフックピアスをつけてみた。
ボトムは、作業所へ行く時はジーンズと決まっている。

バッグ。黒メッシュか、籠バッグか。10秒くらい考えて黒メッシュを手に取る。
そして雨に濡れてもいい合皮のベージュサンダルを履き、全身を鏡でチェック。

まあそんなこんなで、わりと気に入った格好で、お弁当も持って、作業所には行けたのだった。

なんか私って。

2005年8月24日(水)

私は、台所に立つ母に向かって泣き喚いている。
聞いてもらえなくて、わかってもらえなくて、悲しくて悔しくて、手にしていたフォークを母親に思い切り投げつけたら、服の上から母の体にフォークが突き立った。

夢でよかった・・・。
どうして繰り返し繰り返しこの類の夢を見るのだろう。
まだ、納得できていないの?

夜ちゃんと眠ったのに、眠くて仕方がない。
予約時間ギリギリまで眠って、真昼に診察に出かけたが、眠くて眠くて段差で足を踏み外したり階段で落ちそうになったり。
部屋に帰ってからまた横になって、気付いたらもう暗くなっていた。

誰だって寂しいんだよ。
誤魔化すのが上手になった時、人はオトナになっているのだろう。
なりふりかまわず泣き喚いてさらけ出したりせず、悲しみを心の隅に押しやって隠せるようになっていくだけだろう。

2005年8月25日(木)

台風。一歩も外に出なかった。
ダンスの体験講習に行く予定だったが、低調でキャンセル。

私はやりたい事を見つけるのがとても下手だ。
きっと、人の期待に応えることしか考えてこなかったからだろう。

いつも優柔不断で、神経過敏で、他人の評価にとても弱い。
活動を始めると、すぐに色々な事が抱えきれなくなってくる。

生きているのがとても不安なんです。これといった理由がないんです。
ネットを逃げ場にしていて、逃げた後に残るのは虚無感だけ。

もっと健全な道を選んで邁進したいのだ。
目標らしきものが見えてくるまで、まだ、諦めたくない。

2005年8月26日(金)9:55

私、人間として、だめですか。

2005年8月27日(土)

昨日の朝、なんだか気が狂いそうになりました。
突然、何かに、私の中にある「自信」らしきものを一切もぎとられてしまったかのようになり、強烈な不安と絶望の渦に巻き込まれました。
私には何もない、からっぽだ。どうしたらいいの。
助けてー。と、つい日記に言葉を残しました。
時間を記したのは、なんか最後かもと思ったのかも(また大袈裟な・・・)。

それでもなぜかお昼のサンドイッチを作りました。
服を着替えて、作業所に行きました。
気がついたら作業所の前まで来ていました。
苦しかったら考えずに動くという行動パターンが身についてきているのでしょうか。
職員に「ちょっと休ませてください」とだけ告げて、携帯電話とコントレックスのボトルとともにキッチンに閉じこもりました。

薬をのんでも駄目だという気がしました。
信頼している人から、仕事中なのに運良く電話を貰えました。
何を喋ったんだろう。だけど、たくさん、大丈夫だと言ってくれました。

しばらく突っ伏していたら少し具合が良くなってきて、キッチンから出て、みんなと一緒のテーブルでお昼を食べました。

メンバーの一人に唐突に「○○さん、死んじゃ駄目だよ。親から貰った命なんだから」と言われて、曖昧な笑顔を返しました。

時間が過ぎるにつれ徐々に回復して、平常に戻っていったみたいです。
なんなのいったいあれはー。

心配してくださった方、本当にありがとうございました。

2005年8月28日(日)

なぜか昼夜逆転しているみたい。
昼間、ずっと寝てしまいました。

夜、六本木へサルサを踊りに出かけました。
サルサは2年ぶりくらいかな。
軽いレッスンを受けて、フリータイム。

基本的に男性がリードするペアダンスなので、相手の男性が次にどうくるか、手の動き、体の向きなどから予測して踊ります。

しかし私、やっぱり、下手になってました。

ターンする時に男性から体が離れていたり、2回転になると重心がずれてふらついてしまう。
しかも気力も続かなくて、最後のほうはけっこうバテてました。
体力落ちてるのかな。薬のせいかな。
ミュールも危ないのでやめたほうがいいな。
チャコットでダンス用のヒール買おうかなー。

2時間くらい、色んな人と踊ってみたけど、その中で型にはまらず自由でコミカルなステップで見ているだけでも面白く、かつリードも上手い男性がいました。
サルサ以外のダンスもずっとやってるんだろうなあという感じ。

汗だくで、終わったらぐったり。ひとり電車に揺られて帰りました。
アパートに着いて、シャワー、洗濯、ストレッチ。
かなり体がだるいです。明日、出かけられるかなー。

2005年8月29日(月)

今日もサンドイッチを作って作業所へ出かけた。

・・・が、眠くて眠くて仕方がない。
口を半開きにしたまま目もうつろにトボトボ歩いていたら、向いから歩いてきた人が「タン!」と足を鳴らして立ち止まった。

顔を見たら、私の前から姿を消してしまったとある人だった。
もう2ヶ月くらい、会っていない。
「・・・あ。」と思わず声が出た。
彼が無言で手をあげたので、わたしも顔の横に手をあげてみせた。
私をまっすぐ見据えていたけれど、表情は硬かった。
それだけで、すぐ前に向き直り、まっすぐ歩き出した。
背中を少し見送って、私も反対方向に歩き出した。

眠くて眠くて、仕事は簡単なペイント作業にして貰った。
赤、青、黄色、緑など、子供の好きそうなヴィヴィッドな色を選んで、角をヤスリで丸くして穴を開けた木片にひたすら色を塗っていく。
積み木にしたり棒に通したりして遊べるおもちゃ。

彼が足を鳴らしてまで私を振り向かせたのは、どうしてだろう。
あのまま、気付かれずにすれ違うこともできたのに。

2秒ほど視線が交わった、彼の鋭い目。
「もう落ち込んでなんていないぞ」と主張している気がした。

2005年8月30日(火)

昼夜逆転たてなおし計画。
昨日はしっかり早めに薬を飲んで、早めに寝ました。
朝、ゴミすてに起きて、出かける支度して、一日中活動していたけど、眠くはならなかった。よしよし。

今日はみ○とみらいにあるネットカフェへ。
月に一度の身体・精神障害者の集いの日です。
私は車椅子の店長さんのファンなので楽しみにしていたんだけど、講演会に出かけているらしくて会えず、残念・・・。
初めて会った時も凄いプラスのオーラを感じたんだけど、やっぱりあちこち飛び回ってる精力的なひとみたいです。
腕だけで富士山も登ったとか(そういえば腕、相当たくましかったなー)。

○○のほうにある作業所の職員の男の子と初めて会いました。
すんごい感じのいい子だった。
こんな優しい喋り方をするひとに久しぶりに会った気がします。
脳性麻痺で車椅子の利用者さん2人の付き添いで来ていたのですが、はっきりとは喋れない利用者さんとのコミュニケーションの様子に見入ってしまった。
言葉が聞き取れるまで、いつまでも笑顔でのんびりと耳を傾けている。
まるでそこだけ永久に時間が用意されているかのような、ゆったりとしたやりとりです。

私の生活は、急いでいるなあ。
私の性格も、急いでいるなあ。
いや、日本全体が、なんだか急いでいるよなあー。

いつも余裕があっておっとりした感じの、ネットカフェのスタッフのTさんとも久しぶりに会えました。
本職は紙漉きの先生です。かわいらしくてふわっとしてて、年下なのだけど「こんなふうになりたいなー」と会うたびに思います。

みんなで公園へ散歩に出たのですが、道すがら話してくれました。

「行き詰って、”あ、今の私、ダメ”と思ったら、無理しないですぐ休憩とるの。本を買って、ドトールでカフェラテとか飲みながら、一時間くらい、読むの。読んでる時は、本の世界にどっぷり入り込むの。そうすると、いい状態の自分に戻れるの」

Tさんでも、行き詰る時ってあるのね。なんて言ってしまった。

行き詰る時のない人なんて、いないだろうー。

2005年8月31日(水)

診察室に入ったら、先生の机の上の一枚の絵が目についた。
水彩画で、池の淵に立っている女の子が裸足の片足を池に浮いている葉っぱの上に差し出している。

「わー。これ可愛い・・・」
「いいでしょ、気に入ってるんですよ。患者さんがくれたの」

へー。へー。すごいなあ。プロかなあ。
いえ、趣味で描いてる人ですよ。あなたと同じ。
あなたの絵も、ぼく好きです。

へー。へー。
・・・じゃあ私も先生に、私の絵、えーと、どれが・・・。

あれがいいですね、街の・・・。
あ、ショーウインドウの絵ですね。

あれはいくらで売ったの?
えーと・・・6300円です。
ああー、ぼくが2万で買ってあげたのにー。
あはは。

本当は先生に原画をあげたいけれど、新しく描くのは無理だなあ・・・。
本気で絵を描くのって、とてもエネルギーが要るんです。
大人になってから、自然に描ける状態になることが稀になってしまった。

日記を書くみたいに、いつでも絵が描けたなら!

いや、ないものねだりはよそう。
既に持っているものを、どう使うか考えよう。

絵については、私は今年の初夏、じゅうぶん頑張ってみた。
それはひとえに、やってみたかったから!です。
さらに新しい作品を生む理由は、今は、私の中には見つからない。

そして最近の私は、サンドイッチを作っては、仕事場に足を運ぶのです。
ちょっとハードなダンスをしに、都会へ出かけていくのです。
相変わらず新しい歌を覚えては、飽きずに歌ったりしているのです。

2005年9月1日(木)

成功して認められなくちゃいけないと、誰が教えたんだろう。
なんでも上手くこなさなくちゃいけないと、誰が教えたんだろう。

私はもともと、私に出来ることしか、出来ないのだ。

まだ、自分が何に興味を持ち、何に首を突っ込むのか、わからない。
やりたいと思ったら、やってみるだけです。

動く力がある今は、知らない世界をなるべくたくさん見ておきたい。

私は、「これは違う。辛い」と気付くのが遅い。

気付くのが遅くても、いいの。
そこからまた、始めます。

2005年9月2日(金)

今日もサンドイッチを作って、作業所へ。
遅刻常習犯だけど、決めた曜日は休まないようになった。
朝、多少つらくても、支度をして電車に乗る。

だけど、決まった場所に通うように頑張っていることが、私にとってどういう意味があるのか、ふとわからなくなった。
作業所に行くよりも、自分のするべきことが他にあるような気がする。
それがなんなのかは、やっぱりわからないんだけど。

帰りに作業所の仲間とカラオケして、喫茶店で雑談。
笑顔で会話しているけど、私の中に虚無感が湧いた。
多分、みんないい人だけど、もう働くのを諦めている人ばかりだからだ。

他人が作業所にどういう目的で来てるかなんて、私には関係ない。
どうして私はがんばって通っているのか。
外出する習慣をつけたり、調子を安定させたりするためでしょ?
社会復帰してまたお金稼げるようになるためでしょ?
集団の中でも神経使いすぎて潰れない訓練のためでしょ?

・・・でもそれって、果たして私が心から望んでいることなんだろうか。

人生受動的。おまけに刹那的。
真剣に進む道を考えることから、私は逃げている。
計画なんて立てられない。考えようとすると、頭が真っ白になる。
目の前に用意されているものを、ただ、こなしているだけだ。

朝、眠くても起きて、お昼を作って、作業所に通う。
がんばっているようで、怠けているのかもしれない。
「作業所に行けた」ということと引き換えに、自分が本当にやるべきことは何なのか、考えなくていい気がしてしまうからだ。

いっそのこと引き篭もって、メディアを全て排除し、誰とも会わず、とことん自分自身だけと向き合って過ごしてみようか。

どこへ、向かっているんだろう。

2005年9月5日(月)

なんとなく失速気味かなー。

出かけるつもりでお弁当つくったのに、また寝てしまった。
最初は30分だけのつもりが、5分ごとに鳴るケータイの目覚まし、止めては寝て、止めては寝て。
結局、昼近くなって、作業所に「今日は休みます」とメールを入れた。
しかも「眠すぎてフラついてて、外に出ると危ないので」などという、正規の仕事だったらとても言えないアホな理由を添えて(私は仕事していた頃、眠剤でフラついて足の指を骨折したことがある)。

今日は早く寝て、明日は行こう。
まだ22時だけど、薬も飲んだし、シャワーも浴びたし、筋トレとストレッチも済ませた。

今日も雨だなあ・・・。もう朝晩はかなり涼しい。
やっぱり今年もあっという間に秋がくる。
ノースリーブのワンピースの部屋着じゃ、寒くなってきました。

最近、作業所仲間から借りてる「スラムダンク」のほかに、ご近所のYさんから借りた知る人ぞ知る吾妻ひでおの漫画「失踪日記」を繰り返し読んでいます。

著者の実体験を綴った作品。
突然仕事を放り出して失踪、自殺未遂、ホームレス生活、肉体労働、アルコール中毒、強制入院までを明るいタッチで描いてます。
吾妻ひでおが入院した精神病院が、私の入院先と同じだったのでなおさら面白い。

吾妻ひでおを知らない方、アニメになった「オリンポスのポロン」、「ななこSOS」と言えばわかるかなー(古すぎて私もよく知りませんが)。

2005年9月7日(水)

目覚めたら、風がものすごく強い。
部屋の床が吹き込んだ砂でザラついていて、軽く掃除機をかけた。
雨も降ったり止んだりで、窓閉めたり、網戸にしたり。

落ち込んでいて、昨日、作業所、結局行かなかった。
ああなんか滅入る。これは寝逃げだな。一日中、殆ど寝ていました。
まあそういう日もあるだろう。

おとといかな、珍しく手持ちのネイルからピンクを選んでペディキュアを塗ってみたけど、色が目立たない上に乾きが悪くてすぐ傷がつく。これはボツだな・・・。
多分やすいネイルだったんだろう。今さっき、落としました。
それに、足には多少目立つ色のほうが、やっぱりいいな。
手には(普段塗らないが)肌色に近いオレンジやピンクでも綺麗だけど。

夕方チャイムが鳴って、そっと窓から見たら、作業服の人が立っていた。
私は、知らない人がきたら、必ず居留守を使うことにしている。
女性の一人暮らしだっていうこと、知られたくないのだ。
でもその人しつこくて、ドアを叩いたり、大声で呼んだりして、なかなか帰ってくれない。
なんだろう?と不安に思っていたら、「督促にしますねー」と叫んでやっと帰った。

え、督促?・・・なんか私、悪いことしたのか?
あとでポストを見たら、特にそれらしき書類は無かった。
なんだったんだろう?

2005年9月8日(木)

寝坊だ。朝の10時半、最近知り合ったダンスインストラクターからのメールで起きた。
赤坂のスタジオでのダンスレッスンの案内。
迷った末(ちゃんとしたレッスンは、やっぱり私には安くはないのだ)、土曜日に試しに一度だけ行ってみることにした。

近所のスーパーのレジの茶髪のお兄さん。
仕事ぶりだけで惚れそうなほど、処理がメチャクチャ速い。
なにか声をかけたいような気がしていたのだが、忙しいレジに入っているところしか見たことないので、気軽に話しかけるタイミングが掴めないままでいた。

数日前、めずらしくレジ以外のところで彼を発見。
小さな女の子が足に抱きついて甘えていて、彼は普段まったく見せない笑顔を浮かべてかまっていた。
私は足をとめてしまった。
ものすごーく、いいなと思った。
あまりにもいいなと思ったので、声をかけることなんて忘れてしまった。
その女の子みたいに誰かに無邪気に抱きついてかまわれたいのか、女の子になつかれて温かい目をしている彼が羨ましいのか、無性に仲間に入れて欲しくてたまらなくなった。

寂しさを上手く紛らわせるものなんてないみたい。
色々やってはみるけど、やっぱり、寂しいまま生きていくんだな。
それに、多分わたし、耐えていける。この調子ならね。
悲しみよこんにちは。

夜は友達が大量にお寿司を持って遊びに来てくれた。
職場のイベントで余ったのを貰って、一人じゃ食べきれないから、とのこと。
連絡を貰ってから、シャワーを浴びて、ペディキュアを塗り直し、ワカメとネギのお味噌汁を作り、麦茶を用意して、ゆっくり待っていた。
二人であれこれ話したりテレビを見たりPCいじったりしながら、お腹一杯、お寿司を食べて、眠くなってしまった。
こんなことだね。幸せって。

2005年9月9日(金)

朝から相当まいっていて、出かける前、母に電話してしまいました。

作業所に通う意味がわからなくなった、と先生に話してみたら、

「あなたは一見病気に見えないし、仕事始めれば出来ますよ。だけど僕としては、あなたを入院させたり、作業所を奨励してるのは、あなたはある面では病気が重いってことを認識して欲しいからです。今のままで仕事を始めたら、またおかしな行動を繰り返しますよ。仕事はじめるか生活保護になるかという問題ではなくて、まず自分の問題を具体化することです」

「・・・わかった?」と訊かれて、先生が診察を切り上げたいように感じて、
「はい」と答えてみた。

具体化。具体化。よくわからない。
他者依存的なところを意識的に鍛えることかな。
人の言葉に傷つきすぎないようになることかな。
私は自分という境界線が、とてももろくて、すぐ侵入されてしまう。
それだけは判る。

作業所にいって、メンバーと会話しているうちに、少し元気になった。
それまではあまりにテンション低かったのでやめようかと思っていたが、夜は先月からの予定通り、ベルファーレのサルサイベントに行った。
ベルファーレでのサルサは初めて。

朝はあんなに辛かったのに、ダンスはやっぱり楽しかった。
前回より少し、カンが戻ったような気がした。
速い曲で2回転ターンさせられても7割がた崩れず次のステップを踏める。
私が調子いいんじゃなくベルファーレに来る男性が上手いんだろうか
(合わせにくくて踊りづらい相当強引な男性もいたけど・・・)。
上手な女性をたくさん見たけど、やっぱり私ももっと上手くなりたい。
賞味3時間半くらい踊っていた。
汗だくで踊っている時は、悩んでいたことなんて忘れていた。
帰りの電車で、また現実に引き戻された。
痛む足をかばいながら、ドアに寄りかかって思った。これでいいのか、私。

2005年9月10日(土)

だるさがとれない体で赤○のスタジオへ向かい、サルサレッスン。

私はバーやクラブでは自分勝手に楽しんで踊っていただけで、きちんとしたダンスレッスンを受けた経験が無いに等しかった。
これが実質、最初のきちんとしたレッスンになるだろう。

・・・と思うくらい、本当に、それはもう「特訓」だった。
メールでしか知らなかった初対面のインストラクター(男性)が、熱い。
とにかく熱いのだ。だけどその上、ユーモアも忘れない。
彼が踊るのはサルサだけじゃない。ジャズ、R&B、HIPHOP・・・。
サルサの歴史から、目隠し状態で色々な音楽を聴いて手拍子、そのあと汗だくになりながらベーシックステップとシングルターンを各自鏡を前に延々と繰り返し。
とにかく基本!基本!余裕(間)のあるベーシックがうまくできていないと、ワザをいくら覚えてもサルサ特有の色気が伝わらず、雰囲気の無いつまらないダンスになってしまう、とのこと。

レッスンは2時間で終わったが、「もっと教えて欲しい人は、踊れるバーに一緒に行こーう!」と言われ、無論ついて行った。
ショーダンサーの女性を交えて、初心者ではない女性受講者3人とインストラクターの仕事仲間とでダンス談義。
バーのテラスで、インストラクターが個人的にまたサルサの相手をしてくれた。

残った生徒3人の中では、私が一番、基礎がなっていない。
一人はジャズダンスをずっとやってきたらしいし、もう一人は過去アメリカに住んでいて英語ペラペラ、あっちのクラブでも踊っていて故郷でもサルサを習っていたらしい。
二人ともダンスに勤勉で、動きが綺麗だし、長身でスリムな体の持ち主。
おまけに会話しててわかったが、頭の回転が早くて飲み込みもいい。

それなのに。
翌朝にお開きになってインストラクターと駅で二人になり、握手して別れた直後に名指しでメールが届いて、

 来年の二月までにはなんでも踊れるアシスタントになってください。
 春にはユニットでイベントに出場させます。
 赤○チームは、芸能界に負けないチームにしていくよ。

だって・・・。

おいおい。
3人に同じこと言ってるんだろうけど、
私ついていける自信ないよー。

今回、ただひとつ私が褒められたこと。
動きがやわらかくて、踊っている時だれよりも「楽しそう」なんだそうだ・・・。
きちんと取り組んだことがないゆえの気軽さだなー。

この2日で、覚えのない大きなミミズ腫れとひっかき傷、合計4箇所。 

2005年9月12日(月)

日曜日は、あまりに疲れていたので、広告読んで判断して投票に行く予定、投げてたんですけどね。

友達から夕方に電話があって、最近の社会情勢をなーんも知らない私に「概要を説明してあげるから選挙にいきな」と言ってくれました。
力のない声でメモを取りながらオベンキョウして、這うように投票会場へ。
いいやつだなあ。友よ。

今日は作業所で「頭も力も使わない作業ないでしょうか」と申請。
木製手作りボタン85個にニス塗り。
きちんとぜんぶ板の上に大きさ揃えて並べたのに、職員に手渡そうとして板ごとガッシャンと落としてしまった。
ああ~。ごめんなさい!!散らばったボタンを慌てて拾い集める。
私はこういうことは滅多にしない。やっぱりボンヤリしてたかな・・・。

仲間のおごりで、6人でカラオケ。
サイバーダムの精密採点機能を初めて使って遊んでみました。
レベッカを思い切り歌って92点が最高でした。微妙です。
でも慣れているみんなで歌うのはいつでも楽しい。
酔った木工職人T君が眠りこけている男性Aさんをマウス・トゥ・マウスで起こす。
もう笑うしかないでしょうー。

55歳のボスにビール付き合わされて(奢ってくれたのだけど)「アパートまで最強のボディガードつけるから」と、私の高校の先輩(体が大きいのだ)をご指名。

さあついにこの日が来ました。ACの正念場です。今日こそ!
私は大丈夫でした。
よってプライドも傷つかず、沈んでもいません。

一縷の寂しさはずっと続いているままだけれど。
でもこのくらいはきっとこの世に生を受けたサダメ。

2人で並んで夜道をゆっくり歩きながら、私は素直に高校の先輩に話すらしきことをつらつら話しました。
先輩も普通に聞いて普通に意見してくれました。
私は懸念していたよりも楽に、毅然とした態度を保てました。
ダンスのスキルアップに熱中したり絵のことを考えている時間が、確実に、弱い私の足元を支えてくれているのだという気がしました。

アパートの前まで来て「ありがとうございました。おやすみなさい」とハッキリ言ったら
先輩がかすかに頷きました。
それでOK、と、目が一瞬、微笑んだようでした。

2005年9月13日(火)

作業所のレクリエーションの日。
行くとしたらカラオケだったが、500円は自己負担なのでやめた。
ダンスレッスンの費用かんがえたら、今までに輪をかけて節約しなくちゃ。
スタジオには、今のところ、通うつもりだ。

横になっていたら、夢中になって絵を描いている夢を見た。
どういう絵だったかも思い出せる。
ペンを入れている右手の感覚も。
ペン先がどう動いていたかも。

先生。インストラクター。スタジオの生徒。昔からの知人。
作業所の仲間。職員。ネットの知り合い。ともだち。

人に馬鹿にされるのが怖いです。
嫌われるのが怖いです。

私に「OUT」というジャッジがくだる瞬間が、とても怖いです。

気付いたら日が暮れて、部屋は真っ暗。
PCのモニターの明かりだけで何時間も過ごしている。

怖いからやめるというのは、好きでは、ないのだ。

2005年9月14日(水)

診察の日。

ダンスに傾倒しているのがなんだか問題のすり替えのような気がする。

・・・と言ったら、

同じ自己表現でもアディクションと違うところは、絵やダンスは生産性がある上に自己評価を下げない。

と言って貰えました。・・・そうよね。
そんな簡単なこと、なんで云われないと分からないんだろー。

気が向いて新しくテキスト追加してみました。
なんか誰かの助けになることできないかなー。と思って。
ずっとやっててなんか疲れてしまった。
明るくないので興味ない方は読まないほうがいいかも知れませんが、トップからどうぞ。入院日記の前に「精神の病について」と題して載せました。

以下、この日の追加テキストを載せます。

加筆したり訂正したりして、最終的に

2005.9.29記載、としています。

+精神の病について+

私(まゆ)自身に関してのみの、あくまで主観的なテキストです。

はじめに

私には今、やりたい事に首を突っ込んで試行錯誤するだけのエネルギーがあります。
週一回の診察と少ないとは言えない毎日の薬は欠かせないし、寝ているだけの日ももちろん多いですが、あたらしい人に逢いに行ったり、仲間と思い切り歌ったり、喫茶店で喋ったり、アパートに遊びにきてくれる友達と語ったり、絵を描いてギャラリーで売ったり、ダンスをしにクラブに通ったり、スタジオレッスンを受けてみたりなど、少しずつ仕事をする・自活するなどの「やるべき」だと頑張ってきたこと以外に「楽しい」「やりたい」と感じる事に身を任せる感覚を思い出してきました。

要するに今、少しですが心に余裕があるのです。

というわけで、なんか私でも役に立つことをしておきたいなあなどと思いながら、私の精神的に不安定な側面についての歴史と考察?を(まとめたつもりですが)だらだらと書いてみました。
明るくないので興味のない方は読まないほうがいいかも知れませんが、同じような方、少し安心してもらえたらいいな。しないか(笑)

この世に生きているということは、それだけでとても苦しくて怖いことです。
だけどそんなことはもういいのです。
吊り合いが十分とれておつりが来るくらい素敵なことも確かにあるのです。
だから、とりあえずこのままで生きてみようと思っています。

2005.9.29記載

私は幼い頃からストレスに弱く神経質であらゆることに過敏でした。
神経過敏であること。それは必ずしもマイナスな点ではありません。
時に「感受性が鋭い」という表現に置き換えられてきた素質であり、集中力の強さと相まって、歌う・おもちゃや小物をつくる・文章や絵を描く・ダンスをする・ピアノを弾くなどといった「なにかをつくる・表現する」という面でいつの時代も私自身を遊ばせ潤してくれるものでした。

ですが、この持って生まれた気質が、少し問題となってしまったこと。
それは、この世に生まれてまず一番に愛して欲しいと願う対象である母親の心の状態にも、あまりに過敏であったということでした。
私の母親は不器用ですが信じられないほど真面目で頑張り屋で、専門職(保育士)に就いていながら2人の育児・家事を一人で切り盛りしていました。
今おもえば、母には、ちょっといっぱいいっぱい過ぎたんだと思います。
私は人(誰よりも母)に迷惑をかけてはならない、精神的に癒してあげなければいけないという思いを
異常に強く抱き、「頼れるきちんとした子でいないと愛してもらえない」と常に怯えていました。
いつも大人の顔色をうかがい期待通りに振舞うことによって、自分を失くしていきました。
そしていつの間にか「楽しい」「苦しい」などの感情を自覚できなくなりました。
家庭内ではずっと、家族の相談相手・愚痴の聞き役に徹することが使命だと思っていました。
自分の辛さは自覚できないため、また何があっても自分だけで処理するべきと思い込んでいたため、実際はとても困難な状況に置かれている時でも、人に助けを求めたり相談したりすることをまったく知らない人間に育ちました。
小学校まではなぜかとても活発でリーダーシップをとり親の期待に応えていたのですが、中学に入ってからはどんどん人が怖いと思うようになり、殻に閉じこもるようになっていきました。
クラスメイトと何を話したらいいのかわからない。
どんな態度で席に座っていればいいのかわからない。
緊張のあまり先生の話が理解できない。お弁当の味がわからない。
どんな短い会話でも汗がつたう。字を書く手が震える。朗読は声が出なくなる。
だけど成績だけは落としてはいけない。目立ってはいけない。おかしいと思われてはいけない。
私は極度の対人恐怖を押し殺しながらかろうじて周囲に普通に見えるよう、無意識にかつ必死にカモフラージュしてきたのですが、そのまま社会に出て何年かすると徐々に負担が蓄積され、演技しきれなくなっていきました。
対人緊張と鬱による身体症状はもはや意志の力では隠せなくなり、職場に行けない日が増えていきました。
当時は訳もわからずただ苦しさのあまり会社を辞めました。
そして、しばらくして精神科にかかるようになりました。
不本意にも「きちんとした」レールからはずれてしまった私自身との闘いと、当時まったく精神の病気に理解のなかった両親(特に母)との闘いが始まりました。

ようやく表面化してきた寂しさから異性関係で問題を起こしてこれまでにないほど深く傷つき、本当は同じ女性として慰めて欲しかった母に「もう一緒に暮らしたくない」と泣かれ、さらに寂しさのどん底に突き落とされ絶望で呆然としていた頃、AC(アダルトチルドレン)問題に貢献の深い横浜の精神科医(現在の主治医)の元へたどり着きました。
診察当初、ありのままを愛して欲しかったのだという本心を自覚できるようになるにつれ、私の症状を蔑み無視する両親を前に、悲しさに狂って生活を共にすることが不可能になりました。
頻度を増す発作に耐えきれず、徹夜でマンスリーマンションを探し、最初に家を身ひとつで逃げ出して自活を始めました。

「親には死んでも頼るもんか」と必死に働きましたが、楽になる方法は見つかりませんでした。
働きながら、私はなぜか罰が欲しくてたまらず、自分で自分が許せずに陰でわざと傷つけるようになっていきました。
どこまで傷ついて堕ちれば死ねるだろうか、今度こそ死ねるだろうかと、いつも行為の最中、ひとごとのようにぼんやりと思っていました。
長い間、自分が水面下でどれほど己に残虐なことを繰り返しているのか普段は全く忘れており、もちろん問題だとも気付けず、医者にも言いませんでした。
ある時ふと”私はとんでもなく危険なことをしているのではないか?”と思い、主治医に告白しました。
「問題だと認識して話せたのだから、これからは治していけますよ」
と力強く言ってもらえたのを覚えています。
ですが自分を傷つけることはいつの間にか生きているということを確認するための手段となり、体の真ん中にあいている大きな穴を一瞬でもふさぐための手段となり、中毒へと変わっていきました。
私を本当に心配してくれる大切な人を、私が私自身を大事にできなかったために振り回しました。
最初の入院後に一度実家に戻されてからは、もうどうにもできず、毎日がジェットコースターのようでした。
すでに疲れ果てて両親の前で症状を隠そうという気力が残っていなかった私は、内面の葛藤の嵐に両親も巻き込み散々かき回しました。
子供の頃からずっと一番愛して欲しくてやまなかった人が同じ屋根の下にいると、もう叶わないのだと判っていてもどうしてもなんらかの期待を抱いてしまい、ひずみが生じるのです。
結局実家では居場所が見つけられず自己破壊的な行動は増すばかりで、私は再び両親と住むことを諦めました。

また安いアパート探しに奔走し家を出て、2004年の7ヶ月の入院を経て、試行錯誤のうちに1年が過ぎようとしています。
現在は先生(下記の日記の入院先の主治医とは別人)に、周囲の人々に、葛藤は消えないながらも家族にさえも、あらゆる面をバックアップして貰いながら一人で暮らしています。
私はかなり落ち着いて過ごせるようになり、波はあっても「このままでは死んでしまう」と思うほどの
強烈な自己の不確実感に襲われることは滅多に無くなりました。
そして、自分をおとしめたり傷つけたりしないよう努力してバランスをとっています。
よっぽどのことがない限りは食べ物が喉を通ります。
薬を飲めば大抵、普通に眠ることができます。

症状については、精神の病は目で種類・レベルがはっきり区別できるものではないですし、誰しも(健常者とされる人でも)多かれ少なかれ複数のものを併せ持っていると思っています。
神経症の一種とされる「対人恐怖症」については、まず自分の気持ちを常に自問して把握しさらに人に伝えるという訓練を重ね奮闘してきた成果なのか、幸い加齢とともに緩和してかなり楽になっていきました。
恋愛関係にある男性以外とは雑談がまったくできないという悩みも殆ど解消され、周りに合わせることしか念頭にない苦しい人付き合いのパターンも、自分が好きだと感じるほうを選びながらこなすというものに変わっていきました。
あれほど辛かった会食や飲み会も、慣れている仲間なら素直に楽しめるようになり、慣れていない人とでも得意ではなくともパニックにならずに同席できるようになりました。
そして現在私は一般的に知られている病名でわかりやすいものを選べば、希望がまったく持てない・希死念慮を持つ・思考力の低下・食べられない・眠れないetc.を症状とする「鬱病」と診断されているのですが(現在は症状は殆どないが完治の判断はつかない)、根本にある最も厄介で治すことのできない爆発的な愛情飢餓感や不安感・焦燥感は今のところ「AC(注:病名ではない)」および「ボーダー(境界性人格障害)」に分類されるものだと思っていますし、主治医からもそのような判断をされています。
ですがこれは苦しみのあまり自分の症状について書籍やインターネットであれこれと調べ、あがき、かかりつけの医師を替えていくにつれ掴んできた単なる傾向にすぎないですし、病名自体は私が生きていく上でのわずかなヒントにしかならず、あまり重大な意味を持つとは思っていません。

前述に加えて心の病のこれまでの流れを、目安として耳にしてきた名称を使ってみると、抜毛症、抑鬱神経症、睡眠障害、社会不適応、躁、パニック障害(私の場合、軽度の過呼吸発作)、自傷行為の繰り返し、薬物その他への依存行動(アディクション)、過食嘔吐等の経過を交互に、また同時にたどってきました。
その中で、2002年末に2ヶ月、2004年春から7ヶ月、都内にあるH病院の精神科に入院しました(2003年夏、大量服薬のエスカレートにより市内の救急指定病院に一泊二日入院を挟む)。

このテキストの下に、最初の2ヶ月の入院時の日記と、退院直後に加筆したものを載せています。

自活のため薬を服用しながら死ぬ思いで通っていた派遣の仕事の契約期間満了後の入院で、読み返してみると軽い躁状態だったために文章や絵を残すことができたのだとわかります。
途中から急に日記を書かなくなっているのは、躁の症状が強くなっていったためと思われます。
基本的に私は自分の心情や解釈を文章にすることと、人に読んでもらうことが相当好きなのですが、鬱や躁があるレベルを超えると内省的な記録を残すことに突然興味を示さなくなる傾向があるようです(二度目の7ヶ月の入院時は鬱状態にあり薬も強く頭があまり働かず、日記も絵も殆ど残していません)。
日記中にも普段は無いような攻撃性・社交性が見られ躁状態だということがわかるのですが、最後にある退院直後の加筆部分にそれが一番顕著に表れていると思います。
私は普段はこんなに手放しの感激屋ではないですし、人に好かれやすいオープンなところもどちらかというと持ち合わせていないほうです。
たった2ヶ月の共同生活でこんなに人気を得て大勢に手紙を貰って見送られたり、別れを心底惜しみ合うような人間でもないですね、たぶん。

上記テキストのあとに、

2002年の入院日記を配置し、

HPに載せ直しました。

2005年9月15日(木)

昨日の夜、今年初めて部屋でゴキブリに遭遇したのだが、行方不明のままだ。
この狭いワンルームで一緒に過ごしているのか・・・。

トップのテキスト「精神の病について」、加筆訂正。
こういう文章を書くのって難しいですね。
でも学生の頃に書いたような作文・レポートほどには神経使っていない。
やっぱりある程度にはいい加減です。そりゃそうか。

作文は、力の入れ甲斐があって(反応が返ってくる)、好きではあったんですよね。
全体を通して展開に矛盾がないかとか、言葉使いに重複がないかとか、なにより気持ちが伝わるかとか、かなりのエネルギー費やして推敲してた気がします。

2005年9月16日(金)

作業所のあと、赤○のスタジオでサルサレッスン。
今日も激しいトレーニングでした。
中学時代の部活(運動部でかなりハードだったの)を思い出しました。

インストラクターの体の動きを見て、見て、真似て、真似て、前面の鏡をみながら汗だくで繰り返しステップを踏む。
まだまだ、迷いもあるし、弱点があるのもよくわかる。

レッスン後、またみんなでバーで談笑。

知らない人ともそれなりに会話する。笑顔で会話する。

終電で、アパートの最寄駅について夜道をひとり、てくてく帰る。
上を向いて歩いているけど、涙をこぼしながら。

2005年9月19日(月)

男の人を好きになるということは、私を強くするでしょうか。
それとも、私を潰してしまうでしょうか。

恋愛に限ったことじゃない。
迷い足で突っ走る。迷い足でブレーキを踏む。
何にどのくらいの自分を割り振れば倒れないのか、配分がわからない。
・・・というか、そんなこと本気で考えて実行してみたことがまだあまりないじゃないか?

倒れては起き、倒れては起き、何かは体で掴んできた(だろう)けど、それは目に見えないどころか、あてはまると思う言葉すら見つけられないものです。

だけど、多分、説明のつかないものが、一番たしかなものなのだ。

「壊れないように上手く生きなさい」と、みんなが、優しく、忠告してくれる。

優しいひとに囲まれていながら私は、子供で自分勝手で、ほんとうのところ、倒れても壊れてもいいと思っているのかも知れない。 

2005年9月20日(火)

玉子とタマネギのサンドイッチを作り、重役出勤で作業所へ。
動物型の木製ドアストッパーにアクリル絵の具で絵付け。

ペイントに自信がなかったら、チャコペーパーで下書き写してから絵付けをしてね、と言われたけど、見本を見ながらぶっつけで塗っている。
下書き写してライン通りに描いていくほうが頭つかわないだろうけど、ためつすがめつ自分で筆を入れる位置を決めながら描くほうが、出来た時の充実感があって楽しいのだ。

ああ、それにしても、ダンス。私は踊りたい。もっと上手くなりたい。
インストラクターの情熱に便乗して思い切り吸収したい。

だけど経済的に苦しい。
レッスン続けるためには、今よりもっと色々削らなくちゃいけない。
それでも追いつかないかも知れない。

お金って、やっぱりやりたいことやるには、ある程度必要なのね。
バリバリ仕事してお金が稼げて、なおかつ趣味を楽しむ余力を残せる体(正確には神経か)が欲しいです。 

2005年9月21日(水)

なぜみんなが普通に避けられることに私はいつも捕まってしまうの。
先月の3日に先生が私に忠告したことを思い出す。

朝起きて泣いた。
病院の待合室で泣いた。
診察室で泣いた。
また海に入ってリセットしようかなと思った。
薬をもらったあと、途中で電柱を背に座り込んで放心していたら、早番であがったらしい薬局の店員さんに
「○○さん大丈夫?中の椅子で休んでいったら?」と声をかけられた。
店内の椅子に座って声を出さずに延々と泣いた。
「今日、薬は、飲んだの?」と、水まで持ってきてくれた。
そういえば、朝から何も飲んでなかったな。
薬を飲んで、しばらくして、お礼を言って、どうにかアパートに帰った。

好きだったダンス。
レッスンの熱さに、もっと好きになっていた。

だけど。私はインストラクターに一気に共鳴してしまったのだ。
メールの返事が2回来ない。それだけで、忙しいのは分かっているのに、「見切りをつけられたのだ」と勝手に憶測して打ちのめされてしまったのだ。

「もうそこに行くのやめて、別のところにしなさい。あなたがあなたのこと大事にしていれば、必ず、大丈夫になるから。いいね?どんな結果になっても、僕はあなたをフォローするから」

泣き続ける私の頭を、先生の手が撫でてくれた。

2005年9月22日(木)

泣くっていうことは、これほど浄化作用が強いものなのかな。
一晩経っただけで、どうしてあんなに泣きどおしだったのかわからないくらいだ。
昨日あれほど激しかった絶望感が、憑き物がとれたように無くなってしまった。

気にしていた相手、仕事で忙しくてメール返信できなかっただけだった。
すでに泣き疲れて思い切り脱力してぼーっとしていた私は、朝それを知ってもさほど気持ちが動かず、なんだか他人事のように思えた。
しいて言えばホッとして輪をかけて脱力した(笑)。

11月に出場する予定のチアー大会のメンバー顔合わせ。
横浜で待ち合わせて提出用の集合写真を撮った。
リーダーのY子さんに「すごく元気そう。安心したよー」と言われた。
今日の私は目に力があります。自分でそう思う。

それから赤○のサルサレッスンに、また出かけた。
インストラクターは替えていない。
昨日は替えたほうがいいのかと思っていたし、普通にしていられる自信もなかった。
サルサを踊る気にすらもうなれないかと思っていた。

だけど私は、今のインストラクターの全身全霊の教え方がやっぱり好きなのだ。
「マイペース、マイペース」と言い聞かせながら、少し怖かったけど、翻弄されないでいられるか、確かめに行ってみた。

意外と簡単に、普通に会話を楽しめた。
汗を流しながら、それでも淡々とレッスンを受けることが出来た。
終わったら、飲み会には参加せずにさっさとひとりで帰った。
レッスンのたびに飲み会に参加したら、おそらく経済的にもたない。

帰宅しても、体も心も疲れていない。

ダンスしている時の私は「イッちゃってる」そうだ(褒めてもらったのだよ)。
自分ではどこにイッてるのかさっぱりわからないけど、いいことなんだって。
嬉しかったです。 

2005年9月23日(金)

今日も赤坂スタジオで汗だくでサルサレッスン。
新しく参加の女の子が2人。
とても感じのいい人ばかりで、
女の子ちょっと苦手なことが多い私でも大丈夫で嬉しい。

今日はレッスン後、バーでのお喋りにも参加した。
話題が途中でなんだか私には聞いていてかなり辛いものになってしまい、笑顔でい続けることができなくなってしまった。
呼吸が苦しくなって震えが襲ってきて頭がグルグルし、どうしようか考えた。

とりあえずお先に失礼しようとマスターにお金を払った。
そして初回から会っている美しいダンスをするお姉さんにちょっと甘えさせて頂いた。
これまたいつも凄く感じのいいしっかりした女性で、メンタル面のカウンセリングを仕事にしているらしいのだ。
あれこれ悩んだ末、唐突だったけど「ハグさせて下さい」と頼んでしまった。
快く(?)引き受けてくれました。
ちょっとパワーを貰い、なんか怖いよーと思いながらもちゃんと帰りました。

どんな話題でもみんなみたいに普通に流せるようになりたい。

2005年9月25日(日)

トップの「精神の病について」加筆訂正しました。

眠かったけど洗濯して掃除機かけて、ご飯も炊きました。

自分をコントロールできるのだという自信が欲しいのです。
だから危なっかしくても、人と関わることを止められません。

2005年9月26日(月)

のどが痛い・・・。風邪かな。

トップの「精神の病について」、思うところあって直したいので、とりあえずリンクはずしておきます。

作業所行って、またカラオケ奢ってもらってしまったー。

夜、洋服のボタンがとれて自分で縫えずに困っている友人が来た。
「もう眠いよー、疲れたよー」と言いながらボタンのつけかたを指導。 

2005年9月27日(火)

どんなに寂しくても、わたしには心配してくれる人がいる。

だけど、どうしたらいいのかわからない。
どうすればいいのかわからない。わからない。
私、どうしたいの?

自分で決めるんだ。
寂しいからといって、心細いからといって、安易に他に助けを求めても解決に繋がらないことだってある。

自分のことを考えるのが怖い。どうして。何が怖いの?
怖くてもしっかり考えるんだ。
誰のものでもない、私だけの人生なんだから。

なんにも見えない霧の中にいるならば、フラフラと歩いて偶然見つけた道をたどってみるのもいいかも知れない。

だけど今は、目標らしきものがある。
迷いながらじゃ、納得できる時間を積み重ねていけないだろう。

どうなりたいのか、あらためてはっきりと心に描こう。
そして、そうなるには、どうするか。それをやってみるだけ。うん。

  半端な願望には標識もぜんぶ灰色だ 

2005年9月29日(木)

赤坂スタジオでダンスレッスン。

まだちゃんと習い始めて一ヶ月もたっていないし自信もないのに、
「まゆ、ベーシックとサイドと前クロスとバッククロスだけ教えてやって」
などと言われて初心者への基本ステップの指導をやらされてしまう。
「エー、私なんかに習ったらへんな癖がついちゃうよ~」
と言いながらも教える。

人に教えることによって私の勉強にもなるから、やらせるんだろうな。

明日もレッスン。今日は初心者クラスだったけど、明日はある程度うまい人しか来ない。
私は参加していいのか訊いてみたけどOKとのこと。
ほんとにそう思ってるのかなー。落ち込ませないように言ってるのでは・・・。

上半身がまだ動いてしまいやすいのと、軸が固定しきれていないのが欠点。
でもだんだん余分な動きはなくせるようになってきてはいるみたい。
インストラクターにも、ダンス暦の長いアシスタントの女性にも「胸から上が動かなくなってきた」と言ってもらえた。

部屋では軸安定のために一方方向に進むターンの繰り返しをやってみたり。
右足を軸にする右ターンが苦手なことがわかった。
器械体操やってた時も、軸はいつも左足だったからかな・・・。

中学時代、器械体操部でした。

2005年9月30日(金)

作業所の後、ダンスの中級クラスに参加。
自分の下手さに自信なくす・・・&悔しくてたまらない。
何を部屋で練習すれば一番いいんだろう!?

今日は帰りにいつものバーでの談笑に参加。
酔っ払ってテンションの高い人ばかりの中で、軽口をすぐ返すことはできないが、居て苦しいことはない。

私はいつも生真面目さを売りに男性に媚びているような気がして、嫌だ。
なんかうまく言えないけど。
嫌だと思っても、素のままで振舞うだけで精一杯なんだけど。

2005年10月1日(土)

最近、自活のため鬱をねじ伏せて会社通勤していた頃のように、苦しい鮮明な夢ばかり見てとても疲れる。
人とたくさん会って刺激を受けてストレスが生じているせいだろう。

夢は、シチュエイションは違うが登場人物と展開がいつも同じだ。

必ず母が出てくる。私は悪者にされていて、誤解を解きたくて泣きすがる。
だけどいくら喚いても叫んでも、悪くないということを解かってもらえない。
悲しくて悔しくて、思い余って母を刺したり殴ったりしてしまう・・・というもの。

私が母に暴力を振るうなんてことは、実際にはあり得ない。
だけど怖い。こんなに何度も夢に見るっていうことは、私の心の奥深くにはそういう衝動が眠っているのだろうか。

「母親はこの世で一番最初に出会う他人。母親が夢に出てくるのは、他人との関わりへの不安の表れ」だと聞いた。

大勢の慣れない他人と関わると、あとになってから自分の振る舞いが心配でたまらなくなる。

昨日のお酒の席で周囲の人に不快感を与えてやしなかったかと、ダンスのインストラクターにメールしてしまった。
忙しい人なので返信はすぐには来ない。わかっている。

次に母に電話してしまった。母と会話しても不安が解消される確率は低い。
落ち込んでいる時に会話すると、さらに落ち込んでしまう。
わかっている。わかっている。

だけど誰か。
私は「それでいいよ」と言って欲しい。「おかしくないよ」と言って欲しい。
自分でいくら大丈夫だと言ってみても、足りないんです。ダメなんです。

落ち込みが激しくて、体がちゃんと動いてくれない。
ダンスの練習、したいのに。

泣いた。 

2005年10月2日(日)

それでも落ち込んでいるままのわけにはいかず、今日はチアダンスのチーム初練習。
11月には大会に出る予定なのだ(平気なのか・・・)。
着替えと運動靴とコントレックスを持って、がんばって出陣。
女性5人で地区センターでスペースを借り、プロのインストラクターを招いて、4時間ぶっつづけで振り付けをなんとか最後まで指導してもらう。
本当は9人の予定なのに、5人しか来ていないからフォーメーションのイメージが掴みにくい。

一日で全部の流れを覚えられるハズもなく、各振り付けのポイントを叩き込むだけで精一杯。
今日撮った練習のビデオが手に入るのを待つしかないなこりゃ。

帰りのバス停で座り込んで待つ。さすがにバテたなー。

私の生活、今は「ダンス・ダンス・ダンス」だ。

2005年10月3日(月)

作業所、なんかもう「行くことに意義がある」というレベルで通っています。
決めてる日は休まないんだけど、午後出勤が定着してきちゃってる。
まあいいや。いやよくないか。

たまたま作業所でパイプオルガン奏者の女の子と知り合いになって、作業所終わってからもキッチンでしばらく二人で喋っていて、そのあともマクドナルドで一緒にお茶してきました。
殆ど初対面に近いんだけど、明るくて自由な空気を持ったひとで、とても楽しかったです。
特に病気だとかではなく、なんと自分でオリジナルのオルガンを作ってみたいそうで、木製家具を作っているうちの作業所を見つけて通うことにしたのだそう。
オルガンの設計図らしきものを方眼紙に描いていました。
しかしすごいことを考える人がいるな~。
オルガンを自分で作るだなんて私には想像もつきません。

パイプオルガンの音は子供の頃から大好きです。
最近は鍵盤に触る機会がないけど、昔はキーボードや電子ピアノでパイプオルガンの音色選んで、アヴェマリアや小フーガト短調、トッカータとフーガニ短調などを一人悦に入ってよく弾いていました。
いつか本物のパイプオルガンの演奏を目の前で聴いてみたいし、実際に触らせてもらいたいな。

アパートに帰り、いつもの軽い筋トレとストレッチに加えて、音楽をかけて鏡を見ながらダンスの基礎練習。
サルサとチアダンス、活動並行してやっていけるかなあー。
無理そうだったらチアーのほうを止めるつもり。

カラダが資本だよ。ほんと、何やるにも。

2005年10月5日(水)

無性に美味しいものが食べたい・・・。

外を出歩いていると色んな飲食店にはいりたくて仕方が無い。
でもアパートに帰るまでなんとかガマン。お金ないんだからー。
早く働いて好きなもの気にしないで食べられる程度には稼ぎたい。
でもけっこう稼いでた時は鬱が酷くて食欲ぜんぜん無かったんだよね。
皮肉だな。

今日は診察。
10月から医療費5%自己負担になって、今までタダだったのが診察と薬あわせて500円。
一ヶ月およそ2000円の出費か・・・。

横浜駅まで出て、買い物。
名刺が無くなったので名刺用インクジェット専用紙とか、お世話になってる人の誕生日プレゼント用の袋とか(イラストを額に入れて贈る予定)、100円ショップの額縁とか・・・。

あとダンス練習用にバレエシューズをひとつ買っておこうかなって。
どこにあるのか下調べしていなくて、ようやくたどり着いたダンス用品店チャコット。
なのに水曜日が定休日。がっくり。

買い物ってあちこち見回して歩くから、とても疲れる。
普段は周りを見ずに歩くことで神経使わないでいるんだろうな。
相変わらず歌いながら歩いています。
ここ数日は宇多田ヒカル2ndシングル『Movin’ on without you』。

 構うのが面倒なら 早く教えて
 私だって そんなに暇じゃないんだから

2005年10月6日(木)

赤○でダンスレッスン。
また初対面のひとがたーくさん来ました。
私、下手なのに基本ステップの指導を任されてしまう。

インストラクターが彼女さんを連れてきた。
とても素敵な女性でした。
なぜか彼女は居ないのだと勝手に思っていたので、なんとなくブルーになってしまった。
付き合いたいとか具体的に思っていたわけじゃないんだけど、私は気にいってる男性にはこっちを向いていて欲しい欲張りなのだ。
でも、これでよかったのかも知れない。
ダンスを教わることに集中しよう。

今日はレッスン後にみんなで六本木のクラブへ踊りにいくらしかったが、私はレッスン料を払うだけで精一杯なのでお先に失礼した。

明日は作業所のあとでまたレッスン、そしてパーティー。
さらに土日は出来るだけチアーの振り付けを覚えておかなくちゃいけない。
月曜日に2回目のチーム練習があるのだ。

忙しいなあ、おい。

2005年10月7日(金)

今日のダンスレッスンめちゃくちゃハードだった。
ほんとに「部活か?」という感じ。
途中で気分悪くなってきて吐きそうになった。

私はすごく汗っかきだ。
レッスンではいつも一人だけ水をかぶったみたいになる。
代謝がいいのは良いけど、ちょっと見苦しいよなー。

レッスン後のパーティーのあと、終電なのに降りる駅を間違えた!
もう駅のベンチで寝て夜明かしするつもりで睡眠薬を飲んだが、駅員に追い出されてしまった。
結局、交番のお世話になって近くの漫画喫茶に案内して貰う。
個室を借り、リクライニングシートで朝まで仮眠。
1200円なり(出費が痛い)。

ダンスでいつの間にか左足をくじいたみたい。
おまけにアパートのドアの前で雨ですべって思い切り転んだ。
お金をぶちまけてデニムも傘も泥だらけ。
あちこち痛いよー。

先週、いつも私をからかうIT関係の社長さんに胸のペンダントを指差されて、
「胸に傷がいっぱいある」と言われた。
「○○さん(その社長さん)につけられた傷です」と冗談のつもりで答えた。

いっぱい傷つきながら生きてるように見えたのかな。 

2005年10月8日(土)

 静かすぎる夜は 考えが暴れだすの
 分かってるのに 結局寝不足

歩きながらだけじゃなく電車でも歌っています。
喧騒の中ほどヴォリュームが大きくなります。

寂しい。寂しい。寂しい。

色んなひとの中で、私はいつも自分を保とうと必死になっている。
我が強いと言われた
(強いんじゃない。コミュニケーションの迷いが壁になってそう見せるのだろう)。
自分を一番だしていると言われた
(隠したくても大人のみんなみたいにコントロールできないだけなのだ)。
すごく素直だと言われた
(これも同じく直球勝負しか能がないからだろう)。

人の言うことばかり気にしていたら、身が持たないぜ?
わかってるわかってるもうよくわかってるのそんなことは。

だけどたすけてだれか。
誰にも否定されてなんていないのに、どうして人と関わるほど寂しくなっていくの。
私はいつも、宙ぶらりんだ。

お願いです。どうか見捨てないでいて。

2005年10月10日(月)

朝6時に起きて、ビデオとカセットテープを流して部屋でチアダンスの振り付けを叩き込む。
昼からは地区センターでチーム練習でした。

音楽に合わせて振り付けを覚えてきているのが私しか居なかった。
なので指導をするハメに・・・。

なんか前途多難だけど、とりあえず大会までは頑張ろう。

2005年10月11日(火)

作業所の日だったけど、寂しくてずっとロフトで寝て過ごしてしまいました。

ダンス、インストラクターに嫌われて見捨てられる気がするのねー。
この間違った感情移入の仕方、いい加減どうにかならないんですかね。
お金払って習っているのに・・・。

夜になって部屋でひとり、一瞬「今日は休もうかな・・・」と思ったけど、なんとか支度して中級レッスンにバスと電車で赤○まで出かけました。

顔だすの少し怖かったんだけど、結果としては行ってよかったです。
やっぱり踊るのは楽しいし、がんばれば少しずつ上手くなっていくのも楽しい。
(週末、アパートに来た母にサルサの基本ステップをみせたら「その動きは普通の人にはできない」と言って貰えた。わはは)
汗だくで、また新しいステップを教えて貰いました。
でも基本、基本。いつも基本ステップが大切。
インストラクターのみならず、上手な生徒さんの体の動きを凝視しています。

でもやっぱり嫌われているのではないかと不安で・・・。 帰りの電車で、「今日たのしかったです。まだ見捨てないでやってください」とメールしたら

「俺はまゆがレッスンに加わってくれていつもいつも嬉しく思う。俺のレッスンの生徒は皆いい人間だし皆素敵だよ。まゆの個性は心の奥まで受け止めているから。だから俺が教えられるものは惜しみなく教えたい。来年には中級生徒をパフォーマンスに出場させて、ぶっちぎりのパフォレベルをサルサ人間たちに見せつけたい。俺のプロデュースは天下一品だよ。来週平日にサルサバーに行こう。今週は木曜日もレッスンあるから来るんだよ」

泣かせるなあ。これを読んでストンと安堵してしまった。

・・・つくづく私って安いなあ。

2005年10月14日(金)

久々にダンスレッスンのない金曜日。
なので久々にカラオケしてきた。

「あれから絵かいてる?」と、今年の作品展に一緒に参加した木工職人のT君に訊かれた。

「ぜんぜん描いてない。今は赤○まで通ってダンスしてばっかりいる」と答えたら「なに~?ダンスぅ??よくわからない人だなあ・・・」と言われた。

冬にポストカードを作ってギャラリーカフェに出品する予定なのだと話したら、「あなたは絵が売れた以上もうプロなんだから、たとえコピーでも人に簡単にあげたり、同じ絵柄で安いポストカード作って売ったりしちゃいけない。原画を買ってくれた人にも失礼じゃないかな」
とまで言われた。うーん。
私は、プロだなんていう自覚、はっきり言って皆無だ。
作品管理、値段設定って難しいのね。
頭がそこまでまわりません。

気になることは他にも色々あるんだけど、
とりあえず明日は予定があって早起きしなきゃいけないので、もう寝よう。

2005年10月15日(土)

サルサレッスンで悩んでいたこと、中級クラスのお姉さんにメールしてみた。
お忙しいところ丁寧な返事を頂いて、それだけでもうかなり不安解消。

結論として、影響されやすい私はやっぱりもう批判色の強い2ちゃんねるは見ないぞー。
というかもともと何を見ても落ち込む2ちゃんねるは見ないようにしてたはず。
見るんだったら自分に関係ないジャンルだけにしよう(それじゃ最初から見ないか)。同じ2ちゃんねる関係でも、批判なしの、友人に教わった一人暮らし安上がりレシピまとめサイトは役立ってるけど。

今日は久々の早起きで辛い体をひきずって、町○のパイプオルガン工場へと出荷前のパイプオルガンを見学に。
パイプオルガン奏者のMさんと、木工職人のT君、そして初対面の整体関係?のお仕事しているKさんと4人で町○の山奥までバスに乗って小旅行気分。

パイプオルガン、生まれて初めて見たし、たくさん弾かせてもらいました。
楽器がひとつの家みたいに大きくて、椅子に座るとまるで楽器に包まれているみたい。
鍵盤自体、触らないでもう一年近くなる。
私は鍵盤に触れることだけでも嬉しかった。
しかも幼少から憧れてきた音色を出すパイプオルガンです。
ここぞとばかり教会っぽい賛美歌や適当な曲で勝手に楽しむワタクシ。
あとこれはフルートなんかの音にも似ているなと思い、笛の音が合いそうなサンサーンスの「白鳥」とか、思いついたメロディーを弾くとMさんが足と手で伴奏つけてくれたりしてもう感激!!くるみ割り人形の「行進曲」や「トレパック」(でいいのか?)レ・レレレミ・ミ・#ファ・レ・ミ~♪ってやつと、ソ・ソ#ファソ・ソ・ミ・レ・ド~ミ・レ・レ#ドレ・レ・シ・ラ・ソ~シ♪ってのなんかも一緒に弾いてくれた。
私はピアノしか経験ないので足元の鍵盤は弾けない。
もとはエレクトーン出身のMさんの足の動きは素晴らしいです。
しかも足で弾く鍵盤の出す重低音の響きがとてもカッコよくて、ひとつの椅子に一緒に座って弾いててシビれました!

だけど大学でオルガンを学んだMさんの弾き方を真横で見ていて、やっぱりピアノの弾き方とはタッチが違うのだなと思いました。
どこが、というとぜんぜん説明できないんだけど、見てそう感じた。

パイプオルガンは殆ど木で出来ていて、内部の構造を見せてもらうと、もうどこがどう繋がっているのか迷路みたい。
仕組み自体は空気を送って笛を鳴らすという原始的なものなのにね。
MさんとT君はひとつひとつの音を出すために整然と並んだパイプや内部の木製の部品などに魅了されていました。
私も演奏しながら周りを見回して、今どこの笛が鳴っているんだろうと動いてる部分を探してみたり。
鍵盤は見た目50cm幅くらいと狭いのだけど2段になっていて、色はピアノと白黒が逆。そして左右にレバーがいくつもついている。
弾きながらレバーを押したり引いたりすることで同じ鍵盤がオクターブ上がったり下がったりするんですよ!(ってこれ、他の楽器もそういうの多いのかもだけど私は知らない)
思わず「レバー駆使して全部で何オクターブ出せるんですか?」
って社長さんに訊いてみたら9オクターブとのこと。
パイプオルガンが「最も音域の広い楽器」といわれる所以だそう。すごい!

重さは計算上は1.5トンとのこと。
大きさの割には空洞の多い構造なので意外と軽い。
これをバラバラに解体して、トラックで運び、また現場で組み立てる。
組み立てにどれくらい時間が要るのか質問してみたら、4人で一週間かかるそう。
そしてまたオルガンを置く場所に合わせた音響調節に1週間。

会社を経営されている職人の男性お二人に色々話を伺って、目が輝いているのがやっぱりなにより素敵だった。

「好きなことをずっと仕事としてやっていくっていうのも才能だよな」
T君が帰りにぼそっと言ったのが印象的でした。

Mさんは熱があるというのに元気に興奮して喋りっぱなし。
「この4人ってみんな進んでる道っていうかジャンルがばらばらだよね」

「私だけ道が決まっていない気するんだけど」

「君はどの道でも玄人レベルだし、どれでもやっていけそうじゃん」

Mさん、そんなこたーないよ。人生そんなに甘くないぜ。

2005年10月18日(火)

赤○で金曜日だけアルバイトをすることに。
レッスン前と後に集合場所や飲みに使っていた、メニューのないこぢんまりとしたお店で、料理メインの高級バーという感じ。
マスターの出してくれる料理は毎回違って、どれも美味しい。
バーと言ってもバーテンは居ないしカクテルは無くて、店員が客の隣に座ってお酒を作るとかいう店ではないです。
倶楽部っていうのかなあ。
マスターとももう顔見知りで、お金のない私のためにインストラクターと相談してくれて「レッスンの日にバイトするのはどう?」と提案してくれたのでした。
バイトとは言え実に3年ぶりの仕事です。
しかも客層のレベルが色んな意味で高いと感じるお店での接客。
続けられるかなー。だけどなんとなく楽しみ。向こうからやってきたお話だし、そろそろ仕事する時期かな・・・と感じていたので今は乗っかってみよう。

そして最近知り合ったパイプオルガン奏者のMちゃん、押しの強いことと言ったら頼もしい限りです。
昨日、たまたま一緒に歩いていたらステンドグラスやアンティーク小物をところ狭しときらびやかにたくさん並べている素敵なカフェをみつけて、中を覗いてみたらピアノがあるではないか!

Mちゃんとはドビュッシーをピアノ連弾しようという話もしていたりして、私は今の部屋ではピアノを置くスペースがなく、ちょうど鍵盤に飢えていたのです。

Mちゃんは早速わたしを連れてカフェに入りオーナーさん(奥様)とお喋りして交渉し、二人でピアノを試し弾きさせて貰いました。
さらに「いつ弾きにきてもいいよ」と言って貰えた(というか言わせた感じ笑)。

今日さっそく、私はひとり作業所の帰りにそのカフェに寄って、好き勝手にたくさんピアノを弾かせてもらいました。
綺麗な雑貨がたくさん飾ってある空間で弾くのは気分がいいし、お茶してるお客さんが居る時は拍手してもらったり。
私なんかがお店で弾いちゃって本当にいいんですか~とオーナーさんに伺いながらも、熱中しちゃって
結局気付いたら2時間半もぶっ通しで演奏してしまっていた。

なんか嬉しいこと多いなあー。幸せです。
明日は作業所の日じゃないけど、ピアノ弾くためだけにカフェに行こうかな。

2005年10月19日(水)

先生に会ってきました。
近況を話したら「僕も頑張ろう」だなんて相変わらず変わった先生だ。
接客やることになったけど客層がハイレベルなのが心配・・・と言ったら
「大丈夫、あなたはCleverだから話が面白いです」
だって。嬉しいこと言ってくれるなあ(本気にするなよ)。

昼間、眠くてたまらないです。
お昼に起きて病院にやっと行って、食材を買い足したら、また暗くなるまでずっと寝てしまいました。

あさっての金曜日からは作業所の一泊旅行。お泊りなんて久しぶりだなー。
慣れない人と一緒だとまず眠れない私は徹夜覚悟で出陣です。

ところでようやく「スラムダンク」読み終わりました。ああ面白かった。
メディアレビューのコーナーに熱の冷めないうちにテキスト追加しましたので
興味ある方はどうぞ読んでやって下さい。

2005年10月22日(土)

久しぶりの旅行から帰ってきました。楽しかったなー。
ホテルでは女性5人の部屋で、眠れないだろうと思っていたけど、ちゃんと眠れました。
だんだんあんまり緊張しなくなってきてるのかな。嬉しいことです。

行き先は静岡、愛知。ホテルの目の前は海。
朝食後、ひとりぶらっと、砂浜に出てみました。
色が綺麗だと思う小さな貝殻をたくさん拾ってきました。

○ノ島などと違って、海水が透き通ってた。
砂も、黒くなくて、白っぽい。

美味しいもの食べ過ぎて一泊で2キロも太ってしまったー。

2005年10月23日(日)

チアーのチーム練習のあと、ランプやイタリア家具を置いている○○山のカフェ「シオン」に向かい、
またピアノ演奏してきました。

今日は平日はサラリーマンをしているマスターにも会えました。
ギターを弾かれる方で、一緒に即興で演奏したりして面白かったです。
お茶しに来ていたお客さんに
「リクエストしていいのかしら?『酒と薔薇の日々』が好きなんだけど」
と言われたけど、知らないし楽譜もないので謝って断りました。
でもアパートに帰ってよく見たら、楽譜もってた!
今度そのお客さんに会えたら、弾いてあげよう。
ううむ。ピアノのレパートリー増やしたくなってきました。

途中でマンドリン奏者の女性も加わって、みんなで適当にセッション。
お喋りも盛り上がって楽しかったです。
マスターがコーヒーを丁寧に入れて出してくれて、久々に本格的な香りを味わえました。
普段はド○ールや○ックのコーヒーしか縁が無いですから。

2005年10月24日(月)

週末から連日ちょっと飛ばしすぎたかなー。

朝から六本木のMちゃんから遊びのお誘いメール。
ダンスインストラクターからも六本木に来たら無料で見てあげるとのメール。
どっちも行きたかったんだけど、結局どっちも行かれなかった。
ああ東京が私を呼んでいる・・・と思いながらロフトで横たわっていました。

過食して寝てるだけの一日でした。

2005年10月25日(火)

作業所のあと、おじさまとお茶してから、インテリアカフェ「シオン」へピアノを弾きに。
また長居してしまいました。
今日はちゃんと一日うごけたなあ。
帰宅してからシャワー、筋トレ、ストレッチ、鏡を見ながらサルサのステップの復習もした。
昨日はめずらしくどれもサボって寝てしまったけど。

カフェのオーナーのお嬢さんとたくさん喋った。
とても綺麗な子で、まだ若いんだけど、しっかりしてる。
「昔は対人恐怖が酷くて人とぜんぜん話せなかったんですよ」
と言ったら、
「とてもそんなふうには見えない。強いですよね」と言ってくれた。
パイプオルガン奏者のMちゃんにも
「俺について来い!タイプだよね」と言われたし。
最近の元気になってからの私はそんなふうに見えているのか。

だけど精神状態はいつもどんどん変わるものだと思っています。
これからまたどんなふうに落ちても、どんなふうに上がっても、そのまま受け止めて客観的に自分を眺めることを忘れずに歩きたい。

私が今、あれこれ好きなことやれているのは元気な証拠だ。
好きなことやって生活を楽しめるのはとてもとても大事なことだけど、そろそろきちんと収入を得ることも考えていかなきゃなあ。

そのとっかかりとして、赤○でアルバイトしてみるのですが。
今週の金曜日からです。ちゃんと働けるか心配・・・。

2005年10月26日(水)

私って子供だなあ。
この年齢になって漫画のキャラに惚れるとは・・・。
なーんか「スラムダンク」の”リョータ”、めちゃくちゃ好き。
こんなにSEXYで可愛くてイキな男の子を漫画に描けるってスゴイなー。

先生に会ってきた。
「僕なんかあなたに追い越されちゃう感じです」だって。
・・・同じ土俵なのかい。
あなたは2ちゃんねるに名指しで書かれちゃう有名精神科医ですよ。
(でもセンセイはそんなことは、嫌いなんだよね、たぶん)
一方私は自分の食いぶちすら見つけられていないどころか、ようやくつかまり立ちした赤ちゃんみたい。

病院の帰り、いつものスーパーで買い物していたら小学生の集団が近くにきて

「アンケートに答えてもらえますか?」
「いいよ。なんだろう?」
一人の女の子が「どうして○○ストアに来るんですか?」
「うーん。やっぱり、家から近くて、安いから」
別の女の子が「週に何回くらい、ここに来ますか?」
「だいたい1回か2回だなあ」
「ありがとうございました!」「あ、それだけでいいの?」「ハイ!」

最近の子供は生意気でしょーもないという話をよく聞いてたけど、なかなかどうして、礼儀正しくてカワイイじゃないかー。
利発そうなおでこを出して髪を二つに結んでいた女の子のキラキラとした瞳に癒されてしまいました。
おねーさん今日は時間あるからもっとお話してもいいのよー。

パイプオルガン奏者のMちゃんのお兄様のHPを見せて貰った。
チョー凄い!画家だそうなんだけど、私の大好きな感じの絵なんです!
やっぱり絵をずっとやってきたプロは違うな。
優しい色使いといい、質感といい、この世のあらゆる生き物への愛といい。
14年もヨーロッパに行ったきりらしく、前書きが英語で描かれてたので、一生懸命読んでしまいました。もちろん絵も、載ってるのは全部みた。
妹のMちゃんが言うには「これは兄の本来の絵じゃない」そうなんだけど。

サルサ踊れるらしいので、是非こっちに帰ってきたら相手して欲しいな。
Mちゃんは昔、電車待ちの時に暇でお兄さんにサルサ付き合わされたことがあるそうで、兄弟で踊りたくねぇよ・・・。とぼやいてました(笑)

2005年10月27日(木)

スタジオレッスン、なんか今日はバテた。
踊るのはやっぱりすごく楽しいんだけど。

汗だくになりながら、基礎基礎基礎基礎。
他の中級クラスの人たちに負けないよう頑張りたい。

振り付けでも、
「まゆは体が小さいからここは思い切り腕のばして!」
などとインストラクターがアドバイスしてくれる。

明日もレッスン。
その前に作業所いって、赤○でアルバイト。初日です。
一日中予定で埋まってるな。

ああ、不安。無事のりきれますよーに。

2005年10月28日(金)

赤○の倶楽部「○つ井」でのアルバイト、無事に初日を終えられた。

やったのは店内の軽い掃除と、食器洗い、片付け、調味料の補充、料理の下ごしらえなど。初日だから簡単なことばかり。
下ごしらえは大量のジャガイモやニンジン、ニンニクの皮を剥いたりゴボウをタワシでこすったり。
私は包丁を使う作業は野菜や果物なら(自分で言うが)けっこう早いので、この面では役に立てるんじゃないかなー、なんて思った。
途中でマスターのM井さんが
「喉かわいたなあ、まゆちゃん、ビール1本出してきて。一緒に飲もう」。
軽くビールを飲みながら仕事。レッスン前なので酔うわけにはいかない(私はビール瓶半分くらい、飲んだって何も影響ないんですが・・・)。
ぽつぽつとお店に来だした常連さんとも適当にお喋り。
「今日からアルバイトなんです、宜しくお願いします」と自己紹介すると、逆に色々話しかけて貰えたりした。
お客さんの名前と顔を覚えていかなくちゃ。

アルバイトは16:30から始めて、20:30からは店から徒歩2分くらいのスタジオでダンスレッスン。
今日は初心者クラスだったので、
私はみんなの前に立って、振り付けの解説もやらされる(下手なのに)。
インストラクターがレッスン料を1000円引きにしてくれた。

汗だくのレッスンが終わって着替え、22:30頃に倶楽部「○つ井」に戻ると、マスターがトレイにミニ定食を用意して出してくれた。
木工職人のT君の
「おなかすいたなあ~って聞こえよがしに言えば何か出してくれるんじゃない?」
とのアドバイス通りに、レッスン前、ちゃちゃっと料理していくマスターの横で
「見てたらおなかすいてきちゃった・・・」と呟いた私。
いや本当に、見てたらお腹すいてきちゃったんだけど。
「レッスン前に食べない方がいいから、終わったら食べさせてあげるよ」
とマスター。

ゴボウとネギ入りの肉豆腐、黒豚とニンジンのキムチ煮、カブの漬物、ごはん。
すんごい美味しかった!!
料理の手順も間近で見られるし、美味しいもの食べさせて貰えるしで、時給はOAで働くのと比べたら半分しか貰えないけど、かなりラッキーかも。

2005年10月29日(土)

チアーのチーム練習。
小学生と中学生の女の子が4人来ていて、みんな可愛かったなー。
私はなりゆきで振り付け指導役になってしまっていて、女の子達に「センセー」と呼ばれてしまった(笑)。

そして、雨のパラつく中また赤○へ。
金曜のみの予定だったバイトだけど、急遽呼び出しがあってヘルプ&遊びにおいで、と呼ばれたのだ。
今日はマスターのバースデーパーティーだそうで。気になることがあって迷いながらもまた「○つ井」へ。

対人恐怖が軽減したとは言え、やはり接客はニガテだ・・・。
どこぞのお偉いさんばかり来ている中で、食べ物をよそってあげたり、お皿をさげるタイミングを見たり、お釣りを渡したり、軽く会話をしたり、なんでもないことが(昔に比べたら少しだけど)怖い。
厨房の中だけの作業ならまだいいんだけどねえ。

まあでも今日も美味しいものたくさん食べさせて貰っちゃいました。
山形銘菓冨貴豆(ふうきまめ)、グリーンピースを煮た色の綺麗な生菓子。
松島屋の豆大福、餅の塩味がつぶあんの甘みをよく引き立ててる。
BIGOT(ビゴ)のバースデーケーキ、生クリームが濃厚!
みんなが有名なおみやげを持ち寄ってくるので、食べたことの無いものの恩恵にあずかれる。
そしてマスターの作ったタラと牡蠣の鍋物。野菜もたっぷり。出汁がいい!
インストラクターの作った特製鶏のから揚げ。
カツオの刺身と、軽くあぶったもの。
仕事中だからエプロンして立ったり座ったりしながらだけど、ビールも頂きながらいろいろ味わってきました。

から揚げと豆大福、ちゃっかり少しだけお持ち帰り。
豆大福は和菓子の好きな母に食べさせるつもり。

飲食店で働くのって、店によってはかなり栄養とれるんだな・・・。
と、最近料理ブームの去ってしまった一人暮らしの私は思うのでした。
飲食関係は学生時代の喫茶店でのウェイトレスしか経験ないから、いわゆる「まかない」って食べたこと殆ど無いんですよね(ミニパフェとかサンドイッチ程度なら勝手に作って食べてましたが・・・)。

2005年10月30日(日)

明日はハロウィン(私にはまったく無関係ですが)。

今日は遠方の友人(男性)が地元まで来ていて、お茶してきました。
会うのは2年ぶりくらいだろうか・・・。
近所のデニーズに入り、私はコーラとカフェオレ飲んだんだけど友人が奢ってくれました。ありがとう。

あいかわらず話が上手な人で、すごく楽しかったです。
それにしてもお洒落になってたなー。
短髪&ヒゲも似合ってた。
彼は歌もうまいので、今度はカラオケで久々に美声を聴きたいな、っと。

2005年10月31日(月)

Trick or Treat! 今日はHalloweenです。
明日からは街からジャック・オー・ランタンは消えて、どんどんクリスマス一色になっていくのだろう。

作業所で余り布でバッグを作っています。
刺繍でデコレーションしているのだけど、刺繍なんて何年ぶりだろう。
ひたすら縫っているのが楽しいし、気分が落ち着く。

作業のあと木工職人T君とパイプオルガン奏者Mちゃんとお茶して、そのあと私はMちゃんと○谷に寄ってそれぞれ用事を済ませ、アパートにお邪魔。
飲み物やお菓子を出して貰って、私は本気でくつろいでしまいました。
何回も時計みては切り上げようとしたんだけど、話が続くたびに時間忘れちゃって(笑)、ダンスレッスンの待ち合わせ場所が目と鼻の先なのに遅刻してしまったー。
雑然としてるんだけどなぜか落ち着く、とてもいい感じのお部屋でした。

ダンス、今日は初めて六本木のクラブでレッスン。
これまた時間があっという間に過ぎてしまった。
私、まだまだ下手だな。毎回実感する。

ところでようやくダンス練習用のシューズ、思い切って買いました。
ジャズシューズというのかな、
黒でスニーカータイプのもの。安くはないし、大事に履こう。

2005年11月2日(水)

私の主治医もやっておられるという紹介制ブログ、mixi。
ダンスインストラクターに誘われたので、私も始めてみた。

でもヤフーブログも面倒になって止めたからな~。
続くかどうかは判りません。

友達とカラオケ。
ダンスを習い始めてから、ウルトラ極貧&時間がなくなり、それまで殆ど断らなかったカラオケの誘いを断るようになった。
人見知りの強いカラオケ友達は「寂しいよ~」と嘆いており・・・。

友達のリクエスト石川秀美の『ゆ・れ・て湘南』(古!)が上手いと言われて、サビしか知らない私は完全マスターしたくなったのだけど(”湘南”とか”江ノ島”とか、馴染みのキーワード多いし)、こんな昔の歌、どこで入手できるだろう?
あと矢井田瞳『Look Back Again』やっぱりいい曲ですねー。カラオケでヤイコ本人の映像出たんだけど、かなり魅力的。
細い肩と長い髪を自由に躍動させて、開放感が素晴らしくカッコいい。
彼女、デビュー当時は「椎名林檎のマネじゃん!」と思ったけど、いつの間にか見方が変わりました。才能ってすごいね。
こりゃステージで裸足になるのもマッチするよ。
残念ながらヤイコの歌はたとえ完璧に覚えていても上手く聞かせられない声の私ですが。
好きな歌と、自分の声に合う歌って、やっぱり違うのだ。
友達が「勝負歌(←?)を持ちたい」と言って色々試して評価を求めるので、自分が上手く歌える歌はどういうものか?と、音域・メロディー構成・登場人物のキャラ設定に至るまで(笑)しばし論じ合う私たち。
覚えて歌いたい歌は数え切れないし、読みたい漫画も数え切れないし、ダンス上手になりたいし、ピアノで弾きたい曲、見たい映画、アニメ、本・・・。
ちょっと落ち着け、私。

 やりたいことコト ありすぎるの
 あきらめられないけど 現実はシビア

・・・と、気分はレベッカの『MOTOR DRIVE』なのでした。

2005年11月3日(木)

今日も起きたらやっぱり正午近く・・・。
Mちゃんに触発されて、料理で地に足をつけようと試みる祝日。

プルーンをつまみ、トマトを切って口に入れながら、ブロッコリーを切って茹でる。
タマネギを微塵切りにしてバターで炒め、小麦粉を振り入れて炒め、クリームコーン缶をまぜて炒め、水とコンソメで煮て、牛乳を注ぎ、塩コショウ。
そしてブロッコリーを投入。

ブロッコリー入りのコーンポタージュスープもどきの出来上がり。
パンと一緒に遅いブランチ。もちろんネットしながら。

mixiの世界を色々みてまわる。
「一人暮らし」のコミュニティに参加。
あともうひとつ、「カワイイ女の子が好きな女の子」というコミュニティ発見!
女の子、とうたってはいるが幸い年齢制限無し。
説明を読んだら、レズビアンではないのに男性のルックスにはあんまり興味がなく、よく美少女画像を検索してときめいているような私にぴったりのコミュニティ。
早速、参加申請。こちらは承認が必要で、管理人さんの返事待ち。

mixiでは、知人を他人にアピールする紹介文を載せられる。
知り合いを褒める文章を考えるのって楽しい。
褒めてもらえるのも嬉しい。
そんなふうに見えてたのかーって。

一日アパートにいたら、スープ、食べ切ってしまった。
太るなこりゃ・・・。

先月のパイプオルガン工房見学の時の写真、Mちゃんが送ってくれた。
ケータイのカメラなので小さい画像だけれど、フォトギャラリーに追加しておきます。

パイプオルガンを弾く私

2005年11月4日(金)

バイトに行くのが怖くてたまらず、電車の中で心臓バクバク、過呼吸おこしそうでデパスを余分に飲んだ。

○坂「○つ井」でバイトの後でダンスレッスン、そしてまた店に戻り美味しい夕食をご馳走になり、アパートに帰ってmixiのコメントにレスをし、シャワーを浴びて洗濯をし、日課の筋トレ、ストレッチをしたら午前3時過ぎてしまった。

今週末のダンスレッスンもハードだった。
汗だくになってステップを繰り返す。
やっぱり、ダンスはすごく楽しい。
荒削りでなかなか思うようには上達しないけど、まだまだ諦めないぜ。

運動はもともと好きだった。
バドミントン、器械体操、スキー、スノボ・・・。
だけどこんなにハマるものを見つけたのは久しぶり。
ネットでたまたま知り合ったインストラクターとの出会いに感謝。

ダンスに熱中していると、私、強くなれる。
日常生活での精神面さえも思った以上に支えてくれてるのです。
これは不思議なことで、説明すると長くなるけど・・・。

今日はずっと手こずっていたアラウンド・ターン、初めて「今のは良かった!」と言って貰えて嬉しかった。
何度も繰り返してコツを体で覚えよう。

2005年11月6日(日)

チアダンスのチーム練習。
本○木駅から車に乗せてもらって20分くらいかかる体育館まで出向く。
さすがに遠かった・・・。

小中学生の女の子が4人、大人4人の混成チーム。
女の子たちがとても可愛いのでいつも癒される。

大人達であれこれ相談して振り付けやフォーメーションの曖昧さを無くす。
そうしてようやく一曲、最後までカタチになってきたけど、大会まであと3回しか練習できない。
大丈夫かなあ・・・。

衣装が出来てきて見せてもらったんだけど、4500円と安いのにけっこうしっかりた作りでキュート。
サンタクロースカラーの衣装で、キャミソールタイプのトップスとミニスカートと帽子のセット。
赤地に白ファーの飾りつき。
大会以外でもなにかクリスマスイベントに使えそう。

今日はチアメンバーの主婦さんのお宅で夕食をご馳走になった。
「帰っても一人なら、よかったらウチで食べていく?」
と誘ってくださったので・・・。
ご主人と娘さん二人と5人で食卓を囲みカレーライスとサラダを戴く。
ちょっと緊張したけど、家族だんらんっていいな。
カレーが美味しくて、図々しくもおかわりしてしまった。
車がないと生活できないような不便な場所なんだけど、天井が高くて広々としたペンションみたいな素敵なお宅でした。
室内にミニチュアダックスも居て、最初は警戒されてうなられたんだけど構ってたら馴れてくれたらしく、ずっと抱っこしてた。

アパートに着いて、シャワー・洗濯・筋トレ・ストレッチ、SALSAの復習。
チアダンスのほうは参加表明してしまった以上、大会までは頑張る。
頑張るっていうほど難しい振り付けじゃないし、部屋で練習とかしなくてももう平気なんだけどね。
フォーメーションを考えたり、お子様たちに振り付けの指導をするのがちょっと大変なだけで。
本番はかなり豪華なステージで踊るので、舞台度胸がつくかなーと。
そして大会が終わったらチアーからは離れるつもり。
ダンスは今はSALSAに集中しようと思うので。

大会終わったら自作イラストのポストカードも作らなくちゃ。
大○山のギャラリーカフェに出品する予定です。

2005年11月7日(月)

眠くって、昼からなんとか作業所へ。
手提げバッグを作っていて、刺繍したり、ポケットつけようとしてみたり。

8月に作業所を辞めてしまい、私と連絡をとることも止め、関係を断っていたとある男性と再会。

私がカフェでピアノを弾くのを聴いていてくれました。
楽譜を見ないで適当に弾いている曲のほうがいいと言われた。
もっと自己流にアレンジ遊んで弾いちゃうほうが面白いとも言われた。
むー。それも難しいですな。

夏のわだかまり・・・は、消えたのかな。だといいんだけど。
カフェを出て、ファミレスで5時間くらい喋りました。
頭が凄く良くてお喋りな人なので、会話するのはとても楽しいんです。
この調子で友達関係に戻れるのなら、願ったり叶ったり、かな。
夏には深入りしすぎてお互いかなり疲れたとはいえ、彼の芸術面の才能、博識ぶり、美的センスには一目置いているので。

2005年11月9日(水)

診察の日。
先生とお話したあと、横浜駅に出向いてチアダンスのチームリーダーY子さんと待ち合わせ。
私より10歳上なんだけど格好はハッキリ言ってギャル←死語?
いつもモモの中間くらいの超ミニスカートを履いている。
非常にアグレッシブな(ブッとんだ)主婦さんで、英語の家庭教師をいくつもかけもち(すごい浪費家なのだ)、息子さんと旦那様の面倒を見て、チアダンス活動をし、六本木のクラブに通い、ボーイフレンドはたくさん、毎日メンタル関係の資格の勉強と英語の勉強をして、お風呂は2時間もかけて念入りに全身マッサージ、さらに顔のお手入れにも2時間費やしているとか。

「それじゃ寝る時間ないじゃない・・・。タバコやめて睡眠とったほうが肌にいいって、Y子さん」

「そう、私、矛盾してるの~!」

そんなY子さんだけど。
チアーの大会が近づいているのに最近お父様の容態がかなり悪いらしく、お見舞いと看病でてんてこまい、精神的にもチアダンスどころではない。
大丈夫なのかな。

「もう正直パニックなの~!でもまゆが皆を指導してくれてるから、本当に心強いよ!なんとか大会は最後までがんばるから、まゆも体に気をつけてね!」

テンションはいつも通り高かったけど、別れ際に少し潤んだ目を向けて私の手を握り、私のほっぺたを手で包み、あわただしく去っていった。

背中を見送って、私は・・・。

ちょっと困ったちゃんだと思っていたY子さんがいとおしくなりながら、なんとなく意識的にのんびりと、買い物を済ませて、 バスに揺られて帰った。
時間の進む速さというのは、人や場所によってどうしてこうも違うのだろう?

私は私に合ったペースを、いつの間にかでも、掴めたら。

2005年11月11日(金)

アルバイト、どうにか4日こなしました。

マスターに「お客さんのご飯が終わる頃、お茶を出すんだよ」
と教わったんだけど、
まだお酒を飲んでいる人にはお茶を出してはいけないのだそうだ。
「もう帰れって言うのか!」と怒られてしまうんだって。
そうなのかー。そうなのかー。
お酒飲んでいる様子だったら、お茶だしたらいけないのね。

お酒飲んでいる途中かどうかは遠目でもなんとか分かりそう。
でもご飯が終わったっていうのは、どう判断するんだろう?
私は小さくて、カウンターの中からじゃ見えない。
外に出てそれだけを確認しに行くのもなんか変な気がするし。
マスターに訊いたら「だいたいでいいんだよ」と言われたんだけど、なんか釈然としなくて不安。やっぱり私って融通きかないわー。

ゴボウを薄切りしていたら若いのに迫力ある(少し怖い)常連さんの女性が
「最近の子にしちゃ包丁の扱い上手いねー」と言ってくれた。
・・・最近の子って言われても私、たぶんあなたより年上なんだけど。
でも「そうですか?嬉しいですー」と単純に喜んでおいた。

近頃わたしは若く見られても「そんなに若くないです」、といちいち人前で否定するのをやめた。
若くない、と否定する→何歳なの?と訊かれる→相手や周囲の人が私よりも年上だったら失礼になる
・・・という流れになるのが分かったからです。
それに下に見られている方が、社会勉強しやすかったりもする。

包丁の刃の先端がカーブしているのが洋包丁。
包丁をスウィングさせながら向こうに押す感じで切る。
そして刃が先端までまっすぐなのが和包丁。
こちらは刃の角度を変えずにまな板に対し水平に動かして押し切りする。
マスターが切り方のお手本を見せて教えてくれた。なるほどー。

ダンスレッスンから戻り、またマスターに夕ご飯を出してもらった。
私は今ものすごーくお金がなくてものすごーく質素な食生活をしているので、これがとても楽しみなのだ(なので電車の時間を考慮しなきゃいけない私は忙しそうなマスターにも「早くご飯食べたいですー」って催促してしまう)。
今回はカツオの刺身、油揚げと青菜の煮びたし、ゴボウ入り具沢山味噌汁、キュウリの漬物、白ご飯。美味しかったなー。
接客は(接客に限らないか・・・)怖いけど、ちゃんとした料理人のマスターの元で働けるのって幸せだ。

2005年11月14日(月)

インテリアカフェで少しピアノを弾いたあと、Mちゃんとマスターと3時間以上も語って過ごす。

人と会話ができるって、本当に楽しいことなのです。
何においても自信がない私はまだ人と関わるのは恐怖がつきまとう。
だけどやっと分かってきた人付き合いの面白さと天秤にかけたら、どっちをとるか、答えは明瞭だ。

動けない時がまた訪れたら、その時はまた、休めばいい。

私はずっと人と会話をしない(出来ない)自分を憂えて、他人の考え方に少しでも触れなくてはダメだと思い立ち、図書館に通っては様々な本を凄い勢いで読みあさっていた時代があった。
一冊の本には、それぞれ色々な作家の思想が選びに選んだ言葉にのせて凝縮されているはずだ、と思ったからだ。

文字で深い世界観を訴えている魂のこもった書物は、やっぱり素晴らしいものだと今でも思う。
だけど、人の表情を間近で見ながらお喋りをして楽しめることは、違う形で私に生きている喜びを無限に与え続けてくれるだろう。
一方通行ではなく、リアルタイムで心を見せ合い、同じ空気や感動を共有できるのは、どれだけ充実感を得られることか。

なんかカタイこと書いてしまったけど、要するに「お喋りしてきて今日も楽しかった!」というだけのことなんです。

2005年11月14日(月)

ジャワでガムランと出逢い
その音を初めて聞いた時、
涙があふれてあふれて止まらなかったと
プロの音楽家の彼女は言うのだ。

長い足を無造作に組んで。
いつもの愛らしい笑顔と弾んだハスキーボイスで。
褐色がかった頬を紅潮させて。

私もまた、誰かに、何かに、揺さぶられたい。
湧き出て止めようもない涙を思い切り流したい。

そういう瞬間がいくらでも訪れるんじゃないかって、
ちょっとだけ、信じることが出来るのだ。

こんなに素敵な君が、
ちっぽけな私のことを

「スキ」と言ってくれるから。

2005年11月15日(火)

空をあおぐと、月に照らされた雲が綺麗です。

夜なのに、お酒も少し飲んでいるのに、今日は送ってくれないんだね。
私は少し、うぬぼれていたみたい。

「送らなくて平気だよね」
「うん、へいきー」

それでも私は明るく即答できる。
間違っても「淋しい」だなんて、言ってはいけない。

「淋しい」というコトバに、冗談にして貰えるニュアンスを含ませるには、私はまだ子供すぎるのです。

2005年11月16日(水)

先生に逢ってきた。

「調子いいと思う」と私は告げた。

そうして病院をあとにして、薬をもらい、スーパーで買い物をして、過食して気持ち悪くなり、昼間から寝た。

私は昨日、辛かったのだ。
おとといも、辛かったのだ。
あれも、これも、平気だと思って普通に動いていたけど、ぜんぜん忘れられていないのだ。

受話器に伸びそうな腕を押さえる。
確認したくて仕方ないのだ。だけどこれをやってはいけない。
あきらめてひっそり噛み砕きなさい。

「でも、そうやって、わかってるんだから、いいんだよ」

夜、たまたま電話をかけてきた同胞が云う。
そうなのだ。
このまま大人しく、時間が過ぎて傷が癒えるのを待てばいい。

哀しいのだと、おかしくなる前に、ちゃんと自分で分かっている。
それで十分なのだ。それ以上、何が私にできるのか。
もう何も、どうすることも、できないのだ。

2005年11月17日(木)

寝る気力がなくて、朝7時までmixi徘徊。
落ち込みを書き散らす。

でも私は元気です。
○坂でダンスレッスン。すんごい汗びっしょり。
キャミソール絞れるんじゃないかと思うくらい。

mixiで私の高校のコミュニティ発見。
さらにクラスメイトでわりと仲良しだった子と再会して大興奮。
もともとかなり綺麗な子だったけど、現在のあまりの美しさにビックリ。
紆余曲折あったらしいが、表情に強さが宿った。
女ってすごい。

2005年11月18日(金)

今日は友人が言うことには満月のあとだそうで。
作業所、アルバイト、ダンスレッスン。
来るものが来ておなか痛いし眠いしで、ちょっとくじけそうだった。
バイト前、ちょっとだけ早く○坂に着いたので、ホームのベンチで目を閉じた。
こんな雑踏で、しかも座って眠れるはずなんてないんだけど、ケータイの目覚まし、15分後にセットして。

みなさまゴメンなさい。
私は「言っても大丈夫だ」と思ったら、なるべくなるべく周りの人に言いふらすようにしています。

あれが心配、これが辛い、と。

アルバイトの怖さ、現場で2、3人に「大丈夫だよ」と言ってもらい、マスターも背中をポンポンと叩いてくれた。

レッスンで汗だくになり、夕ご飯をお店で食たべさせてもらい、慌てて帰る。
午前0時半にうちの最寄駅に着いて、夜道をまたけっこうな大声で歌いながら歩く。酔ってるんじゃないよ。
今日は小沢健二feat.スチャダラパー『今夜はブギー・バック』。

 ダンスフロア-に華やかな光
 僕をそっと包むよなハーモニー
 ブギー・バック シェイク・イット・アップ 神様がくれた
 甘い甘いミルク&ハニー

もちろんラップ部分もちゃんと全部うたってます。ええ。

部屋について手を洗ってうがいして、ショウガをすりおろし、お湯とハチミツとレモン汁を混ぜて飲む。
なんとなく風邪予防に効果ありそうだから。
どうしても体こわせないんです。
今は私一人の体じゃないのだ(←?)

2005年11月19日(土)

最後のチーム練習おわったー。
お子ちゃまたちもみんな元気な顔を見せてくれて一安心。
明日は都内の大きなステージでチアダンス踊ります。
リーダーのY子さんなんて、もう感激して泣いちゃって、オイオイ泣くのは早いぞー、と言いながら、みんなで拍手。
忙しい中でのまとめ役、ここまでいろいろ大変だったね。

本番はとにかく笑顔で!元気に!!
Cheerですから。

作業所仲間のおじさまが、わざわざ電話くれてエールを送ってくれた。うれしいなー。

とりあえず、めいっぱい楽しんできまーす。

2005年11月20日(日)

大会おわった。これで、ひと段落~。

チアー大会なんて、勿論はじめて参加したんだけど、いやーみんなとにかくスゴかった。
エントリー前に外で練習していたチームの気迫なんて見てて怖いほど。
謎の奇声(掛け声?)をはりあげながら踊っている。中国雑技団か~?
山形や福井から来ているチームもありました。
コスチュームもそれぞれ凝っていて、カラフルできらびやかで見てるだけで楽しい。
確か早稲田大学の、男性のみのチームが1つあって、会場が相当、沸きましたねー。もうウォーターボーイズのノリ。
わざとカワイイ振り付けを取り入れて笑いを誘い、自分たちの位置づけがよくわかってる。

私たちの肝心の本番も、直前は少し緊張したけど楽しかった。
うちのチームは賞なんて狙っていなくて、まるっきり下手なんだけど、踊っている時にお客さんが声援おくってくれているのがわかりました。

会場の通路や階段で他のチームとすれ違う時、「おはようございます」とか「こんにちは」とか、声をかけあうのがどうやら常識らしいので、面白くてたくさん言ってみた。
登山みたいだ。

メンバーで打ち上げとかしたいところだけど、私以外のメンバーは主婦さんとそのお嬢さんばかりで時間がない。
大人しくアパートに帰るも、一人で夕食とるのが珍しくつまらなくなった。
・・・なのでこれまた珍しく自分から連絡をとり、ご近所のYさんとデニーズで閉店まで喋った。
近所にお食事して喋ったりカラオケしたりできる友達いるのって、一人暮らしの私には、すごくすごくありがたいなー。
あちらも「気分転換になるなー」と言ってくださる。
仕事がすごく忙しくて、滅入りぎみの様子で・・・。

次は、オリジナルイラストのポストカード作り。
25日が納品締め切り。あんまり日にちがない。
だけど私、これ、本当にやりたいのかな・・・。
なるべくマイペース、無理なくいこう。

2005年11月21日(月)

はー、なんか先週末からぶっとばし過ぎたみたい。

朝、頭の中が予定でごちゃごちゃになって、何も手につかない。
部屋の中をグルグル徘徊するばかり・・・。ああこりゃダメだ!

やること1つ削る手配をして、ギャラリーのオーナーさんに電話して、ポストカードの納品状態と納期について少し安心して、仕事はほっぽって、

・・・寝ました(笑)

で、夜8時ごろ起きて、メールの返信などして、友達と電話しながら掃除機かけて、野菜いっぱいのお味噌汁と炊きたてご飯、用意して。

食べ終わりました。ごちそうさま。
やっぱり食は大事ですよね。

荷物かかえすぎるとパンクするぞー。
でも何度パンクしても懲りないあたし。

2005年11月22日(火)

私の日記を読んだマイミクシィの友達が、石川秀美「ゆ・れ・て湘南」を送ってくれた。

やったー。ありがとう!
マスターして歌ってあげるね。
ただしその時はウソでも褒めて~。
あたしは自己評価の限りなく低いナルシストなのだ。
(↑分かる人は分かるよねたぶん)

昨日は休んじゃったからね、遅刻だけど急いで支度して作業所に行った。
いつもはすこーしは化粧してヘアワックスとかもつけるんだけど、時間がなくて、顔は日焼け止め塗っただけ、髪の毛も洗いざらしのまま。

だけど「髪いじってないし化粧も全然してないんだけどヤバいかなー」と訊いたら「いつもと変わらない」と言われた・・・。

それもどうかと思うよ。

2005年11月23日(水)

いつか離れていくな・・・と思っていたけど、 今日がその日になったのかな。

台風みたいに突然やってきて、いろんなもの撒き散らして、キラキラいなくなっちゃった。

私、あんなに好かれて、嬉しかった。

けっこう淋しいけど、私は女の子の友達を追いかけるほど強気にはなれないし、流れにまかせてあげるのが君には似合ってる。

私もまだ、いろんなところへ、流れていってみたいから。
景色を楽しんでみたいから。
たくさんもらった煌きを胸にしまって、
素敵な偶然でクロスした道を、また別々に歩いていこう。

どこかでまた逢う日まで、一度だけ、さようなら。

2005年11月25日(金)

今週は忙しくて予約の日に主治医に会いに行けなかった。
朝イチに病院に電話かけてみたんだけど、やっぱり予約いっぱいで診察はできないと事務の人に言われ・・・。
仕方ないので処方箋だけ出して貰い、薬だけはGET。

作業所に顔だしてから、赤○「○つ井」でアルバイト。
今日はレッスンの日ではなかったので、顔なじみのみんなが来ないと思うだけで不安だった。
でも途中でインストラクターが少し顔を出しに来たので、ちょっとリラックス。

今日は初めてお客さんにビールとグラスを出した。
(って、たいした事じゃないのに緊張した・・・)
確かビール瓶の栓はぬいてあげるものよね、と、栓を抜く。
グラスを出して、えーと、注ぐまではしなくて、いいのよね。

「慣れてなくてすみません、まだ始めたばかりで」

と言い訳しながらなんとかシゴトをする。
・・・でもこういうのって、慣れる時なんて来るんだろうか。
お客さんが「特にどうしなくちゃとか決まってないから平気だよ」と、お皿を下げるのまで協力して下さる始末。・・・これではイカン。

なんだか一人でずーっと喋るお客さんがずーっと居ました。
返事しようとしても口をはさむ間が無いくらい(笑)
私のこと、何度「まゆです」と言っても
「まりちゃん」と呼ぶ。はい、もう、まりでいいです~。

今日のまかない。
シャケの塩焼き、アブラナと油揚げの煮びたし、ワカメとネギと大量の大根おろしをのせた冷やしきしめん。
ビールも飲んでいいよ、と言われて「やったー」とマスターと一瓶を分けて飲んだ。

あー、働いて美味しいもの出して貰えるのってやっぱりイイ。

2005年11月26日(土)

SALSAの3時間スペシャルレッスン。
運動神経の壁に突き当たったのか?
なかなか前に進めないよ・・・。ああ落ち込むなぁ。

あとでインストラクターからアドバイスのメールを頂いた。
私は音楽に関してはカンがいい方だと思っていたんだけど、SALSAのリズムをもっと体で感じていないとダメなのだそう。
意味は正直わからないんだけど、趣味ではない音楽鑑賞も、なるべく実践してみよう。

エステティシャン養成のお仕事しているEちゃんと、赤○「○つ井」で交替で接客しながらお酒と食事をいただく。
Eちゃんには化粧の仕方まで教えてもらって、楽しい夜でした。

あたし、初対面のお客さんとも、それなりに会話してる。
こんなこと、そう遠くない昔まで、全然できなかった。
だけど、どこまで正直に話していいんだろう。
どこまでうまく隠さなくちゃいけないんだろう。

「水曜日もバイトに来てもらえないかなあ」とマスターが言ってくれた。
嬉しいけど本当に私なんかでいいんですかー?

2005年11月27日(日)

音楽はやっぱり世界共通の言語です。

私が参加しているミクシィの「REBECCA(レベッカ)」コミュニティのイベント、レベカラin関東(レベッカだけをカラオケで歌うオフ会)の第二回に初参戦してきました。

高校のクラスメイトのKちゃん以外は初対面の方ばかりだったんだけど、もー、みなさま個性的でスバラシイことこの上なし!
歌はうまいわ、ノリはいいわ、何より同じ曲をぜーんぶみんなで歌えるという一体感の心地よさ!
それも間奏までみんなで歌ってしまえるというマニアックぶり。
誰もがそれぞれ盛り上げ上手でコーラスも手拍子もタンバリンも大炸裂、バンドボーカル経験のある方が多い中で私は歌は下手なんだけど、楽しくて楽しくて踊りまくってしまいましたよ。

Kちゃんと会うのも何年ぶりだろう、貧乏なのでカラオケのあとは二次会には出ず、2人でお茶して色々積もる話をしてきました。

ああ~。ほんとに楽しい日曜日でした。 

2005年11月30日(水)

主治医に会って来ました。
先週は時間なくて会えなかったから頑張った。
先生、なんだかお喋りモードです。長話。
来週に講演会を控えていて1,5時間も喋らなきゃいけないんだって。
原稿とか用意すんのかな~と思ったら、
要点だけまとめて、特に原稿なんて見ずに思いつきで喋るそう。
すごー。あたしだったら絶対に無理! ・・・と言ったら

「僕にはあなたみたいな絵は描けません」だって。あはははは・・・。

私個人の絵でお金貰うお仕事、これがやっと2つ目だよ。
オリジナルポストカード販売。
またプロの他の作家さんと同じ場所に陳列されると思うと気が引けます。
ギリギリまで現実逃避していて、どうにかこうにか3種類、イラストをカードに加工して、納品してきました。
あとでまた追納するつもりだから、期間中遅くなるほど私の作品の種類は増えると思います。
確か4日にタウン誌に小さく広告載る予定だとオーナーさんがおっしゃっていたから、そのあとででも時間つくって様子を見に行こう。
なんか他の作品と比べて落ち込みそうな予感~。

納品しに伺った時も、しばらく優しいオーナーさんと立ち話して、慣れない人とちゃんと会話できることに喜びを感じたんだ。
まだそんなことにけっこう幸せを感じるんだ。
だけどこういうことに喜ぶ触角は、いつまでも麻痺させたくないなー。

病院のあとは高校の先輩とお昼たべて、赤○○つ井でバイト。お客さんが来る前あちこち磨きまくった。
ミクシィ友達のネジ工場の社長Iさんが来て、ビール注いでくれた。
お喋りもできて楽しかったなー。
Iさんも言ってくれたけど、あたしもっと、人と逢おう。
だけど情報処理しきれなくならない程度にね。
まかないは特製おでん、豆腐と鶏肉の旨煮、生ふりかけ?、白ご飯。
マスターの料理は美味しくていつも嬉しい。
あと何でも飲んでいいよと言ってくれたので、珍しく焼酎のお湯割りなぞ作って少しだけ飲んでみた。
お客さんに出しているお酒の味くらいわかっておこうかなと思って。

(そうだ、ミクシィの世界のぞいてみたい方いらっしゃいましたら、私から招待メール送りますのでどうぞお知らせください。自分のブログ書かなくても、無料会員になるだけであちこち閲覧できます)

そして翌日の昼、完全オフにしようと目覚ましかけないでいたら、起きたらもう陽が沈みかけててビックリ!
普段、睡眠時間、足りないのかも。

またこれから、都内へ、出かけなくちゃ。
「あなた、たくましくなってきたから、大丈夫だよね」
とゆーコトバを胸に。

2005年12月2日(金)

アイシテル。
すべてのタカラものに。
この気持ち、決して出し惜しみなんてしない。

2005年12月4日(日)

金曜の晩。突然立ち上がらくなったマイパソコンである。

わりと機械好きの友人がやってきて、「ウイルスにやられたんじゃないか」と徹夜で診てくれたが直らず・・・。

最後の手段、ご近所のプログラマーYさんに診てもらう。
すーんごい長時間診てもらう。
貴重なお休みを本当に本当にスミマセン・・・。

しばらくいじって、こりゃダメだ、とHDDを外し、Yさんお宅のPCに繋いでノートン先生でウイルスチェック。
・・・が、何も検出されずスルーして終了。ええ?

ドスコマンドをちゃかちゃか打ちまくり、手早く色々と調べるYさん。

どうやらウイルスの仕業ではなく、物理的にHDDに傷がついているとの予測をたてる。
そのせいで読み取れないおかしなファイルが出来ていて、立ち上げる時にそこを読もうとするからフリーズする。 ・・・という結論。
そのおかしなファイルを消さないことには、傷のない新しいHDDにデータを移すことが出来ない。

で、問題のファイル。
エクスプローラには表示されるのに、どうやっても削除できない。おまけにドスコマンドでは認識されない。
ファイル削除ツールをDLしたりなど色々試した挙句、手動でアクセス権限を入力、ようやく消すことができ・・・。

今、めでたく復活したPCで日記を書いています。

いやー、やっぱりエキスパートは違うなあ!
私ひとりだったら絶対にOS再インストールしか知恵が無かったですよ。

Yさんにはお世話になりっぱなし・・・。
私は何をお礼できるだろう。 

2005年12月5日(月)

「あの子と深く関わると、ちょっと大変なことになりますよ」

実はそんな忠告を以前に受けていたんだと、ファミレスでお茶を飲みながら話すあなた。

私のこめかみのあたりにへばりついたままの、目に見えない薄い壁いちまいで隔てられた向こう側は、いつでも黒く渦巻くカオスだ。
時間もない、季節もない、引きずり込まれたら最後、抜け出せるまで私は狂人となる。
抜け出すために、狂人となる。

長い間、行ったり来たりしていたの。
でも私は今、確かに太陽の光を浴びている。
空はこんなに晴れわたっているし、冬のはじまりの澄んだ空気が私を包んでいる。

だけど、知らないうちにこの世界の空気を、誰かにとってかけがえのない居場所の空気を、私はよどませているの?

これは優越感ですか。
それとも疎外感ですか。
私どちらも欲しくはないんです。

私は特別じゃあない。
そんな忠告の引き合いに出されるほど、何かに影響を与える力を持っているはずがない。

それに私が目を凝らして見据えたいと思うものは、そこにはきっと、無い。
横目で眺めながら、そう動じることもなく、するりと通り過ぎていきたいのです。

知らないことも、知りたくないことも、あとからあとから押し寄せる。
だけどいつだって目を背けないでいたいのだ。
心が本気で泣くまでは。

2005年12月7日(水)

ねえ、こんどは手つなぎ鬼をしようよ。

だけどあなたの手があまりにあったかいので、これは遊びなんかじゃないんだってこと、とつぜん気づいてその場に立ち尽くす。

指先のかすかな動きから伝わってくる慈しみを、どこまでなら許していいんだろう。

哀れみ合うのは好きじゃない。
だけどこの手をほどく瞬間は、どうやって見極めたらいいんだろう。

2005年12月7日(水)

昨日のうちに、ポストカード1種類加工して増やし、売れて足りなくなった分も補充してきた。これで今のところ4種類になった。
買ってくれた人にはできれば顔を見てお礼言いたいくらい嬉しいが、「知ってるかた?常連さんですか?ご近所の人?」などと、オーナーさんに訊くくらいしかできない。

そしてそのあと・・・、なんだか現実世界に戻るのがイヤになってしまった。

だけど私にはやることがある。
がんばってシャワーを浴びて身支度をし、主治医に会って近況を話し、なんとか電車にのって赤○に向かう。
薬局で「透明手袋」なる仕事前に塗るハンドクリームを買い(バイト始めてから手荒れが酷いのだ。ささくれが増えて爪もボロボロ)、○つ井で働き、汗だくのダンスレッスンを受けて帰る。
かなり気合を入れないと出来ないベーシックステップを伝授される。
インストラクターは「一週間後、自己練習の成果期待してるからね!」と慌しく帰っていった。

まかないは今日はなりゆきで珍しくレッスン前に食べた。
土曜日バイト担当のエステティシャンのEちゃんと一緒に食べた。

「レッスン前だから軽いものにしようか」とマスターが出してくれたのは、白菜と油揚げとあさつきとホウレン草の中華風サラダと、具沢山のキムチ雑炊。
Eちゃん差し入れのリンゴ酢の水割りジュースと一緒にいただく。
サラダがすんごく美味しい!いくらでも食べられる。
白菜とドレッシングが決め手。白菜は塩して軽くしならせて使う。
そして酢、しょう油、柑橘系の香づけに(レモン、ゆず等)、ハチミツで。

でもやっぱりレッスン前にまとまった量を食べるのはよくないみたいだ。
激しいレッスンをちょっと吐きそうになりながらこなすハメに。

でも「もう気持ち悪くて何も食べられない~」と思っていたのに、レッスン後もバイト先でけっこう食べてしまった。
そして真夜中にうちの最寄の駅に帰り着いてからも、過食モード。
貧乏人には禁断のコンビニでカップラーメンと焼き鳥を買い、自宅にあった肉まんも食べてしまった。

過食以外に、大きな懸念事項、アリ。

2005年12月8日(木)

久々に完全オフの日。
昨晩目覚ましかけずに寝たら、案の定、起きたら14時だった。

手洗いで洗濯をすませ、電話をくれた知り合いと長電話。
それからストック野菜を処理するべく、ケチャップスープを作る。
じゃがいも・人参・タマネギをみんなさいの目に切り、コンソメで煮て、適当にケチャップと塩、タバスコで味をととのえただけ。

鍋いっぱいに作ったのに、PCしながら家にずっと居たら食べ切ってしまった・・・。
自炊してるといっても、これでは経済的なのか不経済なのかわからん。

高校時代の仲良しだった友達からリクエストを受けて、ミクシィに招待いたしました。
さっそく出身高校のコミュニティにも入会した模様。
いろいろ忙しそうだけど、時間をみてあれこれ楽しんでみてね。

2005年12月9日(金)

作業所でオーナメントに「ヒイラギ」の絵つけをしている。
クリスマスシーズンだからヒイラギでも描こうと思い、資料なしでずっと適当に描いていたのだが、量産するうちにいつの間にか自分が描いたヒイラギの葉がだんだん「オナモミ」に見えてきた・・・。
あれ~ヒイラギの葉って本当はどういう形だっけ?
と今更ながらネットでヒイラギ画像検索し、 途中から形を変えてしまった。

そんないい加減な仕事をしてから、赤○「○つ井」へアルバイトに向かう。

さて今日もぼちぼち掃除から始めるか・・・と店のドアを開けたら、もうすっかり出来上がってるオジサマ集団が大騒ぎしているではないか。

「近所の人たちなんだけど3時に開けてくれって言われてさー」とマスター。
慌ててエプロンをして戦闘態勢に入る私。
「おねーちゃん、氷ちょーだい!!」 「はーい!」
ひー。怖いよー。
今まで酔っ払い集団の応対なんてしたことなかったけど、今日はなんか水商売っぽいぞ、私。

盛り上がりすぎてグラスは倒すわ、「いつでも夢を」を大合唱しちゃうわ、なかなか帰らないオジサマ集団がやっとのことで去り、常連さんたちだけが残った。
片付けもひと段落して、まかないを食べる。
タラと豆腐と白菜とニラとネギと舞茸の鍋物、アジの開き、手作りふりかけ、白ご飯。

さらにキャベツと豚肉の炒め煮(おいしい!)をおつまみに、常連さんのお話を聞きながら焼酎のお湯割りを少しだけ飲んだ。

ふー。

早めにあがらせてもらって帰途につく。

私は接客は向かない。本当に下手だ。いつもそう思う・・・。
まあでもマスターのほうから声かけてくれたんだから、クビにならない以上は私なりになんとかやっていこう。

2005年12月10日(土)

久々に家事の神様が降りてきた。
洗濯・掃除・布団干しなどしてから食料の買出しして、料理。
地元のスーパーで食材を大量に仕入れてきました。
それもすんごい安く!!嬉しい。

・ホウレン草2束  100円
・白菜1/4カット    50円
・ニンジン(小5本) 68円
・ブロッコリー1株 100円
・長ネギ3本    105円
・キャベツ1/2カット  40円
・納豆50g×4パック   79円
・豚細切れ100gあたり 79円
・有機大豆水煮240g 108円
・豆板醤1瓶100g  149円
・ニンニク3個ネット入  79円
・油揚げ5枚     89円
・トマト水煮缶400g 100円 

スーパーでふと思いついてバイト先のマスターに電話。
材料・手順をちょこっと確認し、お店で出してた料理のマネをするぞ!と、2品試作。

●「中華風(?)サラダ」
塩した白菜・白髪ネギ・茹でたホウレン草・油抜きして炒った油揚げ・醤油・酢・ポン酢・レモン汁・ハチミツ

●「キャベツと豚肉の炒め煮」
オリーブ油・おろしたニンニクと生姜・豚肉・大量キャベツ・酒・醤油・塩・砂糖・豆板醤

味の記憶をたどり想像で調理していくも、「うーむ。マスターと同じにはならない!」と実感。
でもさらにホウレン草のゴマ和えを適当に作って、せっかくなのでお世話になってるご近所さんを呼んだ。

ボジョレーヌーボと柿を持参してくれました。
試作料理は真面目に感想を言ってもらい、(サラダはもうちょっと味が濃いほうがいいとのこと。ふむふむ)柿をむいて、最後にインスタントのお茶漬けを食べ、さらにもう一人近所の友人を誘ってカラオケに繰り出し、お開きになったのは朝の4時前くらい。

エネルギーある日って、あるんだよね。

2005年12月12日(月)

2年以上あってない友達(女性で2歳上)に会ってきました。

彼女のバイト先が恵○寿駅前の老舗のお蕎麦屋さんで、甘味もオススメなのでそこで一緒に食べよう!というわけで。

いやー、話が尽きない尽きない。
結局閉店後も店長に許されるまま居座って、11時まで喋ってました。

「梅酒」「梅ソーダ」各2杯←店長サービス
「まぐろのフライ水菜サラダ添え」←店長サービス
「てんぷらの盛り合わせ」
(海老2、きす、ほたて、ごぼう、エリンギ、ピーマン)
「かもせいろ」
「豚角煮そば」
「白玉クリームあんみつ」←2人分店長サービス

すんごいサービスして貰っちゃった上に、あんみつなんて金粉つきのスペシャルバージョン。
友達が言うには普段はこんなデコレーションしないのだそう。
ラッキー!!

こんなに食べて、一人1500円。

閉店後は店長も会話に少し加わりに来てくれて、 楽しかったです。

あ、もちろん美味しかったですよ。(会話のほうに神経いってて、実はそれほど味に注意してなかったんだけど・・・)

お互いの容姿をわざと褒めあって気合いを入れてみるという、ちょっとカワイソウな年齢の私たちでした・・・(笑)
いや友達はすっぴんでも本当にあいかわらずキレイだったけどね。

2005年12月14日(水)

診察の日。

昼食を摂って数時間後、どうにも気分が悪くてたまらなくなる。
トイレで吐くが、治らず。
アルバイト先に初めて休みの連絡をし、アパートでうめきながら耐える。
なぜか体が痛み、酷い焦燥感でじっとしているのが辛い。
手足をさすりながら寝たり起きたり、ソワソワと夜まで過ごす。
一応熱を測ってみたら7度6分あった。風邪??

いやこれは違うなあ。
どうやら診察で精神的に何らかのショックを受けたらしい。

翌朝、症状はすっかり治まっていた。
・・・が、長い時間体にチカラが入っていたせいで、背中と首と肩が痛くて痛くて何もできなかった。

2005年12月14日(水)

「お節介に違いないとは思ったけど書くわよ。それでもやるというなら、どうぞ覚悟して・・・。私には関係ないところで頑張ってね、としか言えない。おとなですからね、お互い。友人として忠告。」

甘ちゃんな私への女友達からのメール。

忠告の内容(ここには書かないが)はもちろんなんだけど、この「これぞ女友達からの真面目なご指摘!」という感じの強い口調に、なんだか感激してしまった私でありました。

2005年12月17日(土)

手をのばして星くずを掴もうとしているけど、あたしの足には金・銀・銅・・・無数の足かせがジャラジャラとまとわりついていて、うまく飛べない。

でもそんなことはおかまいなしに、今日も汗だくで踊る。踊る。踊る。
楽しくて、振り回しているはずの足かせの重みも忘れてしまう。

連続ターンでバランスを崩した時、インストラクターがふざけて、体の小さいあたしを持ち上げて元の位置に戻してくれた。
子供になったみたいで、おかしくてうれしくて笑った。

いらないものはなんなのか、わかりそうでわからなくて、いや本当はわかっているのに、勇気がなくて、あたしは「いらない足かせ」を選べないでいる。

だから、それをはずすための鍵も探さないでいる。

2005年12月21日(水)

悲しいこと、調子に乗って話しすぎたかなー。

過去を普通に口にできる自分を確かめて、達観できてるような気になっててその実は、まだ治りきってない傷のカサブタ剥がし止まんなくなってただけ、とかさ。

あたしはそのあと、何かをごまかすかのようにことさら楽しげにお客さんと喋って、注がれるまま珍しく少し飲みすぎてしまった。
酔ってないけど気持ち悪い。
終電で帰り、アパートに着いたらトイレでリバース。

そのうえ真夜中だというのに、ホットドックを作り、さらにニラと玉子のお吸い物を作り、まだ足りなくてシリアルに牛乳をかけて食べる。
そしてまたリバース。

なにがそんなにサミシイんだい。 

リバース=食べたものを吐くこと

私は大量に食べてわざと吐く

(過食嘔吐)をしています。

2005年12月22日(木)

漫画家、桂正和。

私が最初に彼の絵に出逢ったのは、ジャンプで連載していた「電影少女」でした。

桂正和は、私の中ではずっと
「ビジュアル的に可愛い女の子を描かせたら右に出るモノは居ない!」
という位置づけだったのですが・・・(ちなみに彼の描く女の子の性格は非現実的で好きではありません笑)。

木曜の夜、コンビニで偶然彼の「アイズ」という漫画を見つけて、久しぶりにパラパラとめくってみたら。

期待していた女の子の顔・・・可愛くなくなってる・・・。

線がだいぶこなれてきてるなーとは思うけど、なぜか昔ほどしっかりした絵ではなくなってしまっている。
慣れてデフォルメされるのはいいけど、デッサンが崩れてきている気がするのは私だけでしょうか。
「電影少女」の頃は、もっと顔、丁寧に描いてたじゃない~!?
女の子を可愛く描くことに命をかけてるとさえ思っていたのに。
いや今でもそうなのかもだけど、個人的には違う路線に進んでしまっている気がして、ちょっとガッカリでした。

2005年12月27日(火)

あたしのこと滅茶苦茶にして欲しいんです。
そうしたら真っ白な世界に行けるかなあなんて夢みるんです。

だけどひとりになったあたしの手元に残されているのは、真っ白な年賀ハガキの束。

それと洗ってない朝ご飯のお皿。
今夜も履くはずのダンスシューズ。

優しくしてもらいたいのにどうしてなの、傷つきたい。
傷だらけになってそうやって少しずつあたしは細かな破片に砕かれてゆきやがて一陣の風でキレイに消し飛んでしまうなんてどう?

でもここが正念場でしょう、頭を振って現実をこなしていくことが、今のあたしに一番たいせつなオシゴトなんでしょう。

2005年12月29日(木)

あたしの言語認識装置はイカれているというか、余計なオプションフィルターがついているらしく、例えばバイト先でマスターが「他の曜日の○○○ちゃんは頭がいい子だし、努力もしてるんだよね」と言えば「まゆちゃんは頭が悪いし努力もしてないよね」と翻訳されてしまうので困ります。
そんなこと言われてないってこと頭では百も承知なのに、どうしても気になって勝手にどーんと落ち込んでいます。

否定して欲しいけど、こんなこと正直に言ってみたってオカシイと思われるのが関の山なので言いません。

木曜日、カラオケして、お茶して、ビリヤードして、ゲーセンへ。
友達が「自分から誘ったから」と殆どおごってくれました。

ビリヤード、ナインゲーム友達が勝つまでやりました。
ゲーセンではポップンミュージック(リズムゲーム?)とやらで対戦し、これも友達が勝つまでしつこくやりました。
私は勝負事に関しては、余程やめたい理由があるor余程ノーマークジャンルである以外は、基本的に本気で勝ちにいきます。

ポップンミュージックで私が唯一負けたのはアニメうる星やつらオープニング「ラムのラブソング」笑。
選曲の勝利だと大喜びの友人(2歳上♂)。このサウンドはもう体にしみ付いているのだそうで・・・。

私は友達のおかげでだいぶ元気になりました。
シャワー浴びて、ストレッチとダンスの復習。
この調子なら明日ダンスレッスンとバイト、また、頑張れそうかなー。  

2005年12月30日(金)

ちょっとくじけ気味ながらも、年末最後のダンススペシャルレッスンとアルバイト、なんとか無事こなして終了しました。

はー。あたしエライよ(泣)
って年末くらい自分で褒めておくことにします。

今回はお客さんが多くて少し忙しかった上に、なんて答えたらいいのか分からない質問されたりもして「ええーと、ええーと」と詰まってテンパってました。
そんな私に助け舟を出してくれるマスターとダンス仲間。

お客さんから釣りたてのカツオとメジナの差し入れが。
その場でさっそくさばいてくれて、お刺し身でいただきました。
美味しかったなー。

マスターが私のこと、
「まゆちゃんは一見ぽーっとして見えるけど、かなりの情熱家だよ」
とお客さんに言っていました。

どうしてそう思うんかいな。
確かに私は気性がちっと激しいかもだけど、表に出てないと思うけどな。
見る人が見ればわかるのかな。

2005年12月31日(土)

まだカウントダウンまでに3時間あるのに、もう年越しそばどころかおせちまで食べてしまっている過食気味の私です。

年末最終日にようやく年賀状のイラストを描く気になりました。
なので私の年賀状はどなたにも元旦には届きませーん。

絵を描いている時間はなぜか区切りがつくまで食べることを忘れるので、お絵かきはダイエットにもってこいだと思われます。
こんな落書きであっても何作も続けて描けばかなり痩せられるはずです。
実際私は今年初夏の展覧会用に真剣に10作描いたら5キロ痩せました。
友達のKちゃんいわく「ツルの恩返しみたい」って、上手いな(自分の羽をむしってはた織りするってアレですよ一応)。

年賀状ださないお友達の皆様にも、せっかくだからイラストだけでも見てもらおうと思いUPします。
今年は真剣に絵を描く機会が多かったので食傷気味で、凝った絵を描く気力が無かったのでこうなりました。