1998年

会社の同僚の女性と

1998年12月11日(金)

ここのところ、帰りの電車で本を読んでごまかしながら、泣く。

喉のあたりに何かがつかえていて、泣くことで少しは押し出せるような気がする。

本当はもっと思い切り泣いて吐き出したいけど、黙って少し涙を流すくらいしか出来ないのが、中途半端でもどかしく感じる。

本が相手だから、静かにしか泣けないのだと思う。

人間が相手だったら、大声で思い切り泣けそうな気がする。

最近、一人になると、いつでも泣けてしまう。

一日中、どこか苦しくて、気分をコントロールするのが難しい。

1998年12月12日(土)

健全な子の傍にいると、時々いたたまれなくなる。

自分がとてもひねくれた、育ちの悪い人間のように感じてしまう。

私は、みんなに好かれている人は決まって苦手だ。

口ではみんなに合わせて「いい人だよね」と言うけれど、だから好き、いっしょにいたい、という訳ではない。

実際は、そういう人を避けて過ごしている。

万人受けする、わかりやすい明るさ優しさをもっている人には、私は理解されず、そのことでその人に不快感を与えてしまうような気がする。

いい人のまわりには、みんな集まる。

そばに寄っていけない私はみんなと違う。

「いい人」だと思っているのに、近寄りたくないなんて、とても変だ。

「いい人」の傍にいられる自分にあこがれる。

私の苦手な「いい人」は、自分を確立しきってはいない人だ。

みんなの雰囲気が悪いとつらくなったり、良くしようと傍目にもわかるほど努力してしまう、情の深い人だ。

私は、みんなとうまく調和することが出来ないので、その愛すべき人間を悲しませてしまうかも知れない。

そして、それが私への嫌悪となった時、みんなに好かれるいい人に無視されることが怖い。

私がなじめなくても、いやな気持ちになって欲しくない。

怪訝そうな顔をして気を使って欲しくない。

だから私は、独りよがりな人が好きだ。

一方的に話す人が好きだ。

自分の尺度を信じて疑わず、あまり細かく相手の気持ちを察しない、鈍感な人がいい。

私の暗い部分を、感じとることの出来ない人がいい。

そういう人の前では、私は普通の人でいられる。

1998年12月13日(日)

パソコンで資料のフォーマットを整える仕事しかなく、死ぬほど退屈な一日だった。

座って同じことばかりしていると、発狂しそうだ。

帰りの電車で、会社の女の子と一緒になった。

仕事があまりに退屈だったので、今日は珍しく会話をするエネルギーがあって、結構しゃべった。

話題は、朝に駅で見かけるヘンな人のこと、○崎のあたりで電車の窓から見えるホームレスの手づくりの家のこと、今月で辞めてしまう1Fの会社の女の子のことなど。

私にしては感じ良く過ごせて、ほっとした。

気分が良くなって、横浜で彼女と別れてから、前から買おうか迷っていたぬいぐるみを買った。

クリーム色のタオル地の、大きな枕みたいなレトリバーだ。

レジで、おまけとしてサンタの帽子とミニチュアツリー、ミニバケツも貰った。嬉しい。

レトリバーは今、私のふとんの中にいる。

犬のメルが死んでから、腕に抱いてかわいがるものがずっとなかった。

実家で飼っていたメル。
子犬の頃。