2003年

2003年1月8日(水)

親のPCでHP更新できるように設定できた~。
1日がかり。ハードは弱いんです。

2003年1月9日(木)

入院日記、完成しました。

改めて読み直してみると、もう懐かしい。
なんか別の世界で起きた事みたいに思える。
まだみんなあそこに居て、毎日暮らしているんだろうな・・・

絵でお仕事が出来ると言ってくれたみんな、私は嬉しくて何となくその気になっていたけど、どうしてか外に出たらあんまり絵を描く気分にならないよ。

画家や作家がアトリエや書斎を作って閉じこもるのって、外の世界とは遮断された環境に身を置かないと創作意欲が沸かない、ってのがあるのかな。

創作意欲なんて大袈裟な!
とりあえず病院で描いたものはスキャンして公開していきたいです。
色鉛筆画だから、どうしても原画のグラデーションがモニターに出せないんですけどね。
少しでも楽しんで貰えますようにー。 

2003年1月10日(金)

半年以上ぶりにサルサを踊りに行った。

サルサは基本的に男性が女性を誘って踊るペアダンス。
今の処方では、頓服の安定剤の類を何も貰ってない。
クラブに向かう途中、人が怖くないだろうか、踊ってくれる人がいるだろうか、踊って落ち込まないだろうかとあれこれ不安だった。

だけどCDウォークマンでずっと音楽を聴きながら、電車に乗ったり歩いたりしてると、かなり気持ちが安定します。
入院中にTさんが送ってくれたおさがりのCDウォークマン。
以前は集中して一緒に歌って覚える時しか音楽を聴かなかったんだけど、入院時に使い始めてから寝る時とか外出中とか手放せなくなってます。
自分の世界に入ってテンション下げないのに一役買ってるかも。
選曲は重要かもしれないな。

ちなみにここんとこずっと「ジッタリン・ジン」のベスト版を聴いてます。
タンタン、タンタンとリズミカルな曲が多いので、それにのってずんずん歩いてしまう。

クラブに着くと、インストラクター兼DJがまず最初に私を覚えてるのか覚えてないのか、カクテルを手にして座ったところへ来て、一曲踊ってくれた。そして「また来てくださいね」とレッスンのチラシをくれた。

結局パートナーに困ることはなく踊りっぱなしで、汗だくになって早々に帰途についた。
一人暮らしで躁状態の頃はよく終電も無視して踊り続けて、タクシーで帰ったっけ。

家に帰ってからお風呂に入って汗びしょの服を全部手洗いして、朝おきたら昼の12時!

やっぱりサルサ、上手な人はとても上手。
サルサ特有の女性のボディムーブメントがあるんです。
妖艶な手の動き、体のしなやかさ。もっと上手くなりたい。
今日はレッスンにも行ってみたかったけど、マネージャーの家に行く約束なのでそっちも楽しみ。
12時に「今おきた」とメールしたら「げ!」と言われた。
早めに支度して、行くからね。
って言いながら日記書いてるけど。
それでは行ってきます。

2003年1月11日(土)

マネージャーと一緒にビデオ「GO」を観た。
映画館で観た「ピンポン」に次ぐ窪塚映画2作目。

存在感あります。
共演の柴崎コウ、山本太郎も好き。
2人とも「バトルロワイヤル」にも出てました。
あの映画も面白かった。

うーんでももう少し、窪塚洋介の演技でズガーンとくるもの観たい。
次は「狂気の桜」かな。
CM見てなんか気持ち悪くなりそうで嫌かな~と思ったけど、ちょっと興味が出てきた。
予告見たところでは和風バイオレンス世直しもの?

2003年1月13日(月)

マネージャーを我が家に呼んで、「ハリーポッター 賢者の石」のビデオ鑑賞。
マネージャーの田舎のお土産のワインを飲みながら、母の作った夕食を一緒に食べた。

2003年1月14日(火)

映画「ドラえもん のび太とロボット王国」を録画鑑賞。

ロボットキングダム、というだけあって、多少メカ描写が見られる。
物足りないデザインのロボットや要塞を見ていたら、なんだかまた大友克洋あたりの高度なメカイラストが見たくなった。

ドラえもんの映画は大昔に一度だけ映画館でみたことがある。
それは「のび太の恐竜」。

出てくる恐竜は確か ”フタバスズキリュウ”という名前の首長竜で、卵からかえったのをピースケと名付けて、のび太が可愛がる。
懐かしい。あの頃は本当にワクワクして見てたなぁ・・・。
コロコロコミックに掲載された漫画の方も。

「のび太の恐竜」以外のドラえもん映画は印象に残っていない。
あれからかなりたくさん作られたはずだけど・・・。
なんか喋る車が出てきて静香ちゃんが主役級の作品があったかな?

2003年1月16日(木)

マネジャの家で目覚め、2人でモスバーガーでブランチ。
そう込んでいない店内を見渡す。
平日の昼間にモスにいるこの人達は、普段何をしている人なんだろう?

主婦を除いて、25~35歳あたりで「月~金の昼間の仕事に就いてない人」は何パーセントくらい居るのか知りたくなる。

私はまだこの「月~金の昼間の仕事」にこだわりがある。
未練という感じかなぁ。
土日祝休みの会社員、に根拠のはっきりしない安堵をおぼえてしまうのです。

それが今、堂々たる無職。
未練を感じていても、堂々たる無職。
どうしちゃったんでしょうか。
つい三ヶ月前までは仕事の鬼?だったのに、かなりわざーとのんびりしています。

入院したら「あっ」という間に、自活だけが人生じゃないわと思うようになってしまった。

HPをもっと見やすく綺麗にしたくてツールを探してみたら、DREAMWEAVERがあったのでちょっとどんなのか見てみた。
フォルダの構造を変えてもリンクが崩れないとか、フラッシュのボタンやテキストがすぐ作れたりとか、便利そう。
親のPCにインストールして、それ使って更新するようにしようかな・・・
HPビルダーは探したけどどうやら持ってないみたい。

ギターを練習してみた。
ウィノナ・ライダーが「17歳のカルテ」で
たどたどしく「DOWN TOWN」を弾き語りするシーンがある。
ああいうの、やってみたい。

Gメジャー、Eマイナー、Cメジャー、D7を繰り返し練習。
こ、これは・・・左手の爪をもっと短くしないとダメだ。
押さえたくない弦にもどうしても指が触れてしまう。
きれいな和音が出るように押さえるの、想像以上に難しい。
しかもギター、デカいんじゃないか?
身長150cmに満たない私には。

2003年1月17日(金)

今日は先生に会いに行った。
母と2人で病院に向かうが何も言うことが思い浮かばない。
困ったなぁと思いながら順番が来た。

「暇に慣れてないんだねぇ」と言われた。

そうかなぁ。

母親と別れて、マネージャーと待ち合わせ。
「ハリーポッターと秘密の部屋」を観た。
ハーマイオニー、可愛い!!

「くー、あんな妹がいたらなぁー!」とマネージャーが言う。

私だけじゃ不満なの?という言葉が喉まで出掛かったが、口にはしなかった。

2003年1月19日(日)

小さなことなんだけど、君が街中のベンチで昼間からビール飲むのはずっと嫌だったの。
でもそれが唯一の楽しみなんだと思えば何とか隣に居れた。

だけど昨日はあんなにお酒を飲んだのに、今日の夜も飲み会の予定なのに、唇の端っこに水泡が出来てるのに(それは胃が荒れてる証拠なんだよ)、また昼間から当たり前のように缶ビールを買って、飲みながら歩き出したのを見た時、何か急に、とてもいやーになった。

体は、大切にして欲しいんだ。
昨日の夜も今日の夜も飲み会なのに、真ん中の昼間くらい空きっ腹にビールは止めて欲しかったの。
それも、日曜の商店街を歩きながら!!!

次の仕事の内容を聞いた私の想像では、君はきっとこれから、今までより荒っぽい同僚に囲まれて毎日働くんだと思えちゃうの。
ますます行儀が悪くなっていくと思えちゃうの。
お昼ごはんも、会社で過ごす訳じゃないから、お弁当屋さんなんか入らないと思うし、きっとコンビニかなんかで適当に済ませちゃうだろう。
栄養のバランスが心配で頭がぐちゃぐちゃになる。

小さなことなんだけど、黙っていられなかった。
明日から新しい職場で働く(多分とても緊張している)君に、笑って別れてあげられなかった自分も、とても、いやで、泣いた。

君というのは、彼氏のことです。

2003年1月20日(月)

うーん一睡も出来なかった。
水曜日の夜まで、家を空けます。

どうしてここ、ネスケで見れなくなったんだろう?
直したいけど何がいけないのかわからない。

ネスケ=ネットスケープ この頃ポピュラーだったブラウザです。

2003年1月23日(木)

掲示板のご指導通りに直してみたつもりだけど、トップページ、ネスケでも見られるようになったかな?

うーんやっぱり正しく打ってないと、IEで大丈夫でもネスケでは見れなかったりとかするんですねぇ。
勉強になりました。

ところで今日、雪深い山奥の小屋から無事に帰ってきました。
本棚にカミュの「異邦人」、ラディゲ「肉体の悪魔」、「時計じかけのオレンジ」、三島由紀夫「不道徳教育講座」(こんな本出してたのか?)を見つけて持ち帰ってきました。読むかは未定。

今シーズン初めてちょっとスキーしました。
スキー靴の留め具がなっかなか留められず、ウンウン唸りながら悪戦苦闘。
あらためて腕力の衰えを感じました。

あとは漫画や絵本を読んだり食べたり寝たり食べたり。
子供の頃に読んだ懐かしい児童文学がたくさんあって読みふけりました。

まず「悲劇の少女アンネ」を読んで泣きました。
何度も読んでる筈なんだけど、最近涙腺がゆるくて。
でも泣くのって気持ちいい。

かの有名な松谷みよ子「モモちゃんとプー」。
このシリーズ、「小さいモモちゃん」とか「モモちゃんとアカネちゃん」とかいろいろあって、パパが途中からいなくなっちゃう悲しい童話なんだよなぁ。
もうひとつ松谷みよ子で思い出すのは「ふたりのイーダ」。
あんまり内容覚えてないけどこれもモノクロで悲しいイメージ。
戦争がらみだったような・・・。小学校の図書館で読んだ。

昭和52年の横浜市緑区での米軍の飛行機墜落事故の悲惨を訴えた絵本「パパ ママ バイバイ」。

16歳で被爆し下半身の自由を失った筆者の苦しみ、核廃絶活動を綴った「長崎を忘れない」。

「魔女の宅急便」の原作も見つけて、読みました。
映画も見たんだけど、話の内容は全然おぼえてませんでした。
要約するとこんな話でした↓見たくない人は読まないでください。

人間と魔女のハーフのキキが、ひとり立ちの年齢を迎えて
黒猫ジジと一緒に魔女のいない町に旅立ち、
魔女を知らない人間と親睦を深めるべく
ほうきで飛べるという特技を生かして「魔女の宅急便屋」を開き、
どうにか宅急便屋の仕事を通して人間達と温かい交流を重ね、
1年修行してふるさとへ帰ります。

子供の頃よんだ本を読み返すと、いかに難しそうな部分をすっ飛ばしてたかよく判るのでそれもまた面白い。
「悲劇の少女アンネ」なんかは、第二次世界大戦当時の国の情勢の移り変わり等、子供向きにとーってもわかりやすく解説してくれているのになぁ。

私は今でも、政治的な部分などは読み飛ばす傾向があります。

あと「ちびぞうトト」(誰も知らないだろう・・・)、漫画「人間交差点」、「ちびまるこちゃん」、「有閑倶楽部」、少年アシベの著者森下由美子の「ここだけのふたり!」等々。

外は寒いしネットも出来ないし両親しか居ないので、やることなくて。また太っちゃいました。
スキーの帰りに温泉行って、体重量ってみたんです。ビックリです。

入院して食欲が戻ったのはいいんだけど、最近食べすぎです。入院前より6キロも増えたぞ。
ガリガリも嫌だけど、ちょっと太りすぎ・・・

一番の原因は、寝る直前や、寝付けず起き出してきた時に大量に食べてしまうこと。

例によって、なんだか寂しいからなんです。
薬を飲んで眠くもないのに一人でベッドに入らなきゃならないのが、どうも心細いというかツマラナイというか。

で、なぜか、お腹が空いてるんじゃないのに食べてしまう。

2003年1月25日(土)

今更ながら新世紀エヴァンゲリオンのビデオ鑑賞。
弐話まで見た。続きも借りて、マネジャの家でまとめて見よう。
オープニング「残酷な天使のテーゼ」はカラオケレパートリーに決まり!

入院費の領収書を1枚ずつ見ながらPCで一覧表を作ってみた。
二ヶ月の入院で総額76万。
そのうち12万円程は高額医療費で戻ってくる。
改めて計算してみると自分で払えない額じゃないけど、いいや、今は黙って親に頼ってしまおう。

最近、ずっと納めていなかった国民年金を22万程まとめて支払った。
過去二年ならさかのぼっての支払いが可能で、それが過ぎると納められなくなってしまうのだ。私には8ヶ月の空白が出来てしまった。
将来なんてわかるもんか、今の生活費の方が大切だと思っていたが、これからは国民年金は納めておくことにした。
どうすると一番得策なのか調べる気力もないし、老後に国の施しは要らん!などともう強気な態度にもなれないし、ここはおとなしく言われる通りにしておいた方が、のちのち簡単に恩恵に預かれるような気がする。
自動引き落としの手続きも済ませた。

それでもまだ去年の分はまるまる未納だ。
ちょっと仕事しないと払えないぞ。
そろそろ何かしなきゃ。

あとは確定申告だなぁ~面倒くさい。

2003年1月27日(月)

昨日はマネージャーと一緒にエヴァンゲリオンの四話まで見た。
見終わった後、顔を見合わせて「これは、暗いね」と笑った。
面白いので、また今週末、続きを2人で見よう。

今朝の5時くらいから、マネージャーが仕事着に着替えて出勤の用意をしている。私は気付いてはいるがまだ薬も残っているし、横になったまま5回ほどマネージャーを送り出す夢を見る。

本当に出勤する時、寝たままの私に「好きだよ」と唐突にハッキリ言った。
「私も好きだよ」という言葉が浮かんだが言わなかった。
代わりに黙って首に両手を回した。
はっきり目覚めたのはもう昼の11時近くだった。
後ろめたさと雨が降っているのとで動きたくなくなった。
朝「私も好きだよ」と言っちゃいけない気がしたのは、彼の言う「好き」と私のそれは全然違うような気がしたからだ。
あと「好きだよ」というその力強い口調に彼自身の不安を感じた、始めたばかりの仕事に対する不安?こんな私に対する不安?
私の恋愛感情はいつもエゴ、そのことに強い劣等意識がある。
彼の一言で最近忘れていた「他人への愛に欠けている」という後ろめたさをどっと思い出した、人を好きだという気持ちをバネにして何かを頑張ったりなんて出来ない、少なくともそういう気持ちになった事はまだない。
でもマネージャーはきっと私をそういう対象として見ている、とっても明るい「人を好きになり方」だ。私とは違う。

入院先の病院で貰った紹介状の病名欄に
「抑鬱状態 パーソナリティー障害」とあった。

病名なんてどうでも良かったけど、PCで「パーソナリティー障害」で検索かけてみたら、人格障害の色んなタイプやらの説明に行き着いて転々と読んでまわった。
私の先生は私に病名を言うことはしないから、今の私にどういう病名をつけるのか知らないけど、入院先の主治医がいくら若くて信頼できなくても、心理テストもたくさん受けたし質問にもたくさん答えたし、私に人格障害という病名をあてがったのなら、少なくともそう判断させる何らかの兆候が私にあったんだろう。
それとも曖昧な意味で使っちゃったりする病名なんでしょうか。
私の、どんなところが、その病名を書かせたんですか?
何か思い当たる特徴を探そうと画面を読んでいたらなんか辛くなってきた。
どこに帰ったらいいのかわからなくなって、だけど2晩も外泊して薬ももう無いし実家に帰るしかなくて、母親の前で泣いた。

家族といると毎日のように癇癪をおこして泣く。

2003年1月28日(火)

ラディゲ「肉体の悪魔」は四分の一程読んだが面白くない。
映画にもなったそうなのでそこそこ有名な作品なんだ。

三島由紀夫「不道徳教育講座」。こっちは面白いので、たぶん最後まで読むだろう。

1歳の姪が朝からずっと家に居て、私は1日中殆ど部屋で寝ていた。

独り暮らしや入院中はいくら鬱でも癇癪を起こすことは無かったんだけど、家族と居る時だけどうにも押さえられない感情が湧くのだ。
自分でも子供っぽくてバカげてるって解ってるけど押さえられない。
癇癪を起こす自分に自尊心が傷つき激しく打ちひしがれるので、なんとなく癇癪を起こしそうな状況を避けようとしている。
それとも医者や親が言うようにここで敢えて必要だと開き直って、溜まりに溜まった寂しさを思い切り全身で訴えてみるか。
それによる屈辱感というか敗北に似た気持ちは受け入れるべきか。

このままどんどん自堕落な生活に沈んでいきそうで怖い~。

2003年1月31日(金)

テーブルの上に成績表がある。英語の成績が悪い。
母親がそれを冷たい目で見ている。
父親が私の愚行を母親に告げ口している。
私は必死に誤解を解こうとして母を追いかける。
母は話を聞こうとせず私の目の前でドアを閉めて去ってしまう。
待って、話きいてよ、違うの、待ってよ。
自分の声で目を覚ました。

過去に似た体験をした訳じゃないし今もそんな目にあってない。
あ、話を聞いて貰えなかったっていうのはあったか・・・。
どうしてこういう夢を見るんだろうなぁ。
嫌な夢の中では、私は大抵、学生だ。

なぁーんにもやりたくない。なぁーんにも出来ない気がする。
気持ち悪い。クッションに突っ伏していたら、マネージャーに「何が、嫌なの」と訊かれてぼんやり考えてみた。
別にこれといって何が嫌ということもない。
生きてるのが嫌。けしからん言葉に思えるけどこれが一番近い。

マネージャーの家から病院へ。
母親と待ち合わせる。一緒に歩いていると息が苦しい。

先生が「娘さんと二人で話をさせてください」と言い、母親が診察室の外にでる。

「僕がひとつ言いたいのは、あなたは本来とても力のある人間だってことです。ただちょっと寂しさに弱いだけで」

あなたには、色々問題があるにしても社会でやっていける力がある。
またそういう状態にもっていきましょう。
あなたが無力感を感じるのはあなたを囲む状況のせいです。
その状況を打破する為に、ステップとして、・・・

ステップとして、ACミーティングに参加することになった。

先生は私に治療の提案をする時いつも「・・・無理強いはしないけど」と付け足すけれど、今の私は先生の言いなりです。

2003年2月1日(土)

日記が書ける間はまだ大丈夫。と思う。

ベッドにもぐったままで求人広告を読む。

「おしゃべりが下手でもやさしければOK」
やさしいフリなら出来るような気がする。
それに私はお酒は強い。
時給¥3000から。どうしてこんなに高いんだ?

フロアレディのアルバイトの広告が頭から離れない。
いやいやこういう仕事は自分にはきっと向かないんだ向かないんだっ!
PCの仕事から離れてみたいだけなら、他にいくらでもあるじゃないか。
でもやってみたことがないから、どうしても気になる。
もしかして向いているかも知れない。
今までしがみついてきた堅い仕事より楽にこなせるかもしれない。
そしたらどうする?
試してみたら、現実を知って嫌になるかな。

ヤフーメッセで知らないおじさんと長い間会話してみたり、ご近所さんを探せ!に登録してみたり。
あー誰か私を普通の道にもどしてください。

ヤフーメッセ=Yahoo!メッセンジャー。

この頃のYahoo!のチャットサービス

2003年2月2日(日)

今日も一日寝てばかり。
私を普通の道に戻すために、マネージャーは我が家を訪れる。
彼はそういうつもりかどうかは知らないけど、少なくとも私にとってはそう思えるんである。

私の家に来る度に居間に顔を出し手土産を差し出して、両親にキチンと元気よく挨拶をするので、だんだんと「怪しい人ではない」と刷り込まれていくであろう。
私もマネージャーの好青年ぶりを普段から家の者に売り込んでいる。
仕事頑張ってるんだよとか、寒いなか大変なんだよとか、大変だろうに私に愚痴ひとつ言わないんだよとかもろもろ。
母が好感を持ちそうな人間像を植え付けるのは私の十八番。

私の落込みを救ってくれる人が家主に良く思われていないのでは、調子が悪い程こもってしまう私にとって非常に都合が悪い。

母の作ってくれる食事を、和室の掘りゴタツを囲んで二人で食べる。

私、今、前に実家にいた頃みたいに家事をしたりしない。
自分の身に付けるものの洗濯以外、何もしない。
何となく癖でシンクの食器を洗おうとすると、母が「いいわよ、やるから」と遮る。黙ってぼーっと引き下がる。
そーか、私、家事、やらなくていいんだ。
一人の時、やろうかなとふと思っても、わざと打ち消して、やらない。
家事、しなくちゃ、おかしいよなぁと思う。だけど、やらない。
やらないということにどういう意味があるのかはよく判らない。

前回の病院の日に抗うつ剤を追加されたが、あんまり飲みたくない。
薬じゃ元気が出ないんだよー。
先生も私には薬が決め手ではないことを知ってて出してる。

2003年2月3日(月)

朝、起きたら誰もいない。

近所の歯医者に「歯のお掃除」をしに行った。
入院中にほうじ茶ばかり飲んでいたので黒ずみが気になってたのだ。
午前11時頃に行ったら飛び入りはダメみたいで、夕方にキャンセルが出てるから6時前に来てくださいと言われた。
そうですか、と家に帰ってまたパジャマに着替え、時間まで寝た。

昨日の夜、シェイクスピア「ハムレット」に続いて、「夏の夜の夢」を読んだ。
私の知っていたタイトルは「夏の~」ではなく「真夏の~」だが、家にあった古い文学全集にはそう訳されていた。
英語ではMidsummer’s Dream 。多分どっちでもいいんだ。
でも「まなつ」の方が語呂が良い気がする。
「夜」を「よ」と読むか「よる」と読むかでも違うな。
どう読むのが一般的なんだろう。

「真夏の夜の夢」といえば、演劇漫画「ガラスの仮面」で北島マヤが妖精のパックを演じる喜劇だ。
マヤは、いたずら妖精の敏捷な動きを習得する為に、四方八方から投げ付けられるボールをよけながら演技するという物凄い訓練をしていた・・・

ハムレットは悲劇。あれよあれよという間にみんな死んでしまう幕切れ。

シェイクスピア全集を読み出したのは、窪塚洋介主演の映画「GO!」で『薔薇はその名前をとっても美しい香りはそのまま』、というようなセリフを読みながら主人公が涙するシーンがあり、なんとなく見つけたくなったから。
でも多分、内容からして「ロミオとジュリエット」の中のセリフだろう。
家にあるシェイクスピア全集には「ロミオ~」は入ってない。

悲劇はトラジェディ。太宰治「人間失格」の中で、主人公が悪友といろんな名詞を挙げて、喜劇名詞か悲劇名詞かで議論して遊ぶ。
悲劇名詞なら「トラ」。喜劇名詞なら・・・なんて言ってたっけ。

この時代の悩める若者はこういう類の高尚な遊びを実際してたんだろうか。

三島由紀夫「不道徳教育講座」では、太宰治を”弱さを武器にする男”として例にあげていた。

2003年2月4日(火)

途中で止めていたラディゲ「肉体の悪魔」を最後まで読んだ。
主人公がいよいよ年上の女性と行動を起こして、急にそれなりに面白くなってきたから。でも暗い。
後味が「車輪の下」に似ている。若さゆえのもどかしさと不毛。

今日も本を読んだ以外、ずっと寝ていた。関係ないけど、私にも大学出たてで入社した給料の安い医療機器メーカーで、毎日の仕事と先輩とのコミュニケーションに全力を注いでいた頃があった。

私は振り返って説明しようとしてもできないほどの世間知らずで、新入社員を見に来た”厳しい”という噂の白髪の会長に呼ばれ「お父さんは、何してるの」と訊かれて、(はあ??今の時間は働いてるけど・・・)と、私を心配してついてきた総務部の課長の顔を見上げたりしていた。課長が「仕事のことですよ!」と小声で助け舟を出してくれ、「○○株式会社の社員です」と慌てて言った。

飲み会にも行った事がなく、お酒は社会人デビューで、「まったく酒でも飲まないとやってられないよなぁ」と嘆いてるおじ様達に「お酒飲んでも問題は何も変わらないじゃないですかー」と笑顔で言った。
お酌するなんて頭はからきしなくて、もっぱら笑顔で注がれるのを待つだけ。
それもこれも許されてしまう位に堂々とした世間知らずのお譲さんだった。
年齢の近い先輩が「会社辞めたいんだよ」と愚痴っていた内輪の飲み会で「でも辞めないのは今の会社のことをどこかで認めてるからなんじゃないですか?」などとあっけらかんと言いキレさせた事もあった。

あの頃は、本当に何も知らなかった。
お酒を飲んででも一瞬でも気を紛らわしたいという気持ちも今はわかる。

キレさせた先輩を好きになり、5年も付き合った最初の彼に別れて貰った。
先輩の彼女だった同じ部の先輩に陰で苛められて悩んだ。
小さい会社っていうのは本当に不思議で、殆どの男性社員に好きだと言われた。
毎朝、毎晩、会社までもしくは駅まで誰かが送ってくれた。
私は断るということを知らなかった。
駅で殴り合いの喧嘩を目の前で繰り広げられ必死に止めた。
父親同然の年の課長にすら告白された。
結局例の先輩も私を好きになり、寮を出て私の実家の駅前に部屋を借りて移り住んだ。
そして経理を一人でやっていた私は「給料が安いから」とアッサリ転職してしまった。
そして次の会社の上司をアッサリと好きになった。
彼は、私の居ない時に実家に来て、母に私に逢わせてくれと泣いて訴えた。
家に帰ると「お母さん貰い泣きしちゃったわ」と母にその事を告げられた。

あれからまた何度か男の人に別れを言った。
「職場に恋人が居ない」という自分で作った状況のせいで欝になり、通院を始めた。寂しさから自暴自棄になり、傷ついて、初めて男性の態度に不安を抱える立場になった。
関心を求める側の苦しさを知った。
あんなに人がこっちを向いてくれるのを待って苦しんだ事はあれきり、ない。
毎日、毎日、連絡がないという事実に身を切られるようだった。
きっと私は、平然と、一方的に、ああいう思いを人にさせてきたんだろう。

育った街に帰ってきた。母の前で泣いた昔の彼の部屋が、駅前を通る時ちょっと横を向けばまだ見えるだろう。
まだそこに居るのかは判らない。
今、もし訊けるなら、私と出会った事を、良かったと思ってくれるだろうか。
それとも、どうしてこんな人間にあれほど執着したのだろうと思うだろうか。 

2003年2月5日(水)

もうマネージャーは寝ちゃってる時間だろう。
仕事が朝早いのだ。暗いうちから出かけるのだ。
とても偉いのだ。
今日は電話が来なかったので寂しい。

私は今朝、頑張って7時半に起きて、税務署に行った。
父が確定申告の説明会に出かけるというので、運動のためについて行ったのだ。

雪がちらついてたし、税務署はかなり遠かった。
それなのに父は「人が多い」と言って何も説明を訊かずに帰った。
私も行きと同じ様に父の後ろを足元を目で追いながら歩いた。
朝起きた時からずっと胃が痛かった。

途中で「お金がないから下ろすね」と言ったら、父は、先に帰るよ、と言って去っていった。

税務署で説明を聞いて、そしたら昼食の時間になるから、何か外で食べさせてくれるかも知れないと思っていたが、さっさと引き返してきたので昼食の時間には及ばなかった。

ひとりになった私は、お金を下ろし、コンビニで小さな菓子パンを2つ買い、家に帰るとすぐパジャマに着替えてベッドにもぐり込み、カミュ「異邦人」を読み始めながらパンをかじった。

夕食まで、ずっとベッドから出なかった。

これから漫画「赤ちゃんと僕」を読む。姉から借りたのだ。
あとがきとかで見たんだけど「赤僕」と略すのは止めて欲しい。

2003年2月6日(木)

お風呂の中でカミュ「異邦人」を読破した。
汗だくで読み終わった瞬間、ムカムカが頂点に達して浴槽のフタの上に本を放り投げた。もっと解り易い訳はないのか。でも巻末の解説まで目を通してなんだか勝ったような気になった。
寝てばかりいるので日記に書くよな出来事なんて本当はないんだけど、マネージャーが私の日記を読むのを出勤前の楽しみにしている、というのでこうして書いている。あー明日は逢いに行こうかな。

今日は姪(一歳半)の足の爪を切った。すごく小さいのでやりにくい。
肉まで切っちゃったりして血が出たりしてギャーとか叫ばれたら。
ただでさえ姪にあんまり好かれてない私はドキドキした。
しかもわざとやったとか思われかねないACな私。

ソファに姪とふたり並んでボーっと「英語であそぼ!」とか「いないいないばあ!」とかいう子供番組の録画を見る。
たまに誰も見ていないスキに抱っこして泣かせたりしている。
そのうち慣れてくれるかもと思っている。

2003年2月8日(土)

入院していた病棟から手紙が届いた。
確か15歳くらいだったの女の子からだ。
そんなに喋ったことなかったんだけどな・・・と読んでみたら、○○病棟ではお世話になりました、最近読書にハマってて、何を読みました、とか書いてあった。
そして、そのあと、物凄くびっくりした。

「最近新患サンラッシュです。あと、残念なことに、○○N子さんが亡くなりました。」

ピアノの前で私にキスをした、トランプ仲間で元キャバクラ嬢の。

なんで。どうやって。まだ二十歳なのに。美人で元気だったのに。
ピースサインの写真、持ってる。
つい最近まで笑ってたのに。なんて簡単なことなんだろう。

2003年2月12日(水)

友達スキー1回目と確定申告が終了。
去年はたくさん稼いだのに、その前の年の収入が少ないからかお金が例年より返ってこないよ。がっかり。

臨床心理士さんを交えてのACミーティングもこなした。
とても居心地が良かったです。

ところが診察となると先生がイライラして見える。
私が発言に弱気で打っても響かない感じだからかなぁやっぱり。
診療内科医といえども疲れてくる夕方は、よく主張して話を聞く前向きな患者が好き?
仕事してた時の私に戻ってくれ、果ては再度独立しましょう、というようなことばかり言われてる気がする。
しかも先生の言うこと、最近よく理解できないんだよね。
私はそんなに会話のカンが良いわけじゃないんだよ、
あいだを省いた抽象的な表現は避けて欲しいの。
(それってどういう意味・・・?)の空白を作ってしまうんだよ。
それがさらに先生をイラつかせてる気がする。
それとも前の私はそれでツーカーって感じだったのかしら。
最近はちっと観念的な文章だと理解できないもんなー。
よし、今度はスグ「意味わかりません」って言おう。

うーん今日も吐きそうだ。なぜだ。
誕生日イブのあほマネジャとバトる。喧嘩になるとマネジャは「なんでもいいから言い返す」に固執してて内容は意味不明なので、会話にならない。なので電話ガチャ切り。
うー気持ち悪い。イブだし電話しなおしてやるかなぁ。

2003年2月13日(木)

今日はマネジャの誕生した日です。
心当たりのある方はお祝いメールを送ってくださいませ。

まだ昼だけどもうベッドに入りたいから日記を書きます。

昨日マネジャに200歩譲って電話してみたらもう寝ていた。
午前0時を過ぎた頃にお誕生日おめでとうメールを送信。
こちらとしては昨日の日記でマネジャのガキさは暴露しても、私に手をあげたことは書かなかったことをも考慮して欲しい所存。
もう書いちゃうけどね。静かに話していたのに、例え軽くでもカッとなっていきなり叩いたんだよ、顔を!
冷静にでなく反射的に。

咄嗟に手が出るやつは大ッ嫌いだ。受付けない。
絶対に許せん。人に反射的に叩かれたのは、初めてだ。
やっぱり仕事を変えてゲキ飛ばされてる影響か?
ガキなのでちゃんと腰を据えて謝りもしない。
だいたい昨日の電話でも口論で勝とうってのがそもそもの間違いなの!
あっだから先に手が出たのか?

きっと仕事のストレスで疲れてるんだろうなぁ。
と思って叩かれた直後はなんだか怒りも感じず折れてみたりしたけど、そうすると後日無性にハラが立つではないか。
どーして、こんなことされた私が下手に出なきゃならないんだよ!!

理由があって、冷静に諭して、殴るのならわかるけど。
でもそれも子供時代だけの話だ、昔、運動部に所属してて蹴られ殴られまくってました。

じゃれて蹴り合ったりするのはむしろ大好きです。誰とでもやりたいです。

2003年2月15日(土)

日記に書くことなんて本当にないなぁ。

私は抜け殻です。知らない人と喋って時間を潰してばかりいます。

「時計仕掛けのオレンジ」、読み終わりました。SFなのかなーこれって。

いちおう設定は未来なんだな確か。手のつけられない残虐な不良少年が政府の新しい世直し法の実験台に選ばれ、施設に閉じ込めてパブロフの犬状態にして更正させるみたいな話。
残虐行為に対して吐き気とかの拒絶反応が起こるように、薬を使って体に覚えさせてしまうのです。

で、悪いことはしなくなるんだけど真の更正ではないんじゃないかと。
少年は「善と悪を選ぶ権利を奪われた」訳で、考え方は全然かわってなくて、でも残虐行為を働こうとすると、吐き気とかで耐えられなくなるから反対の媚びへつらった行動をとる。
自分の体に植え付けられた苦痛ゆえに残酷なことが出来なくなっただけであって・・・云々。そんな話。

「時計仕掛けのオレンジじゃないか!」と叫ぶ。
で、その苦しさに死のうと思うようになります。

小説の途中に記してあった「選択をしなくなったら、人間ではない」というのがグサッときた。  

2003年2月16日(日)

最後ってこんなものなんだっけ。
どうしてきたんだっけ。
私は何をすればいいんだっけ。
どこにいけば、いいんだっけ。

2003年2月18日(火)

知らない人と会話していたら思いがけず
住所録作成のアルバイトを貰った。

今日、逢って、紙媒体を受け取ってきた。
1600件くらい。
お昼ご飯を奢って貰い、電車賃も払ってくれた。

9日後、作成したデータCDを渡す約束で、2万円。
外に出るきっかけが欲しかったとはいえ、やっぱり安いかな~。

2003年2月21日(金)

データ入力は方針が決まり、半分くらい終わった。
メールで連絡を取り合っていたら、仕事をぬきにしてもお付き合いしませんかと言われた。

元気だしいい人みたいだけど、別に付き合いたいと思わない。
それに不倫はいやだようー。それとなく断った。

今夜から、会社員時代の同僚達とスキー旅行です。
日曜の夜に帰ります。

2003年2月25日(火)

とっても、辛い。
入力をしている間は、少しだけ辛さを誤魔化せる。
何にも、楽しくない。
出かけたほうがいいのかと思って人と遊んでみるけど、笑顔、作らなくちゃ。話、聞かなくちゃ。
暗い顔みせないようにしなくちゃ。でも上手くできない。
とても落ち込む。
自分だけ、みんなと同じ世界に行けない。
わたしなにもできない。
きちんと生きていこう、と思うことが出来ない。
考えがまとまらない。
私は両親のもとにいると駄目なのでしょうか。
母が心配して、放心して立ち尽くす私の前に座って、見上げている。
自分の体だけは傷つけないで頂戴、と、あの顔をしてまくしたてる。
声が大きい。うるさい。お願いだから、もっと静かに話して。
父親が私を見てだしぬけに、お前、尻拭いさせるなよ、と怒る。
いやな言葉。私まだ何もしてない。
今まで、お父さんに「尻拭い」させたことなんて、あったの?
入院費払ったこと?
先生にも、もう見放されてる気がする。
私が弱いせいなんでしょうか。
仕事、本格的にはじめたら、何かこう、光が見えるんでしょうか。
先生もわたしのこと嫌い?
わたしも、わたし嫌い。

2003年2月26日(水)

良いか悪いかは倫理の授業じゃないから言いません。
それがあなたに、なにをもたらすか、が問題なんです。

そこから、目をそむけているのがわかるんです。
考えようとすることを、放棄しています。
人生なるようになるとよく言うけれど。
きっと、こんなわたしには当てはまらない。
それともこれが、なるようになってる人生なのか。
ずっとこのままで終わるなんて、ありなのか。
だけど、わたし次第で、それもあり得るんだ。
私は、私を、少しも尊重しない。尊重する努力もしない。
もう、覆す気力が湧かないから、なにも変わらない。
鏡の中に、輝いている瞳を見てみたい。

2003年2月28日(金)

日記を書こうとして初めて気付いた。今日は金曜だったのか。
いつも胃が気持ち悪いのはなんとかならないか。
頭もいつも、重たい。
薬の飲みすぎなんだろうか。
また、全部、飲むのやめてしまいたくなる。
今、6種類も飲んでるのだ。

すべてがダルイ。
家に帰ってくると、さらに何もかも嫌になってしまう。
元気になりたい。本当にそう思う。

2003年3月3日(月)

昨日、死ぬ前に一度やってみたかったバンジージャンプをしてきた。
子供の頃にいったきりの○○ランドである。まだあったのね。
擬似飛び降り体験。
落ちるのに全く躊躇なし!えっへん(別に威張る程の高さではないが)。
そのまま友人宅に泊まり、今日帰宅して、自室で仮眠をとった。

外に出ると、家に帰りたくなくて仕方がない。
家に帰るために、電車賃を自腹きってまで人についてきて貰う私。
ひとりで帰りたくないところに帰るのはとっても寂しいのだ。

そしてシュールな夢を見て目覚め、もう虚無感の嵐。
やる気がまあったくないのに、近所のPCスクールに、受付だかなんだかの時給のやっすいアルバイトの面接の申し込みをしてしまった。

2003年3月5日(水)

自分って本当にバチアタリだと思う。
体は健康だし、まだ若いのに、何にもやる気がない。
このからだ、欲しい人、たくさん居るだろうと思う。
窓の外は明るいのに、頭痛を感じながら布団にもぐっているだけ。
どうすればいいんだろう。涙を流す。

2003年3月9日(日)

今週の木曜日、PCスクールのアルバイトの面接に行って、普通にできた。
足取りが軽く、そのまま電車に乗って、ちょっと都会に出た。
そして、自傷をした。

私はだんだん動けなくなり、言葉も喋れなくなっていった。
現実がかすんで暗く遠くなってゆき、うまく歩けなくなった。
コンクリートの柱にもたれて休んでいたが、立っていられなくなり、ずるずるとしゃがみこんだ。
雑踏のど真ん中で、行き交うたくさんの足だけをじっと見ていた。

翌日、PCスクールに断りの電話を入れ、謝罪した。

2003年3月9日(日)

母親が、
「一生懸命育ててきたのに、こんなしっぺ返しをくらうなんて」と泣く。
「お母さんの人生ってなんだったの」と泣く。

私は本当にダメな人間だと思うので、謝ることすらできない。
謝るのなら、本気で奮起しようと自分に誓える時だ。
涙が流れるけど、この人を悲しませているのは私自身だ。
たぶんじっと耐えて聞くことが、私の昔からの仕事なんだろうとボーっと思う。

毎朝、目覚めると、父が階下にいる気配がする。
それを確認すると、ベッドの中で、私の胃が痛みはじめる。
誰か、助けて、と思う。自分で助けようと毎日試行錯誤しているけれど、体ではなく、心の落ち着く場所が、私にはない。
気付くと現実から魂が離れてしまい、救われないとわかっていても、確実に体に感じる、手に触れる何かを感じてみたくてたまらなくなる。
その時、私は、自分が自分ではないような気がする。
こんなのが自分だと認めたくないからそういう気がするのかも知れない。

私が必要だと、はっきり証明してくれる何か?
私が価値のあるものだと思わせてくれる何か?
誰か、助けて、と声にして呟いてみる。
いつも辛くて、意識を失ってしまいたい衝動にかられる。
こういう時、人は、たくさん薬を飲んだりするのかも知れない。

先生に話をして「あなたは本来できるはずだ」と言われるのがとても怖い。
確かに、働くことくらい、出来ると思う。だけど、やる意味がわからない。
やる気がぜんぜんない。先生に失望されるのが怖い。
私が死に物狂いでボロボロになりながら働いて自活していたのは、強くなりたい、頑張ればいつか治るかも知れない、と思っていたからだ。
すべての人間が意味もなく怖いままで、いつも顔色を伺って生きていくのは、私の自尊心が許さなかったのだ。ただただ、人に怯えなくなりたかった。

そして、頑張って、私はあれほどに人が怖いとは思わなくなったけれど、欝は治ってはくれなかった。
ずっと開いたままの穴も、ふさがらなかった。
もう、あれほどまでに頑張ろうと思えない。
私は、退院して実家に戻ったら、また自傷をするようになった。
私には、「自分を大切にする」という、普通の人なら無意識にできることが、どうしてか、出来ない。
あとでどんなに激しい自己嫌悪に陥り苦しむとしても、その時はもう、傷ついてみたくて、めちゃくちゃになりたくて、何らかの私を確認したくて、堪らない。それしかなくなってしまうのだ。

2003年3月14日(金)

月曜、診察の日。かじりつく母親の口調に、先生があからさまに嫌悪の態度を示す。
「もう一度、言って戴きたいんです!」
「~、もう、言ってるもん!」
もん?って・・・先生、すこしおかしい。
目に落ち着きがない。母の方を見ようともしない。
「今日はこれでおしまい!」と唐突に切り上げる。
私は呆然と、母親と先生のやりとりを見ていた。
診察が終わったのだ。
のろのろと立ち上がり、母とふたり
「ありがとうございました」とお辞儀をしようとした時には、もう先生は居なかった。
部屋をでる時、髪を乱して煙草を吸う先生の姿が見えた。

デイケアの女の子たちと先生の文集を、待合室で見る。
ここ、先生の逃げ場所なのかもしれないなぁと思う。
先生も私とおなじなの。だから他の医者と違って私の気持ちが解るんだ。
先生と出会った時、それはすごく素晴らしい巡り合わせに思えた。
でも、その理解は、今の私には必要ない。
わたしに、生きようという気が、ないからだ。
最初から、何もかも、自分でやってきたことなのだ。
先生のおかげだとお礼を言って泣いたあの日、先生が下を向いて首を振り「あなたの力だよ」と否定した通り、わたしが死に物狂いでやる気だっただけなのだ。

先生と会話していても、噛みあわなくなってしまった。
わたしは、せんせいを、好きではなくなってしまった。
それを先生も感じるのだ。きっとそれだけのこと。
抗うつ剤の効かない私には診察はもう他のことと同様、落ち込みの原因のひとつになってしまった。

診察の日の、母の惨めな姿が焼きついて苦しくて眠れない。
「ひとにあんなに失礼な態度とられたの初めてよ!だけどお母さん大人としてちゃんとお礼言おうとしたわ、でも先生、さっさと居なくなっちゃって。あの先生、患者の気持ちは解るのかもしれないけど、親の気持ちは、まったく、考えてない。子供よ!」
母の頬を涙がつたう。わたしのせいでこんな思いしたんだ。
「これ以上どうしてあげたらいいの?」問われて、何も思いつかない。
こんなにお母さんを苛める権利は、私にはない。
もう診察に来なくていいよと告げた。
私が、いくら辛くても、母をこんなに泣かせてはいけない。
ましてや死んではいけない。

2003年3月17日(月)

おととい、久しぶりに大勢で集まって遊んだ。
私は友達とはプロレスごっこみたいのをするのが長年の夢なんだが、いまいちそういうキャラになれないまま今に至る。

でも畳に寝転ぶ友人の腹に乗ったり足に乗ったり、全体重をかけてみたりしてたらちょっと楽しかった。

2003年3月25日(火)

病院に行きたくなくて、予約の日に行かなかった。
リタリンを飲まないでいるとベッドに居るしかなくなる。
天井をみあげては想像することは同じ。
もう薬がなくなってもどうでもいいと思った。
だけどわたしが病院に行かなかったことを知った母に、今日、連れていかれた。

診察を一人で受けた。もう母親と先生のやりとりは見たくない。
なにを話したらいいのかわからないんですけど。と言ったら、どんなことでもいいですよー。と言われた。

待合室で書いたメモを手渡す。

薬を飲む意味も、診察を受ける意味も、わからないんです。

それは重要な問題ですね。と先生が言う。

あなたは一般的なそれとは違うけれどやっぱり「うつ」で、病気なのだと先生が言った。
私は「わたしは病気なんですか?」と訊いた。先生はそうだと言った。
それをちゃんと認識して、考えていこうと。
また私の目から涙が流れる。

もうどうにもならないと思っていたけれど、新しく処方された昼の薬は、少しだけお守りみたいに思える。 

2003年3月27日(木)

今日は病院じゃなくて美容院に行ってみた。
辿り着いたはいいが、体中がダルくて背中とか肩とか痛くてかなわん!
注文も満足にできないくらい具合悪い。
気遣われてオレンジジュースとコーヒーを貰う。

リタリンのせいかなと思うけど、本当に疲れて息も絶え絶え。
これじゃやっぱり「仕事!」と焦っても働けないな~。
今の昼間の処方は朝にリタリン1錠とアモキサンとリーゼを毎食後。
こんなにダルイのは勘弁して欲しい。なんとかうまくいかないもんかな。

2003年3月29日(土)

リタリン無しでアモキサンとリーゼだけで過ごしてみた。
外出してみたけれど、おとといよりかなり楽だった。

私はこの世に生まれてから、かなりの年月を生きてきた。

もうできない、と自分で思うところまでも、やってみた。

それでも、いつになっても、どこまでいっても、私の目の前に敷かれた道は未来しかない。

2003年4月1日(火)

午前中です。
普段TVをみない私ですが。
昨夜スポーツマンNo.1決定戦芸能人サバイバルバトルを観て寝るのが遅くなりました。女に生まれてても絶対イケる顔の賀集利樹はドクターストップで途中棄権・・・うーもっと見ていたかった。
ココリコ遠藤に似てならない初出場の白川裕二郎(ハリケンジャーだそうだ)のやんちゃ挑発的な態度、運動能力に釘付け。なかなかカッコいいです。
総合1位はなかやまきんにくんにとられちゃいましたけどね。
きんにくんはお笑い芸人だそうだが、お笑いでは見たことなし。

しかし忘れちゃならないのが50歳の野村将希!
若者集団相手に大健闘スゴイよ!
世の同世代のおじさまは彼を見てどういう感想を持つのか知りたい。
野村将希、彼は『水戸黄門』のアクション担当俳優。
みてないから知らないけど飛猿という役だそうな。ネットって便利。
飛猿って名の忍びは『あずみ』にも出てくるよな。

話は戻ってこのサバイバルバトル、女性芸能人が競うコーナーもあるんですよ!
それも美人ばかりなんですよ!わー!!
私はタレント水野裕子が大好きだ。
あのカオ!運動神経!スピリッツ!どれをとっても!!
コンビニで見た雑誌の巻頭グラビアの水着姿も良かったぞ。
今回はTAIL IMPOSSIBLE(これ苦しいよ)のみトップをとれなかったものの、総合クイーンの座を守りぬきました。
でも全種目1位を狙っていた彼女はやはり思い切り悔しそうでありました。

2003年4月4日(金)

ベッドにもぐって悲しい妄想ばかりすることは無くなり、窓の外が明るくて暖かければ幸せな気分になるようになった。
先生の言葉のお陰で精神的にかなり救われたのかも知れない。
クスリが合っているのかも知れない。
ここんとこ落ち着いた自分なりの昼間の飲み方は、毎食後にアモキサン10mgとリーゼ5mg、朝のみ+リタリン半錠。
寝る前の薬は出来ることならやっぱり徐々に減らして行きたいなあ。
薬なくても眠れるようになる日がくるといいな・・・。
いやいや薬があれば眠れる今はまだいいほうか。
不眠って本当にキツイです!年下の友人が気にかかる。

MOUSの模擬テストプログラムとかやってみました。
エクセルワード2000一般を試したが勉強しないでも取れると思う。
受けようかなあ。(でも、どうして取るの?)と、もう一人の自分がすぐ横ヤリ。
仕事から離れてたんで英語及びテンキーの入力スピードUP練習とか、タイピング練習ソフトをチマチマ自室でやって過ごしてます。
これらは行き着くところはまた派遣で働くのを考慮した作業なんだな・・・。
私、派遣でまたOAクラークして働くのか?

あ、あと夏川りみ『涙そうそう』。
久々に歌いたい歌に出会ったのでさっそくCD借りました。
TV見ないから歌いたい歌に巡り合う機会がめっきり減りました。

私って何がしたいの?
調子がよくなってきたなら、仕事して、お金、とりあえず稼ぐ?

ワーキングホリデーとか留学とかの斡旋サイトみて海外逃亡に長い時間おもいをはせてみたり。ああカナダの大自然とか。

2003年4月5日(土)

先入観を消すプログラムがあったら自分に投入してみたい。
目に見えない何かが私をいつも緩く、固く縛っているようだ。

2003年4月7日(月)

昨日、人に貸したビデオを返してもらいに出掛けた。
いつものようにリタリンを飲んで外出したのだが、目当ての人に逢えた頃には疲れでアタマ真っ白!
ろくに喋れもせず立っているのが精一杯。最悪の別れ方をした。

今日、リタリンを飲まなかったら、朝ごはんを食べてしばらくしたら睡魔に勝てず、夕方までずっとベッドで過ごしてしまった。あああ。
午前のうちに電話して、出掛ける予定を作っておいたのに。

桜も散っていく。
私はなにも掴めないでいるのに、また私の生まれた季節がやってくる。

2003年4月9日(水)

性だけを切り刻んでみせつけ、自分というものを感じること。
テストの点なんていらない。心の美しさなんていらない。
本能だもの。それ以外、何も要らないのだ。
ダイレクトでシンプルで素晴らしいに決まってる。
誰が(私も含め)いくら咎めても、どうしようもなく魅惑的な手段だ。

いっそのことオブジェになってしまいたい。
それが叶わない人間である以上、愛を感じる能力に欠けている私は、うつになる。

2003年4月10日(木)

というわけで、心の触れ合いを求めて。

老人ホームへボランティアに行ってみました。
デイサービスに通ってくるお年寄り対象。
お風呂上りにドライヤーで髪の毛を乾かしてあげたり、お茶だしてあげたり、手をとって誘導したり、話相手になったり。

ピアノが少し弾けると言っておいたら、いきなり歌の時間にキーボードで「うさぎ」を弾かされた。
これタイトル「十五夜お月さん」じゃないんですね、「十五夜お月さん」は調べたらもっと悲しい歌でした。

 うさぎ うさぎ 何みて 跳ねる
 十五夜お月さん みて 跳ねる

楽譜もないので適当に伴奏つけてぶっつけで弾きました。
なんか緊張したあ。本物のピアノならもすこしごまかせるんだけどな。
余裕が無くって、歌うのの役にたっているのか分からなかったです。
(いつもはアカペラで童謡を歌うらしい)

なんだかよくわからないけど、ちょっと楽しかった。

2003年4月11日(金)

今日も老人ホームに行ってみました。
迷ったんだけど、明日は雨らしく多分いかないだろうと思って。

行きは自転車で坂道下り6分プラス徒歩昇り15分、ってとこかな。
帰りは長い坂道を自転車のままゆるゆる昇る。
電車賃かからないし、いい運動になります。

今日は歌の時間にキーボードで「春がきた」「春の小川」「おぼろ月夜」をテキトーに演奏。
全部ハ長調(黒鍵なし)で足りる曲だったし、もう緊張してなくて、テキトーな前奏をつけて利用者さんたちの顔を見ながら弾けました。
あー歌ってくれてる歌ってくれてる~。

(実は最初お年寄りから「夏は来ぬ」をリクエストされて、それはサビしか知らず即興伴奏は無理なんで断った・・・すまぬ)

帰り際、伴奏があるのとないのとじゃ大違いで歌いやすいわー、と利用者さんに言われて嬉しかった。

2003年4月12日(土)

人とうまくいかないんです。

うまくいっているのだけれど、何にも問題はおきていないんだけど、他人のちょっとした勘ぐりや忠告やそういったものが耳に入ってくると、だんだんと居心地が悪いと感じてしまうのです。

あたしは、何がしたいのかわからない。
ただ抱いてくれる腕が欲しくなる。

2003年4月13日(日)

今日もボランティアに行ってきた。
ケアセンターに到着するまでに具合が悪くなってしまった。
こっちのほうが介護して欲しいくらいだ。

それでも水を飲みつつなんとかドライヤーかけとお茶だしをやり、歌の伴奏をした。歌の伴奏をするのは楽しい。
その時間のためだけに行ってるという感じ。

今日伴奏したのは「ひな祭り」「花」「おぼろ月夜」「背くらべ」。

「背くらべ」だけあんまり知らなかったので(はしら~の傷~は おととし~の~♪ってやつ)あわてて楽譜を探してメロディーは楽譜から拾い、これまた適当に伴奏しました。
一曲終わるごとに拍手してくれるのでお辞儀。

体がだるくてしょーがない。
あんまりものも食べられないし。
ふー、まいったなあああ。

金曜の夜はクラブに踊りにいってみたんだけど、やっぱりあんまり気分がのらなかった。

2003年4月14日(月)

「それでいいじゃないか」と人に言われて、なにがダメだと思っていたのかわからなくなる。

雨が降っていなければ足取りが軽い。
なんだかわからなくても、そんなもんなのだ。

2003年4月14日(月)

あたしはやっぱり調子が悪い。
自傷とマゾの区別はどこにありますか。
行為の結果、苦しむか苦しまないかだと思うのだ。
もしあたしの中の道徳とか倫理とかを取り除けるなら、どっちなのか判ると思うのだ。

2003年4月16日(水)

今日もなんとか元気にボランティア。

ちょっと時間が空いて、キーボードを自由に弾いていいよと言ってもらい、ここぞとばかりに「銀座カンカン娘」「青い山脈」「りんごの唄」を弾く。
あたしは実は童謡よりも歌謡曲のほうが弾きたいのだ(やはりテキトーな伴奏だが)。

職員が、利用者さんに「今の曲はなんでしょう~?」とクイズ形式にして答えて貰ったりなんかしてた。

しかし「青い山脈」の出だしの歌詞はものすごい。今までハッキリとは知らなかったのです。

 若く明るい歌声に
 雪崩は消える 花も咲く♪

雪崩も消えちゃうんですよ。いくらなんでも。  

2003年4月17日(木)

あまり眠れなかった。

疲れてたけど木曜は人手が欲しいと言われてたのでボランティアに出掛けた。
昨日のボランティアの後から腰の痛みがずっととれない。
このまま治らなかったらどうしよ。
お金ないんだから整形外科通いは今はイヤだ~。

腰痛と戦いながらドライヤーかけたりお茶だしたり。
また何か弾いてくれと言われて「東京キッド」「哀しき口笛」「上を向いて歩こう」などを弾く。

そろそろ歌謡曲のネタが尽きてきたぞ。
なーにがあったかなーあ。
お年寄りにもわかる歌謡曲。

まだ昼の二時だけど、これからお風呂につかってみよう。
体の痛みがとれるかも。はあああ。

2003年4月18日(金)

今日は体の痛みを治すべく一日お休みの日(と決めていた)。

といってもいつものように殆どずっとPCに向かっているんである。
突然、南の国で休みたい!と思い、グアムあたりのツアー情報を見てまわる。

・・・が、
トラベラーズチェックとかパスポートの期限とかぼーっと考えてるうちに面倒くさくなって欝っぽくなり倒れる。
最近、何かしようと衝動的に思い立つといつもこうだ。

知らない人と会話をする。ぼーっと何人も会話する。

橋本治の『デビッド100コラム』というエッセイ集を、倒れついでに少しずつ読んでいる。
言い回しがまわりくどくて難しくてたいがいワケわかんないんだけど、なんかヘンにおもしろくてムズムズします。
だんだん橋本治ファンになってきてる気がする。

2003年4月19日(土)

あたしは歩いている時たいてい歌っていたり空想にふけっていたりするので、目はどこも見ていない。
人と歩いている時でも、そうである。
いや人と歩いている時はなおさら周りを見ていない。
その時の相棒と歩調をあわせていればいいというような感覚でふらふらと足を運んでいて、よく「危ない!」と袖を引っ張られたりする。

唇をふいにかすめるものがあり、追って焦点を合わせてみると、そこからあたしへの感謝の言葉が出てくるではないか。
今日の相棒に悪いことをしてしまった気がしながら、ドキドキして呼吸が苦しくなった。

2003年4月22日(火)

昨日、ボランティアでたくさん歌の伴奏をした。楽しかった。
そのあと、気さくで元気なボランティアの女性2人とお喋りをした。
お陰で私もなんだかちょっと元気になった。

家にいったん戻り、どこか風通しのいい場所で気持ちよく読書をしようと思い、本をカバンに詰めて出掛けようとした。

支度をしていると、母が私の部屋をノックもなしに開け、(またどういう悪さをしにいくんだ)と言わんばかりの形相で
「どこに行くの。何しにいくの。誰となの。いつ帰るの」と詰問する。

「外で、本を読むの」と答えた。

一階に降りると、父が
「もうお前、家に帰ってくるな。チェーンかけるからな」と言う。

「別にいいよ」と答え(ああ母が父に私が悪さをしていると言ったのだ)飲み物と薬をカバンに追加し、家を出た。
締め出されること自体は本当にどうでも良かった。

あたしは、ついに出掛けたくなっていたのだ。
気分よく外で読書をしたかっただけなのだ。
こうやって好きなことが思いつくようになれば、そしてそれを実行に移していけば、元気になっていける。

両親の態度は無視して当初の目的を遂行しようとした。
それなのに、体は動かなくなって、しびれて歩けなくなった。
苦しい家に戻るしかなくなった。

自分の部屋に戻り横になるが、息が苦しくてたまらない。
あわててベランダに飛び出した。

あたしは信用されていないのだ。当然なのだが。
辛くて、腕を切ればいいのか、薬を大量に飲めばいいのか、お酒をたくさん飲めばいいのか、知っていることを考えてみた。
でも、どれも、違うのだ。
どうにかしたいのだけれど、どうにもならない。
部屋にもどって枕とゴミ箱を壁に投げ付けた。

呼吸がうまく出来ず、声をあげて長いあいだ泣き続けた。
体中が痛くて、しびれて、頭がガンガンした。

今朝、起きた時、体の痛みがとれていなかった。
でも家にいたくないのでボランティアに出掛けてみた。
だけど体がきつくて、ロクに働けなかった。

やっぱり疲れがとれてない時は、休まなくちゃいけないな。
かえって職員に迷惑かけちゃうし、自分も落ち込む。

2003年4月23日(水)

昨日、ボランティアの後、病院に行った。
嫌なことがちょうど昨日あって。と、昨日の日記をプリントしたものを読んでもらう。

「そういう訳で、今日は泣き疲れてるんです」と言った。

私は自傷行為をスッパリやめられたわけではないんですけど、あんまりそれに対して精神的に傷つかないようになってしまいました。
”なってしまいました”と言う表現になるのは、まあ一般的な?見地で言うと罪悪感を覚えて然るべき行為であるからして。
現に私も常に罪悪感と闘っているし。

あまり辛くなくなってきたのはなぜかと今かんがえてみる。
自分にダメージが残らぬよう注意を払えるようになってきたからか。
現実的に己の身を守ることを、徐々に忘れないでいられるようになってきているからか。
相変わらず自分の中は矛盾だらけなのだけれど、生きるために、矛盾もひっくるめて、今は仕方ない、と少し思ってあげられる。

体中が痛くてたまらないし、家は息苦しくて本当に困っているけど。

話がひととおり済んだあとで、
「穏やかで、いいじゃない?」と先生が言ったので、
「穏やかかなあ?」と私は思わず笑ってしまった。

診察の最後に、先生が黙って私の頭の前のほうに手を軽くポンとあてた。
そこからあったかさが全身に広がって、よしよし、と許されたような安堵を噛みしめながら帰途についた。
そうなんだ。アタシノホシイモノハコレデス。

2003年4月24日(木)

やっぱり全身の節々が痛い。

カイロプラクティックマッサージの予約を入れて、時間になるまで部屋で横になっていた。

両親が居てTVが常についている居間に用事がある時は、耳栓をして過ごす。なるべく手短に用事を済ます。
といってもPCは居間にあるので、殆ど耳栓をしっぱなしである。

自分の部屋で横になって、森田童子の歌を流している。

私は1993年に放送されたドラマ『高校教師』を熱心に見ていて、(私は、このドラマをやる前から桜井幸子が好きだった。友人役の持田真樹の抑揚のない声と演技も興味深かった)
オープニングに使われた『ぼくたちの失敗』の他にいくつか挿入歌も覚えている。

しかしこう書いてみると、もう10年も昔じゃないか!
そのころ私はまだ何も知らず。それは幸せだったのか? 不幸だった?

『ぼくたちの失敗』と『男のくせに泣いてくれた』を聴いている。

 淋しかった私の 話を聞いて
 男のくせに 泣いてくれた
 君と涙が乾くまで 肩抱き合って ねた

あともうひとつ、少しだけ歌えるのがあるんだけど、借りたベストコレクションに入ってなかった。

 たとえば 僕が死んだら そっと忘れて欲しい
 淋しい時は 僕の好きな・・・

マッサージのあと、かなり体が楽になって、おやつに焼き鳥を4本買って帰り、また森田童子をかけ、ベッドの上で焼き鳥をかじった。

姪が、私の母の背中で、ずっと、泣き喚いている。

2003年4月26日(土)

昨日から両親が別荘に出掛け、自由に過ごす3日間。
あー、呼吸が楽だー。

昨日、身長189cmのアメリカ人に夕食をご馳走してもらった。
私は父と並んで歩くことなどないのだけど、あまりの身長差のせいで、並んで歩くと父親に連れられてる子供になった気がした。

なんかお父さんに連れられてるみたいだ、と言ったら、笑って、お父さんになって欲しい?と訊かれた。

うん。信じられないことに、本気でお父さんが欲しいみたい。
だけどそんな答えは望まれてないこと知ってる。

私カリフォルニアに行った時、遊園地でもスーパーでもまるきり子供扱いされてたよ。

あなたは体は小さくても子供ではない、女性だ、成熟した女性、と繰り返し諭される。

一瞬、耳をふさぎたい衝動にかられる。

2003年4月27日(日)

私は自分の苦しみを自分でなんとかしなければならない。
助けてくれるというあなた、私は助からないので期待を裏切ってしまいます。
楽にならなければ申し訳ないような気がして辛いです。
つい、ひょっとして助けてもらえるかと、もしくはご希望に沿おうと、自分を騙してみてしまうと、直後に凄まじい絶望が襲ってきます。

気分が悪くて足に力が入らない。苦しくて駅のベンチでうずくまる。
休日の、人、人、人、うるさくて堪らない。
どうして家族やそれに近い人の傍で安心して呼吸ができないのだろうか。
いつまでも苦しんで、その姿をさらして、いい加減にしろ。
助けて欲しいのに、助けて貰う方法がわからない。

あたしは自分の細い指を愛してる。
白い肌を愛してる。
あたしはあたしの体を十分、愛してる。
だけどそれは男の人にも簡単にできることだ。

私が、私の滅茶苦茶な心をなんとか愛さなければ、助からない。

2003年4月28日(月)

昨日、前から読みたいと思っていた高野悦子『二十歳の原点』を借りた。

評判だけ知っていて、どういう内容の本なのか、全然知らなかった。
著者がどういう最後を遂げたのかも、知らなかった。

数ページ読んで、のっけから同化してしまい、ああ、これはやばいな、という気がした。
おそるおそる最後の方の数ページを拾い読みし、辛くなって本を閉じた。

気分の落ち込みがひどいのだが、助けを求める気持ちで5日ぶりにボランティアに行ってみた。
自分の表情に力がないのと、まわりがよく見えていないのがわかる。

「ああ、あなた、オルガンの先生。伴奏があるのとないのとじゃ大違いなのよー」
また利用者さんに言われた。

そう言っていただいて、とても嬉しいです。
一生懸命に、お礼を言う。
でもきつくて、早くその場を去りたい。

お金が、なくなっていく。
働かなくちゃ、ならない。

2003年4月28日(月)

あまりに苦しいので、もう何も思いつかないので、誰に言っていいのかもわからないので、病院もお休みなので、いのちの電話を思いついた。
昼間なのに繋がらない。何十回もリダイヤルして、諦めた。

知らない誰かが、やっぱり苦しんで電話しているのです。
いのちの電話にかけてくるんだから、そんなに早く、話が終わるとは思えないのです。

2003年4月30日(水)

ちょっと落ち着いて、考えなおさなければ。

諸悪の根源は焦りにあるか。

「仕事を始めなきゃ」と勢い込んで電話しては、両親との確執、症状もろもろでボロボロに疲れ果て、わけがわからなくなって、結局ことわる。

ベッドで大泣きしている最中そのままの声で携帯電話に出たら、間の悪いことに仕事の確認の電話だった。あわてて、ちょっと具合が悪いので、折り返し改めてお電話して宜しいですか、と切る。こんなに心身ともに波が激しくては、やっぱり働けない。

1日2時間ぽっちのボランティアでさえままならないのに、焦ってどうするんだ。

勉強しようと本を開いたり、仕事しようと電話してみたり、新しい人に逢ってみたり、旅にでようと調べてみたり、けれどすべてはいずれ、虚無感に包まれて霞んでゆき。

全身の痛みと呼吸の苦しさと闘う。
このまま生きるのかと思うと辛くて泣いてばかりいる。

2003年5月1日(木)

ボランティアに行った。

帰り際、(たぶん)お偉いさんに、歌の時間じゃなくても演奏をしていて下さいと頼まれた。
演奏を聴いて、歌って声を出せば、内臓の動きも良くなるし、風呂あがりで待機してるだけの利用者さんにそういう環境を提供したいと考えてるとのこと。

自由に演奏していいのは嬉しいけど、現場の職員さんはドライヤーかけの手のほうが欲しいんだろうなあとか、他のボランティアさんが働いてるのに自分だけ演奏してるのもやりづらいなぁとか複雑な思いで帰途。

一度逢ったアメリカ人と英語でチャット。
英語は会話より文字でのやりとりのほうがだんぜん楽にできる。
かなり長い会話の末、私のあまりのかたくなさに辟易したようで、突然おちられた。
そりゃああなたから見たら真面目すぎでしょう。と思うものの、いきなり落ちられて気分わるい。

なにが、あなたを不快にさせたくない、だ!

2003年5月3日(土)

天気の良い、午前中である。

庭を眺めようと、ぼんやりと和室の窓をあけたら、林に隣接している実家では避けられない恐怖に出くわした。

窓を閉めた時に挟まれたんだろう。ぺちゃんこに張り付いたヤモリの死骸。
ホウキでおっかなびっくり庭の方へ飛ばし、彼も不運だったなとしばし見つめた。
お前はこれから、ゆっくり土に、還るのよね。
(ところでこれを書くにあたって、たった今ネットでイモリとヤモリの違いを調べてしまった。前者はカエルと同じ両生類。後者は爬虫類で木や家に卵を産み、灰色)

私は小さい頃かなり、森や沼で遊んだ。
カマキリやバッタを捕まえ、ザリガニをつり、オタマジャクシやカタツムリを飼っていた。
でもなぜか今、そういったものも全部、ダメなんである。

自分がここに存在しているということに関する恐怖以外は、たいていもう平気になってしまったと思っていたのだが、生理的嫌悪感というものが残っていたなあ、と思い出した。

大きすぎる花や葉っぱ。ヒマワリくらいになるともう恐ろしい。
(最近見かけないけど)アゲハ蝶。エイ。ハンマーヘッドシャーク。

でも、寄生虫博物館や熱帯植物園や水族館は嫌いじゃない。
安全だとわかっていながらビクビクしている自分を楽しむ。

2003年5月7日(水)

あんなに負けず嫌いだった私はどこへいったのか。
あれほどプライドの高かった私は?

入院前も、入院直後も、絶対に実家には帰りたくなかった。
実家に帰ったら、何もできなくなってしまうと思ってた。
どんなにうつが酷くて、動けなくても、痩せこけても、実家に帰ったら最後「私」がなくなってしまうという確信があった。
退院したらまた働いて、一人暮らしを続けると譲らなかった。

それなのに、入院時の担当医に「一人暮らしには戻せない」と言われ、いつの間にか実家に戻る練習をしはじめていた。

そして。
あたしは、もう、亡くなってしまったのかもしれない。
気付かないうちに、恐れていた事態に陥っていることすら、自覚できなくなってしまっているのかも知れない。

痩せすぎることも、何日も眠れなくて死ぬ思いで会社に通うことも、皮膚のあちこちにあった体液と血が乾かない醜い炎症もなくなった。

けれど今、あたしは、生きているという気がしない。
働いていないというのに、呼吸困難をおこし、筋肉の硬直が酷い。
一人の時にはやらなかった破壊的な行動もするようになった。
親しくしていた友人と遊ぶ気も起きなくなった。
家にいるのも苦しければ、外に出るのも怖くなった。
目標が、なにもない。

母親。あたしがどう頑張っても上手に無視できないひと。
小さい頃から、自分を亡くすことだけを覚えてきた場所。

私はまた、ここから逃げだすべきなのだろうか。
何ひとつ決めることができない。

2003年5月8日(木)

『影を慕いて』という昔(昭和7年!)の歌謡曲のCDを繰り返し聴き、ノートに5本の線を引いてオタマジャクシを殴り書きしていく。
一度リクエストされ、私が知らなかったため伴奏できなかった歌だ。

適当なところで切り上げると、そのノートをカバンにつっこみ自転車にのり、慌ててボランティアに出掛けた。

そこでは、うだつの上がらないタイプの一人の30代の男性職員が、いつも、一生懸命はたらいている。
新しい利用者さんを皆に紹介しながら、慣れない冗談を言う。
あたしはことのほか大声で笑う。
そう、一生懸命、働いている。

あたしは、いくら苦しくても必死にやっていないと気がすまないのかも知れない。
安心して遊ぶことすらできないのかも知れない。

なにと引き換えでも、燃えていたいのだ。きっと。

自傷の苦しみは軽くなってゆき、ひきずらずに過ごせるようになった。
それとともに興味も薄れてきた。
相手の懸命な様子を、隠した冷めた心で見つめ、所詮こんなものか。と思うようになった。

つまんない。こんなこと。そうでしょう?

2003年5月9日(金)

日記を書こうとすると、今日が何曜日だったのかを知る。

朝おきて、お風呂を沸かし、半身浴をして汗をかき、全身を洗う。
急いで髪を乾かす。

ボランティアから帰ると、汗びしょのTシャツらを脱ぎ、またシャワーを浴び、洗濯をし、綿のワンピースをかぶって部屋にこもりアルバイト情報誌をめくる。

2箇所、どんなところなのか見てみたいと思ったので、軽く化粧をして偵察に出掛ける。
店内をうろついていると「いらっしゃいませ」と言われる。
それを聞きながら、それを言うあたしをシミュレーションした。

2003年5月13日(火)

普段まったくだんまりを決め込んでいる父が、首をかしげながら呟いた。

「お前みたいな女、好きになる男の気持ちがわからない。俺だったら、絶対にいやだけどなぁ・・・」

私は、呆然として、何も反応できなかった。
父は私の一連の行動(症状)に嫌悪感を抱いている。

数日経った。
私は、私が寂しさに狂って起こしてきた不本意な行動、それらの傷を自業自得と必死に言い聞かせて乗り切ろうとしてきたこと、全ての過程において味わってきた惨めさ、悲しさ、苦しみをどっと思い出し、泣き壊れた。

そして次に、父親に対する激しい悲しみと怒りを覚えた。
なぜ、実の娘を前にして、あんなことが言えるのか。
他人の発言だ。あたしがこうなったのは、もとを辿れば一因は!
このあとは言いたくない。
私にはそんなあなたが、ただ、理解できません。

「こんなことを言う人は私の父ではない」と思えば、いいでしょうか。
けれど私には、そんなことは、出来そうにないのです。
お父さんはやっぱりお父さんで、一人の弱い人間で、養ってくれた肉親です。

私の全てを知っていても、好きになってくれる男性は、いるんだよ。
だけど、お父さんのその言葉で、私は他の何百倍も傷つくことができるの。
そして、私自身、人を本当に愛することが出来ないことも知っているの。
きっと今のままでは、家族を作ったら、同じ悲しみに巻き込んでしまうよ。

私は、私のことを内心「怠け者の薬づけ」と思っている父親の気配がするだけで、朝めざめても部屋から出られない。
震えて泣く私の背中をさすってくれる母親の手からも這って逃げ出したい。
すべてに違和感を感じる。違和感を感じることにすら、母を傷つけてしまうなぁという罪悪感を覚える。

「親に悪い」という感情は捨てなければいけない、と、先生からも本からもネットからも散々言い聞かされた。

だけどね。
私は自分に都合の悪い情報だとわかっていても、傍にいたら「自力で無視する」ということが出来ない人間のようなの。
一生懸命訓練して、これでも外では大分、手に負えないことは意識からはずせるようになったんだよ。
だけど、あなたたち両親に対しては、とても難しくて出来そうにないの。

そうして、どんどん、私というものが掻き消されて見えなくなっていくの。

2003年5月15日(木)

短期派遣のシゴト依頼がきた。
とりあえず、面接に行ってみることにしてしまった。

もし、仕事が決まって、働き始めたとしても、依存の対象が代わるだけで、根本の餓えは解決しないでしょう。
と誰かが言う声が聞こえる。

だけど、生きていなくちゃならないなら。
この社会で、ゆっくり休める場所を探さなくちゃいけない。
私の心をどう変えていけば、折り合いをつけていけるのか?

閉鎖病棟の中で、私は確かに休むことができた。
その基準を「ピアノや絵を心から楽しめた」ということに置いている。
純粋に楽しんでいる時間こそ、どれほどの欲求、エネルギーを生むことか!!

だけどお金もないし、入院ばかりしているわけにもいかない。
ああいった心境を、閉鎖病棟の外で、自力で整えられないものかしら。

少なくとも、お金があれば、稼いでいける自信がつけば、誰にも気兼ね無く休める場所だけは、また手にいれられるでしょう。

働いてウツが酷くなってまたオーバーヒートしてしまうとしても、きっと動かずに両親のもとで苦しんでいるよりはましなのでしょう。

・・・と言い聞かせてみている。

2003年5月18日(日)

今日、家に帰らないようにするために両親に会ってきたのだが、ほんっとに、何度、同じことを説明しても、わからないんだなぁと実感した。
あの年齢だもんね、やっぱり無理だよね・・・。

「お母さん、親として失格ね・・・」
「情けないわ・・・。何も悪いことしてないつもりなのに」

まだ、言うか!
あたしはその言葉で罪悪感に捕われて潰れてしまうんだよ!

よくしてくれてるってわかってんの。
だけど、いくら説明してもだめだし、いい加減つかれるんで、あなたたちから離れたいの。
一緒にいると、寂しさが強調されるの。
世話するフリして、あたしにすがらないで欲しいの。
いちいち耐えて、爆発して、対処するたびに、消耗するの。
栄養のある食事も、きれいなシーツも、要らないの!!

今はただただ、休める場所が欲しいだけだ。

2003年5月19日(月)

不安な時は。

自分が人を愛せないことや、あまり愛されやすい類の人間ではないことや、友達を作りにくい性格であることや、自閉的で学生時代に友達を作ってこられなかったことや、

要するになにかにつけて、寂しさが、浮き彫りになる。
この世の中で愛情という糸で繋がりを保つことが苦手であるということが、長い先を生きていくことに思いをはせる上で、気力を奪い、途方に暮れ、絶望的になる。

調子のいい時は、好かれなくても生きていける、と思うんだけど。

とにかく今は、死ぬほど寂しいのだということがわかる。

いろんなものが混じった愛は、寂しさを肥大させる。
言っている人自身が、そういう言葉だと気付いてないと感じる時、(それは自己満足や自己憐憫が巧みに隠されていたりする)あたしは目の前のその人にどう反応していいやらわからなくなる。
ずっと求めていた両親ならば、あまりの寂しさに気が狂いそうになる。

自分の意地悪さに気付いてない他人であれば、困惑を通り越して激しい憤りを感じる時もある。あたしは意固地で性格が悪いので「あなたは、意地悪なの。」と面と向かって言ってやりたくなる時さえある。

時間がたって、自分の中の矛盾が整理されて静かになっていけば、たぶん、楽になれるのかなと思う。

人はみんな弱いんだということが、もっと体でわかるようになれば、あたしを含めて、いろんなものを許せるようになれば、その時はあたしも、力を抜く方法を少しは覚えているのかも知れない。

こんなの本当に疲れるから、心底、やめたいんだ。
でも、いくら理屈で言い聞かせても、あたしの神経は「それは違う。許せない」と絶叫しているから、つきあってやるしか仕方がない。

2003年5月20日(火)

助けて助けて助けて、とうずくまって涙を流しながら心の中で呟いて耐えてみる。
辛くても、ODしちゃダメだ。愛のないSEXはダメだ。

 どうして、ダメなんですか?

みんな、当然のごとく、やめたほうがいいと言う。
あたしも、普通はそうだと思うし、やめようと努力してみている。
けれど、
ぶち破って納得いくまで痛い目にあわないとわからないんじゃないか?
「普通」に合わせるためだけに生きていくのはもうウンザリじゃないか?

なによりあたし、どうやって今をしのいで生きればいいのだろう。

仕事でつかれて寝ているマネジャの名前を呼んでみる。
返事があったので、声にだして「たすけて」と言ってみた。
寝ぼけているのか、面倒くさいのか、マネジャは「助けてやるよ」と言って手を伸ばし、あたしの頭をくしゃっとした。

雨の真夜中、びしょ濡れになって歩こうか。
好きでもないお酒を飲んで、大声で歌おうか。

だけど、疲れているマネジャの寝顔を眺めて、このまま朝を待つことにした。
眠れないけれど、これ以上、迷惑をかけられない。
それに明日は、何かが違うかもしれないし。

OD=オーバードーズ、大量服薬。

2003年5月22日(木)

両親が旅行に出かける日に合わせて実家に寄った。

てっきり朝早く出かけたものと思っていたら、まだ居た!
話しかけないでくれ、早く出発してくれ~と思いながら自室でもだえ待つ。

居なくなったのを確認して、のびのびと活動開始。のはずが、どうにも焦りがおさまらず、苦しくて歩き回ったり座ったり。
PCメールのチェックをし。
仕事の面接の詳細の電話を受け、あれこれ悩み。
鏡の前で洋服を着替え散らかし。

家の中をすごい早さで移動する。物をあちこちに置き忘れて探す。
ここかと思えばまたあちら。どこで何をしているのか、記憶にない。
リタリンも飲んでいないし、何を焦る必要があるのかも、ぜんぜんわからない。

最後は結局、年上の女友達と夕食に出掛けた。
誘われてから長時間、どうしたらいいのかすら決められなかった(!)。
でも、最近ともだちと逢うのが怖くて避けてたし、お喋りしに行ってみることにした。
何が突破口になるかわからんという心境で。あー助けて!である。
出掛けるという目的が出来たら、支度に没頭することで少し気分が安定してきたものの、ドアの鍵穴に鍵を挿しっぱなしで家を出てしまい、慌てて引き返す。

なんちゅーことじゃ。

そして、友達と逢って、話をして。
なんか色々ヘンでも、みな何とか生きているのだなぁと思った。

だけどなにしろ、落ちつきたいもんだ。
自分がやりたいと思うことを思いつけるように。

2003年5月24日(土)

ちょっとバカげた少女趣味のワンピースを着て、買ったばかりで足になじんでないミュールを履いて、友達10人ほどの集まりに出かけた。

私は仕事では積極的に他人に働きかけて結局潰れるのだが、ある程度わたしの性格を知ってる人達の輪に入っていると、自分の世界に閉じこもっていても許されるような気がしてしまうようになった。
それにそのほうが疲れずに長居できるのだ。
気を使わせているんじゃないかと思っているんだけど。
こんなの本当はダメかも、と内心思っているんだけれど。

あと本当に困るなぁと思ったのは。
移動している時に、隣を歩いている友人に手を繋いで欲しくなることだ。
カラオケで隣に座っている友人にさえ抱きつきたくて仕方ないことだ。
対象になるのはやっぱり異性なんである。
同性にそれを求めてみれば、罪悪感を感じずに満たされるかしら。

そんなことばっかり考えては打ち消しながら、カラオケを聴き体でリズムをとりつつ必死に誤魔化しているんである。

カラオケのあとは飲み会だったのだが、そんな状態なので、お酒を飲んだり喋ったりする気分にはならず帰った。

ところが一人になったとたん、案の定寂しくってどうにもならない。
今日はマネジャは用事があって家に居ないのだ。
夜を過ごしてくれそうな相手を目眩を感じながら慌てて考えてみたが、やっぱり止めなくてはダメだ。
このどうしようもない感情をなんとかして埋められないものかと、衝動的にスケッチブックとクロッキー用のペンシルと練りゴムを買った。

やっとの思いで振り切ることができ家出先に帰ると、あたしの足にもミュールにもいくつか血がにじんでいた。

2003年5月25日(日)

ウソでいい。一度きりでいい。

「あなたのためなら、貯めてきたお金も、お母さんの人生も、いらないのよ」って言って欲しい。

「お父さんの趣味なんてどうでもいいんだ」って言って欲しい。

あたしはどこへも旅立てない。あなたたちの傍にも居られない。
家族のバランスを必死に保ってきた怒りは、はけ口を失い鬱になり、何ひとつ安心してできず、男の人にそれを求め振り回し続け、

何もかも霞のようで手応えがないの。とても苦しいんです。
かわりの何かで紛らわせるようなものではないの。
どんな手段を使ってでもすぐさま埋めなければ、死を選んでしまうほどの寂しさです。
それでも消えてはいけないってことを、不幸にもよくわかっている。

もう正直、お手上げなんだ。

あたしは結果として、異常に我慢づよく育った。
でも、こんなことを我慢してゆくためなの?

2003年5月26日(月)

区役所に電話して情報を得て10日前に予約しておいた、一泊350円で泊まれるナイトケアをやってる福祉施設を見学。
精神分裂圏の人が主な対象だと説明を受け、がっくり。
いちおう個室や談話室、共同のキッチンや浴室などを見てきたが、あたしの病状ではここを生活の拠点には出来そうにない・・・。
「大変ですね・・・」と美人の職員に気遣われながら施設をあとにする。

そのまま病院へ行き、ACミーティングに参加。
スケッチブック等を衝動買いしてアディクションをギリギリ免れたことを、みんなが口を揃えて「偉い!」と褒めてくれた。
あたし偉かったの? とてもビックリした。少し温かくなった。
明日は仕事の面接なのだが、仕事しない方がいいと臨床心理士さんにもミーティングの仲間にも言われた。
先生と相談して再度入院して休むのを考えたほうがいいかも、と言われた。

そのあと診察を受けたら、仕事をしてまた独立しましょうと言われた。
「また入院したらご両親に(治ってないじゃないか)と思われるだけ」って。
・・・よくわかんない。入院で治ったか治ってないかなんて今どっちでもいい。
ちゃんと休むことが初めて出来た、って思ってる。
あたしの両親に「入院しても治ってない」と思われて困るのは、入院を勧めた先生だけじゃないの?
おまけに先生は私がリスカをしたことがあると勘違いしているようだった。
もう否定する気にはならなかった。

そして薬が、当然のように一週間分に減った。
そうか、あれほど薬を嫌がって処方通りに飲まないで働いてきた私も、簡単に前科者か。またODされたら困るもんねえ・・・。

なんだか病院を替えたくなった。
ひょっとして病院を自主的に替えて欲しいのだろうか、とすら思う。

2003年5月27日(火)

朝です。今日は、仕事の説明会(と名の付いた面接)。
昨日は薬を飲んで早めに寝たんだけど、眠れないまま明るくなってしまった。

そういえば、そうなんです。
あたしの親は、娘が薬を大量に飲もうとしているのを初めて見つけても、すぐあとに遠い別荘に一週間近くも遊びにいけちゃう親なんです。

それなのになぜ、頭から追い払えないのだろう?
あたしが消えても、世間体だけ気にして隠して終わりで、もしかしてあたしが思っているほど苦しませはしないんじゃないだろか。 

2003年5月28日(水)

仕事だめだったよ・・・。

徹夜明けで集団面接の上にスピーチまでさせられて頑張ったのにー。
いちお今後の為に理由を訊いたら私自身に非はないと言ってくれたけど、これでまたゼロかー。

カウンセラーさんの
「今は面接に落ちることを祈るわ。追い詰めるだけよー」
という言葉を思い出す。本当に落ちたよ、○○さん。

がっかりした反面、だいぶホッとしているあたし。
昨夜も悪夢ばかり見ては起きて、体が既にキツかったのだ。
これで、少なくとも今日は深めに眠れるかも。

だけど。
さあ、じゃあ次は何して人生ごまかしますか?
ごまかすのは止めなさい。
あたしの人生なんだから、ちゃんと大切にしようよ、ねえ。

2003年5月29日(木)

また昨日の内に、焦って新しい仕事の面接の予約を今日とりつけ、昨日慌てて履歴書用の写真を撮り、実家に戻って履歴書を書こうと机に向かったのだが・・・。

やっぱり駄目でした。訳がわからなくて履歴書にペンを置けないのです。

あたしは自分の力では、自分を休ませることができない。
外部からSTOPをかけて欲しかった。
誰かあたしをとめてください。動けないようにしてください。
基盤が無いのに走って止まらない思考をとめてください。

病院にかつぎこまれれば、休めると思った。

そして昨晩、家中の睡眠薬と安定剤系を手当たり次第にあさって、たぶん60錠くらい飲んだのだが、普段から強めの睡眠薬を多く飲んでいるせいなのか、夢はさすがに見なかったけれど朝普通に目覚めてしまった。
起きてみても、激しいふらつきと、ろれつがまわらなくなってるだけ。

ODする時は、必ず親が絡んでいる。
どうにか一人で過ごして休む計画をたてなきゃと思う。

2003年5月30日(金)

かねてから気になっていた東京のカウンセリングセンターの予約が、予想に反して早めにとれた。
主治医の了承が必要とのことだったので心配だったが、先生にOKを貰えて一安心。
市の福祉施設へも、ショートステイをする方向で区役所のケースワーカーさんに話を進めて貰っている。

今朝は、薬がなんにもないので午前2時に寝て3時間後に起きた。
すぐ歌を流しながらクレパスで大きな画用紙に絵を描き殴る。

 青い空が見えぬなら 青い傘ひろげて

宇多田ヒカル『COLORS』。

  jet’ aim★jet’ aim 叶わない夢なんて見たくないわ

Tommy february『jet’ aim★jet’ aim』。

午後から年上の女性の友人とお茶。彼女は奥様だし仕事をしている。
お喋りは久々に楽しめた。自分のこれからの方向が少し決まったからだ。
でも独身で無職のあたしには自由の他になにもないな、と思った。
まだ、これからだ。一日一日、道を選んで進んでいこう。

2003年5月31日(土)

朝です。一睡もできなかった。きつい。
今日いちにち、なんとか耐えなきゃ。そんだけ。

2003年5月31日(土)

実は1日分の睡眠薬は残っているのだなー。

朝はあまりのきつさに飲もうかと思ったけど、夜ちゃんと眠るために昼間は一日動こうと決めてからは意外と平気で、姉と両親といっしょに姪の皮膚炎の診察や買出しに付き合って、夕方からは友人とカラオケはしごして踊りまくり、終電まで語りまくり。

キツイけどナチュラルハイというか、このまま寝ないでいくと人間どうなるのかな、とまた限界挑戦欲求が沸いてきて、つくづくマゾだな。

でもなぜか切迫したものが緩んで、雑貨屋さんでウインドウショッピングしたりする余裕が少し出てきて、カラオケも久々に思い切り楽しめたし、ちょっと幸せ。
ひょっとして意図的な逆境を作っておくと遊べるようになるのかと。
もしそうだったらなんだか悲しい習性だなあ・・・。

で、またぜんぜん眠れなかったんだけども。

月曜日は病院だからすぐ薬は貰えるんだけれど、きつさの度合いによっては、このまま薬つかわないでいくとどうなるか実験しちゃいそうなあたし・・・。
仕事してないし、そのへん気楽だ。 

2003年6月1日(日)

体がすんごくしんどい・・・。
今日は動くことも出来なかった。震えもきてる。
眠らせないって、拷問にも使われるくらいだし、肉体的にも精神的にもなんもいいこと無いだろーなー。

馬鹿なことしてないで、眠剤のむかなー。

でもなんか悔しい(やっぱバカ)。

2003年6月2日(月)

病院いってきたんだけど。

寝不足でハイテンションでOD喋っちゃったら、ムッとされて睡眠薬をひとっつも貰えなかったよ!!
一週間分くらい一気飲みしたってどうにもならないよ!先生!!
罰則です、だって。

死ぬ~! 

2003年6月3日(火)

昨日、髪を切って、すごく短くした。
気分転換に前髪を厚めに作ってみた。
カラーリングは、お金のことを考えておあずけ。
自分で、染めるかな・・・。

そう遠くない昔。
学生時代からずっと酷い対人恐怖だった私は、美容院に行くのも一大決心が必要だった。
予約の電話から、何を言うかメモしておかなきゃ出来なかったし、行ってからも、注文をどう言えばいいのか、カット中も、雑誌を読んでいればいいのか喋ればいいのか、また何を話せばいいのか、美容師さんの一挙一動に気を使い疲れきっていた。

それが今は気に入りの美容師さんを「選ぶ」ようになり、何も考えずに予約の電話を入れて「行ってから話し合って決めよう」と思えるようにまでなっている。ほんとに、嬉しいことだ。

今日は、実家と家出先を移動しているため大荷物のまま、東京のカウンセリングセンターの初診に出掛けた。
綺麗でハキハキした若いお姉さんが担当になった。

 何歳ごろからですか?
 どのくらいの回数でしたか?
 どのくらいの期間ですか?

はっきり思い出せないので悩みながら曖昧に答える。
数字的な事柄は昔から覚えているのが苦手だ。

 「何をゴール地点にするか、次回から決めていきましょう」

そうか、どうなりたいのか、決めるんだな・・・。
まとまらない頭で思いつくままに喋ったあと、もっともな話だなと思った。

肩に食い込む荷物の重さも、長く歩いてるために出来てる靴ずれも、うまくたためない日傘も、薬をくれなかった先生も、疲れているとなんだかみんな恨めしく感じてしまう。

苦しむ必要のないことに苦しまないようになりたいんです。
すべてに疑心暗鬼で高飛車な自分がイヤなんです。
もっと静かな気持ちになって、優しいひとになりたいんです。
帰りの電車の中で、窓に映る自分の姿を見ながら思った。

2003年6月5日(木)

久しぶりに10人規模の友達関係の飲み会に出掛けてみた。

飲み会があります情報を携帯メールで入手した時に、今日は大勢でもお酒のんで楽しめそうかなと思ったから。

一人で会場に向かう途中、電車で隣にサラリーマンらしきスーツズボンの男性が座った。
横を向いて顔を確認する気にはならなかった。
その日の調子によってはジっと真正面から見詰めたりするんだが。

なんで確認するか否かっていうと、その隣の男性が眠っちゃってるんです。
頭が傾いてあたしの肩に乗りかかってはハッと姿勢を戻し、の繰り返しです。
よくある光景なんだけど(っていうかあたしも昔かなりの頻度でやっていた)すごく気になります。いつ本当に我に返る瞬間がくるんだろうか、と。
こういうのって男性が女性に寄りかかるほうが本人は気まずいと思う。
しばらく体を硬直させてその時を待っていたんだけど、なぜか急に可笑しくなってきて電車で一人なのに吹き出してしまった。

あといくら気分でも、飲み会およびカラオケでオールナイトはもういい加減やめた方がいいな、と思いました。
何度も思ってるはずなんですが。

帰り道。早朝の晴れた都会は信じられないくらいスガスガしいです。
でも倒れそうでした。喋る気力もありません。
同伴のマネジャはホームで缶コーヒーを買ったらお釣りだけ出てきてモノが出てこない、という憂き目に遭っており、二人で自販機を叩きました。
彼はその後、凄い勢いで苦情連絡先と自販機番号をメモってました。
あたしも車掌さんに「これ○○駅止まりませんよね」って訊いたら、ぜんぶ言い終わらないうちに「止まらない。」って目も合わせずに言われて、いくらACでも瞬時にキレそうになりました。あたし客だよ?!成長したなぁ。 

2003年6月6日(金)

寝る薬のストックがなくなったのでマネジャの家から実家へ。
真夏のような陽気でした。
雨傘を日傘がわりに差してぶらぶら帰りました。

お昼すぎ、実家には誰もいませんでした。

冷蔵庫をあさってみました。
チキンカツの残りを玉ねぎとえのきと一緒にだし汁で煮たものと、冷ご飯をみつけました。
それぞれレンジで温めてどんぶりに盛り、チキンカツ丼の出来上がり。
大根おろしと大葉とカイワレものせて、味うすいかな、と凝縮つゆを少したらして食べました。

また冷蔵庫をさぐって、さしみ用の下仁田こんにゃくを見つけました。
からし、味噌、お酢、みりん、砂糖を適当に混ぜてタレを作り、スライスしたこんにゃくにつけて食べました。
美味しかったけど、からしが多かったみたいで鼻がツンとしました。

珍しくけっこうお腹いっぱい食べました。
昼寝ができました。

2003年6月9日(月)

昨日のこと。

自分のパターンはもう大分わかっているのに、ここ何日かのあいだにまた、コントロールし損ねた失敗をつい重ねて沸点に達してしまった。

PCでトランプゲームを強迫的に繰り返してみても、抗いがたい憂鬱がおりてきて徐々に全身を支配していく。
頭を重くし筋肉をこわばらせ目を虚ろにさせる。

騙しきれなくなって突然笑いながら「しにたい」ひとこと喘いで顔を覆い、その次は力が抜けてへたり込み表情も失い、マネジャを心配させた。

駅まで送ってもらう間ずっと、隣の腕に両手でしがみついていた。
のろのろと懸命に足を運ぶ。移動に集中することで乗り切ろうとする。
苦痛を訴える言葉も出てこない。
何もかもこの種の絶望感の前には何の意味も持たない。

線路の上の陸橋を渡る。
落下する自分をうっすら想像しながら、ゆっくりしか歩けなくても立ち止まって下を見てはいけないと思う。

「明日はこんなに辛くない」と使い古した慰めを自分に向けて唱え続けた。

そして24時間経ち、実際どうにかこうにかあれほど辛くはなくなっている。

2003年6月11日(水)

明朝から、ケアセンターにお泊りです。
ゆっくりできるといいな。

2003年6月14日(土)

新しくカウンセリングを試してあれこれ悩んでいる。
薬も処方通りに機械的に飲んでいる。
福祉施設に宿泊手続きをとって3日休んでみた。
これといってどうということもなかった。
夜は分裂病の女の子と喋り歌を歌い、昼間は部屋で横になっていた。
ぼんやり窓際にもたれかかって電車に揺られ実家に帰ってきた。
頭が、重い。さあ次はどうする?

何かをしていないと、いつも、自分の死ぬ場面を想像している。
ストッキング。ロープ。うっ血した赤い顔。一瞬もがくだろう。
そしてすぐに静かになって、全部、おわるだろう。
今だけやりすごせば想像しなくなるの? そう。きっとそう。
それとも想像したまま生きていくことになるのだろうか?

「やる前に誰かに言うことよ」と臨床心理士さんが言っていたな。
でも、誰かに言って、この頭の霧や怠さがどうにかなるとは思えない。

何かをやる気が、どんどん、なくなっていく。
これじゃだめだと思っていた私も、遠くに見えなくなっていく。

2003年6月23日(月)

今朝見た夢を、雑文としてUPしました。
夢なので背景も展開も強引ですが。

私は眠りが浅く、とても鮮明な夢を見て、かつ覚えています。

この日も夢を文章に起こして、当時のHPに載せました。

2003年6月26日(木)

私を人間として愛してくれる人に顔向けできない行動を、私の根本がとても餓えているために避けることが困難な行動を、まだ完全に止めることができないで、罪悪感に苛まれている。

けれど、昔のように、その苦しみから逃れるために自ら罰を与えようとやっきになって埋め合わせてみたり、
「いくらなんでもこんな人間は愛せないでしょう?」と相手に確認し、また突き放し、傷つけ合うことはしなくなった。

分かっていても辛くなることをしてしまうのが今の私なら、辛さに逆らわずじっくりと味わって消化する方がきっと自然なんだ。

あたしは、弱い。ひとり噛み締めている。
愛してくれる人達に、告白してなお全てを許して貰うことを望んでいる。
あたしがどんな人間であろうと受け入れて貰うことを夢見ている。

隠し事をしない選択は、たいがいの場合は生きるのを楽にする。

けれどそれが、私にとって必要な、愛情を注いでくれる人を傷つけるなら。
正直さはエゴになる。頭を使わないで済む、無責任な生き方なんだ。

2003年6月27日(金)

 愛と云うのじゃ ないけれど
 私は 抱かれて みたかった

『ざんげの値打ちもない』。

こういう歌詞の昔の歌です。

2003年6月30日(月)

週一回なのだが、病院にいくのが億劫で仕方がない。
今日もやっとこさ行ってきた。
はー、だるい。

だるくて、ほとんど一日中、ネットをしているか寝ている。
ネットでは、チャットをしているか、簡単なゲームをしているんである。
ちょっと動く元気があると、すぐアディクションに走る。
仕事してないし、本当に人間がダメになっていく気がする。

と言ってみたら、先生は、今は働かないでダラダラしてたっていいと言う。
ダラクなんてしていないですよ、と言う。

負荷がかかるとまた薬を一気のみすると思われているのかも知れない。

仕事より、アディクション問題の解決の方が重要だと言われた。
あたしのせいではなくて、病気なんだと認識して下さいと言われた。
けど、あたしのせいじゃないからって、なんなんだろう。
病気だからって、どうだというんだろう。
訊いてみたけれど、とにかく、わからなかった。

また、なんとなく、求人情報誌を集めて持ち帰ってきてしまった。

2003年7月2日(水)

ドロのような人間になりそうなので。

アルバイトの面接に行ってきた。
自転車で行ける近所の喫茶店のウエイトレスだ。

ウエイトレスなんて学生時代にやったきりだし、社会人になってからデスクワークしかしてこなかった。
日にちも時間も少なくてOKだから選んだのだが、はっきり言って神経と体力がもつのか自信はない。

面接で、オーナーに自分の店に対する熱い思いを延々と語られ、リハビリのつもりでこのアルバイトに問い合わせた自分がなんだかひどく申し訳なくなってしまった。

ごめんなさい。
本当は人と接するの得意じゃありません。
体もそんなに強くありません。
履歴書にも今までの職歴がいかにも当然こなしてきたみたいにしらっと書いてあるけど、かなり無理してようやくやってきたんです、それみんな。

「大丈夫ですか?」と念を押されたけれど、大丈夫だって、ウソ言いました。

元気さに欠けると思われたかもしれないなと感じた。
でももし、採用されたら、とにかく頑張ってみよう。

2003年7月4日(金)

衝動にかられても。

辛くなることはやめよう。
後悔することはやめよう。
自分を嫌いになりそうなことはやめよう。
生きていく気力を奪うことはやめよう。

なるべくなら。

難しいんだ。辛いんだ。何も考えられなくなるんだ。
だけどその時、命綱が少しでも視界に映ったのなら。
見えないフリをしないで、ねえ。
またいつかのように、手を伸ばして掴んでみるんだ。
振り落とされそうになっても、必死にしがみついてみるんだ。

先生が言っていた。
ガンになった患者と同じだって。
風邪をひいた人と同じだって。
あたしの人間性とは関係ない、病気なんだって。
あたしのせいじゃないんだって。
風邪を治すように、治療していけばいいことなんだって。

言っていることはわかるんだ。
自分を責めず、ただ治療に専念すればいいって意味だろう。
でも事実は消えない。この憂鬱も消えない。
どーか、誰か、助けてください。
本音は、そうだ。
だけど、やっぱりあたしのせいだと感じるから、
そんなのムシのいい話だろう。

2003年7月7日(月)

ヤフーのメッセンジャーを立ち上げてぼーっとしていたら、話しかけてきた逢った事もない人(このHPを知ってる)に「薬を飲むのをやめたら?悪夢も副作用でしょ」だの「自殺した人の理由なんてささいな事ばかりだ」だのと一方的に喋られて、ものすごーく面倒くさくて気分が悪くなった。

だるくて予約の時間ギリギリまで寝転んで迷っていたが、ようやっと起きて、どうにか病院にいった。

「今のあなたには罪悪感が一番わるい。何をしてしまっても、まあいいか、って思いましょう」

リタリンが一日2錠追加された。

仕事もしてないのにリタリンを飲むのか・・・。

2003年7月8日(火)

昨日、病院の帰りに。
外出したついでに、求人の貼り紙がないかと、駅周辺の喫茶店をあちこちまわった。

そのうちのひとつの店のカウンターの内側に、二度と会いたくなかった(とはじめて思い知った)人を見つけた。
おまけに数秒間、目が合ってしまった。
私は目をそらさなかった。
そらせなかったのか、どっちなのかわからない。
10年前の暗い思い出が一気に蘇った。でも足だけは止めなかった。
相手の視界から外れたとたん、体が硬直して、人込みの中しばらく呆然と立ち尽くした。

ただでさえだるかったのだ。
歩き回る気力は消し飛んでしまい、どこかに早く座りたかった。
柱にもたれて考えていたら、ちょうど友人から携帯メールがきた。
あまり客のいないモスバーガーに入って、メールのやりとりに集中し、そのあと、すこし泣いた。

2003年7月9日(水)

リタリン効果か?ちょっと気が向いて、自己紹介のページを変えてみました。

少しだけ外に出てみたら、平衡感覚が無くてだいぶ動作が緩慢なことに気付いた。
ウエイトレスなんて危なくてとても無理そうだ。

しかし改めて比べて見ると、イラストコーナーのアナログイラストは原画とはかなり違う。
もっといいスキャナを使えば現物に近いものをUPできるのだろうか。

・・・と思ってはみるものの、試す気力は今のところないので、たまーに原画を持ち歩いて人に無理やり見てもらってます。

2003年7月10日(木)

全身の筋肉が硬直してうまく動けず、昨夜は痛みのあまり横になっていられなかった。
前の晩もほとんど眠れなかったのに、睡眠薬セットもまったく効く気配なし。

午前3時頃に耐え切れず起きだして、考えた末、デパス投入。
ようやく少し痛みが和らいだ。

体がこんなに辛いと、別の辛さが軽くなる。
なんの問題解決にもならないが。 

2003年7月11日(金)

真夜中に、まだ学生の女の子から、かなり切迫したSOSメールが枕元の携帯に届いた。
薬で寝ていて気付けなかった。
朝になって確認したら「落ち着いた」とのこと。
ひとまずよかった。

あたしもどうにかこうにか毎日を生きているけれど、けっこういっぱいいっぱいだったりするけど、それでも誰かに頼りにされていたりする。
苦しい時に思い出してもらったりする。

女の子のメールにはたいてい、
「まゆさんも大変なのに、ごめんなさい」
と添えられていたりするんだけれど、すこしも自分の大変さが増えるわけじゃない。
確かに心配はするが、不思議な安堵も与えて貰っている。

この世に確かに存在しているものと、足元のおぼつかない私とを繋ぎとめてくれる何かが、そのメールに込められている気がするのかもしれない。

2003年7月12日(土)

今日は久しぶりに体が普通に動かせた。

今週は通院以外ほとんど家の中で石の様にじっとしていた。
せっかくついてきてた体力が衰えてしまうー。
動ける時はがんばって外出しよう。
蒸し暑い曇り空の下、自転車を走らせ駅まで。

電車にのり、マネジャとモスバーガーでお茶。
その後、掃除の手伝いに来てくれといわれて、近くの友人宅にのろのろと行ってみる。

掃除を手伝う気はもともとなかったので、最初はただぼんやり座っていたのだが、突然友人が、氣志團の『One Night Carnival』のリズムに合わせて一心不乱に掃除機をかけだした。
その様子がとても怖い。

見ていられず、思わず代わって掃除機をかけてしまった。

2003年7月13日(日)

昨日、普通に体が動いて「よーし」と思ったのに。

今日は昼頃から急に訳も無く不安でたまらなくなった。
涙が流れて体が震える。おろおろ歩きながら両腕をさする。
あらー今度はこっちか・・・。なかなかうまくいかないな。

短い人生、できることなら、笑って過ごしたいんだけれど。

繰り返し訪れるこういう状態をどうやったら笑えるかなぁ。
なんて思いながら、ベッドにうつ伏せになって、しばし耐える。
辛いねー、でも今だけだからねー。大丈夫。
レキソタンと同じ成分の薬があったので飲んでみた。

夜になって落ち着いたけれど、体中の筋肉が痛くて、切ない。

だけど、今日はあたしの生まれた日。
ベッドで涙を流すあたしの体を、母親がさすってくれました。
あたしの喜びそうなメニューの夕食を作ってくれました。

「おめでとう」の言葉もたくさんもらいました。

生まれてきたこと、おめでとう。

2003年7月14日(月)

病院の日。
それほど億劫でなく出かけることができた。

帰りに、ACミーティングで知り合った人たちと3人でお茶。

 「人生は、他人と過ごすにはあまりにも短いのです」

先月参加した精神障害者のシンポジウムで聞いた、アメリカ人女性の言葉。

人との交流が少し楽しいような気がしてきた私の頭に、あらためて色彩をおびて響いてくる。

2003年7月15日(火)

昨夜は眠れなかった。
一日中カラダがしんどかった。
昼寝をしてみようと横になったが眠れなかった。

今夜こそはと思ったがやはり眠れないので日記を書いている。
もう日付はとっくにかわっているんだけど。

特にショックなこともなかったはず。
この先緊張するような予定もないはず。
なんで睡眠薬セット効かないんだろー。

温めた牛乳を少しだけ飲んでみてます。

2003年7月16日(水)

入院していた病院の女の子たちからの手紙にようやく返事を書く。みんなまだハタチ前。
封筒を見ながら宛名を写す。
懐かしい住所、病院名、病棟名。
去年は何度も病棟内で書いて、全部そらで書けたはず。

手紙を読み返すとどれも「元気?」と私に訊いている。
顔をあげて窓の外に目をやり、あたしは元気かなと考える。

元気なんだということにする。

薬のせいで指が少し震えるのであまりきれいな字にならない。乱筆ゴメン。
便箋の裏にほんのちょっとだけイラストを添えて、封をした。

2003年7月17日(木)

久しぶりに眠れて、調子がよい一日。

気力があったので、いただき物展示室を作ってみました。

HPを運営していて、

読者から加工写真やイラストを貰うことがありました。

2003年7月18日(金)

私は私の人生しか歩めない。
他の誰の人生とも比べることはできない。

何かにつけて、どうしても焦ってしまうけど。

私にはどうしても克服したいものがあった。
死にもの狂いで頑張っていた時、生への執着も激しかった。
苦しくて気が狂いそうで、刹那的に死への衝動にとりつかれても、あらゆる手を使って軌道修正してきた。
どこかに行き着くまで、私は絶対に死ぬもんか、といつも歯を喰いしばっていた。
言い換えれば、死をとても強く意識していた。

目標を失ってから、しばらく、焦って状況を変えようとあがいた。
けれどそのうち、何も、興味がなくなった。
死にたいと、今度は静かに長い時間、思うようになっていった。
それを避けることだけを思って過ごした。

だけど私のまわりには、ちゃんと以前から、優しいひとがたくさんいた。

それを少しずつ、温かく感じられるようになってきているから。
錯覚かもしれないけど。
この感覚。すぐ消えるかもしれなくて、ちょっと怖いけど。

生きることに執着もしていないのだけれど、死を思うこともなくなってきた。

両親と暮らすのも、どうにか慣れてきたみたい。本当に助かった。
何もないけれど、ただ静かな気持ちで過ごしていられる時間を手に入れることができた。
その時間が私を少しずつこの地にしっかり立たせてくれる気がする。
同時にわたしのまわりにある温かく感じられるものが、
もっと増えていくような気がする。

2003年7月19日(土)

掲示板なんですが。

ログをね、こまめに自分では保存してはいたんですけど、
WEB上では50投稿しか見れなかったんですよね。

せっかく書いてくれて、もったいないので。
過去記事がたくさん見られるものに替えてみました。

新しいやつ、見づらいかしら。どうだろう。

前の掲示板は、TOPのいただき物の下にしばらく残しておきます。

当時運営していたHPの話です。

2003年7月21日(月)

昨日、花火大会に行って。久しぶりにみんなに逢えて。
大好きなお姉さまたちから誕生日プレゼントを貰って。
大好きな女の子から、好きな作家の本を貸してもらって。

薬切れの疲れが怖くて、昨日の昼からリタリンを抜いていた。

そのまま、依存性を懸念して、今日もリタリンなしで過ごした。

プレゼントのアクセサリーについてた保証書を眺めていたら、ちゃんと私の誕生日より前の日付が記されていた。
こんな自分勝手なあたしの誕生日を覚えていてくれたのです。
華奢なブルー・トパーズのピアス。

上品なシルバーの細い4連チェーンのブレスレット。

ごめんなさいと言う時は、心から悪いと思って言いたい。
ありがとうと言う時は、心から喜んでいたいのだ。もっと、もっと。

たくさんみんなにありがとうを伝えたいのに、ただただ悲しくて仕方が無い。
悲しくて何もする気になれないので、寝ていた。

夕食後、子供用の花火セットを持って、母が「やろう!」と誘う。
雨に濡れたアスファルトにしゃがんで手元の花火を見ながら、ずっと涙を流していた。

あんな小さな薬の力に頼らなくちゃ、こんな風なのかと思うと。
やっぱり何もかも悲しくて心が動かなくなっちゃうのかと思うと。

2003年7月22日(火)

薬が効いている間は、なんだか色々やろうとしてしまう。

友達と連絡をとりあい、遊ぶ約束をする。
仕事を再開しようかと派遣の求人情報を見て電話を片手に悩む。
英語を勉強しなおそうかと講習会の予定や料金を眺める。

薬がきれてくると、なんでここにいるのかわからなくなってくる。
晩ごはんの最中、ハシが空中で止まったままになる。

どうかするとすぐ泣けてくるので、何も考えないようにして、お風呂につかり、髪にドライヤーをあて、洗濯をして、睡眠薬セットを飲む。

2003年7月23日(水)

「ねえさんたちに100の質問」をやってみた。
たいして考えて答えてもいないのに、想像以上に疲れた。
自己紹介のコーナーに載せました。

2003年7月24日(木)

過呼吸発作を起こして倒れる。

ケイレンと息苦しさが過ぎ去るまで横たわって耐えているあいだ、涙を浮かべて症状をじっくり味わいつつ、色んなことを思った。
体の症状が落ち着いてくると、今度はどうにもやるせなさが振り払えなくて、また泣いた。

原因なんてわからないし、出来れば知りたいけど、もう考えるのも面倒です。

とにかくまあ色々とよく反応する体だ。

2003年7月27日(日)

もともと抑鬱で滅入る症状がベースにあるのに、仕事休んでるのに発作なんか起こしたりするとよけい落ち込む。

それでもちょっと浮上した瞬間に、
「症状なんかにいちいちかまってるヒマなんてない!とにかく出来ることを少しずつでもやっていこう」
となるべく切り替えようと試みて奮起してみたりする。

ちょっと体力的に詰め込みすぎかな?と思ったけれど、この週末、友達と過ごしてみたかった。
友人宅の子猫とたくさん遊んで、わからないのに麻雀に混ぜてもらって、お泊りまでさせて貰って、ほんとうに楽しかった。
今朝帰ってきてから、今度は別の友達と3人でカラオケ。
薬飲んでも眠れてなくてきつかったけど、みんなで歌うのは楽しい。

一日食事してないのに食べる元気すらない。
でもひとしきり泣いてお風呂につかったら、少し落ち着いた。
今晩眠れればまた明日回復するだろー。

2003年7月29日(火)

悲しくて寂しくてどうしようもない。

最近はアディクションに関しては軌道修正がわりとうまくいってたのに、実家で発作を起こした際の家族の態度をきっかけに、根っこの飢餓感が爆発してしまった。

薬が切れて気持ちが沈んでくると自傷の欲求が頭をかすめる。
なんとかして気持ちをそらしてやり過ごそうとあがく。

悲しくて泣きたくて動きたくない。昨日、やっとの思いで病院に行き、順番がくるとノックも忘れて先生の前の椅子に転がりこみ泣いた。

よく、頑張っているね。と先生が言う。
そーですか?あたしがんばってるんですか?

気が狂いそうなほど寂しくても、自傷は避けなきゃいけない。
あたしの場合、その後にもっと耐え難い試練が待っている。
自分の汚さが受け入れられなくて内部分裂を起こす。

夜、マネジャの胸を借りてボロボロに泣く。
穴を埋める方法は、今のわたしにはわからないけど、マネジャは私が抱きついて涙を流すのをそのまま許してくれた。
頭を撫でてもらい、薬を飲み、眠りにつくことができた。

しっかり掴め。命綱。
そんなふうに、そこにも、そこにも、愛情が散らばっていることを忘れずに。

2003年7月31日(木)

出来ることを、先延ばしにせずにやっておきたくなっている。

臓器移植カードをずっと前からいつも携帯していたけれど、書き方がわからず記入していなかった。
ネットで少し調べて、家族にも説明して念を押し、署名して貰って、とりあえず使えるようにした。

国民年金を払うのがきついので免除制度を電話で問い合わせてみた。
私の去年の収入が多いのと、父の収入も多くて通らないだろうとのこと。
無理して頑張って稼いできて、挙句に高い入院したのがアホみたい。

それから、時間のある今、人間ドックに入って全部検査してみようと思った。
HIV検査は無料で受けてるけど、あとはガンが一番心配かな。
お世話になってるお姉さまに電話をしていい病院などないか相談する。
話しているうちに思い出したんだけど、あたし国民健康保険以外に何も保険入っていない。
去年精神病院に入院したら保険きかなくてかなり出費が痛かったので、検査して万が一病気が発覚してからじゃお金が大変だなと、まず安い医療保険だけでも入っておこうかと思い立つ。

保険のことを友人に相談したりネットでも調べてみるが、心療内科に通院中とか抗うつ剤のんでたりすると加入自体が難しいようだ。

2003年8月2日(土)

「こんなバカに構ってると人生ソンするよ」

努めて明るくしたような声に、

「ソントクで考えてないよ」 と応える。

馬鹿にしないでよと、カッとなって怒鳴らなかったのは、頭痛とだるさのせいだろうか。

少しは優しい人間になったのだろうか。

ソントクで考えているからだろうか。

2003年8月3日(日)

精神病院に入院中、私は眠るための薬以外は何も飲まずとも精神的に安定していた。
苦手な若い女性ばかりの集団生活に放り込まれて、ストレスから不眠と悪夢が一時期ひどくなりはしたが。

閉鎖病棟の生活に慣れてからの私は、傍でどんなに女の子たちが騒いでいようと、スペースさえ確保できればただ好きなように絵を描くことに集中できた。
似顔絵も描いて配った。イラスト入りメッセージカードもたくさん作った。
病棟の端のピアノを心から曲に感じ入って楽しんで弾けた。

会社員になってから突然まったく出来なくなってしまっていた「遊び」が、入院して初めて、あんなに騒がしい場所だったのに、出来たのだ。

この違いはどこにあるんだろう。

そこで、今日からこの家を病院だと思ってみることにした。
家族はある時は優しい看護婦、またある時は嫌いな看護婦だ。
一緒に遊んだ患者だ。もしくは自己中でメーワクな患者だ。

朝、病棟で毎日やっていたように、ラジオ体操第一と第二を行った(頭の中で歌いながら)。

そして毎食後の処方の薬をいっさい飲まずに一日過ごした。

なんかバカみたいに思えるが、薬のんでないせいか食事が苦痛でなかった。
姉と姪っ子が来て騒いでいても、悲しくならなかった。
気力があったのでHPのトップを頑張ってレイアウト変更した。
ココロウェブリングに参加すべく準備してみた。

とりあえず今日はよくやった、と自分を誉めておく。

2003年8月4日(月)

朝おきて、音楽なしでまたラジオ体操1、2を遂行。
そしてまた薬をいっさい飲まずに過ごす。

どうやら私のラジオ体操のやり方は、かなり気合が入っているらしい。
1回やっただけで全身に筋肉痛が出ている。
こりゃ毎日やったら腹筋が割れるのも頷ける。
(入院中は割れてきていた)

肝心の体調だが、昨日とはうってかわってダルくて殆ど寝ていた。

やはり薬を突然やめるのはよくないかな・・・などと思いながら、音楽で気を紛らわそうとする。

 泣き顔でスマイル すりきれてシャイン 踊るならレイン
 ピントはずれの わがままジュリエット

BOOWY『わがままジュリエット』。

懐かしくて、ゆったりしたリズムが心地よい。
横になったまま、何度も聴いた。曲がいいのです。

2003年8月6日(水)

足の神経痛、自然治癒を期待していたが、2週間治らない。苦痛。
外出ダルイ。いやいやながら、専門家のドアを叩く。

近所のカイロプラクティック整体?と気功術を使う診察を受ける。
ここの先生はとにかくヤル気満々で勉強熱心なのだ。

1時間たっぷり、問診とマッサージ、無言気功治療。

「目を閉じて嫌なことをイメージしてください。イメージが消えてきたら合図してください 」

横になって頭に手をあてられ。
嫌なこと嫌なこと、とくに思いつかないな、何だろう?
いつまでも調子が安定しない、からだ?
いつまでも心配かけてる、親?
いつも、からだ、だるい。
頭、重たい。
あたし、何したいのか、わかんない。
どうしたらいいのか、わかんない。
なにをしているんだろう、あたし。
どこを歩いているんだろう、あたし。
そうだ、生きてるの、ツライ。
毎日、頑張ってみようとするけど、本当はツライ。
諦めないぞと思っているけど、生きてるの、ツライ。
あたしツライ。
ツライです。
生きてるのが。

涙が溢れて、イメージ出来なくなってきた気がしたところで、合図した。

2003年8月9日(土)

薬ぬいて頑張ろうとしてたら、ウソみたいに簡単に調子が最悪に。
いろいろあって、救急で2日入院するはめに。

病気なんだとちゃんと認識してください。薬は必要なんです。
あなたも家族も、あなたはもっとやれるはずだと思いすぎです。
あなたの力には、今は、限りがあるの。

先生にさとされた。

力に限りがあるって・・・。
なんかちょっと悲しいけど、まあ深く考えないことにしよう。

癖になっていた大量服薬で、

とうとう救急指定病院に担ぎ込まれ1泊入院しました。

2003年8月11日(月)

病院をふたつ、はしごした。

あなたは危ないから気をつけてよねと、ACミーティングの終わり際に腕を軽くつかまれた。

女の子と並んで、駅まで歩く。
蝉時雨。陽がおちかけて涼しくなった風。気持ちいいー!
隣で言ってくれたから気がつけた。

ふーっと息を吐きながら、上を見ると青空。
放っておいてもちゃんと、当たり前に、夏なのだ。

あまり人と視線を合わせてないはずだけど、心配そうな瞳をたくさん見た気がする。

あたし、痛いかな、とすこし思った。

男友達と軽くカラオケをしてみる。
店を出てからもずっと歌っている。

毎日が駆け抜けていくだけ。 

私は身体が小さくて細かったので、

大量服薬は本当に危険だと、

臨床心理士さんに諭されました。

2003年8月12日(火)

迷っているように見えたでしょうけど、少しも愛してなんかないの。

私は欲情されてる自分を味わうのが大好きなだけなの。
体全体で要求されている瞬間を確認するのが大好きなだけなの。
未来なんてないなら、留め金はずして溺れてボロボロになって悟りたい。

私はまだ生きていくつもりだから、それ以上を促すリアクションをギリギリ踏ん張って押さえる。
せめてせめて、あしたの私の苦しみを少しでも減らすためなの。
間があいたのは、決断するのに相当の覚悟が必要だからなの。

ごめんなさい。ちっとも愛してなんかいません。

2003年8月14日(木)

なんだか苦しくてじっとしていられない。
ずっと圧迫感があって、ざわざわする。
最近、危ないと思う。このままじゃ。
ちょっと腰を据えて、身を守らなきゃなあ。

忘れちゃいけないことを、いつでも思い出せるように準備しようと思った。

最初、腕にマジックで書こうとしたのだが、外出することを考えてやめた。

ベッドの上でスケッチブックを膝に抱え、クレパスを持ち、自分を追い詰めないための言葉を、私を見失わないための言葉を、一生懸命考える。

あたしを守ってやるために、何て言ってあげる?

「苦しくなったら、やめること。」

大きく書いて、離れて眺めてみた。
なんだかまた義務のように思えて、苦しい。

「このままで、PERFECT」

これは、少し、楽にしてくれる気がした。

壁にピンで留めた。 

2003年8月15日(金)

母の問いかけに、ちゃんと答えてあげられない。
ちゃんと返事をしてあげたいけれど、声を出すのはおろか考えるのすら億劫なのだ。

なぜ明らかに自分で動いている私にこんな質問ばかり繰り返すのだ。
ちゃんと気にかけているのよ、と言いたいのはすごく判る。
それだけに重荷で仕方が無い。

 今、顔、洗う? シャワー浴びたい?
 このテレビ、消したい?うるさいかも知れないわね。
 今まで、部屋で、何してたの?
 これとこれは一緒に食べたほうが美味しいのよ?

まだ気力のあるうちは、
「それは、~だから、別に心配しなくて平気」
「もしそう思ったらその時に自分でやるから大丈夫」
極力、普通の声でひとつひとつ応じる。

だけどだんだん返事が短くなり、無言になっていく。

 ホントウニタスケテホシイコトハイツモムシサレル。

夜、睡眠薬が効いてきて、よし今日は眠れる!と思った時に、

「どうして欲しいの?お母さん頭わるくてごめんね・・・一生懸命やってるつもりなんだけど・・・」

また始まった。もう耳を塞ぎたかった。今は寝させて!

「お願いだからもうやめてー、聞きたくない!」
ベッドの上であたしは、こらえきれずに、うめいてしまった。

母の長いため息。声になっていない「おやすみ」。
明らかに傷ついた気配を残して、去っていった。
泣いていたかも知れない。

気になって苦しくて眠れないので、日記を書いている。

2003年8月16日(土)

昨日の母の私への構い方がとても病的に見えて怖かった。
朝の7時半頃に、父親の携帯に電話をしてみる。

母は私と家に二人きりで不安になっているのかも知れない。
今、父が山奥の別荘に行っていて留守なのだ。

受話器を耳にあて、ベルの音が切れるまでずっと聞いていた。

昼になり、ベッドでウダウダしていた私のもとへ、実家に帰っているマネジャから写メールが届く。
故郷の友人とこれから昼食だとのこと。

私も知ってる、実直な好青年のN田君だ!

ここぞ気分転換とばかりに、さっそく「お元気ですかー」と写メールを返した。

あらためて見ると我ながら似てないが、そんなことはどうでもよい。

なぜならこのイラストが効を奏したのであろう、N田君は突然ガーッと走っていってガーッと戻ってきて、これ、まゆさんに!とお土産を手渡してくれたそうだ(マネジャ談)。

2003年8月17日(日)

夜、また、体がぜんぶストップした。誤魔化せなくなった。

部屋着のまま飛び出して電車にのり、ひたすら海を目指した。
夢中で砂浜を走り、そのまま真っ黒な空と水に全身をゆだねた。

ODはだめ、自分をあとで責めて悪循環になることもだめ。
こういう心境に陥らないための環境を作るまで、持ちこたえるために、海を思いついた。

体温より少し冷たい海水に、時おりなま温かさが混じって肌を撫でた。
飛び跳ねて、潜って、泳いで、大きな力にどっぷりと抱かれた。

海で泳いだのは、沖縄で過ごした13歳の夏以来だった。
こっちの海が急に汚く見えて仕方なくなったのと、日焼けを気にするようになったからだ。

また海に入る日がこんな形で来るとは思わなかった。

2003年8月18日(月)

海に飛び込んで、ガタガタ震えながら電車で帰ったのだが、とりあえず命にかかわることはせずに、またその日を乗りきれたんである。

早朝に前日の日記を書いたあと、不安発作。次はこっちだ・・・。
ベッドで体を必死にこすり続け、レキソタンを飲んで耐えに耐える。
慣れてるはずだけど、やっぱりすごく苦しい。

もう、つかれた・・・。
いい加減、時間単位で激しく調子が変動するのに降りまわされて、ずっとあれこれ調節し続けるの、疲れた。

この先も思いやられて、諦めちゃいそうだ・・・。
そうならないように、今だけ力を貸して。誰か。

いのちの電話に何十回もリダイアルするが繋がらない。

あたしだけじゃないんだ、こんなこと思ってはいけない。でも、

「何もそんな悪いことしていないのに、どうして私はこんなに苦しい思いを毎日しなくちゃなんないの・・・」

というTVドラマみたいなセリフが浮かんで涙が溢れる。

ようやく薬がきいて発作は静まり、午後から3時間ほど寝逃げ。

自分の部屋から外に出られない。ベッドから起き上がれない。

目覚めてから、いのちの電話にまた何十回も虚しくリダイアル。
お願い、誰か出て。苦しくて、諦めちゃうよ・・・。
病院はまだ夏休み。誰に助けを求めたらいいの。

母親が食事を部屋に運んでくれる。
発作中はわからなかったが、傍に来られると気が狂いそう。
「お母さんが傍についてても、駄目なの?助けにならないの?」と訊かれる。
何も答えられない。母の為にも助かりたいけど、体が言う事をきかない。
混乱してますます苦しくなる。ちゃんと声が出せない。
「お願い一人にして」と呟くのが精一杯。

アイデアも遠慮も見栄も尽きて、忙しいのを承知で知合いのお姉様にメールを打った。マッハの返信を頂く。
仕事中のマネジャにも同時にメール。
やりとりをして時間を必死にかせぐ。

またレキソタンを飲む。

マネジャから電話がきて、
「実家にいるのがやっぱり一番きつそうだから、とにかくウチにすぐおいで。お父さんに、車を出してって頼んでみな」
考えている余裕がないので、すぐ言う通りにしてみる。

父が何やら嫌がっているが、母が頼んでくれているのが聞こえる。
どうやら運転してくれるらしい気配を感じたので、また部屋着のまま薬をバッグに押しこみ、放心して待つ。

翌日、マネジャの家で一人、朝食後の薬を処方通り飲み、少しスッキリしてきたので、昨日の日記を書いている。
今度も、一日、どうやら、助かった。
すごく長い時間が経ったみたいだ。

実年齢から来る衰えが含まれてきた気力でまかなうには、自覚しはじめるのがだいぶ遅かった分、激しさがまだまだ残っている感情の起伏は、荷が重過ぎる気がする。
開放するのに邪魔なものもかなり身についてしまっているし。

2003年8月20日(水)

昼だ。

今日はリタリンを抜く日に決めたので、一日使いモノにならないだろうと、鬱々と寝たまま終わる覚悟をしていたのだが、なかなかどーしてお腹は空くし、日記を書くかと思う程度の元気はある。
(掲示板にレスもしたいのですがもうちょっと猶予をくださいませ。とっても嬉しく読ませていただいて励まされてます)

両親の家じゃない場所で一人でいるとかなりラクだ。
病院の夏休みが明けて先生に会えたら、また賃貸でひとりで暮らす計画をすすめようと決意をあらたにする。

ところで一人でマネジャの家にいるので、素っ裸でいる。

私はお洒落も好きなのだが、服を着ているのが嫌いでもある。
一人暮しの時もよく部屋では(たまにベランダでも)裸でいた。

近所のスーパーまで食料調達に行く時ですら、幼児体型なのをいいことに、下着はいっさい身につけないまま、Tシャツにスカートだけ。
外からわかんなきゃなんでもいいんである。

昨日はリタリンパワーをもてあまし、うっかり軽くマネジャ宅の掃除をしてしまった。
救急で転がりこんできて申し訳無いと思い役に立とうとしたのだが、やはりヘタに働いてみせるものではない。
今朝は出勤前に「いちおう、洗濯洗剤はココだからね」などど笑顔で言われてしまった。 

2003年8月21日(木)

マネジャ宅の近所のコンビニまでお昼を買いに。

物色していたら、1メートルくらいしか離れてないところで、コンビニの店員が同僚にキレて怒鳴り、棚を激しく数回蹴りつけた。

見ていた私は気分が酷く悪くなってしまい、しばらくその場にしゃがみこんでいた。

もう買うものは決まっていたのだが、客なのにこんな思いをさせられてまでお金を払うなんてイヤだ。
他の店は遠いし、炎天下、移動する気力がない。

結局うったえて、うわっつらの謝罪を繰り返され、買い物はタダにして貰い、フラフラ帰ったのだが、これぐらいじゃあんまり納得いかなかった。

怒っているのか滅入っているのか自分でもわからなかったが、食べて、少し眠ったら、だいぶ楽になった。

2003年8月22日(金)

病院の夏休みが明けて、ようやく診察の日。

今日まで、こんな感じで過ごしてました。
で、やっぱり一人で暮らさないとダメだと思うんです。

まあよくうまく避けてきたね、がんばってるねぇ。
僕は最初からそうした方がいいと思ってたんだよね。
ラブアディクションは直接命にはかかわらないから後回しとして。
家にいて死ぬよりはいいからね、それで進めていきましょう。

診察後、ケースワーカーさんとも少し話をして、「再度一人暮し計画」 スタート。

また不動産めぐりとか引越しとか考えるとダルいことこの上ない。
だけどこうする以外、仕方がないように思う。

夜の海に飛びこんでいった日、家を出る直前の夕食時、
「・・・どうしてみんな、死にたくならないんだろう」
食卓で呆然と口走ってしまった。

「死ぬのは怖いからよ」 母が言った。

私は死ぬのが怖いとはちっとも思えない。
残される人の事を考えて、なんとかガンバレ、と自分に言い聞かせて、ただ、生きているだけだ。

そして生きていさえすればいつか、と無理に思おうとしているだけだ。

2003年8月23日(土)

昨晩、生きていくために自分の選ぼうとしている手段が、今はそれしかない、といくら言い聞かせても悔しくて悔しくて、どうしてこんなことになってしまったんだろうと泣けてしょうがなかった。

ずっとずっと、がんばってきたのに。
ただ普通に生活できるようになりたかっただけなのに。
色々やってきて、ここまで強くなれたのに。
なぜ、あの人にできて、わたしには、出来ないんだろう。

死ぬほど頑張った。それなのに、わたしには、出来なかった。

誰からも、客観的に考えても、
「そういう病気なんだから今は仕方ないじゃないか」
という納得を迫られる。
だけど受け入れるのがどうしても、悔しくて、涙が止まらなかった。

あなたは誇り高い子だから。電話の向こう側で母が言う。
悔しいと思っているうちは、大丈夫。

「大丈夫」と静かに強く繰り返してくれた。

確か、普通に働けない、ということが

改めて悲しく悔しくなったんです。

2003年8月24日(日)

何をして気を紛らわそうとしても、この世にいることが不自然です。

2003年8月25日(月)

昨晩、また、自分を騙せなくなった。

TVに集中しようとしても
サンドイッチを作ってみても
マネジャに話してみても
日記に書いてみても
安定剤を飲んでも
無理に歌ってみようとしても
睡眠薬を飲んでも、ダメだった。

私は現実の世界にいるけれど、私が現実じゃあない。
自分のすべてが不確かで、そぐわなくてここにいられない。
体の真ん中に大きな穴が空いていて、苦しくてたまらない。

しばしば、生きているんだと、生きてていいんだと、体で実感できるショックが欲しくて、それ以外なにも見えなくなる。

やり場の無い痛みを一瞬でも浄化してくれる何かを必死に探す。
今の辛さのあまり、もう絶対やめなきゃと思っていたODや自傷すら、耐え難い後悔を嫌というほど味わっているのにやってしまいたくなる。
一番求めているはずの、本気で心配してくれる人が目の前にいるのに。

私は体の外見に強烈な執着があるのでリスカの類の経験は無いけど、初めて、切りたい・・・と白くて血管が青く見えているそこをじっと眺めた。

頭をかかえて、涙を流して、考えあぐねて、マネジャに「殴って」と頼んでみたけど「出来ないよ」と言われた。

独りにならないと、止められてしまって、衝動を処理できない。
外に、出なくちゃ。マネジャは明日、仕事だ。寝なくちゃ体が持たない。
心配かけないようにするつもりで
「先に寝てて。散歩してくるか、実家に帰るから」
そう言いながら、さすがに見えすいてるなと我ながら思った。

「そんなの、心配で出来ないでしょ」 

マネジャは、おもむろに紐を持ってきて自分の手首に私の手首をくくりつけ、「これでどこにも行けないでしょ。もう寝よう?」 とすぐ隣に横になった。
私はまた一瞬だけ嗚咽した。

手首を縛って貰って、なんとか諦めをつけることができた。
もう黙って、寝ようと努力してみることにした。

あれから数時間経った。
「もう、どこにも行かないから、大丈夫」 と紐をほどいた。

午前1時半。

2003年8月26日(火)

昨日の午前中、部屋にいるのも外出するのも怖くて震えていた。
眠ることもできず、「どこにいても同じなら」と、怖い怖い助けてー。と思いながらACミーティングに出掛けた。

席についたはいいが、とても話を聞ける状態ではない。
私の様子を見た臨床心理士さんが、すぐに臨時に診察を受けられるように段取りしてくれた。
安定剤を筋肉注射し、ベッドで休むように指示された。

食後の薬が増えた。ピーゼットシー。

生きることで苦しんでいるのと、ただ死なないように過ごしているだけなのとは、同じ「生きてる」だけど、大違いだ。

究極の受身なのに、ヘトヘトに疲れている。

2003年8月28日(木)

清廉潔白は狂気と背中合わせ。
じわじわ汚して正気を保っていられるとしたら、それもまた狂っているのかもしれないが。

2003年8月29日(金)

暑いので、そーだ、と思い出して『ほの暗い水の底から』の録画を観てみた。
黒木瞳主演のホラー映画だ。

やはりちっとも怖くなかった。
涼しくもならないので諦めてクーラーをつけた。

ピーゼットシー、いいかも。
今のところ辛くならずに過ごせてる。

2003年8月30日(土)

久しぶりの友達とたくさん逢えた。

ここ数日、調子が安定してはいるけれど、私の表情や目、どう見えたかなぁー。と思う。

花火は大好き。夜の海辺でやるなんて最高だ!
帰りの電車、指に残る火薬のにおいも懐かしくて名残惜しい。

2003年9月1日(月)

部屋探しスタート。
不動産屋めぐり、エネルギー要るなあ。

頭グルグルして、眠剤のんでも効いてこない。

2003年9月2日(火)

結局ねむれなくて、朝4時までネットで物件検索。

午前中、あちこちの不動産屋に電話をかけまくり、午後には3つ物件内部を見せて貰った。

疲れすぎてメールも打てないほどです。

2003年9月3日(水)

昨晩に「コレは!」と思う賃貸物件がFAXされてきて、今日も朝からずっと部屋探し。

エ○ブルで1件、仮契約しておくことにしたら、やたら細かく本契約なみと思うほど書類を書かされ
説明を聞かされドドッと疲れた。

これは他を探す気力を奪ってしまう作戦か?と思った。

2003年9月4日(木)

午前はちょっと調子わるくて「今日は動けないかな・・・」と思ったけど。

午後、気をとりなおして、仮契約した部屋の周辺を散策しに出掛けた。
駅からの道順を確認。
途中に安めのスーパーもあるし、部屋からいちばん近いコンビニまで2分くらい。うむ。

まだ人が住んでて、部屋の中を見られるのは来週の月曜日。
はやく、見たいなあ。
よっぽど気に入らない点がなければ、多分ここに決めちゃうだろうな。

2003年9月5日(金)

イラストギャラリーに作品を追加。
上から6番目の 「木陰から」。

決して、今、絵を描けているのではなく、過去に描いたものを載せているだけであります。

また落ち着いてイラストが描けるような心境になるといいな。

2003年9月7日(日)

イラストギャラリーに2つ追加。
上から7番目の「うさぎに逢いに」と、一番下の「つたえたいこと」。

こういう笑顔でいたいもんだ。

2003年9月8日(月)

エ○ブルの対応が、よくよく考えるとヘン。

「大家さまがこうおっしゃっていて・・・」

という内容が、連絡とるたんびに違うのだ。

大家さんがもともとハッキリしない人なのか、はたまたエ○ブルが契約急いでとりつける為に話を曲げて私に伝えてるのか。
今までの流れの印象では多分後者だ。
大家さんが本当はどう言っているのか、ちゃんと教えて欲しい。
不動産屋よりも大家さんとの付き合いの方が大事なんだから。

なんか現場では勢いにボーっと流されて矛盾に気付けないんだが、一人になってゆっくり思い返してみると「・・・?」と感じ始める。

釈然としない思いで帰宅後、すぐ問い合わせの電話をかけたら、一度「はい、~です」って出たのに
すぐに『本日は閉店いたしました・・・』という録音に切り替わって放置。

ムカつく!
確かに営業時間すぎてたけど、電話とっちゃったんなら、話くらい聞いてよね。失礼な。

2003年9月9日(火)

不眠に加えてストレス過食傾向。ヤバい。

引っ越しを機会にPC買い替える予定。
ふっるいマイマシン(このPCではない)のデータをCDに落とそうとしてたら突然「バチンッ・・・」 と画面がまっくらに。
本体の電源がまったく反応しなくなった。

ああー。とりあえず解体して中を見てみたけど、原因わかるはずもなく。
掃除機をかけてやるくらいしか思いつかない。
なんとか生き返らないかしら。

2003年9月10日(水)

実家では相変わらずヤモリと頻繁にご対面する。
今日は玄関で。ドアを開けて外に出してやった。
まだ小さくて、子供みたいだった。
きょとんとしている口のさきを人差し指でちょっとつついてみた。

無印良品の店の階段から落ちた。
しかしよく階段から落ちるんである。
あー、と思っているのだけどスローモーション。悲鳴ひとつ出ない。
カーブしている手すりに激突して、転がり続けるのを免れた。
とりあえずどこも血が出ていないのを確認して顔をあげると、店員が傍に来て「大丈夫ですか?」と覗きこんでいるのに気づいた。
「大丈夫です、大きな音たてちゃってスミマセン」 と謝った。

北野武の『座頭市』を観た。
ダンス、したい。

イラストギャラリー目次の順番かえて、先頭に「城主」追加しました。

2003年9月11日(木)

ちょっと昔まで、女として見られていると少しでも判ると、自分を激しく責め苛んだ。
いやらしくて汚くてズルイ。

会社でキーボードを叩く手の上げ下ろしのリズムに、おんな。
喋りながらストローをもて遊ぶ指先に、おんな。
「意味わかんないよ?」と見開く目に、おんな。
考え事をして泳がす目線に、おんな。
笑いながらピアスをいじる仕草に、おんな。

体中にへばりついているように感じた「媚」らしきもの。
それらを全て残らず排除しなければと、あるいは身を守る為にとどめておこうと、私は振り回されていた。

やっきになるあまり、その瞬間にいちばん大切なものは見えなくなってしまってた。

2003年9月12日(金)

なげやりな毎日。
真っ赤なオフショルダーのトップス。
むきだしの肩や背中が残暑の陽射しにさらされる。

棲家がかわったら変わると思ってる。
棲家がかわったら変えようと思ってる。

いったいどうなるんでしょうか。
どうするんでしょうか。この私。

2003年9月13日(土)

おあそび写真がたまったので、
TOPにフォトギャラリーを作ってみました。

2003年9月14日(日)

眠れなーい。
ここんとこ、だんだん眠れなくなってきてる。

午前3時過ぎだ。
引っ越しの荷造りするわけにはいかないし、真夜中の散歩にでもいこうかなぁ。

2003年9月15日(月)

睡眠リズムが崩れて、薬飲んで寝てもすぐ起きてしまう。
真夜中に昨日の日記を書くようになってしまってる。

昼間、またどうにもならなくなって、いてもたってもいられなくて、立ったり座ったり歩き回ったり。
また何かやってしまいそうで頭をかかえる。
引越しの準備を無理やりしてみたりして、だけど誤魔化せなくって。ああああ助けてー。

マネジャ宅へ父に車で運んで貰った。
どうにか落ちつくことができ、夜の○浜を散歩してきた。
マネジャは今、うしろで寝ています。

2003年9月16日(火)

じっとしてるのが辛い。
何をやっても集中できず、どうかすると過食。
ストレスで狂いそう。どうしたらいいのー。

PCに向かっていても足をバタバタ。
いきなり腹筋運動をひとしきりやる。
前に一人暮らしで使っていたカーテンにアイロンをかけ、洋服の整理をし、引っ越しの準備もそこそこに家を飛び出してランジェリーのバーゲンへ。

買い物したら、少しだけ救われた。

2003年9月17日(水)

ちゃんと眠れなかった。

朝、今日もまた昨日みたいになる気がした。
リタリンを使ってみた。
じっとしているのがすごく楽になった。
むやみに食べ物を口に詰め込んだりもしないで済んだ。

落ち着いて座っていられるので、一日中ネットをしていた。

リタリンのせいだろう、目がおかしい。
PCの画面を見ていると涙があふれて止まらない。

2003年9月18日(木)

眠剤のんでも、2時間で起きてしまう。
真夜中に過食。やめなきゃ、やめなきゃ。

昼間はリタリンで落ち着けるようになった。
またネットをして過ごす。
汗を流しながら引っ越しの荷造りをする。

2003年9月19日(金)

「お母さん頭わるくて悪かったわよ。どうせこのまま淋しい最期をむかえるのよ。お父さんだって助けてくれないし」

母が私に向かって言いながら、泣く。

やっぱりまだ、こんなになってても選ばれるのは私。
私にしか甘えられないんだろうなぁ、と思う。

そして私も、出来るなら誰かにうんと、甘えたい。

2003年9月20日(土)

眠れないので、夜中にイラストギャラリーをいじりました。

寝不足がつらい雨の日。そのうえ寒い。
気晴らしに両親を誘って、3人でトランプの7並べをしてみた。

引っ越しの荷造りはようやくだいたい終了。
しかしこんなにたくさんの荷物、部屋に入るのかなー。
あと4日。カウントダウン。

私、また、ひとりでやるんだ。
仕事も、始めるんだ。食事も、作るんだ。
今度はうまく、無理しすぎないように気をつけてやっていけるかな。
ちょっと楽しい。
ちょっと怖い。

2003年9月21日(日)

久しぶりに朝まで眠れた。

新しいPC、どんなの買おうかな。
マネジャと下見に出かけて目星をつけてきた。
狭い部屋の邪魔にならなそうな、白のノート。

リタリンはよっぽどのことがない限り飲みたくない。
過食ぎみだったり、部屋の中をぐるぐる歩いたりしているが、昨日と今日は、リタリンなしで乗り切った。

母のバースデイ。
「お誕生日おめでとう!」と突然言った。喜んでたみたい。
私の好きなアンリシャルパンティエのケーキを買って、ろうそくを立てて。
夕食もご馳走。たっぷり食べた。

お風呂で眠ってしまった。

2003年9月22日(月)

賃貸の契約を済ませ、ACミーティングに参加し、そのあと診察。

ちょっとしたことで、また寂しさがどっと押し寄せてきた。
食べても埋まらない、体の真ん中の大きな空洞。

座布団を畳に何度も叩きつける。
薬をのみ、たすけて、と電話する。

また車でマネジャの家まで運んでもらうことに。

どうしていつも急にそうなるんだ? 父が、参ったな、という声で訊く。
薬の束をつかんでバッグに押し込み靴を履きながら、わたしもわかんない、と回らない舌で呟いた。

本当に、どうして、こうなんだろう。

夜の国道。車の窓から、テールライトの群れを放心して眺める。

「今、飲酒でつかまったら90万円だ」 

運転席の父が言う。助手席には無言の母。

2003年9月23日(火)

あした、新しい部屋に引っ越します。

しばらくHPの更新ができません。

10月に入ったら環境が整う予定です。

2003年10月1日(水)

引越しってやはりアレコレ疲れる。
毎日のように大荷物の買い物。
収納ボックス、物干し竿、調理器具・・・
ノートPCも買ったし、環境もいちおう整った。
やれやれ。

疲れていても食費は切り詰めなくちゃ。自炊、自炊。
昨日はマーボー豆腐をレンジだけで作ってみた。
冷蔵庫やゴミ入れ、ワゴンの配置に体が慣れず手間取ったけど、美味しくできたー。
一人暮らしに向いてるっていう言葉に惹かれてレンジ料理本を買ってしまい、試したかったのだ。

今日はレンジで大根と肉の煮物を作ってみる予定。

家族といるのに慣れたせいか、一人がとても寂しい。
また、慣れるんだろか。人間は慣れる動物ときく。

2003年10月3日(金)

窓際に、クローゼットにしまいきれていない洋服たち。
冷蔵庫あけて、明日のごはん、どうしようか。
住所の変更届け、区役所いかないと。

ここ、私だけの部屋?まだなつかない。
仕事、しなくちゃ。
お金が今はすべての思考の土台になってるんだろう。

やることいっぱい。
いっぱいになると、あたまが動かなくなってくる。
あたまが動かなくなってくると、体が動かなくなってくる。

ぽーんと、いちど真っ白にするためじゃ、なかったか。

2003年10月4日(土)

要するにすべてが。
面倒なんであるが。
終わらせるわけにいかないらしいので。
薬を飲むためにご飯を少し食べる。

2003年10月5日(日)

今度も窓の多い部屋をえらんで、正解だった。
私の居場所には太陽光線が必要だ。

ひとりの部屋で暮らしていても、ひとりで生きている訳ではもちろんなくって。

つながるひとたちがいてくれるという、これは奇跡だ。

2003年10月6日(月)

診察の日。

少し自分の面倒を見たほうがいいね、と言われた。

具体的にどういうことですか?って訊いたら、お風呂にゆっくり浸かったり、食事をきちんととったりとか、そういうことだそうだ。

店員さんも人ごみも怖い。

先生はいつも、仕事は急がないほうがいいよと言う。
だけど今日は派遣の仕事の申し込みをした。
働くの怖いけど、お金ないもん。
決まるかどうかは未定。

2003年10月7日(火)

きのう先生に言われた通りに「自分の面倒をみる」のと、仕事さがしをミックスしたような一日。

派遣会社に電話したり、ご飯をつくって食べたり、昼寝したり。

うーんそういえば、一歩も外に出なかったな。今日は。

診察、一時期は一週間に1回だったのが、次回が三週間後になった。三週間分の薬は大量で非常にかさばる。
一人暮らしになって、もう危険なことはしないと判断されたのだろうか。
それとも先生、私に逢いたくないのー。

2003年10月8日(水)

めずらしく、お酒を飲みながら友達と喋りたい気分。
近所の女の子が遊びにきてくれました。

2003年10月9日(木)

夜中の2時に枕もとの電話の子機が鳴る。

寝ぼけて出たら「俺、俺。いま下に来てるんだけど出てこれない?」
「・・・どなたですか?」「ひろし」
しらねーよ。「ごめんなさーい」ガチャ。

薬で寝てる私の知り合いがこんな夜中に軽く呼び出すか。

レトルトのパスタソース(カルボナーラ)が冷蔵庫に余っていた。
ブロッコリーと鶏肉を買ってきて、シチューもどきにしてみようと思う。

スライスしたニンニクをバターで炒め、鶏肉も入れて炒め、水を注いでコンソメを入れて少し煮る。
牛乳を加え、残り物のパスタソースを入れて混ぜ、レンジで茹でたブロッコリーを投げ込み、塩・コショウ。

マロンバタークリームを塗ったパンと一緒に、シチューもどきを食す。

おいしかった。満足なり。

2003年10月11日(土)

新居でプチ飲み会。

短時間でカクテル1缶とワインを一本あけた。
久々に気持ち悪くなった。
もう注がれるままに飲むのはやめようと思った(いつもだ)。

楽しかった。

2003年10月12日(日)

マネジャのお義兄さんが出てる合奏団の演奏会へ。

演目はモーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」。

日本語で歌ってくれればいいのに・・・とか思いながら、なんとなくゴージャスなひとときを過ごす。

オペラを聴いていたら、7年ほど昔のことを思い出した。

年末に県民ホールのステージでベートーベンの第九をドイツ語で歌った。
あの頃は、例えばそんなふうに、自然にやりたいこと見つけてやってた。

2003年10月13日(月)

午後からものすごい嵐。
でもしばらくしたら青空がのぞいた。

雨が降ったあとの夕焼けはキレイなんだそうだ。
空気が澄んでいるからなんだって。
いいこと、きいた。

2003年10月14日(火)

雨だ。寒い。

ロフトの窓を網戸にしたまま寝たら、
のどが痛くて午前2時に目が覚めた。

夜、ダルいのをぐぐーっと押してスーパーに買い出しにいき、夕食に豚汁を大量に作ったが、セキも少し出るし、頭もボーっとする。

風邪をひくとなんだか寂しいのは子供の頃から変わらない。

2003年10月16日(木)

近所のスーパーで、鶏肉、豚肉、大根、にんじん、じゃがいも、長ネギ、卵、豆腐、ブロッコリー。

これだけ買っても1400円ちょっと。

買ってきた材料から豚汁を鍋いっぱいに作っても、豚肉、大根、にんじん、じゃがいも、豆腐も余ってる。

自炊ってやっぱりかなり安上がりだー。
材料をどう使い切るかがポイントだな。

あと例のレンジ料理本。
鶏のからあげがレンジで作れちゃうんだけど、これがおいしい。

ビニール袋の中に切った鶏肉、しょうゆ、さとう、にんにくのすりおろしをいれ、よく下味をもみこんで漬けおき、汁気をきって片栗粉をまぶす。
あとはクッキングシートを敷いた皿に並べて油を少しなじませ、レンジへ。

揚げ物ができる設備がないので嬉しいレシピ。
もう2回つくった。

ああ、関係ないけど山口百恵のベスト版が欲しい。
倉木麻衣の「イミテーションゴールド」耳にして、改めて覚えたくなった。
山口百恵、いい歌いっぱいあるしな。「さよならの向こう側」とかさ。

2003年10月18日(土)

朝おきてすぐ、朝食のシリアルとゆで卵を食べつつ、大根と鶏肉の煮物(以前レンジのみで試したがいまいち)を鍋に作りおき。
まだ大根あまってる。次はなんにつかおうかなー。
にんじんもあるし、一緒に千切りにしてなます和えでもしようか。

夜は薬をちゃんと飲んでそこそこ安定して眠れてる。
薬なしじゃ寝れなかったのが、今はやろうと思えば昼寝もできる。
食欲もちゃんとある。
毎食後の薬も、いちいち疑問を持たずにきちんと服用。
何よりあのどうしようもない衝動に駆られることがなくなった。

一人暮らしを始めて、ひとまず良かったのだなー。たぶん。

調子が悪くなる環境にいると、正常な判断ができなくなってますます調子が悪くなることをしでかすもんで。
薬に嫌気がさして、飲むのをいきなりやめたりとかね。

2003年10月18日(土)

なんとなく料理の本を部屋でみていたら「ブロッコリーを茹でる前に水につけて5分ほどおく」との記述が。
虫がついていると浮いてくるので取り除くんだそうだ。

ああ、そういえば子供の頃ブロッコリーを子房に分けていたら3cmくらいの青虫がついていたことが・・・おぞましい記憶がよみがえり、これからはブロッコリーを茹でる前にはかならず水に浸けおくことにした。
虫を茹でるなんて恐ろしいことは絶対に避けたい。

野菜についてる虫に関する幼少の思い出は、あとはナス。
包丁を入れたら予想だにしない事態に仰天。
中が空洞で虫のおうちだったのだ。ああ怖い。
それ以来、外から触感や不審な穴などがないか確認を怠らなくなった。

2003年10月19日(日)

残ってる大根とにんじん。なます和えはやめて、マリネに。
(あんまり変わらないんだけど、こうすると洋風だよね↓)
薄くスライスして塩もみし水分をしぼり、オリーブオイルと酢と砂糖とコショウを混ぜたドレッシングで和えてみた。

夕方、近所の公園に散歩しにいき、スーパーでワインとおつまみに秋刀魚のさしみを買って帰る。

玄米を混ぜたご飯、しそ昆布、豆腐に薬味をのせ醤油とごま油をたらし夕食。

色々思いつつ、「イミテイション・ゴールド」 を口ずさんでばかり。

  ア・ア・ア イミテイション・ゴールド
  くせが違う 汗が違う 愛が違う きき腕違う
  ごめんね 去年の人に まだ縛られてる

2003年10月22日(水)

すごく淋しい。
危なくない方法で助けて貰わなきゃいけない。
このままじゃやばかった。

雨。そら、暗い。光がない。

頭、かゆい。シャワーを浴びたいけど、億劫で動けない。
狭いユニットの息苦しさがますます浴室から私を遠ざける。

『解決はしません』という本があったなぁ。
読んでないけど、タイトルだけでずしんとくる。

手を、繋いで貰いたかった。ひとりでこの世を歩くの怖いんです。
白い空気に目がチカチカします。街のざわめきに足がもつれます。
本当に私、しょうがないやつだ。

ダメな自分を受け入れてあげよう、と、よく耳にする。

どうやれたら、自分を受け入れたことになるんでしょう?
どういう気持ちになれたら、自分の味方になれてるんでしょう?

2003年10月24日(金)

高層マンションから飛び降りようと計画している夢をみた。
バーンと景気よく、わたし、飛び散るだろう。
あとかたづけが大変だろうな。
カラフルな夢の中、白くてやわらかい光の射す広い部屋で、わたしはゆったりと折り紙をしながら、そんなことを思っていた。

最後を遂げることばかり描いていた時、怖いものなんてなかった。

今、雑踏だとか会話だとか、現実のいろんなものを「怖い」と感じる私は、怯えて格好悪いけど、手探りでツライけれど、少し、生きようという気になってきているのです。きっと。

三週間前、わたしは診察で口にした。
自分に自信がないんです。

「そのくらいがちょうどいいよ」 先生は言ったのだった。

2003年10月26日(日)

何を食べたらいいんだろう。
冷蔵庫に食べ物がなくなってきた。
買出しに、いかなくちゃ。
買出しにいくには着替えないといけない。
安くすませるには料理しなくちゃいけない。
うまく使える食材はなんだろう。

食べて、どうするんだろう?

お金稼がないといけないはずだ。
何からはじめたらいいんだろう。
なんてことだ。あたし、仕事も、したくないではないか。

親の世話になるのがあれほどイヤだったのになんで?
誰の世話にもならないためにあんなに頑張っていたのになんで?

料理なにつくる?仕事どうする?服どうする?
ほこり掃除しないと。とにかく何か食べなくちゃ。

ぜんぶメンドウで、寝てしまう。

どうしても、それらをやるくらいなら消えてしまったほうが楽だ。
そこへ辿り着いてしまって動けなくなる。

思考の檻だ。
部屋の中をぐるぐる歩き回る。料理の本を開いて考える。
クローゼットをあけて洋服を見て考える。
気が遠くなってくる。
気づくと固まってしまって何もしていない。陽がおちていく。

怖い。先が。

2003年10月27日(月)

落ち込みすぎると、毎食後とか寝る前とかで習慣化している薬以外の薬を服用してみることを、忘れてしまう。

鬱々発言が多すぎて、マネジャが「巻き込まれる~」とアタマを抱える。
マネジャに言われて、最近つかってなかったリタリンを半分、飲んでみた。

気持ちがだいぶ明るくなったので日記を書いています。

2003年10月28日(火)

仕事はじめる気が、いまひとつ起こらない。
ダメ人間だー。自分が情けない。
洗濯したりシャワー浴びたり、少しだけ料理したり。
やっとのことで、そんだけこなして。あとは寝ている。
このまま、何もやる気がしないままでずっと毎日すぎるのだろうか。

こんな逃げ腰の人生はイヤだ!と歯を喰いしばって働いていた、去年までの私はどこへ。
「ちくしょー!」とばかり思ってた私はどこへ。

「ちくしょー!」と頑張っていた私は心身ともにかなり辛かった。
今は、あれほど辛くはない。
だけど。あの、必死な私のほうが、好きな気がする。

このままでいいんですか。

2003年10月29日(水)

デパートの化粧品売り場へ、愛用の白いアイシャドウを探しに行く。
私はアイシャドウはここ何年もこれ一色しか使っていない。

平日の昼間で客が少ないからなのだろうか、
「肌が白いのに、色を使わないなんてもったいないですよー」と、店員さんが時間をかけて色々とメイクをほどこしてくれた。

化粧品売り場ではたまにこんな風にメイクをして貰えることがあるが、出来上がりが気に入ったためしがない。
綺麗と言うより、「ちゃんと化粧してます!」という顔になるのだ。

いつもの化粧のほうがはるかに手抜きなのだが、やはりいいような気がするのは思い込みだろうか。

2003年10月30日(木)

晴れているのと暖かいのとで、出掛けたくなる。
これもリタリンの成せるワザなり。

みんな、わき目もふらずに早足で行きかう。 
そんなにハッキリとした目的地があるの。

流れから外れて、ぼんやり立ち止まる。
まわりをおそるおそる見渡してみる。
どこまでも人間とビルと自動車の群れ。眩暈。
都会の真ん中でひとり、かき消えてしまいそうです。

2003年11月3日(月)

私、生かされているだけ。
はやくここから脱け出したい。

2003年11月4日(火)

働くどころか、怖くて外に出られなくなっていく気がするので、一歩踏み出せば、と言い聞かせて、無理に行動をおこしてみた。

「一歩踏み出せばなんとかなる」精一杯、騙してみたけれど。

最初から体中がNOと言い続けていた。
ますます怯えて帰ってきた。

2003年11月6日(木)

仕事のことは、しばらく忘れてみることにした。
ちゃんとシャワー浴びられて、食事もできて、散歩も気持ちよくできるまで。

2003年11月8日(土)

尊敬するお姉さまの家でコスプレパーティーなるものをする。

また、「いいなあ」と思うような人と知り合う。

頭がよくて、個性的で、気配りもできる。
反応が鈍くてぼーっとしている私にも、とっても優しい。

なにより憧れるのは、自分のやりたい事を常に把握している(ように見える)ところです。

2003年11月10日(月)

なんだかな、と思うことをしてしまう。
思っているけれど、それが自分にとってどういうことなのかすら、すでによくわからない。
自分が何してるのか、本当はどうしたいのか、まったく掴めません。

ようやっと時間ギリギリに病院にいくことができて、先生に正直に話したら、今は流れに身を任せてユラユラしていていいんじゃないかな、と言われました。

いい悪いも考えなくていいって。

それ聞いて、少し安心して帰ってきました。

相変わらずすべてが億劫でたまりません。
リタリン飲んで、ようやくシャワー浴びたりしてます。
こんな薬の使い方は果たしてどうなんだろう。
いやいや、もう考えないようにしよう。

日記も、薬がきいてないと書けない有様です。

2003年11月13日(木)

診察の日はACミーティングの日でもあったのだが、また怖くて参加できなかった。
なんかメンバーに負い目を感じてしまうのだ。

みんなキレイにまっすぐ生きていて、自分だけ汚れている気がするというか・・・

「ミーティングだけは出て欲しいなぁ」と先生に言われました。

はい、次回はがんばってみます。

2003年11月15日(土)

ここに生きているだなんて。
ここで生きていくだなんて。

2003年11月16日(日)

なにもしたくないのなら、なにもしないでいるしかないんだろうか。

晴れた日曜日。こんな日は健全に過ごしてみようと思う。
リタリンパワーで外出の支度をし、動物園にいってみた。
ついた頃には薬がきれて、せっかくの動物たちにも興味が沸かない。

意識があると色々かんがえて辛い。寝てしまおう。

2003年11月17日(月)

なんにもしないことにした。
でも昨日で賞味期限の切れた鶏肉を料理しなくちゃ。
ブロッコリー、じゃがいもと一緒にトマト煮をつくった。

作り終えて、寝た。

髪の毛がのびすぎて、気に入らないことこの上ない。
いつも切ってくれるTさん、うちに来てくれないかなあ。

2003年11月18日(火)

美容院に行こう!と意気込んでいたら、定休日だった。

2003年11月20日(木)

昨日、髪の毛を切って、染めました。
頭が小さくなりました。

美容院にたどり着くまで、車とか人ごみとか怖かった。

  抱きしめてる思い出とかプライドとか
  捨てたら また いいことあるから

岡本真夜『TOMORROW』の歌詞です。

2003年11月22日(土)

もっと歌すきだった。
絵かくの好きだった。
文章かくの好きだった。
本読むの好きだった。
おしゃれ好きだった。
スポーツ好きだった。

もっと、もっと、もっと!動物、好きでした。

冷たい心に変わってしまったんじゃないと言ってください。
また感激が戻ってくると言ってください。

うつの、せいだよね。

2003年11月24日(月)

これからが大事。
ここからが大事。
過去になにをしてきたとしても、です。

自分の内なる力を信じて冬眠しましょう。

2003年11月25日(火)

昼間はおきていて夜に寝ようと思うのだ。
生活のリズムを規則正しくしたいのだ。

リタリンなしだと精神的に辛くて寝逃げしてしまうので、しばらく午前と午後に半錠ずつ飲むことにしようと思う。

しかし。
リタリンパワーで昼間ずっと起きていられてお風呂も入れたのに、夜10時に睡眠薬を飲んでから寝つくタイミングを逃してしまい、けっきょく朝の5時まで眠れなかった。

タイミングを逃した原因は。
睡眠薬を飲んでから、真夜中の一人ファッションショーにハマってしまったのだ。
10時に睡眠薬のんで、布団に入ったの12時半くらい。
睡眠薬を飲んだらすぐに布団に入らないと眠れなくなります。

ああ、たちくらみがひどい。栄養不足かも。

2003年11月26日(水)

幼い頃、一日がとても長かった。
したいことが次から次へ浮かんできて、先を考えて躊躇することなんて知らなかったから。

流しでシャボン玉のピラミッドを作って。
紙に切り込みをいれて町を作って。
森に出かけてトタンや枯れ枝を拾い、基地を作っていた、あの頃。

私はいつの間にかたくさんの薬を常用するようになり、一日の始まりも終わりも辛いと思う大人になって今日を過ごしています。

朝になれば夜が来ることを、夜になれば朝が来ることを、知ってしまったからなんだ。

その気づきは、時には希望もくれるんだけど、絶望も大きくするんだ。

2003年11月28日(金)

一度目の一人暮らしはびっくりする程せいせいした。
世の中が突然ひろくて素晴らしいものに見えて、わくわくしていた。
だけど二度目の一人暮らしはなんだか寂しくて仕方がない。

ミニ観葉植物を4つ買って、先週から出窓に並べてみている。

自分の食事の世話すら億劫な私が、たとえ植物といえども生き物を世話できるだろうか。

ドラセナ2種類に、ワイヤープランツ、マレービューティー。
今の時期は成長しないらしい。買ってから大きくなってきた様子もない。
暖かい季節が巡ってくるまで、枯れないで居てくれるでしょうか。

私もその時まで踏ん張っていられるでしょうか。

2003年11月29日(土)

手をとって、目をみて、肩を抱き合いたいのです。
そして、それを幸せにおもう自分でありたいです。

2003年11月30日(日)

睡眠薬をのんで、効いてくるのを待つ。
ひとりで寝るのなんて。
なんてさびしくて、つまらない。

2003年12月1日(月)

診察の日。 
外に出る気力がなく、また予約時間ギリギリにすべりこむ。
抗うつ剤が2倍に増量された。

いちいち飲むのすら億劫なほど薬がたくさんだよ。
がんばって飲みますから、どーか、元気をください。

2003年12月2日(火)

空、やっと晴れてくれた。
ここのところ雨が続いて、苦しかった。

今日は、

 シーツ・タオルなどの洗濯ができた。
 産婦人科にいけた。
 スーパーで野菜や牛乳などを買えた。
 掃除機を軽くかけられた。
 ご飯を12食分炊き、パック詰めして冷凍保存できた。
 シャワーを浴びられた。

2003年12月3日(水)

リタリンを抜いた日。

寂しくて動けない。
何を抱いていればしのげる?
どうやって生きていけばいい?

2003年12月4日(木)

 わたしがあこがれているのは にんげんなのです
 ないたりわらったりできることがすてき

椎名林檎 『りんごのうた』より

2003年12月7日(日)

少し元気になったと思ったら、またあの発作がやってきた。

体に、大きな穴があいているんです。
一刻も早く、何かで埋めなくちゃならないんです。
だけどあたしの欲しいそれはどこにもない。
それは何?言葉にもできない。狂ってしまう。

代わりのものも、逃げ道も、何ひとつ見つからない。
オーバードーズも違う。リストカットも違う。
もうなにをしても助からないこともわかっている。
夜、辛いけど顔を洗い薬を飲んで、布団にくるまって必死に耐えた。
モウ、ドウシヨウモナインダヨ。

少しだけ意識を失って、夢をみた。

私の大事な手。絵を描き、ピアノを弾く手が、うまく動かせない。
見ると、皮膚の下の肉がボロボロと朽ち果て、空洞になって骨がむき出しになっている。

明け方、涙が枕に流れつづけているのに気づいた。

2003年12月9日(火)

がんばって、お風呂にはいれました。
しんどかった。

2003年12月12日(金)

体が動かなくて、出掛ける支度ができなくて。
途方にくれて珍しいことに自分からSOSの電話をかけた。

声をきいたら、動けるようになれるかも知れないと思ったの。

そして、実際、なんとか出掛けることができた。

ああ、私、少しはみんなと笑うことができる。
と気づいた一日でした。

2003年12月14日(日)

昨日の午後から夜にかけての激うつはなんだったのだろう。

微妙な調子の体をひきずって近所の公園にいき、青空療法、光合成。
晴れでよかった、お日様ありがとう。

元気になって、夕食に簡単肉じゃがとお味噌汁を作った。

2003年12月15日(月)

先生、だめです。
どう生きていったらいいのか、もうわかりません。

先生は、よく耐えて頑張っていると言ってくれる。
すばらしいと言ってくれる。

だけど、それがなんだろうと思うくらい、悲しい。寂しい。泣きたい。誰かたすけて。

冬の夜だ。風が窓の外でうなっている。
欝と寒さが、夏のあの日のようには。
マネジャのいるところまで行かせてはくれない。

2003年12月16日(火)

どうしてこうも日によって調子が違うのか。
なんだかもうバカみたいです。
私を左右しているのは何だ!?

今日は穏やかな気分で過ごせた。
昼、夜と食べたいものが思いついて料理もできたし、シャワーも浴びられた。

入院していた時に書いた文章が見つかった。
雑文のコーナーにアップしてみました。

2003年12月18日(木)

淋しくない?淋しくない。辛くは、ない。
だいじょうぶ、みたい。

2003年12月19日(金)

私の世界はいまとても小さくなっている。

部屋の真ん中でひざを抱えて、窓ガラスが風にきしむ音がこわい。

2003年12月20日(土)

朝、リタリンを飲まなくても平気な気がして、飲まずにクリスマス会に参加。

リタリン飲んでないせいか食欲がすごくあって、久しぶりにおなかいっぱい食べた。
歌にあわせてのプレゼント交換。なつかしー。

なぜか調子がよくて、直前まで参加は無理かもと思っていた二次会にも参加できた。
たのしかったです。ありがとう。

2003年12月21日(日)

またリタリンを抜いてみた。
できればこの薬は飲みたくない。

だけどだめでした。
ひとりで部屋にいるのが辛いです。
生きていくなんてできないです。
こんなんで、この先どうしたらいいんだろう。

耐えられないのでずっと布団にもぐっていました。

明日になったら。明日になれば。

2003年12月23日(火)

規則正しく生活してるのになー。
一睡もできないまま、始発電車の音がかすかに聞こえて諦めて起きた。

きのうはACミーティングと診察の年度おさめ。
メジャートランキライザーを減らしてもらおうとしたのだが、あえなく却下。
逆に薬が追加された。
抗うつ剤をもう一種類、再び懐かしのパキシルです。
調子がよい日で、そのままカラオケして、マクドナルドでおしゃべり。

今、朝の6時です。うーん眠りたい。
敗因はたぶん、マクドナルドでのコーヒー2杯だな。
睡眠薬セット、まったく歯がたたずじまいでした。

2003年12月25日(木)

午前中いっぱい、ふとんの中で過ごす。
眠っているわけではないのだけれど、起きて活動する気力がないのです。

ロフトの小さな窓から差し込む太陽の光をながめながら、自分のちからについてあれこれ考えていた。

午後、近所の女の子がビデオを持って遊びにきてくれました。

2003年12月27日(土)

無気力だけど、いいことを考えよう。
テレビが観れるようになってきたみたい。

2003年12月30日(火)

年の瀬だ、と振り返ってみる。
実家にもどって症状に対処するのでいっぱいな一年だったかな。

福祉施設でボランティアをはじめたものの、長くは続かなかった。
親元にいることで寂しさが爆発してアディクションが激しくなった。
ODも3回した。徐々に薬の量がエスカレートして緊急入院。
(あまりの体の辛さに二度とやるまいと思った)毎日のように感情が滅茶苦茶になり、発作おこすたびにマネジャ宅に転がり込み、すったもんだの末また引越して一人暮らしに。

今はだいぶ静かに暮らせているけれど、うつ気味でなかなか動けない。
来年はもっと元気になりたい。